last updated:Saturday, July 18, 2009

県民性・地域性−東京都

近世国名・藩名:江戸



 


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  東京都の総面積 は,2187平方キロメートル(全国 第45位) 。人口1231万人(全国 第1位) ,男612万人 ,女 619万人 (2005年版(総務省統計局) 。

平成23年3月1日現在

総数 13,157,428人
6,532,645人
6,624,783





  地域経済の単位としての「東京」は,同心円的に重なる2つの地域から成り立っている。第1が,東京23区(区部)に当たる地域である。この地域は,千代田区,中央区,港区の都心3区を中心に,国会,中央官庁,外国公館,政党本部,大企業本社や全国的経済団体・業界団体の本部,東京証券取引所,中央卸売市場,全国紙本社やテレビのキー局,国立劇場や国立競技場,国立博物館などの文化施設,大手出版社,外国企業などが立地しており,日本の政治経済の中心であると同時に東京を中心とする大都市圏の「中心都市」といわれる地域となっている。
 第2が,この区部に,三多摩など区別隣接する西側内陸部に広がる郊外部を含めた「東京都」の区域である。都道府県は行政的に設定された区域であって,地域経済の単位となっているかどうかは議論の余地があるが,半面,都道府県は120年にわたって継続してきた区域であり,財政という公経済や経済統計の単位でもあるので,経済活動もこの区域を単位にして行われるものが少なくない。
 
 江戸幕府の所在地として近世日本の首都となり,100万人をこえる人口を擁した全国最大の消費地となった江戸。全国の生産地とさまざまなつながりを持つようになり,経済的にも大きな影響を及ぼした。文化面でも18世紀半ば以降には全国の中心となり,江戸で創造された文化が全国に波及した。このように江戸は,政治的,経済的,文化的に全国の中心となった。
 近代に入ると,江戸は近代国家日本の首都東京と定められ,国内のみならず東アジア,さらには世界規模で経済,あるいは政治の面で影響を与える存在となった。
 江戸の内側をみれば,武家地(ぶけち),寺社地(じしゃち),町人地(ちようにんち)などの区分,さらに山の手地区,下町地区の区別もあり,下町地区でもその中心地である日本橋,京橋,神田地区と,その周辺から江戸の周縁につらなるいわゆる場末地区,深川地区など,ある程度の特徴や個性をもった地域が存在する。そして,大寺社の門前や大橋の周辺その他に展開した盛り場地区もある。そこには,特有の生業とそれにもとづく生活意識や生活文化が育まれた。
 ・世界都市総合力4位


●県民性−江戸っ子気質

  かつて江戸っ子は,粋で軽妙洒脱なれど,「火事とケンカは江戸の華」とばかり,セカセカと動きまわりカッと頭に血がのぼりやすい。気が短くてケンカっ早いというのが,江戸っ子気質だった。
 宵越しの金は持たない気風(きっぷ)の良さは,火事の多かった江戸文化の置き土産だという。江戸時代は,大火事が頻発した。天正18(1590)年から明暦3(1657)年までの67年間で記録に残る大火が140回。このように江戸は半年に1回大火事に見舞われていた。そのうえ,江戸は金を貯めておくのが難しいまちでもあった。当時,銀行のような貯蓄機関はなかったし,加えて家の戸締まりも万全ではないことから,江戸ではお金の保管が非常に難しかった。  そこで,焼けたり盗まれるよりは使い切ってしまった方がいいとする「宵越しの銭は持たない」江戸気質が生まれたのだ,という。

●東京三代

 「京都十代,東京三代,大阪一代」という,たとえがある。土地の人間になりきるのは京都は十代かかるが東京は三代,大阪は一代というわけである。

◆東京散策

  古くは毘沙門天の門前町として栄えた神楽坂は、現在でも老舗の料亭や商店が軒を連ね、江戸情緒を残す町として注目を浴びている。

 都心に近い場所にありながら、いまだ下町情緒が息づく「谷中・根津・千駄木」エリア。この3つの地域は、総称して「ヤネセン(谷根千)」と呼ばれている。江戸・明治・大正の古い建物が残り、細く入り組んだ路地に足を踏み入れると、懐かしい風景に出会える。

