トマトとリンゴのフルーツ回想録



 障害と共に生きるトマトさんと、そのトマトさんと一緒に生きる僕リンゴの、ハラハラドキドキのフルーツ回想録



そこから立ち去り、身を清めなさい。
汚れた物に触れてはならない。 主に仕える者よ。
しかし、急ぐことも逃げることも必要ない。
主が先頭を進み、最後尾を守られる。/聖書
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第1回 負けの許されない賭け

 僕リンゴはその頃、ホミニス学園という福祉施設の園長でした。毎日、利用者や職員達と神様にお祈りしたり歌を歌ったりして過ごしていました。
 ある朝、送迎から戻った職員マスカットさんが、僕に報告しました。「トマトさんを迎えに行ったら、家の前で黒い車から男の人が出て来ました。ご家族を探しているようです。」
 もしもトマトさんを帰宅させたならば大変なことになる、と直感した僕は、その日からしばらく(少なくともその時点では)トマトさんと一緒に暮らすことにしました。

 このお話はトマトさんと僕リンゴが、利用者と職員という関係を飛び越え、親子へと変わっていく道のりを綴るものです。将来の社会福祉学の資料にして欲しいと願っています。大部分を記憶を頼って書くので、時系列は多少乱れます。



第2回 跳ねたらお家が壊れちゃう

 トマトさんがホミニス学園に泊まるのは初めてのことではありません。病気の時もあったし、家族から虐められて、泣きながら泊めて欲しいとせがんだこともありました。
 でも、今度は僕のアパートに一緒に泊まることにしました。泊まるのは長くなりそうだったし、トマトさんは僕の息子のグリンピース君が大好きだからです。
 トマトさんとの暮らしのスタートです。でも、それはそれは大変な日々でした。トマトさんはチック症という障害を持っていて、いつも大きな声で喋ったり、ピョンピョン飛び跳ねています。一緒に住む家族も辛いし、安いアパートですから近所からの苦情も心配です。お隣には事情を説明し、夜には早く寝て欲しいと祈るような気持ちで子守唄に賛美歌を何曲も何曲も歌いました。僕はその頃、一日一日にこれまでにない重みを感じていました。その日が無事に終わる、ただそれだけで精一杯でした。
 3ヵ月位過ぎたある日曜日のことです。トマトさんがいつものように2階の部屋で飛び跳ねていました。僕は下の部屋にいて、ああ又跳ねてるなと思った次の瞬間、「ミシッ」っという聞いたことのない音がしました。このままでは間違い無くアパートは壊れます。
 こういう訳で、次の日からトマトさんと僕はホミニス学園に泊まることになりました。



第3回 まるでオーダーメイド

 ピョンピョン跳ねても壊れないし、好きなだけ大声を出しても心配のないホミニス学園は、まるでトマトさんの為に建てられたようでした。昼間は他の利用者たちと過ごしますが、夜は貸し切りです。真夜中まで気が済むまで音楽を聴き、飛び跳ねて、パタッと眠りについていました。自由奔放です。
 僕のアパートにいる時は、周囲の苦労を減らすためにお薬を飲んでいましたが、ホミニス学園に来てからは本人の辛さだけに合わせて飲むことが出来ます。勿論、量も凄く減りました。これはこの場所がトマトさんにぴったりと合っていたことの表れだと思います。
 また、学園で働いている人たちも沢山協力してくれました。僕一人ではトマトさんを支えきれなかったことでしょう。
 勿論、トマトさんもこの場所が好きでしたが、この頃、僕はまだ、「いつまでトマトさんと暮らすのかな、早く自分の家で寝れるようになりたいな」と思っていました。何故なら、ず〜っと職場にいるのは、とても辛かったからです。



