サンタフェ研究所     98/10/13

   サンタフェ研究所は、複雑系の研究の花盛りの森である。たとえば、毎週のようにワークショップ、セミナー、レクチャー 、コロキアム、そしてシンポジウムが開催され、米国内はもちろんヨーロッパを中心に世界各国から、数多くの 短期滞在研究者たちがこの複雑系の科学の梁山泊に集まっている。テーマにしても、計算機科学の分野から進化論、 免疫学、脳科学、経済学、社会学、科学哲学と、実に多種多様だ。従来の専門化された個別分野のすべてが、複雑系という 視点から捕らえ直され、統合されている。実際、この学際的な相互作用こそ、サンタフェ研究所の/そして複雑系の 科学の/一大特徴なのだ。

 【ロスアラモスで昼食を】
 このようなユニークな組織はどのような構想のもとに、どのような経緯で誕生したのだろうか。新しい研究を 目指す、学際的で何の制限もない自由な研究施設を作りたいという構想は、ロスアラモス国立研究所を訪れた マレー・ゲルマンが、そこの研究者達とランチの後のコーヒータイムに、気安く夢を語り合った中から生まれた、 というのがそのエピソードの骨子だ。
 マレー・ゲルマンは13ケ国語を完璧にあやつり、心理学、人類学、考古学、鳥類学に造詣が深く、環境保護 運動にも積極的に取り組んでいる。他の人の50倍も仕事をしているが、世間の評価を受けているのはそのうちたった 2%と、彼自身は計算している。要するに、ノーベル賞の業績は彼の才能の氷山の一角に過ぎないわけだ。
 マレー・ゲルマン
 はじめは【リオグランデ研究所】
 新しい研究所の実現のために精力的に働いた第1の功労者はジョージ・A・コーワンである。かれが1983年春 自らの構想をランチタイムでぶち挙げた。ゲルマンが賛同し、コーワンが東奔西走して資金提供者を募り、1984年5月に会社組織を 作ったが、専任スタッフも事務所もまだなかった。「サンタフェ研究所」という名前すら、他に登録済みだったので、 「リオ・グランデ研究所」という名前をつけた。1年あまり後に名前のトレードが成立し、やっと念願の「サンタフェ研究所」に落ち着いた。

 法人化から3年たつ1986年から固体物理学者のフィリップ・アンダーソンや経済学のケネス・アローなどの ノーベル賞学者を筆頭に有力な賛同者を募って研究所の実際の活動が始まった。

 【組織面の斬新さ】
 サンタフェ研究所は、非営利的で、独立不羈な研究が可能な、不偏不党の研究所ー科学者にとってのエルドラド・黄金郷 を目指し、予算の半分は公的資金、残りの半分は私企業や個人の投資を仰いでいる。予算は潤沢ではないので、 研究所内研究者、学生、終身職などはいない。研究者はすべて、研究所外に”本職”をもつ訪問滞在研究者である。 各研究者は1週間から数ヶ月滞在し、研究を終わると本職の場所に戻る仕組みだ。

 この小規模で流動的な組織は、上手な運営さえすれば、大規模で硬直した組織にはないさまざまな利点を持つ。
小規模なことは、研究者同士の関係を密にし、研究者を短期間の訪問で回転することはマンネリ化を防ぎ、常に 新しい人材・新しい情報が供給されることを意味する。また、訪問研究者が所属機関に帰り、サンタフェ研究所の 情報や思想を周囲の研究者たちの間へ広める機会を増やしている。

 【サンタフェは何を目指すか】
 コーワンやゲルマンをはじめ、創設時のメンバーが心に描いた目標は、すべての複雑な現象の根底にあり、 その複雑性を生成しているメカニズムを解明することであった。もしこの目標が達成できれば、それをもとに 複雑系を制御するための理論や技術が確立され、そこからさらに社会に役立つ実利的な応用の道が拓けるだろう。 しかし、道のりははるかである。当面の目標は「複雑系の基礎研究」と位置づけることが出来る。

   サンタフェ研究所が成し遂げた実利的な面での応用例は、いまだ何一つ無いともいえるが、十年間の研究成果を を示すキーワードは『複雑適応系』 『カオスの縁』 『自己組織化臨界』 『創発』 『人工生命』 などである。