・日本考古学発祥の地−品川区大井
 大森貝塚は,明治10(1877)年,アメリカ人動物学者エドワード・シルベスター・モース氏によって発見・発掘された。この発掘が,日本で最初の学術的な発掘調査となったことから,大森貝塚は,日本考古学発祥の地といわれる。貝塚の位置については,長い間不明な点が多かったが,近年の調査により,品川区大井六丁目の「大森貝塚」碑付近であることが,ほぼ確実となった。


●江戸の人口120万人

 1800年前後の江戸の人口は120万人程度と推定される。これは同時代のロンドン90万人やパリ60万人よりも多い。江戸が世界一の大都市であった理由は西洋人よりも日本人の方が自然の循環を上手に利用していたからだった,といわれる。

 江戸は将軍家のお膝元だったこともあって,豊かな町民文化を背景に様々な伝統工芸品が作られた。特に有名なのは「江戸指物(さしもの)」である。釘を使わず,伝統の技で組み上げられる家具は貴重な工芸品だ。「江戸切子」,「江戸(東京)くみひも」,「江戸和竿」なども評価が高い。和装関連では「村山大島紬」,「東京染小紋」,「本場黄八丈」なども名高い。




●江戸の軽妙洒脱を伝える 

 田子の浦親方−出羽錦は,5尺9寸5分(181センチ),38貫(143キロ)の堂々たる体格の江戸っ子力士。47年秋場所に制定された三賞制度の殊勲賞第1号。最高位は関脇であったが,重い腰を生かした取り口で「栃若時代」から「相鵬時代」まで名脇役として現役をはった。
 引退後は審判要員などを務め相撲協会を65歳で定年退職した後,90年から99年までNHKの相撲解説者として活躍した。即妙の川柳をおり交ぜての解説が好評を博した。初登場の日の一句は「この席に座りて相撲巧(うま)くなり」。放送最後の日の句は「これからは女房ひとりに聞かす解説」。
 辞世の句が,「孫の手握りにっこりとまごまごせずに友のいる国」との,しゃれだった。

従来、観光地としてイメージされることがあまりなかった江戸。100万前後の人口を抱え、参勤交代などで絶えず住人が入れ替わった江戸は、一大観光都市だった。将軍吉宗は都市化に伴って減少した憩いの場を江戸市民に提供した。寺社は霊験よりも見世物で参拝客争奪戦を繰り広げ、大名はお国自慢の神仏を江戸屋敷に勧請し賽銭を集め、苦しい財政の足しにした。歌舞伎や落語、時代小説だけではわからない、大江戸観光事情をあきらかにする。







●トピックス −第二東京タワー,墨田・台東エリアに決定 

 2006年3月,NHK,在京テレビ民放5社と東武鉄道は,地上デジタル放送用の電波塔「第2東京タワー」の建設地を東京都の墨田・台東地区とすることで合意した。建設地は東武鉄道本社(墨田区)に隣接する貨物駅跡地。

●桜の名所

 3代将軍家光が,上野に寛永寺を建てて,吉野の桜を移植し,隅田川湖畔にも桜を植えたこと,8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所にしたことから,江戸の庶民の間に花見が浸透した。


上野恩賜公園 上野の杜(もり)の桜
 江戸時代から桜の名所として知られる,上野恩賜公園は1873(明治6)年,日本で最初の公園のひとつに指定された。桜の季節ともなれば,約1200本もの桜が咲き乱れる様は壮観である。園内には国立西洋美術館本館,東京都恩賜上野動物園をはじめ,文化・レジャー施設が充実。

千鳥ヶ淵 桜色に染まる皇居のお堀と石垣をたどる道
 春には北の丸公園や苑内各所で桜が咲き誇り,大勢の花見客でにぎわう。特に水面に映える千鳥ヶ淵のソメイヨシノは見事。
隅田公園:隅田川を挟んだ両側に細長くのびる隅田公園は,東京を代表する花見の名所。吾妻橋から桜橋あたりまで桜並木が続いて華やかだ。

ランキング・ベスト&ワースト

順位 県名 人口当たり所得
1位 東京 202(万円)
2位 神奈川   186
3位 愛知   167
4位 千葉   165
5位 埼玉   160
6位 静岡   153
7位 兵庫   148
8位 奈良   147
9位 滋賀   145
10位 大阪   144