第4回 でもどこか変

 施設での暮らしは、ちょっと見た限りではとても快適です。何も不自由することはありません。でも何かが変です。僕は少しづつ疲れていきました。
 何故かというと、職場にはプライバシーが無いからです。自分の部屋(つまり他の誰も入ることが出来ない部屋)がないことは、逆にいうと、自分の生活をいつも誰かに見られていることです。だから、仕事が終わってもリラックス出来ず、何日か過ぎると頭がぼーっとしてきます。
 あんまり辛いのでトマトさんに一人で泊まってもらい、夜は家に帰ったこともありました。しかし、丁度その頃、大きな地震が続き、危ないのでまた一緒に泊まることにしました。そして、もしも泥棒が来たらなどと思うと、誰かに代わってもらうのも気が引けました。
 何日も家に帰れないときは、まるで遠洋漁業だなと思っていました。



第5回 話せば分かる

 トマトさんはいつも喋っているのに、誰かと会話をするのは苦手です。何を問いかけても「ない、ない」としか返事をしてくれません。僕は悲しい気持ちがしました。それは否定の言葉だからです。
 ある日のこと、僕はトマトさんに、チックを真似て「見るの〜」と話し掛けてみました。そうしたら、そうじゃないよ!とばかりに「見んのよ〜」と教えてくれました。僕は「あっ、気持ちが通じた」と思いました。
 それから何年経ったでしょうか。トマトさんは今でも会話は得意ではありません。同じことばかり言って煩がられることも多いです。でも前みたいに「ない、ない」とは全く言わなくなりました。



第6回 トマトとリンゴを取り持ったもの

 その頃、ホミニス学園の授業は即興演奏ばかりしていました。それにこだわっていたので、普通の曲はわざと演奏しませんでした。ところが、トマトさんはテレビで覚えた童謡ばかり口ずさみます。即興演奏に参加してもらっても、全然楽しそうじゃないし時には怒り出してしまいます。
 仕方ないので、一緒に住むようになり有り余る時間を使って、僕はトマトさんの伴奏をするようになりました。何十曲もあるレパートリーを毎晩合奏しながら、その才能に驚きました。その殆どが歌詞がデタラメでメロディーも所々抜けていたりするのに、全体として立派に音楽になっているからです。逆に即興演奏では全く「感じがつかめない」様子でした。
 今では僕も授業で普通の曲を演奏するし、トマトさんは即興演奏に自分から参加しています。好みが違う二人の音楽好きが、お互いに歩み寄ったわけです。



第7回 チックがトマトさんを救った

 激しいチックは生きていくことをとても難しくします。それは本人も辛いけど、周りも辛いからです。気持ちが乱れた時のトマトさんを受け入れるのはとても難しいです。職員のバニラヨーグルトさんは「愛したくても愛せない」と泣きながら話しました。バニラヨーグルトさんを誰も責めることは出来ません。それ程、トマトさんのチックは重いし、人は皆、弱いからです。
 しかし、トマトさんのチックは別の役目も果たしました。それは、それまで受けてきた言葉を僕達に伝えることです。それはもう、こっちが恥ずかしいくらい筒抜けに聴こえました。
 困難な道のりを歩んで来たトマトさんに、何よりも先ず敬意を持って接したい、そう僕は思いました。

 ここまでは、トマトさんの命をただひたすらに守っていた頃のお話です。この後に、更に守らなければならないものが見えてきます。お医者さんにかかる権利や障害者年金、何より本人の意思が尊重される権利です。




第8回 頼れる人とそうでない人

 虫歯になったトマトさんと近所の歯医者さんに行きました。でも、初めての歯医者さんだったからトマトさんは緊張してしまい、「治療できないかも知れません」と言われました。虫歯を治した跡があるので、治療してくれた歯医者さんはどこかにいるはずです。だから、今まで通っていた歯医者さんを教えてもらおうと、卒業した養護学校に電話しました。ところが事情を説明しても何故か教えてくれません。
 こんなのおかしいなあと思い、教育委員会に相談しました。教育委員会の人は「それは大きな問題です。必ず間違いを正します。」と返事はしましたが、何もしてくれませんでした。
 トマトさんを支えるには、周りの人たちが皆で力を合わせなければいけないのに、それが出来ないことが僕はとても腹立たしかったです。
 でも、その後、近所の歯医者さんはとても辛抱強く治療してくれて、今ではトマトさんもすっかり慣れました。これまで色々な場面で、障害者に直接関わるのではない人たちの方が、よっぽど力になってくれたと思います。



