施設職員の自己決定  ホミニス学園 学園長 小堀俊二

(社会福祉法人ホミニス会発行 あゆみの跡 第30号 '03年11月1日発行より)

1 夢と自己決定

 私の長い間の夢は、音楽家として大成することでした。20年程はその夢を追い続け、その後に音楽療法を通じて社会福祉の実践の場に入り、現在の管理的立場になりました。商業音楽の世界からは一切身を引きましたが、施設利用者と日々歌い交わしていることは、夢が多少形を変えて叶っているのかも知れません。そして今の夢は、利用者達と演奏する音楽を多くの人に聴いてもらうことです。少しづつ施設の外で演奏したり、録音した演奏をインターネットで公開したりしています。
 音楽を生業として目指しながらも特に経済的な面では苦難の連続でした。大変厳しい競争社会ですし、不景気の始まりと時期が重なったこともあり、いつもアルバイトをしているような状態でした。でもそんな時、多くの人から「君は幸せだ、やりたい事があるから」と言われました。私はその頃、言われている意味がはっきりとは分からず、そんなものかなと言う程度に聴いていました。しかし、がむしゃらだった昔を多少冷静に振り返ることが出来る今は、大変幸せな人生を歩んできたことに気付かされています。
 自らの「苦労を苦労と感じない」体験。そして識者が語るように、将来の夢、そしてそれに向けて現在のあり方を決めることは、人間にとって欠かす事の出来ない活力源です。ナチス収容所に捕らえられた経験のある精神科医によると、人の最終的な生きる活力は将来への希望だそうです。どの様な状態にあっても、明日をイメージし、その為に今を自己決定することは、かけがえも無く素晴らしいことです。
 皆さんは夢をお持ちですか?

2 施設職員の夢

 ホミニス学園の授業は、多くの場合私がリーダーを、生活指導員2名がアシスタントを担当する役割分担になっています。私は指導員達に、いつかはリーダーを担当し、自分で授業内容を創り上げる力をつけて欲しいと願い、「アシスタント論」と題して、アシスタント達が人からどう言われるかではなく、自分でどの様な授業を望んでいるのか、自分の個性をどの様に発揮したいのか、即ちアシスタント達の自己決定を土台とした研究を立ち上げました。そしてそのプロセスから大変驚くべき事実を知らされるのです。
 それは、指導員達が自分の個性をどのように職務の中で活かしたいのか、そのビジョンを持っていないということです。現在の職務能力如何に関わらず、将来のビジョンがないということは、大変悲しむべき事柄です。理由を探すなら、ホミニス学園の学事の形態が試行錯誤の為に大きく変動し、それに着いて行くだけでも精一杯だったのでしょう。また、つい先日まで現役の音楽家だったリーダーの破天荒な有り様に、畏縮せざるを得ないのかも知れません。
 将来のビジョンを持たないにも関わらず、自暴自棄にならず献身的に従事してくれる指導員達には感謝の言葉しかありませんが、施設の長として大変、責任を感じざるを得ません。この事は決して利用者の利益には繋がるものではありませんし、職員にとっても、単なる指示として利用者に向かい合ったならば、主体的なそれとは比べ様もないストレスにさらされているはずです。
 指導員達がまるで自分の人格を捨ててしまったわけではないにしろ、私は指導員達に夢を育む環境を用意出来なかったこと、また、これまで私が発信した情報(これは職場内に限らず)が、多くの場合、他者を評価することに偏り、寛容さ、夢、希望に欠けていたことを、深く悔やんでいます。