 都道府県別の子どもの割合(2004年)では,沖縄県が18.6%で最も高く, 東京都が12.0%で最も低い。なお,こどもの割合が全国平均(13.9%)よりも低いのは, 18都道府県である。
 2003年と比べると,東京都及び大阪府は前年と同率,他の道府県はすべて低下している。都道府県別の低下幅をみると,青森県,秋田県,島根県,長崎県及び沖縄県が0.4ポイントと最も大きい。

・ウンチク
品川駅の住所は目黒区,目黒駅の住所は品川区。


・愛宕山

 標高260メートルの愛宕山(港区)は,東京でもっとも高い場所。江戸時代の風景を描いた書物「江戸名所図会』(えどめいしょずえ)にもその様子が描かれている。「抑当(そもそも)当山は懸岸壁立(けんがいへきりゅう)として空を凌ぎ,〜(中略)〜山頂は松柏鬱茂(しょうはくうつも)し,夏日といヘどもここに登れば,涼風凛々としてさながら炎暑をわする」とある。高台には豊かに緑が茂り,夏の暑さをかわせる涼しい風に当たれる場所であったことが偲ばれる。また,浮世絵師歌川広重や葛飾北斎の作品にも当時の見晴らしの良さや,風の涼しさを描いたものが見受けられる。
  現在では見晴らしこそ失われてしまったものの,豊かな緑と涼風は健在。東京都心で風を感じることのできる稀な場所である。

・隅田川の花火大会
 日本で初めて花火が打ち上げられたのは1733年。八代将軍吉宗のころだ。当時は,現在のように華やかな祭りという意味合いではなく,大流行していたコレラで死亡したしあ人々慰霊を目的として,大川端(現在の隅田川)で火の柱を打ち上げた『両国川開き』が始まりだという。この時,幕府より花火打上を命じられたのが,鍵屋六代目・弥兵衛であった。

・吉原
 江戸時代,吉原は江戸市中で唯一公許だった。吉原は当初,日本橋人形町付近に設けられたが,1657年(明暦3年)に現在の場所(日本堤)に移転し,1958年(昭和33年)まで同じ場所に存在した。敷地面積は2万坪以上で,最盛期には数千人の遊女がいたという。吉原という地名は1966年まで使用された。現在では台東区千束3丁目,4丁目である。58年に赤線が廃止された後も性風俗店が営業を続けている。

・ビールの個人消費量トップ―――年間50,7リットル
国内でビールがどれほど消費されているかの調べると、昨年は330,5万`gで、東京ドーム三杯近く。
 都道府県別の大人一人あたりを国税庁酒税課の「酒のしおり」(平成18年度)で見ると、東京が50,7g、実に大瓶80本で、全国で一番多かった。「酒のしおり」によると、東京に隣接する千葉県は23,9g(全国43位)、埼玉県は23,3g(45位)、神奈川県は26,4g(37位
)とかなり下位。40,6gで全国2位の大阪府も、東京と同様に、周辺の消費量は少ない。
・県民レベルで酒の強さを調査した原田勝二、元筑波大教授
 「東京の人の酒の強さは全国19位とほぼ平均で、酒に強い人が多いから消費量が多いとは言い切れない。南九州や東北には酒に強い人が多いので、そうした地域から東京に移ってきた人が消費を増やしているとも考えられる。また、酒の消費は経済のゆとりに比例する。バブル崩壊後、全国的にはビールの消費が伸び悩んでいるが、東京はまだ経済的に恵まれていることもあって消費が多いともいえる」

・火災件数―――全国の約11%、5811件でダントツ1位
 総務省消防庁の発表によると、19年度の全火災件数5万4582件のうち、「放火」は約12,0%と6558件を占める。続いて、「コンロ」が6080件(11,1%)と多く、「タバコ」が5707件(10,5%)、「放火の疑い」4584件(8,4%)、「たき火」3176件(5,8%)と続く。「放火」と「放火の疑い」を合わせるとその数は1万1142件、全体の20,4%にも及ぶ。
 出火件数を都道府県別でみれば東京都が最も多く、全体の約11%にあたる5877件発生、大阪府の3632件の約1,6倍にもなる。4位は神奈川、5位埼玉、8位千葉、10位静岡となり、首都圏の発生件数は多い。
 放火件数でも、31,6%にあたる1860件が東京の発生だ。大阪は1186件(32,7%)、愛知808件(23,6%)、埼玉766件(28,0%)、神奈川757(26,3%)となる。





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