おもしろ数学講座 2008年03月09日05:35

東大のあと芸大でも授業をもってたり、
ワンボックスで全国を旅して紀行文を発表し続けていたり。
そして奥の細道文学賞を受賞していたり。
などなどの先生の経歴に興味を覚えたこともあり、生涯学習センター
週に2時間四回シリーズ、本田成親先生の数学講座を受講しました。

土曜日の午前中で他の講座を受講中だったんですが、
相談したところそちらは先生がくるわけではなくてビデオを見るだけなので、
ビデオを借りるかたちにしてもらうことができました。

話の中心は「確率論」だったのですが、数式などはあまり使わずに日常的な例やたとえを使った話で
国文科の文系脳にもたいへんおもしろく聞くことができました。
たとえば「必然」と「偶然」ということばは数学的にはどういう文脈の中で使われるか。
必然は、「最初からそうなることが決まっていたみたいに」プログラムされたレールの上をすすんでいく感じで
そちらの方がずっと数学界では主流の考え方だったんだけど、
それだと生命の誕生とか説明がつかなくなってきたぞ、と考える人たちが出てきた。
確率的には0のものから実際に何かが生まれてくる。
そういう偶然に偶然が重なったことも含んだ確率論みたいなものを唱えた人たちが、
最初は変人扱いされながら次第に新しい潮流を作っていった、てかんじみたいなんですね。
例えば「必然と偶然」をいう本の中でジャック・モノー(ノーベル生物学賞)は次のようにいっている。
「非生物系、すなわち自己複製をなしえない系では、いっさいの構造がすこしずつ崩壊していくが、
同じ擾乱とか雑音が生物圏においては進化を生むものとなり、
そして、音楽だけでなく雑音も残しておこうとする音痴の偶然を保存する機関ともいうべきDNA複製構造のおかげで、
完全な創造の自由をもつことになった理由の説明がつくという次第である」

小林秀雄も「考えるヒント」の中で、能率的なことが合理的とは限らないという意味のことを言っていたけど、
無駄なものや遠回りにみえることも実は何かの役に立っているかもしれないと考えるととても元気が出ます。
で、その中でハイゼンベルグという人の「部分と全体」というはなしが出て、
部分の中に全体のすがたが入っている、みたいなね。あ、なんか曼陀羅に似てるなぁ。
そう思って、12時頃講義が終わってから、聞いてみたんですよ。
はじめ立ち話だったんですが、横のソファーでレジメの裏を使った個人授業がはじまった。
まさに、ドラマのガリレオです。
簡単な数式を何行か書いていくと、曼陀羅模様が描けてしまうプログラムなどなど。
気がついたら1時半すぎてました。授業ひとコマ分です。
いまごろでなんですが、学生の時これぐらい真剣に勉強してたらなぁ。

http://www.jmc.or.jp/interview/honda.html