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沖縄県の県民性    (編集中)

  
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 柔軟性あるクール

◆近世国名・藩名:琉球(りゅうきゅう)  

 亜熱帯・海洋性気候風土のもと,豊かな自然,独特な伝統文化や歴史に育まれた独特の文化を有する沖縄。東西1,000km,南北400kmの海域に点在する多くの島々から成る。人口(平成2007年5月現在) 1,370,595人 ,世帯数504,773世帯。
 かつて琉球王国であった沖縄。その北部を北山,中部を中山,南部を南山がそれぞれ支配していた「三山時代」には,首里城は中山国王の居城だった。やがて,中山の尚家(しょうけ)が琉球王国を統一する。三山統一である。以後,王国消滅までの450年間,この城は王国の政治・文化・外交の中心舞台であった。

  沖縄という地名は、一般的には沖縄島という沖縄県のなかで最大の島、いわゆる沖縄本島の名称である。周辺の島々、たとえば久米島や慶良間(けらま)諸島、あるいは宮古、八重山の島々の人々にとって 「沖縄」といえば、沖縄本島のことを指す。
 「おきなわ」 という呼称に 「沖縄」 という表記が定またのは17世紀以降であり、それ以前は、『唐大和上東征伝』 (779)中の「阿児奈波島」 (あこなはじままたは、あじなはじま) や、「悪鬼納」 などの表記がある。薩摩藩の 『琉球国之内知行高目録写』等の公文書などに 「沖縄」 という表記がみえるという。
  東シナ海に浮かぶ小王国であった琉球国も、1609(慶長14)年、薩摩藩の支配下に置かれた。
 
 沖縄県は,歴史的・地理的特殊性に起因する脆弱な経済基盤や偏った産業構造という地域に固有の課題に直面する中で,経済の自立化を目指し,県内産業の振興を図ろうとしている。
 第3次産業の比重が突出して高く,建設業も相対的に高い反面,製造業の比重が極めて低い構造となっている。基地経済への依存度の推移を見ると15.6%(昭和47年度)→5.2%(平成9年度) と,依存度は低下しているものの,財政依存はむしろ拡大している。経済自立化への道は険しい。


   県民性


 約450年続いた王国の歴史は幕を閉じたが,誇り高き琉球文化は,今に継承されている。琉球王国はその恵まれた地理上の位置を生かし,中国との朝貢関係,東南アジア各地との交易,江戸幕府との交流を通じてヤマトの文化を吸収し,工芸,芸能,祭祀及び風俗面で,独自の風土を有する豊かな文化と芸術を育んできた。そして,沖縄の言葉は海外との交流が盛んだったことから,外来語が多く流入している。

 複雑な歴史的経緯から県人意識,郷土意識,同族意識が強い。沖縄の「イチャリバチョーデー(行き会えば兄弟)」という言葉は,地域の強い連帯意識と,親密な人間関係といった県民性を象徴する言葉である。
 また,沖縄の「ウチナー(沖縄)タイム」という言葉は,おおらかな風土を反映しての,せかせかしない独特の時間感覚を言い表している。会合などに30分位遅れても,特に謝るでもなく,また,責める人もほとんどいないという。

  地上デジタル放送に完全移行する2011年7月まで2年を切った。3月時点での地デジ対応テレビやチューナーの世帯普及率は60・7%となっている(総務省調べ)が、都道府県別で見ると、1位福井県の68・6%から最下位沖縄県の37・1%まで大きな開きがある。ワースト1位となった沖縄県の関係者は,普及率の低さにおおらかな土地柄といった県民性を挙げる。

●沖縄県民の意識に関する世論調査−−定住指向 

 沖縄県民の意識に関する世論調査(内閣府大臣官房政府広報室)によると,“今後も現在住んでいる地域に住みたいと思うか”との質問に対し,「一生住み続けたい」との回答が52.8%,「できれば住み続けたい」が27.2%,「できれば県内の他へ移りたい」とする者が15.2%,「できれば県外へ移りたい」が3.1%である。
 居住地別では,「一生住み続けたい」と答えた者の割合は先島で,「できれば住み続けたい」,「できれば県内の他へ移りたい」と答えた者の割合は本島で,それぞれ高くなっている。
  沖縄県民の意識に関する世論調査(平成132月) 
        (内閣府大臣官房政府広報室

●シーサ自慢


●沖縄の方言

 『ウチナー口(ぐち)』⇒方言
 『チャンプール』⇒混ぜた
 『やちむん』⇒焼き物

 沖縄」のことを方言で「うちなー」という。そして、「沖縄の方言」 は 「うちなーぐち」 ,「沖縄の人」のことを「うちなーんちゅ」という。沖縄から見た他の都道府県人(本土の人)のことは,やまとぅんちゅー(大和の人) という。



    

   地域区分


 南西諸島を地質学的に区分すると、北琉球、中琉球、南琉球に分かれる。現在の沖縄県は、中琉球と南琉球に属している。中琉球には沖縄本島をはじめ、伊平屋島(いへやじま)、伊是名島(いぜなじま)、慶良間(けらま)列島、久米島、大東諸島などが含まれ、南琉球には宮古諸島、八重山諸島が含まれる。

         

        

県庁所在地:那覇市

  2011年12月末現在 総人口 320,425人 ,世帯数 138,658。県都・那覇市は、都会的な街並みの中に首里城跡などの文化遺産が数多く点在する観光都市である。那覇市内一番の観光スポットは,「国際通り」。