第9回 安心してお医者さんにかかりたい

 お医者さんにかかるには保険証が必要です。お家の人に頼んでもなかなか持って来てくれません。ある日、やっと送って来てくれたと思ったら期限が切れていました。病院に通う度に、「なんとかして下さい、全額支払ってもらいますよ」と僕は怒られていました。
 市役所の保険の係りの人に相談すると、「トマトさんが困ったらいけないので」と保険証の代わりになる書類を作ってくれました。僕はテーブルに頭が着くくらいお辞儀をしました。それ程有り難かったからです。
 1年くらいその書類を使っていましたが、やはり一時的な仮の書類より、トマトさん本人の本物の保険証があればもっと安心できるのに、と思いました。



第10回 トマトさんの生活はトマトさんのもの

 その頃、ホミニス学園に神奈川県庁の人が来て、トマトさんのことを知りました。その人たちは、「制度の枠を超えて良いことをしていますね」「制度の枠でやると制限も増えるから善し悪しです」「園長さん、がんばって下さい」と話しました。
 でも何ヵ月かすると役所の人たちはトマトさんの生活に口を出し始めました。
 「入所施設に入れるべきです」「ご家族がそう言っています」
 僕はとんでもないと思いました。世界中で入所施設はどうしてもダメだからと無くそうとしているし、トマトさんはホミニス学園に住みたいと望んでいるからです。
 法律では障害があってもその人の意思は大切にされなければならないと決められていても、役所の中では、それが通じないのです。



第11回 トマトさんの年金はトマトさんのもの

 ホミニス学園で一緒に住み始めてから1年半過ぎた頃、僕は「このままではいけない」と思いました。トマトさんの生活を仮のものではなく、もっと地に足の着いた長く続けられる方法に切り替えようと思いました。
 住所をホミニス学園に移して本当に自分の家とすることと、国から出ている年金をトマトさんが受け取れるように手続きをすることを思い付きました。
 ところがご家族は猛反対です。何故ならトマトさんの年金をもらえなくなるからです。
 僕は、迷うことなく市役所で手続きをしました。ドキドキしたけど、住民登録や年金の係りの人は真剣に僕の話を聴いてくれて、手続きすることができました。トマトさんは正式にホミニス学園の住人となり、お金もこれからはトマトさんの口座に入るようになりました。保険証だってあります。
 トマトさんは、ホミニス学園で初めて文字どおりの自立を遂げた利用者となりました。



第12回 トドメの一発

 ある日の給食の時間のことです。トマトさんにご家族がここに来たらどうするか尋ねました。
 「逃げる」
 職員のバニラヨーグルトさんやマスカットさんと顔を見合わせました。息が止まりそうになりました。
 その後、ご家族と話し合って、トマトさんの言葉に納得しました。
 どうしたらトマトさんを守ることが出来るのか、必死に考えました。ご家族ばかりでなく、役所からの脅しが強くなってきていたからです。



第13回 自己決定

 ご家族は「人権擁護センターに訴えた。後見人の申し立てを教えてもらった」と言いました。後見人とは、判断力が無い人に代わって色々なことを決める人のことです。
 僕は、とんだ人権擁護センターだなと呆れ果てました。弱い人を守るための法律を、本人の権利を奪うために使うのは、どう考えても間違っています。トマトさんはちゃんと判断していると言っても、ご家族も役場の人も誰も聞く耳を持ちません。
 僕は問題の中心が段々と見えてきました。それは障害を持つ人が、自分で自分のことを決める権利を、周りの人が認めるかどうか、ということです。みんなトマトさんを、自分のエゴ(わがまま)の犠牲にしようとしています。
 そしてこのことが、僕がトマトさんの父親になろうとする大きなきっかけになりました。親子になれば、後見人の申し立てがされても、僕の意見を裁判所に聴いてもらえると思ったからです。




