今週のメッセージ 99.9.26

宗教と御利益

 

旧約聖書の中に、ヨブ記と呼ばれる書があります。その最初のところに神とサタンのやり取りが出ているのですが、その中に次のようなものがあります。

「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。....ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」(1:9〜11)

これは、サタンが神に対して、ヨブのあなたに対する信仰とか従順といったものは御利益という見返りが期待できるからだ、と主張しているものです。

では、そうかどうか試してみようということになり、ヨブは思いがけない試練に見舞われることになります。その結果、ヨブはどのように反応したかというと、以下の彼の言葉がそれです。

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1:21)

とかく信仰とか宗教というものは、御利益という見返りを期待するが故のものと考えられがちです。確かに一口に信仰とか宗教といっても、それこそ八百万の神々が存在し、大半はそう言われても仕方のない現実があります。しかし、真の信仰とか宗教というものはそうではありません。それは人を真に人として生かすいのちの源泉なのです。

「人はパンだけで生きるものではない神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(新約聖書・マタイ福音書4:4)

 一度、お近くの教会に行ってみませんか?

 

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