 本市は、西方に東シナ海を擁し南北及び東の三方は、他の市町村と隣接している。地形は、旧市内を中心とする中央部においてほぼ平坦をなし、これを取り巻くように周辺部には小高い丘陵地帯が展開している。また、市内を東から西に国場川と安里川が流れ、前者は那覇ふ頭、後者は泊ふ頭を経て東シナ海に注いでいる。


   地域特性

●地勢

 沖縄県の面積は、全国47都道府県中43位で、「狭い沖縄」というイメージが定着しています。しかし、海峡を含めると、東西約1,000km、南北約400kmと広大である。沖縄は、日本唯一の島嶼県であると同時に、広大な海域に160もの島々が散在していますが、人々が住んでいる島は、沖縄本島を含め49島ある。

沖縄県の地形は、平地型の沖縄本島中南部・宮古島等と、山地型の沖縄本島北部・石垣島・西表島等に、大きく2つのタイプに分類できる。平地型の地域は河川が少なく、山地型の地域に河川が集中しているが、この河川も延長が短いという特徴がある。

平地型 沖縄本島中南部、宮古島等
山地型 沖縄本島北部、石垣島、西表島等


 沖縄県の土壌は、国頭マージが最も多く、次いで島尻マージ、ジャーガル、沖積土壌の順となっている。これらの土壌は、沖縄の気候・地質・地形条件等により生成された特徴的な土壌で、母材や有機物の分解が早いため一般的には有機物が乏しく、粘土質に富む風化土あるいは風化岩の堆積土である。そのため、物理性・理化学性からして良好な耕土とは言い難く、それぞれ改良を必要とする特殊土壌と言える。


●気候

  

 沖縄県の気候の特徴は、夏期には台風、熱帯性低気圧の襲来や影響により暴風雨による潮風害や洪水の被害を受け、逆にこれらの襲来や影響のない時期は雨が少なく干ばつを招く、という両極面をもつため、年によって降雨量の変動が大きい。冬期は本土に比べ温暖ですが、季節風による風害が台風と同様、営農上の障害となっている。

 また、熱帯と温帯の中間である亜熱帯性気候に属し、那覇市の年平均気温は22.7℃(1971〜2000年)で、平均気温20℃以上の月が1年の2/3を占める。1月の最低気温の平均は14.3℃で、福岡3.2℃、東京2.1℃と比べても格段に温暖であるといえます。冬期でも10℃以下になることはまれである。

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
那覇市の気温
16.6
16.6
18.6
21.3
23.8
26.6
28.5
28.2
27.2
24.9
21.7
18.4


  農業


 沖縄の農業とは、基幹作物であるサトウキビを中心に野菜、果実、花卉、畜産などがある。サトウキビは沖縄県の農家の 7 割が栽培しており、沖縄農業を代表する農作物ではありますが、近年、生産量は大きく減少している。
 野菜生産もゴーヤー、チンゲンサイなどの一部を除き減少傾向にある。。特にかぼちゃは外国から大量に輸入されるようになり、沖縄産のかぼちゃと競合するようになったことが原因となっている。
 果実は沖縄の気候、土壌を活かしたパインアップル、マンゴー、ポンカン、みかん、バナナ、パパイヤ、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、シークヮーサーなどが栽培されている。
  花き栽培は近年、飛躍的に成長した。なかでも「菊(きく)」は全体の作付面積の半数以上を占める。
  沖縄は古くから養豚が盛んであったが,近年産出額は減少している。増大しているのは肉用牛、乳用牛で、肉用牛飼育が盛んなのは、 石垣市 、宮古島市、 竹富町 、 伊江村 である。これらの地域は草地に恵まれており、石垣牛、黒島牛などのブランド化に成功している。



  「シーサー」は,なぜ屋根瓦の上にある?


  そのいかめしくも愛くるしい表情は沖縄の土産物としても人気の「シーサー」。あらゆる邪気を追い払う魔除けとして島の人々から親しまれている。 原型は13〜15世紀に中国から伝わった獅子像といわれ,獅子がなまってシーサーといわれるようになったという。 この獅子像の源流は,古代オリエント文明の時代からシルクロードを伝って中国に流れてきたとされる。

 沖縄では,シーサーはもともと城や神社,集落の入口に置かれている石像だった。その始まりは17世紀ごろで,東風平町富盛(こちんだちょうともり)にあるシーサーが,村落に置かれた石獅子としては最古で1689年に「火伏せ」として置かれたことが伝わっている。
 火伏せというのは火の災いを避けるお守りのこと。当時,このあたりの集落では火災が度重なり,村民たちは悩んだ末に「集落から邪気を払おう」と風水思想をもとに石獅子を集落の入口に置いたのが始まりで,なんとこれを境に火災がおさまったという説話がある。以来,シーサーはヒーゲーシ(火返し),ヤナカジゲージ(邪気返し)として島民に支持されていったという。

  屋根の上が定位置となったのは,明治時代のことだ。今では多くのシーサーが民家の赤い瓦屋根の上から島を見守るように鎮座している。 一説によれば瓦職人が屋根を葺き上げた際,感謝と魔除けの意味を込めて漆喰(しっくい)とあかがわら赤瓦で作ったシーサーを乗せたのがきっかけといわれている。
 かくしてシーサーは魔除けや厄除けとして作られるようになったのであるが,どの宗教にも属していないため,製作段階や設置の際にお祓いや儀式といった面倒なことは一切ない。それに作り方にも厳密な決まりがなく,さまざまな表情や形があるという。
 ご利益も「火伏せ」にとどまらず,「家内安全」から「悪霊退散」まで万能である。

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