第14回 小手先じゃ駄目

 ある日、市役所の人が来て「トマトさんがホミニス学園を利用していると認められません。ここが住所なら通っているとは言えないからです。」と言いました。この滅茶苦茶な理屈には思わず吹き出してしまいましたが、その後ろ側にある憎しみはかなりの深さのようでした。
 少し前に、市役所は県庁から「もっと本人達のことを大切にしないといけません」と僕の目の前で怒られていましたが、そんなことはお構い無しです。利用者ばかり大切にして家族や役所の言う事を聞かないホミニス学園が、憎くてたまらないのでしょう。
 僕はそれまで勉強して来た社会福祉が、何の役にも立たないのに驚きながらも、ああ、やっぱりな、という気持ちでした。それまで職員達に繰り返して言っていた「小手先の援助は駄目」という言葉を思い出していました。



第15回 ボランティアは悪いこと?

 トマトさんがホミニス学園に住んでいる時のお手伝いは、職員達がボランティアで行っていました。ホミニス学園は入所施設としては認可されていなかったからです。
 でも、神奈川県や茅ヶ崎市の役所の人は、「ボランティアは駄目です。ちゃんと認可を受けた入所施設じゃなきゃ、住んではいけません」と言います。僕は、国(厚生労働省)にも確認しましたが、やはりそんな事はありません。
 神奈川県福祉部と茅ヶ崎市福祉部は、まるで独立国家のようです。法律や制度なんか知ったこっちゃありません。少しでも逃げるために、トマトさんの住民票を大磯町に移し、ホミニス学園は退園し見学者として利用することにしました。万が一に備えて近所の交番に相談したのもこの頃のことです。




第16回 神も仏もあるものか

 正直に言えば親になる覚悟などありませんでした。でも、トマトさんを守るにはこれしかありません。トマトさんは僕が父親になること、名字が変わることなどをすんなりと受け入れてくれました。職員のバニラヨーグルトさんとマスカットさんが、届けの証人になりました。
 その日の朝8時30分に市役所の支所に行き、書類を渡してからしばらくして窓口の人が言いました。
 「後見人の申し立てが本庁で行われていますので、受理出来ません。」
 僕はがく然としました。窓口の人に事情を説明し一応書類を預け、バイクでホミニス学園に戻りながら、準備に手間取った自分と、後見人申し立てを助言した人権擁護センターを呪いました。「何が人権擁護だ!」呪っても呪い切れません。
 ホミニス学園に戻り朝のお祈りと賛美歌が終わった頃、市役所から電話がありました。
 「リンゴさんの方が30分早かったので、受理することになりました。」
 もうすぐ1学期が終わろうとする真夏の日のことです。ずーっと緊張していたので、暑い日だったかどうかも良く覚えていません。

