今週のメッセージ 99/9/5

神と喜びを共にするところから新しい人生が

 

 NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』もそろそろ終わりが近づいたようです。先週は、ヒロインの萌(もえ)がついに産みの母親と対面するシーンがありました。てっきり倍賞千恵子が演ずると思っていたところ、妹の倍賞美津子が出てきたのは意外でした。(もっとも毎朝きちんと観てきたわけではないので小生の見当違いかも知れませんが...。)

 同じく先週出てきた1シーンなのですが、萌の産みの親が炭坑で働いていた時、ひどい扱いを受けた経営者、タチバナ リュウゾウ(漢字がわからないので悪しからず)が、自分の過去を振り返りながら萌に述懐することばが心に残りました。それは、自分の夢はことごとく実現したけれども、それを共に喜んでくれる者がひとりもいない、というものでした。彼は阿漕な経営者で、その成功は多くの人間犠牲を犠牲にしたものだったからです。

 喜びを共有できる相手はそう多くいるものではありません。表面的には共有できているように見えて、その実、妬みややっかみが混ざっていたり、また打算が働いていたりしがちです。

 ところで、聖書に次のようなことばがあります。

 「罪人がひとりでも悔い改めるなら、....大きいよろこびが、天にあるであろう。」  (新約聖書・ルカ福音書15:7)

 「大きいよろこびが、天にある」とは、神がよろこんで下さるということです。神のよろこびは純粋で至高のものです。その神さまとよろこびが共有できるとはすばらしいことだと思いませんか?神に背を向けていた人間が神の方に向き直って立ち返る時、神はとてもよろこばれるのです。そのよろこびを神と共にするところから、あなたの新しい生が始まるのです。