二百十万人戦死の記録! |
日本の真珠湾攻撃からマレー沖海戦、インドネシア、シンガポールの攻略等、ルーズベルト、東條英樹に演説を含めて描く。そして訪れた、運命のミッドウェー海戦。太平洋戦争の転機となった作戦の全貌を時刻を追って克明に描写。やがて、ガダルカナル・サイパンへと侵攻する米軍。米軍の熾烈な反攻は容赦なく続くき、日本は悲劇の道を転がるように進んでいった。 マッカーサー将軍がかつて敗退したフィリピンに再上陸を果たすシーンから始まり、B29編隊機による東京大空襲、硫黄島・沖縄での地獄の攻防。「鉄の暴風」と言われた凄惨な上陸作戦地上戦の全て。戦場の兵士の遺体と生き残った人々の放心した表情がその残酷さを物語る。そして米軍を恐れさせた「神風特攻隊」の出撃もむなしく、日本は敗戦を迎える。 特典:年譜入り
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1933年に政権を獲得したヒトラーは、世界征服を終極の目的とし、ゲシュタポ・親衛隊・保安隊などを組織し、歴史に前例のない規模で戦争犯罪を犯していく。国際法の基礎となる戦時捕虜条約も踏みにじられた。捕虜は虐殺されたり、強制収容所に送られたり、あるいは銃殺された。強制収容所制度が君臨し、老若男女、子供を問わず人間がガス室やかまどで殺されていった。その数は少なく見積もっても1,200万人といわれている。 また、様々な生体実験が行われ、考えられる限りの恐怖が快楽として演じられていた。特にひどい迫害を受けたのがユダヤ人で、ユダヤ人であるという理由だけで、500万人以上という大虐殺は世界史上最大の犯罪である。ドイツ・ナチスの敗北で、こうした犯罪の数々が明らかにされた。 特典:年譜入り
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PEARL HARBER |
1941年12月7日午前8時(現地時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾を南雲忠一中将率いる我が機動部隊から飛び立った艦載機が奇襲、ここに太平洋戦争の幕は切って落とされた。真珠湾は一瞬のうちに火の海と化し、日本軍機の二次にわたる攻撃により、米大平洋艦隊は戦艦アリゾナをはじめ、数多くの艦艇を失った。 第一次攻撃隊183機を指揮する淵田美津夫中佐は「トラ・トラ・トラ」即ち“ワレ奇襲に成功セリ”と打電。日本は国をあげて緒戦の勝利に酔いしれた。しかし、この奇襲攻撃は4年にもわたる泥沼の死闘への第一歩にすぎなかったのである。半世紀の時の流れを越え真珠湾攻撃の真実に迫る。 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー |
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緒戦の勝利と敗北への道程 |
1941年12月8日、日本軍による真珠湾攻撃を発端として日米決戦の幕は切って落とされ、太平洋戦争は遂に勃発した。当初、マレー沖海戦・シンガポール攻略・グアムや香港などの奪取など日本軍の破竹の攻撃が展開されたが、ミッドウェー海戦での敗北を機に日本は破滅への一途をたどることになる。一方、物量を誇る米軍の攻撃は南方諸島において劇的に進行。特にサイパン・沖縄での血戦は目をおおうばかりの凄惨の極みだった。 当時の貴重なフィルムで綴る太平洋戦争の記録。我々は、この真実から目をそむけてはならない。全ての歴史的事実を直視することが平和と繁栄を享受する我々に課せられた義務と言える。 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー
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洋上に散った悲劇の翼! |
零戦、それは大平洋戦争において欧米諸国の戦闘機の常識を遥かに凌駕した日本軍最強の戦闘機である。この映像は真珠湾、ソロモン、レイテ沖の戦闘を中心とした宿敵グラマンとの対決、そして予科連や神風特攻隊など零戦をめぐる人々の姿をを捉えた迫真のドキュメント。 無敵の強さと誇りながら時代の波間に消えていった零戦。これは大平洋上を翔けめぐった栄光の戦闘機の記録である。 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー |
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戦局を変えた一大死闘 |
ミッドウェー海戦は、太平洋戦争史上多くの疑問を残しつつ、世界最強といわれていた日本海軍の惨敗に終わった。昭和16年12月8日の真珠湾奇襲攻撃。その大戦果に自信を深めた山本五十六連合艦隊指令長官は、ハワイを占領し米国に決定的な打撃を与えるという壮大な戦略のもとにハワイの前線基地・ミッドウェー島を攻略し、米空母艦隊を徹底的に叩く作戦を立てた。 しかし、「南雲艦隊に敵は無い」とまで思うようになったこの自信が、インド洋、珊瑚海域での度重なる誤りも省みず、ミッドウェーでの大惨敗につながる要因となったのだった。昭和17年6月4日夜明け前(現地時間)、第一次攻撃隊が日本空母より発艦。一大死闘の幕が切って落とされた。 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー
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ガダルカナル攻防と山本長官の死 |
太平洋戦争開戦後わずか半年で、日本は西大平洋と東南アジア全域を支配下に治めた。しかし昭和17年6月のミッドウェー海戦では主力空母4隻を失い、その後のガダルカナル島の激闘では死者2万人を越えるに至った。航空機の損失も約900機を数え、ついには同島より撤退、以後守勢に立たされ、戦局を挽回することは出来なかった。一方米軍は圧倒的な物量戦を展開、優勢な火力と陸海空の総合機動力によって本格的な反攻に転じ、南西大平洋の島々を次々に奪取・北上する作戦を
実行に移していく。 山本連合艦隊指令長官の戦死に象徴されるように、昭和17〜28年を境に大きな転換をとげる戦局を、ラバウル航空隊の活躍を軸に克明に写し出す。 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー
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壮絶なる死闘、そして玉砕!! |
硫黄島沖に集結した米軍海兵師団、その数7,5000人。上陸直前、日本軍の銃砲撃が火を吹き、死闘の幕が切って落とされた!小笠原諸島の南西200kmに位置する硫黄島。東京都に所属するこの島で、大平洋戦争末期に日米両軍により死闘が繰り広げられた。サイパンを発進して東京を空襲したB29が被弾・故障して帰還できない場合、安全に直陸できる島、それが硫黄島だったのだ。 東京大空襲を遂行するためには是が非でも硫黄島を確保したい米軍、一方何としてでも守らねばならない日本軍。昭和20年2月16日、上陸部隊の大艦隊が硫黄島を包囲した。全島に地下要塞を張り巡らし待ち受ける日本軍。 米軍に最大の損害をもたらした死闘の幕が開く! 特典:年譜・秘蔵写真スライドショー
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