 こうして僕とトマトさんは親子となりました。しかしこの後、試練は更に大きくなっていくのです。




第17回 支援と権限

 市役所から、「トマトさんの入所先は決めましたので、引き取りに行きます」という手紙 が来ました。
 話し会いの当日、僕は、数日前に親子になったことや大磯町に引っ越したことなどを説明し、トマトさんの身柄を引き渡すことは出来ないと話しました。市役所の人はメンツを潰されたと思ったのでしょう。もうカンカンです。「ご家族に無断でした養子縁組なんて、常識では許されませんよね〜」と、まるで僕が法律を悪用したと言わんばかりにテーブルから身を乗り出して怒っています。
 そして「親としての権限を使うのですか」と僕に問いました。強者の権限で弱者を支配するという役所の時代遅れの考えが丸出しになった瞬間です。「トマトさんに必要なのは支援であり権限による支配ではない」と僕は答えました。
 後で分かったのですが、ご家族が市役所で「どうにかなんねーのか!」と怒鳴ったのだそうです。そのせいもあるのでしょう。茅ヶ崎市と神奈川県福祉部は、僕達が親子であることを止めさせるために、そして潰された自分達のメンツを取り戻すために、「トマトさんが手続きに同意していないことを更生相談所で証明してもらい、裁判をする」と言い出したのです。



第18回 八方塞がり

 僕とトマトさんは大磯町役場に逃げ込みました。療育手帳や医療費の助成証、サービス受給者証をもらうためです。でも町役場の人たちは「神奈川県に指導されたのでトマトさんを大磯町の住民と認めません」と言います。茅ヶ崎市に電話しても、とりあってくれません。トマトさんは役場がくれるはずの福祉の権利を全部奪われました。
 色々なところに相談に行っても、皆、厄介ごとや役場に逆らうのは嫌なのでしょう、真剣にトマトさんの権利を守ろうとしてくれた人は、殆どいませんでした。
 日々の仕事に加えトマトさんと職場に住み続けること、それだけでも大変なのに、全てを悪意にとられ裁判まで迫って来たこの頃は、本当に心が疲れました。余りの困難さに自分を疑う気持ちすら湧いて来ます。しかし、毎晩の宿直でたっぷりある時間を使って勉強ができたことは幸いでした。自分のやっていることが誤りでないことを確かめられたからです。



第19回 ジレンマ

 トマトさんの判断能力の有る無しが裁判で争われる時の為に、僕には何ができるだろうか。僕は、自分が後見人になろうと思い立ちました。仮に僕がなれなくても申し立てをすれば僕の意見は聞いてもらえるはずです。
 しかし、ここには大きな矛盾があります。僕が訴えたいことは、1トマトさんは判断能力があるから養子縁組は有効である、2後見人が必要(つまり判断が出来ない)、という正反対のことだからです。お医者さんに相談したら、診断書が裁判でどのような働きをするか責任が持てない、と診断書は書いてもらえませんでした。
 あれこれ考えた末、結局、僕は後見人の申し立てを諦め、提訴されたなら裁判所の良識ある判断に期待しようと、方針を切り替えました。神奈川県や茅ヶ崎市の間違いは、どんな裁判官でも分かるはずだからです。



第20回 救命ボート

 ふらふらする頭で自分が何をしているのかを確かめていたら、新しい絵が浮かびました。それは沈没する船を救助している場面です。
 僕は一人を救助しましたが、まだ乗り組み員は船に残っているのです。僕はロープを投げました。
 その思いは、目に見えては実っていませんが、ご家族に僕の思いを伝えられたことは良かったと思います。



第21回 とんだ福祉計画

 茅ヶ崎市長からトマトさんに手紙が来ました。福祉計画を作るから意見を聞かせて欲しいとのことです。ただしそれは旧い名字で送られました。
 僕はトマトさんは名字が変わり、大磯に住民票を移動したことをメールで説明したところ、ちゃんと謝罪の返信がきました。コンピューターのデータのミスだった、とのことでした。そこでもう一度更に詳しく、茅ヶ崎市の判断で療育手帳や医療費の助成などを受けられなくなっていることを説明しました。
 今度は返信はありませんでした。



第22回 とんだ福祉手当て

 トマトさんは在宅手当てを神奈川県から受け取っていました。しかし、神奈川県が養子縁組や住所の変更を認めないから、昔の名字の口座に昔の名前で振り込まれ続けました。勿論、これはトマトさんが受け取ることは出来ません。
 戸籍に存在しない名義宛に、大切な税金を使って、本人が受け取ることの出来ない支出をする、このようなことが行われていても、全く問題になりません。
 これが神奈川県や茅ヶ崎市、あるいは大磯町の感覚なのでしょう。



