鬼平最後の晩餐
中村吉右衛門:……と、そういうことです。初代吉右衛門には娘がひとり
久米宏:あのう八代目の幸四郎さんのところにお嫁ぎになるわけで。
はい。
藤間正子さんとおっしゃるわけですね。
そうでございます。
その、八代目の松本幸四郎さんのところに嫁いで男の子がふたりできたら一人を養
子にとりたいと初代の吉右衛門さんはおっしゃったわけですか。
はい、それにはその前に話がありまして。
ありますか、やっぱり。
一人娘なんですけども、娘と認めなかったんです。初代吉右衛門は。
男だったんですか。
それは、男としか思いたくなかったんです。この子は男だと思って舞台にも立ちますし。
息子だと。
そしたらば嫁に行かしてくれってある日言ったんですって。
そりゃあ、もう女になってますからね。
そりゃあ当人は女ですからね。そしたら、だめだって。そんで、そのときに出した条件がっ、嫁に行って男の子をふたり産んでひとりを養子に出すから、いかしてくれってことで、それで、しぶしぶ承知をしたらしいですね。
そうするとですよ。お母さんの藤間正子さんは、初代の娘ですよね。
はい、はい。
そこに養子入りしたってことは、お母さんと姉弟になるってことで。
そういうことです。
これはストレスあるかもしれませんね。
それをほんとにわかってたらストレスでしょう。だもん、なんにもわかりませんでした。
歌舞伎の名門のおぼっちゃまだったら周りもちやほやするし、なかなかいい立場だったでしょう。
よかったですねぇ。
結構好き勝手して。
もう、好き勝手してましたねぇ。
中学行ったら、もう赤坂あたりのナイトクラブに行っちゃったり。
ええ、行っちゃいましたねぇ。
いいよなぁ。そんなこと僕考えられないですよ。中学の時ナイトクラブ行くなんて。
そうですかぁ?
当たり前ですよ。常識ですよ。中学校でナイトクラブ行って、女の人と何話すんですか?
え?ま、あの、石原裕次郎はいいなぁとか。俺、似てるだろう、とか。
そうだ、お酒飲めないんですよね。
その頃はねえ、飲みましたよ。無理矢理。だって、かっこわるいでしょう?今は飲めません。
でも中学の時は、飲んでいた。
飲んでたんです。大人になったらお酒もたばこもやめました、っていうんですよ。
歌舞伎界っていうのは思っていたよりはるかにいいとこですね。
ああ、よかったですね。今の方がきびしいんじゃないかなぁ。
それは役者さんの言う芸の肥やしって、今どういうふうにして花開いてるんですかねぇ。
まあ、あのう、端的に言ったら、役柄やなんかには役に立ちますね。いろんな世界を知るから、そういうとこだと。
無理矢理言ってません?
いえいえ、本心から言ってますけど。
それで、どんどんどんどん身について。芸は大きくなっていったんですか。
いかなかった……ははははは、兄の方は大きくなりましたね。僕はだめでしたね。
でも、若いときもてたんじゃないですか?
兄はね。
幸四郎さん。吉右衛門さんは?
僕はだめ。
彼はね、早稲田の二年先輩で、もててるって話はね、あっちこっちからね。
はい。そちらまで鳴り響いてたらすごいですよね。
そいで、あの、赤いオープンカーのスポーツカー乗ってらっしゃいませんでした?お兄さん。
乗ってたかもしれませんね。めったやたらに彼女にプレゼントされたりして。
いいなあ歌舞伎役者って。
こういうこと申し上げるのも言いにくいんですけど、まあ言っちゃうんですけど、歌舞伎役者としてはあんまり自信がなくて、どっちかというと劣等生に近かった、とご自分では意識してらっしゃると。
ええ、そうですね。
なんだったんですかねぇ。
何がですか?
