弱さと共に歩む  小堀俊二

1 年もとったし

 私は実家に住んでいます。その家は私が小学校のときに建ち、沢山の思い出があります。長く離れていましたが、戻ってこれて幸せです。庭のちょっとした景色が随分小さく見えるのは、子どもの頃の記憶がそうさせるのでしょう。今はその庭で小学生の息子が遊んでいます。
 ただ、さすがに築40年の建物は傷みも進み、手入れが必要です。ちょっとした暇を見つけてはペンキを塗ったり、修繕をしたりしています。古くなった建物は梁がゆがみ、窓やふすまが開かなくなったり、壁と壁の合わせ目が直角ではなくなることも知りました。それでも日曜大工好きの私には結構楽しいし、デイサービス事業の拠点としても十分に活用しています。
 3年目を迎えた事業は順調どころか、急激に進化しながら進んでいますが、いくつかの誤算もありました。それらは、ボランティアさんの募集が著しく低調なことや、地域の利用者からの問い合わせが皆無であることもありますが、もっとも大きなことは、私自身の疲労です。加齢や、初期の緊張感が抜けてきたことが原因だと思いますが、大好きだった自動車の運転が重荷に感じられるし、ちょっとしたことで利用者に怒りやすくなりました。だから如何に疲れないかが今の大きなテーマの一つです。
 建物にしろ私自身にしろ、年をとったのは間違いない現実のようです。

2 浮き世離れ

 先日のこと、何年ぶりかで電車に乗り隣町に行きました。それはもうショッキングな体験でした。何しろ人々が皆一人で自由に歩いたり電車に乗り降りしているし、駅を降りればあらゆる方向からあらゆる方向に向かって歩いています。否、それ以前に人間が沢山います。こんな風景は長いこと見てきませんでした。
 福祉の世界に入ってから利用者支援しかしてこなかったし、特に施設勤務時代の終盤は2年を越える泊まり込みでした。外界との接点はインターネットだけでした。
 何ということでしょう。いつも誰かの手をとり、事故が起きないように後ろを振り返りながら決まった場所を繰り返し歩くのが当たり前になった私は、人間はあんなに自律的に一人で活動できる存在だということをすっかり忘れていたし、嫉妬と衝撃、絶望の入り交じった、拒絶反応に近いショックを覚えました。私は音楽家を目指してきた頃に、十分に自由奔放、というより自分勝手に生きてきました。認めたくないのですが、以前の生き方に多分未練があるのでしょう。

3 CQ CQ

 施設勤務を終えて半年位過ぎてからのことです。突然人と話したくなりました。全く会ったこともない、年齢も価値観も何もかも違う人と、挨拶がしたくなりました。そして、学生時代に熱中したアマチュア無線を再び始めました。
 施設勤務時代、苦難の中にある人の福祉の理想論を追い求められたことは幸せでしたが、その実践は痛みを伴うものでした。仕事に没頭する中で多くの人と議論し、その中でぼろぼろに傷付いて、すっかり人嫌いになっていたことに気付きました。明けても暮れても自分を守るために相手を論破する方法しか考えなかったし、いつの間にか人と話すことが怖くすらなっていました。
 皆さんはアマチュア無線で使う「CQ」という言葉を聞いたことがありますか。これは不特定多数の人に呼びかける符号です。誰でも良いから交信しようという、言わば究極のオープンマインドです。私はこの符号が大好きです。暮らす環境も考え方も何もかも違っていて良いし、話し合いなんか成立しなくて当たり前です。それでも挨拶位はできるし、否それで十分だと、やっと思えるようになりました。
 新しい事業ののびのびとした活動の中で、誰よりも私自身が癒されたのだと思います。

4 目に見えない財産

 たった一人で行う事業だから規模は縮小するはずなのに、実際は拡大する一方です。周りの人に迷惑をかけないよう身だしなみを整えるために、宿泊支援も始めました。本来はご家庭で行ってもらうことなのですが、現実問題として「出来ないものは出来ない」し、こんなときは専門性の出番なのでしょう。身だしなみを整えるには中途半端に日中にやるより、宿泊してしっかり入浴した方が良いし、泊まってしまえば翌日の送迎は不要になるから一挙両得です。
 逆に授業の内容はかなりシンプルになってきました。アシスタントがいないから複雑なことは土台無理だし、原点である神を賛美することにいよいよ絞られてきました。公園に出かけて歌を歌う、ただそれだけなのにたっぷりとした充実感があるのは幸せで、少し不思議なことだと思います。時々は道行く人が立ち止まってくれるのも嬉しいことです。
 生活支援にしろ授業運営にしろ、方針が迷うことなく定められるのは、施設時代に行った勉強と膨大な回数の会議の経験によります。目の前の実情にどう対応するべきかに迷うことは殆どなく、その意味からはストレスはありません。
 迷いのない方向性とそれを実現するための方法論。言わば私達は、施設時代に心と身体に叩き込まれた、金銭に代えられない貯金で暮らしているわけです。

5 生きる目的

 とはいうものの、現実的な仕事の量は増える一方です。施設勤務時代はアシスタントと手分けをしたものを一人でやるから当然だし、宿泊支援まで始めたからなおさらです。
 身体の疲労に心もささくれます。利用者も年を重ねるから成熟する一方で反社会的になる面もあって当然かも知れません。時に利用者の暴力的な言動は、私を刺し貫きます。
 ある日公園で音楽をしていたときのこと。利用者の滅茶苦茶な演奏、まったく指示が通じないことに、私のストレスは頂点に達しました。
 私はもう耐えられない、いっそこの世の歩みを終わらせたいと思いました。口は神を賛美し腕はギターを弾きながら、心の中には嵐が吹き荒れていました。それは罪だろうか、神は許してくださるだろうか、残された者はどうなるだろうか、と嵐は竜巻に変化しています。そして、もう駄目だと思った次の瞬間、天が開けました。

 「なんてことだ、イエスキリストだって死んだんだ」

 イエスキリストは神に従う苦しみの歩みの末、十字架にかかり、そして三日目に甦りました。神は生死という人間にとっての大問題を超越しておられます。だから神様を信じて生きるということは、生きるか死ぬかが問題なのではなく、何のために生きるのかなのです。
 初夏の日差しと雨上がりの芝生から上り立つ湯気の中、私は放心状態で一人ひとりの利用者の顔を眺めていました。そして、このままで良いと確信しました。

6 弱さこそ

 時を経れば家もくたびれます。梁も歪めば、場所によっては傷が大きく開いているところもあるでしょう。それでも新築にはない味わいがあるのかも知れません。
 私たちの「5タラント」という名前は聖書からとったもので、タラントは神様から授かった賜物を意味します。文字通りの金銭や能力だけではなく、一般に否定的にとらえられるような事柄、例えば弱さや苦しみ、色々な事が出来ないことなども大切な財産として受け止め、それを土に埋めたりせずに皆で分かち合っていこうという意味です。
 信心深そうな名前をつけておきながら、厳しい現実の中にいつもへこたれてしまい、弱さこそ最も大切にすべき財産であることを私はすっかり忘れていました。
 もう一度その原点に立ち返り、お互いにいたわりあいながら、行く先を見失わずこの世の旅路を歩んでまいりたいと思います。

 「勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(聖書)

5タラントの会