第23回 とんだ個人情報保護

 ホミニス学園の行政監査でのこと。個人情報の管理について調べていました。
 しかし、そのすぐ横では、何の説明もなくトマトさんのケース記録を黙々と書き写す県職員もいます。その大半は既に資料提供していたのですが、多分紛失でもしたのでしょう。
 神奈川県福祉部は法律を守ることを施設に指導する立場にありながら、自分達は何でもあり。正に一時が万事とはこのことだと思いました。



第24回 とんだ個人情報保護その2

 神奈川県と面接していたときのこと。何故か、僕が権利擁護センターに相談したことを知っています。
 不思議だったので後から尋ねたら、権利擁護センターの相談の内、行政に責任があるものについては連絡をとる仕組みになっているのだそうです。勿論、相談者には無断で。
 もしも秘密を守りたい人は、相談しない方が良いかも知れません。



第25回 ここを家にしよう

 ホミニス学園にはもう何年も役所からも養護学校からも利用者が紹介されて来ません。このままでは破産するのは確実です。だから、もうこれまでの施設は止めて、トマトさんのように施設を利用する権利の無い人の為、そして引きこもった人たちやホームレスの人たちを役場とは関係なく支援しよう、そしてここを本当の僕達の家にしようと思い始めました。
 これを実現するために、一生懸命に法律を調べたり、税金の計算をしたりしました。この頃はまだそれが可能だと思っていたのです。結果的にはホミニス学園の建物を受け継ぐことは出来ませんでしたが、魂はそのまま次の事業の中に息づいています。このような道筋はトマトさんがつけたものに他なりません。



第26回 信仰の慰め

 法律的にも道義的にも正しくても、それが認められないのが現代の公的社会福祉です。役所は刃物を振り回し、困窮する人を更なる困窮に追いやります。
 何と言う矛盾、理不尽さでしょう。しかし、この体験が聖書と結びつきます。掟を貫いたとしても救いは実現しないかも知れません。しかし、神は約束を必ず守ります。そして救いの日は近いと聖書には書かれています。
 終末論的(世の終りの神様の裁きを待ち望む)信仰が、僕の聖書観の土台となったのはこの頃のことです。



第27回 敵の中に働く神

 どんなに矛盾に満ちた世であっても、全ては神の手の平の出来事です。
 役所が裁判や無理矢理の施設入所などで脅してこなかったら、トマトさんは僕と親子にはなりませんでした。そして今や、トマトさんは僕の自慢の息子です。
 神様はご意志をもって導かれたのだと思います。



第28回 組織に住む魔物

 ある日の理事会でのこと。僕が施設の解散を提案すると、「市長に相談したばかりだから顔を立ててもう少し待とう」と反対意見がでました。私は耳を疑いました。待てば待つ程恐ろしい勢いで資産は減っていくからです。障害者の人権より市長のメンツが大事になるとは、いよいよ早く解散するべきだなと決意しました。
 福祉目的の法人がいつの間にか目的を見失い、方や役所は障害者を虐めるだけ虐めて、責任は誰もとらないし、責任者であるはずの市長も県知事も見て見ぬ振りです。
 規模は違うにしろ、組織とは恐ろしいものだと思いました。



第29回 トマトの大冒険

 ある日、コンビニで買い物をして車に戻ると、いるはずのトマトさんがいません。きっと誰かに連れ去られたと思い、急いで警察に電話しました。マスカットさんにも手伝ってもらい2時間くらい、その近くを探しました。
 それでも見つからず仕方なくホミニス学園に戻ったら、玄関でトマトさんが待っていました。機嫌が悪い僕が恐かったから一人で歩いて帰って来たとのこと。トマトさんを怒っていたわけではなかったんだけどなあ。
 そして、障害者の親になるとは、本当に大変なことだなと改めて感じました。