だめだった理由っていうのは。
自信…がないんですよ。で、女性に対しても自信がなかったし。たとえばお兄さんってこの世の人でないくらいきれいですてきね、って、じゃあ僕はどうだい?って聞いたら、あんたは普通の人ねとか、でまたがくっとなったりして。なんとか自信を持ちたいなあ、とまあいろんなことしましたけどね。お酒も浴びるごとく飲んだりね。ジンかなんかを毎晩寝酒にがばがばがばって飲んで、夜中に気持ち悪くなって目が覚めたりね。そんなことばっかりやってましたね。なんとかして自信を持ちたい、そういうのばっかりでしたね。
あの、芸とかそういうものって体の中にたまっていって花開くのってずいぶん時間がかかると思うんですけど、自信を持つきっかけっていうのは、なんだったんですかね。
娘を育てられたから、とかそういうもんかなぁ。四人の娘を。
全員お子さん女の子ばかりで。
そうなんです。
これ、だけど初代の中村吉右衛門さんと同じ問題を抱えたわけですね。
でも、あの人はひとりでしたけど、わたしはぁ、四人育ててぇ。
全部男にするわけにはいかない。
はははは。
これまた、3代目の問題もありますしね。
それはまあ、もう、なるようにしかならないっ。ケ・セラ・セラですよ。ええ。
あのう、歌舞伎っていうのは代々続いてきた形とかせりふ回しとか、そういうのを踏襲してやっていくとおもうんですけど、ただ、あの、初代の中村吉右衛門さんの論評なんかを拝見すると、やっぱり歌舞伎役者も心がまずあって、それが自然に形、声、に、出ていくんだ、というのが初代の吉右衛門さんの考え方だったようですね。
はい。まあ、時代の流れっていうか風潮ってのもあるんですけどね。初代吉右衛門と六代目菊五郎って、ライバルで争って、一時代を築いた。
ふたりとも市村座とかいうところに。
そうですそうです。そのふたりの場合はへたでも心のある役者が、いいっていうふうに言いますからね。
へたでも心があるほうがいい。
だからお客さんになにかが訴えられるひとですよね。
このインタビューのきまりの質問っていうのがありましてね。
ああ、はい。
次の食事が人生最後の食事だとしたら、中村吉右衛門さんは何を召し上がりたいですか。
そうなんです。いろいろ考えたんですけど、それほど食に対してね、実のところお腹いっぱいになればいいなあ、満足できればいいって感覚なんですよ。で、ないんで、いろいろ考えてねぇ。ひとつだけね、嗜好品としてねぇ。たばこなんですけどねぇ。たばこが僕は好きで、わりと若いときから吸ってたんですけど……(苦笑)
中学の時から酒とたばこっておっしゃってましたよね。
で、でもある時。
やめようと。
…………去年なんですけど。
(ガク)なんだぁ。すごい最近ですねぇ。
やっぱりいけないと思いまして、体によくないと思いまして。やめて、でも好きなんです。今そこで吸われたら、わかりませんけど、ははははは。
ここで吸われたらわからない、って僕がここで吸ったら一本下さいって言っちゃいそうな。
ええ、それぐらい好きなんですよ。
そんなものを。
だって、パイプもやってましたもの。今は飾ってあるだけです。時々磨いてますけども。
そんだけ好きなものをやめたら、吸いたいなあ、吸いたいなあ、ってストレスってそうとうなもの。
相当なものです。ええ、だから、それを今までに何回もやってきたわけですよ。
何回もって、禁煙をですか。
禁煙をしたいって、一日二日。
で、今回は一年続いているわけですか。
今回は、もう一年、ですよ。
で、なんでしたっけ、最後の晩餐、たばこ?
だからぁ、それが、今、続けるって仮定で話してるわけですよ。
じゃあ、ずうっと、続くと。
ずうっと。でも、そいでもやっぱり、忘れられないと思います。初恋みたいなもんで。それで、じゃあ最後になんだ、っていった場合は、たばこを一服。
もう。
吸います。
たばこ、たばこを吸う。
はい。
もう、五十年近く吸ってらっしゃるんですもんねえ。
まあ、そうです。五十年吸ってきたものをやめ、五十回忌をちゃんとすませて、ひとつの節目として、そして新たな二代目吉右衛門が生まれると。いうことで、いかがでしょう。
ははははは。
ふーっ。(久米うまそうに葉巻を一服。けむりをふう〜)
スタジオ
酷ですねえ。
あれ、お帰りになってからですもん。
(ニュースステーション「最後の晩餐」より。2003.9月OA)
蜘蛛の巣城のインタビューへ。
(NHKスタジオパーク)
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