チケットは、日曜日にWCSで何とかゲットでき、月曜日の午前中に院長に直接、
日本戦のチケットを手に入れることが出来たので休ませて欲しいを素直に伝えたところ
快くOKをもらうことが出来、6月18日観戦できることとなった。
さて、6月18日は前日のブラジル×ベルギー戦(神戸)から名古屋に帰ることが出来ず
新大阪に宿を取っていたため、早朝から仙台までの大移動開始することとなった。
新大阪発の新幹線(7:33)にのり、名古屋で家族と合流。降りることなく、うまく席を確保でき、
東京まで息子(3歳)とはしゃぎながらのんびり新幹線の旅を満喫。
東京駅にて東北新幹線に乗り換え、待ち時間に友達たちに「今から日本戦♪」と自慢のTEL
なんせ、フランスでのチケット問題でもろに引っかかり、トゥールーズにてスタジアムだけ
見て帰っていらいのリベンジでとっても!とっても!!嬉しかったから。
東北新幹線でも幸運にもぎりぎり座ることが出来、仙台までは順調すぎるくらいだった。
ここまでは、そこからのひどさなど思いも寄らなかった・・・・
仙台駅に到着し、Nゲートのため地下鉄・泉中央まで行くため地下鉄乗り場へ、そこが第一の関門だった。
なんと、駅に入れてくれないのである!!
入場者が多いため入場規制をしている。いつは入れるかは分からないとのこと。
仙台駅に到着したのが13:08。少し余裕をもって来たのでまだ、我慢が出来たが
駅員の対応は要領を得ず、宮城の第一印象は↓
結局、約30分ほど待たされ、なんとか構内へと入ることが出来た。
地下鉄は増便などされていないらしく、だいぶ待たされ乗り込むことが出来た。
当然超満員。3歳の息子には酷な地下鉄の2,30分だった。
結局、泉中央に着いたのが、2:15頃。そこからシャトルバスでさぁ、後20分だ!と
思っていたらこれが間違いだった。
静岡エコパのシャトルバスはこれでもかと言うほどの台数が有ったためと、乗り場が並んでいるところから
分かる場所だったためか、時間ぎりぎりでもそんなに焦らなかったが、宮城は最悪だった。
泉中央駅から並んで、進めども進めども、バス乗り場が全くみえず、ボランティアの人に聞いても
いまいち要領を得て無くて、しかも、ボランティアの人たちに笑顔が無く!文句を言わずに進め!
みたいな雰囲気で宮城の印象がどんどん低下。
神戸でも、静岡でも皆さん笑顔で頑張って。もう少し。と声をかけてくれたんだけど、
宮城では、そういうのが全く!本当に全くなかった。
結局40分以上かかってバスに乗ることが出来、そこから、20分。競技場に着いた。
こんな所にしかスタジアムを作れなかったのだろうか?などとは言ってはいけないのかな?
スタジアムについてからひどい目にあった。傘である。僕と奥さんは折り畳みだったので
問題ないのは分かっていたが、子供の傘が折り畳みじゃない子供用の小さな傘だったので
だめだったら預けるしかしょうがないなと思っていた。息子は、傘をしっかり持って、
是が非でも放さないと、しっかり持っていたのだが、ゲートで長さを測ってくれ
お姉さんが良いですよと言ってくれたので、息子もほっと一安心。「息子の傘もってていいよ♪」
と嬉しそう。先発メンバーが既に発表されているところだったので、
急いでスタジアム内へ走って行っていった。何とかスタジアム入り口にたどり着き、
さぁ、席はどこだ?と思っていたら、係りの人が高圧的に話しかけてきた。
「傘は何で預けなかったのか?」そう言われたので、入り口で長さを測ってくれて
もっていって良いと言われたことを説明したが、全く取り合ってくれない。
「折り畳み以外はだめだ」の一点張り。だったらなぜ、入り口で傘の長さを測っていたのか?
意味のないことをして、延々みんなを待たしていたのか?
結局、息子から無理矢理傘を奪い取り、持っていってしまった。子供は大泣きするし、
試合はまもなく始まりそうだし、本当に切れそうだったが、ここは我慢して息子をなだめつつ席に向かった。
しかも、試合終了後、かさを返してもらいに行くと、番号を持っていないため、
一番最後になると言われた。運営側の手違いで番号札ももらえなかったのに、最後?
最後まで待っていたら、名古屋へ帰れなくなってしまうのは明らか。すぐにでも出なくては、
間に合わないと言うのに。
それまでの経緯、名古屋へ帰るには待っていられないことを説明し(大声にはなっていたが)
どう責任をとってくれるのか!と詰め寄り、住所を渡せば送ってもらえるのか?と言うと
「送る」とのこと、結局、息子が迷子になった時用に用意していた名札に入れていた
住所と電話番号、名前などを書いた紙を渡し、帰ることとした。
現在、8月になったがまだ送ってこないが・・・・どうなっているの?JAWOC。
話がそれて申し訳ない。
なんだかんだとあり、席に着いたのが、試合開始5分前。試合前に席までたどり着けたのは、幸運だったのか?
そしてキックオフ。
試合結果はみなさんも良く知っているだろうから経過は端折るが、雨の中、
3歳の息子も「にっぽん、にっぽん」「ならさきぃがんばれー」と、寒さで体を震わせながら
本当にガタガタ震えながらも、精一杯応援した。本当に残念で仕方がなかった。
この悔しさを、4年後のドイツに繋げ、また応援しにいくことを心から誓った。
さて、帰りシャトルバスに何とか乗り込み、泉中央までたどり着き、傘のごたごたでとられてしまった
時間を取り戻すため、タクシーにて仙台駅へ行き、新幹線構内へ
ものすごい人でごった返していただめ、駅員さんにどこに並べばいいか訪ねたら
とってもいい人で、座りならこっちのMAXがいいと、連れて行ってくれた。
幾らか待った後、新幹線のドアが開き急いで乗り込み、本当にギリギリで座ることが出来た。
東京駅でもひかりの最終にギリギリ間に合い、しかも偶然席が空いており、座って帰ることが出来た。
結局、名古屋−仙台と仙台−名古屋はとても快適だった。
宮城スタジアムへのアクセス、係り・ボランティアの方々の表情は・・・・。
他の開催地の人たちを見習ってもらいたかった。
もちろん、僕が通ったところのそのときいた方たちだけが、そうだったのかも知れないけれど・・・
宮城の人たちの笑顔が全く見られなかったのは本当に残念だった。
以下に写真を。
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