長恨歌絵巻    狩野山雪(17世紀)        00/2/1

 中国の詩人、白居易(=楽天)(772−846)が玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋をつづった長編叙事詩「長恨歌」は 有名だ。

 中国では、誰か一人が出世すると、その一族が全員が高い地位につく習慣がある。楊貴妃の一族も、彼女の 栄達に合わせて重用された。しかし、誰かの七光りで高い地位についたとしても、実力がなければその役目を十分に果たす ことは出来ない。
 玄宗皇帝が楊貴妃との愛に溺れ、皇帝としての執務をおろそかにし、重臣が力を発揮しなければ、当然批判勢力が 現れ、国政の乱れの原因を排除して国を立て直そうと考える。安禄山の乱がそれだ。安禄山の軍は、無能?な楊貴妃の 一族を殺し、張本人の楊貴妃にも死を迫る。



 自分が政務を怠ったために、最愛の楊貴妃を死なせてしまった玄宗皇帝は深く悲しみ、道士を使って黄泉の国に行かせ、 楊貴妃のその後を調べさせたりする。(大昔はそんなことも出来た?)

 白楽天の「長恨歌」は、平安時代の知識層の人たちにも良く知られていて、紫式部は「源氏物語」を書くときに、読者が 玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の物語を良く知っているという前提で、長恨歌を下敷きにしながら、光源氏の物語を書き綴ったという。

 「長恨歌絵巻」を描いた狩野山雪の師匠・山楽は、秀吉ー家康の時代の画家で、豊臣方にいた山雪は大阪夏の陣のあと、豊臣の残党として 追われるが、命拾いをし、京都に住み着き「京狩野」を存続、娘婿の山雪がこの絵巻物を描いた。

 絵巻物は行方不明となっていたが、20世紀になって、アイルランドの首都ダブリンで見つかった。美術コレクター(元は鉱山技師)の チェスター・ビーティーのライブラリーの中から。そして、そのライブラリーの学芸員をしていた日本人・ 潮田淑子さんの働きで、修復が行われた。
 この画は、絹地の表と裏の両方に顔料を塗る「裏彩色」という技法が使われている。中国で始った技法だが、山雪の頃の 日本でも使ったようだ。裏彩色は色を混ぜるのではなく、重ねる。裏から、表から、独立した状態で塗るので、画が立体的に 見え、躍動感が出る。

 ★ 同じ恋をするなら、1000年以上も語り継がれるような、恋をしてみたかった。技術者なら「長く残る技術」かも しれないが、いまのテンポの速い時代には到底かなわぬことだろうか。

 ★ 修復された絵巻物は新築されたチェスター・ビーティー・ライブラリーに展示されるという。いつか訪れて直接見てみたいものだ。

(↓ 源氏物語を図案化した2000円札)