学びの意味  ホミニス学園 学園長 小堀俊二

(社会福祉法人ホミニス会発行 あゆみの跡 第29号 '02年11月1日発行より)

 ホミニス学園の主張の核の一つに「能力主義あるいは生産性主義の否定」があります。人間の生きる価値とそれらは無関係であります。ではホミニス学園における共に生きる目的とは何なのか。その問いに対して立てた「共に学ぶ」という仮説についてお話し致します。
 その意義は勿論、具体的に何を学ぶべきなのか、そして方法論は、と自らに問う中で沢山の壁に当たります。差別と叱られるかもしれませんが、学びの場と宣言しつつも、能力の向上を実質的には殆ど望めません。また、能力も性格もバラバラな利用者達を、どうしたら一つの場面に統合できるのか。障害を否定的にみるのではなく、個人差を活かす場面はどうしたら構成できるのか。そして、事故のない安全な学びであることも大切な要因です。
 正に渾沌の中から私が見つけだした答えは、とにかく楽しんでもらおう、ということと、能力的な結果では無く学びの実感を基準にしよう、というものでした。私は「音楽的に行こう」を合い言葉に、音楽演奏の交流的な雰囲気、音楽と同様、全ての表現は尊重されるべき、という価値観に基づいた、誰もが乗り遅れることの無い学習課題を試行錯誤しました。音楽や絵画を土台としながら、情緒的には勿論、時に文字や数といった認知的な意味合いを織りまぜながら、出来るだけ楽しく変化に富み、五感を刺激しやすい授業を心掛けました。その結果、初めは見向きもされなかった授業でしたが少しづつ参加してくれる利用者が増え、現在では殆どの利用者が、何らかの形で参加しています。ホミニス独自のグループワークが鼓動を打ち始めたのです。
 そして、中には驚くべき変容を示す利用者もありました。利用者Aさんは暴力がなくなり、集団への適合力に大きな変化を示しました。私は実践の中で、Aさんの変容は全く望みませんでした。それにも関わらず通園開始以来参加拒否を続けたAさんは、ふっと気がつくと教室の中に居場所を移し、笑顔で私の授業を見守ってくれるようになりました。この不思議な現象に、私は援助や教育の原点を学ぶ思いがするのです。つまり、変化を望まなかったからこそ相手が変化したという、一見矛盾にも思える事実です。
 ありのままの本人と出来るだけ感情を伴った場面の共有を目指し、相手を操作しようとすることを避けました。つまり、相手の状態像(何が出来て何が出来ない等)ではなく、相手の関心事に心を合わせ、感情に添い、呼吸を合わせたのです。そしてそれを実現するために学びの場が機能したのだと思います。
 ホミニス学園での実践は、結果を求めない、人生の質に寄与する、孤独では無い、等々の意味から、所謂「生涯学習」と似ているかも知れません。そして、施設利用者が私達に示してくれた強烈なメッセージでもあります。それは、彼らと一緒に描く即興画、音楽、工芸作品等の、刺がなく優しいフィーリングと共に、その場にいる私達の心の奥底に染み渡ってくるのです。
 このような「学びの場」を中心とした施設サービスは殆ど(少なくとも国内では)見聞きした事はありませんが、今後、今回お話し出来なかったメリットも含め、注目を集めると私は確信します。

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