3 自己決定しない背景

 利用者とのディスカッションの場面についてビデオを用いて反省会をしている時に、ある指導員は自らの消極的な姿を「ただ座っているだけ」と表現しました。利用者からの傾聴、代弁、そして自らの発言と様々な仕事があるのは分かっていながら、座っているだけにならざるを得ないのは、「自信がないし、間違ったら怒られる」という悲観的見通しに因ります。
 自信の無さを抱えながらも指導員であり続けるには、リーダーのいうことをそのまま実行するのが簡単な方法です。この消極的自己決定(即ち自らの意思を持たないこと)は、見る角度を変えるならば施設への依存です。多少乱暴な言葉を使うなら、職を失わないために自分の意見、思考を捨て、それにより失職や管理者からの叱責の不安から逃げようとしているのです。皮肉なことにこの方法によって事態は自分の望む方向には向かないことが分かっていながら、自らの方向性を修正するのは容易なことではありません。
 逆に私自身の側から振り返るなら、指導員達が自分のコントロール下から外れることへの恐怖から、常に監視し、道から逸れたなら自らの不安をかき消すために叱責します。即ち、指導員達と私は、それぞれが不安から逃げるために相互依存の関係にあることに気付かされるのです。
 自己決定しない生き方。それは夢と希望を持てない代わりに楽でもあります。葛藤を抱えなくても済みますし、思考する必要がないからです。しかし、様々な事柄(恐怖や不安、損得感情、社会通念等)の奴隷としてそれに縛られ、時に相手を縛る生き方でもあります。

4 施設職員に求められるもの

 私が以前所属していた社会は競争と淘汰により成り立っています。良い演奏をする人はそうでない人より高い対価を受けると同時に、次の演奏の機会を与えられます。生き残るために演奏家達は必死に自分の技術を磨き、それを売り込むチャンスを待ち狙います。
 それと対照的にあるのが社会福祉の世界です。音楽家の多くは頂点を目指していますが、社会福祉運動は一部の専門家ではなく社会全体のものです。実施するのは三角形の底辺にいる人であり、それは活動の方向性が異なることを意味します。頂点を目指すなら無論向上主義ですが、底辺の活動が目指すべきなのは、向上より「活性化」ではないでしょうか。底辺で活動する人すべてに新たな能力を身につけてもらうことは大変不自然でありますし、施設の職員の中には恐らくそれを望まない人もいるでしょう。しかし、本人自らが望む姿で生き生きと働くこと、また本人なりの将来の夢を持ちそれに向かって職務に従事するなら、その人の回りの空気は新鮮で活気に満ちたものになると思います。もちろん利用者の利益に直結することは疑うべくもありません。
 施設の機能を向上させることは声高に叫ばれますが、私はむしろ活性化という視点が大切だと思います。施設という有機体を構成するそれぞれが生き生きと機能するのはもちろんのこと、一個所でも機能不全、あるいは壊死させてはなりません。そしてその為には、施設職員の自己決定こそが鍵となるのです。しかし、その鍵を回すには、私たちは大きな決断をも迫られます。

5 新たな一歩

 アルコール依存症の患者が回復に向かう第一のステップは、自分が依存症であることを認めることです。
 私達は、手がけてきた「アシスタント論」の研究により、自らの依存性をはらんだ現実を直視させられました。私達は次なるステップはその依存からの脱出です。自分を縛りつける感情を、少なくとも認めなければなりません。私のそれは「部下にそっぽを向かれたくない」不安感、「権威を保ちたい」欲求など、甚だ目を背けたくなる程の醜さです。しかし、それを認めない限りアルコール依存同様に、回復はありえないのです。
 職員が自分の手足の様に動く事と利用者の利益は直結しないばかりか、時には職員が自主的に判断しなければ利用者の不利益になることもあります。同様に、指導員達の場合は管理者の顔色を見過ぎて利用者そっちのけになるかも知れません。私達は、自らを縛る不安材料が、非合理的で何の裏づけもないこと、利用者の利益とは無関係であることを確認し、それぞれが心の奥底に仕舞い込んである部分を少しづつ整理しなければなりません。今、ホミニス学園がそのような関わりの場として変容していくことが求められています。このことは自らの存在理由、即ち「施設職員あるいは福祉施設は利用者の利益の為に存在する」ということをこれまで以上に掘り下げる作業でもあります。
 福祉施設が、社会福祉の底辺、否、土台として活性化するには、職員が能力を提供するだけではなく、各々が抱える痛み、葛藤、迷いを、その場で分け合い、その中で自分を再発見するような、言わば「分かち合いと出会い」とでも呼ぶべき場であることが求められると私は思います。

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