荒野の放浪の果てに  小堀俊二

 社会福祉。この得体の知れない世界。その摩訶不思議さは強烈です。最も合う言葉は「混沌」でしょう。障害を治療の対象と見るのと、ありのまま受け入れ支援するという正反対の概念が、同時に存在していますし、大規模施設は閉じて地域社会で共に暮らそうと声高に叫びながら、テレビでは入所施設のコマーシャルが流れます。相反する考えが整合性のないままここまで混在している分野は、そうはないと思います。
 それでも、例えば医療や教育など、関連分野に実績のある人ならまだましでしょう。この世界に入ったばかりの私は、何の土台もない、ただの売れないバンドマンです。左右はおろか上下すら分からないような、はてなマーク連続の日々は、不思議を通して恐ろしくすらありました。
 その原因を暫くは自分の未熟さであると考えていましたが、ある日、そもそも社会福祉なる分野は途方もなく未完成で、未だに開拓時代にあることに気付きました。私は荒野のカウボーイというわけです。そしていつの間にか、自分には何も土台がないなら、自分自身を臨床の対象としよう、ずぶの素人がどこまで頑張れるのか、これを資料として残すことを自分の仕事としようと考えるようになりました。
 今から15年前は、低価格なパソコンやインターネットが急速に普及し始めた頃で、私は実践の公開の場所をインターネット上に決めました。私のホームページのタイトルは「誰も乗り遅れないバス」です。これは障害者だって邪魔にしたりせず一緒に生きていこうという福祉的意味合いと、私がベース奏者であり音楽の記事もあったので、ベースとバスを引っ掛けてつけた名前です。このページには反響も結構有り、福祉相談を受けることもありましたし、そこに公開した利用者との演奏を聴いたミュージシャンが、実際に私たちの演奏会を聴きに来てくれたのは嬉しい想い出です。
 障害者本人たちに向けては、ここに来ればこんな活動をやっているよ、また福祉従事者たちに向けては、得意分野の音楽や、私が大きく傾倒したグループ心理療法のスタイルを活かした授業を見て欲しい、素人だってここまで出来る、そんな気持ちで公開し続けました。訓練一辺倒の福祉観に一石を投じたいというような大それた思いも、少しはありました。私たちの独自性を外に向けて主張することには意味はあったと思うし、私たちが運営理念をとことん掘り下げ、それを実践し、また公開できたのは、いくつかの歯車が綺麗にかみ合って回っているような感じでした。
 さて、その頃、行政施策は社会福祉構造改革の真っ最中で、利用者の自己決定の尊重はその大きな柱です。障害者の生活を行政や専門家がとやかく言うのではなく、本人の意思を最大限に尊重しよう、という考えです。この点において行政の方針と私たちの理念は完全に一致していたのですが、そんな最中、驚くべき事例に出会ったのです。
 親から療育放棄された利用者を保護していたところ、加害者に加担した役所が、本人を無理やり施設入所させようとしたのです。配達証明で送られてきた文書には、本人には判断能力はなく、重度障害者である本人には入所施設こそ相応しい、と明記されていました。障害者の自己選択権を守り、入所施設から地域社会へという施策の正反対のために役所はその権限を振るいました。福祉は混沌とは言え、流石に度が過ぎています。私たちが本人の人権保護に全力を注いだことは言うまでもありません。
 話は多少逸れますが、本人の障害の特性は環境の変化を嫌い、また言語は決まった言葉のみを繰り返すことが多いのですが、それらの特性を乗り越え、本人が私たちの施設に身を寄せようと言語を用いて意思表示したことは、本人の意思決定の強さ、またそうならざるを得ない状況の切迫性の証しであったと言えるのです。
 今でも冷静に振り返ることは難しく、話し出せば留まることを知らなくなりますが、市、町、県、を敵に回した戦いは正に壮絶で、その全過程は今もインターネットで公開し続けています。それと同時に、この事例は、今の私の事業「5タラントの会」へのきっかけともなりました。役所は弱者の代弁をしないことがはっきり分かったし、経営面からは、下らない規則により経営努力が実らないことにもうんざりしていました。お金の計算が苦手な私でも、福祉施設の会計が苦しくなる一方なのは理解できましたし、無駄をそぎ落とせば個人事業で十分に実施可能だろうと、私は予測したのです。即ち、行政が守ろうとしない弱者の支援を、個人事業の経営効率をもって実践しようとしたのが、今の事業なのです。
 時は過ぎ、新事業は6年目を迎えました。先にお話しした利用者は私の子として今も同居しており、デイサービスで始めた事業は他の宿泊者も交えたグループホームへと変って、現在に至っています。今も、自分を実験台に乗せている気持ちに変りは有りませんし、活動の様子もインターネットで公開し続けています。いつの日か、後に続く事業者が現れて、時々エールを交換しながら頑張れたら楽しいだろうなと思います。
 私たちの家族は利用者の他にも老齢者や思春期の若者がいます。正真正銘弱者の塊となった私たちは、福祉的自給自足とでも言うべき日々を歩んでいます。ホミニス学園時代の鉄筋の建物や大勢の職員、法人の特権からするなら、何と対照的なことでしょう。しかし、私たちの福祉に向けた思いは弱るどころか方向性はいよいよ定まり、足腰は鍛えられました。
 荒野を彷徨ったカウボーイは、多くの人に支えられて自分なりのスタイルを開拓し、放浪の旅から自分の畑を耕し実りを収穫する定住生活へと移りました。私にとって社会福祉という荒野は、人生のエネルギーを注ぎ込むのに十分に値するものでした。これからも、利用者と共に与えられた人生という畑を、皆で力を合わせて耕して行こうと思います。

5タラントの会