第30回 さらば茅ヶ崎

 税金のことを調べてもらった方から「リンゴさんは法律を読み違えています」と電話がありました。僕はとても驚き、何ケ所かに電話して確かめたら、どうやら僕の勘違いは確かなようでした。ホミニス学園を僕が個人で受け継ぐことは出来ないことがハッキリしました。
 僕は笑いが止まらなくなりました。その日一日中笑っていました。そして、その夜、初めてぐっすりと眠りました。

 しばらくしてホミニス学園は閉園し、僕達親子は大磯に引っ越しました。10年の施設勤務と2年半の宿直が終りました。




第31回 トマトの赤ちゃん返り

 大磯で大家族の生活が始まりました。トマトさんは慣れない環境のせいか、チックはフル回転、そして悪戯し放題と、大変身しました。タンスの服を全部出したり、シャワーの水をわざと出しっ放しにしたりと、その滅茶苦茶さは容赦ありませんでした。
 こんなトマトさんは見た事ありません。戸惑ったけど、皆で話し合いながら何とかその時期を乗り切りました。
 今はすっかり落ち着きましたが、今思えば、ずーっと前から誰かに甘えたかったのだと思います。



第32回 水道局ナイスプレイ!

 水道の検針に来た方が使う量が増えたことに気付き、障害者の割り引きがありますよ、と教えてくれました。
 でも、トマトさんは療育手帳がありません。だから諦めていたら、水道局の人はなんと町の福祉部に問い合わせ、手続きの最中である証明書(実際には町からは何の連絡もなく放置状態でしたが)の約束を取りつけてくれました。
 この水道局の方の熱心な対応が、数カ月後の療育手帳発行の大きなきっかけとなったのです。



第33回 施設と家庭の違い

 施設より家庭の方が良いに決まっています。でも僕の仕事は猛烈に増えて、もうくたくたです。
 家族がトマトさんを嫌いなわけではありません。でも生活の全てがトマトさんのためにあるのではありません。逆に施設職員は、その存在理由自体が利用者支援でした。
 しばらくしてから気付きました。施設での暮らしは、今の為の予行演習だったんだなと。



第34回 腰抜けの逃げ口上

 大磯町から「療育手帳が発行されましたので受け取って下さい。」と連絡がありました。今まで、住民とは認めないし親子としても認めないと言っていたのが、正反対を向いてしまいました。僕はその理由を知りたいので、神奈川県に問い合わせて下さいと頼みました。これまで茅ヶ崎市と神奈川県は、トマトさんを裁判までして入所施設に入れようとしていたのです。
 神奈川県からの返答は「聞いていないので分からない」でした。



第35回 無題

 毎日のように合奏していたら、トマトさんが次に歌う曲が段々分かるようになってきました。そんなある日、トマトさんが僕のことを呼びました。

 「お父さん」

 それまでは「りんごさん」と呼んでいましたが、きっと気持ちが何処か切り替わったのでしょう。
 思えば、お互いに人生の険しい時期を、一緒に歩んできたんだなあと思います。



第36回 終りに

 なんという矛盾、不正、理不尽。私は絶望と悲しみの渦にもみくちゃになりながら、トマトさんと生きてきました。
 施設勤務を終えた時のこと。これは奴隷解放か、あるいは大国バビロンによる捕囚なのか。そして自らを悩み苦しみ神に叫ぶヨブに重ね合わせていました。
 これまでの歩みを、冷静に振り返ることは未だに出来ません。ただ、絶望的障害者差別からトマトさんを守り通せたことは、理不尽というより、大海が左右に分かれ陸を歩くような奇跡であったのかなとも思います。

 未来の福祉従事者達の何らかの糧になることを願い、タイムカプセルに埋めるつもりでこの文章を綴りました。

 正義の為に逆境に追い込まれた者よ、自分を信じ続けろ。君は決して一人ではない。