ずれずれ草絵日記



埼玉から石川県の航空高校を受験した中三の女の子とお母さんが折からの大雪で新潟で立ち往生。
でも、あきらめたくない。
ガソリンスタンドでヒッチハイクしたらトラックの運転手さんが乗せてくれて、
金沢駅までのつもりだったが
「よっしゃ」
と、輪島の学校まで行ってくれた。
到着したのは試験開始10分前。
そしてトラックは連絡先も告げず去って行った。
(かっちょいい)
そしてその日のテストの作文の題が「私が感動したこと」だった。
彼女がそのはなしを書いたのはいうまでもない。

というはなしをラジオで聞いて、
ちなみにラジオの話では学校が調べてくれて運転手さんに合格したことを知らせることができたって言ってたような。
よかったなぁ。
最後まであきらめない姿勢。
運転手のおじさんの応援。
学ぶことがたくさんあります。

おおきなかぶ 2009年12月12日

むかし放送した番組のアンコール「美と出会う」で
彫刻家の佐藤忠良さんの回をやっていた。(赤塚先生と二本立て)
佐藤さんは小学校1年生の教科書にも出てくる「おおきなかぶ」の絵本の挿絵を描いている方です。

かぶをおじいさんがひっぱって、
おじいさんをおばあさんがひっぱって、
おばあさんをまごがひっぱって、
まごを犬がひっぱって、
犬をねこがひっぱって、
ねこをねずみがひっぱって、
うんとこしょ、どっこいしょ。
とうとう、かぶはぬけました。

リズム感といい、いぬやねこやねずみが協力してるとことか、
っていうかねずみの参加で抜けたところとか。
これが大好きなんですが、
教科書には「さいごうたけひこ」と訳者の名前があるだけで番組を見るまで絵のことはぜんぜん知らなかったのです。 他にも知らなかったのはこの絵が、佐藤さんがシベリアに抑留されている時に見た農夫の人たちのようすを思い出しながら描いたものだということ。
頭の中に何度もスケッチしたものを取り出して描いていたそうなのです。
もともと絵描きさんでドガやモディリアーニが大好き。
モディリアーニをモジっても、どうしてもああいうふうに描けない。漫画みたいになっちゃうんです。
今になって見てみると、あの首長のスッとした画風もきちんとした基本をやった上だから漫画にならないんだな、みたいなお話を
50を過ぎて売れるようになってから収集したというモディのスケッチを前にされてました。(モジっても、は言ってない)
むずかしいけどなんとなくわかるような。
この番組が放送された当時、佐藤さんは仙台の小児科に飾るための大きなレリーフを制作中で、
その中でおじいさんがかぶを引っ張っている手のちょっとした角度でどうも押しているように見えると言うことで
何度も何度もひっぱる動作をやりながら粘土に向かっていました。その時の夢中な様子と目の輝き。当時90歳。
そして今も97歳で製作をつづけているということでした。
朝は自家製蜂蜜ヨーグルト。
(赤塚先生の方は一時退院したばかりの収録でずっとたばこだったなぁ。。。)

それにしても、おおきなかぶだけじゃなく、教科書で印象に残っている作品、多いです。
小2の「お手紙」(がまくんとかえるくんの)、スイミーやスーホの白い馬、てぶくろを買いにやごんぎつね、とか。
中学の教科書よりも楽しいんだなぁ。

名社長に名参謀あり。 2009年03月13日

今週のカンブリア宮殿。月曜の放送から今日になるまで見てなかったが、なかなかおもしろかった。

ローソンの社長に新浪氏が40代で抜擢された時に、彼が真っ先にスカウトした河原成昭さん。
三菱商事で原料は扱いなれていたが、商品になってからや販売はまったくの未経験。
それを補ってくれて気の置けない相談ができる相手が、河原さんだった。
しかも河原さんが10年間仕事してたのがイトー・ヨーカドー。
なるほど、新浪氏のインタビュー見たとき、書棚にセブンの鈴木敏文会長の本がしっかりあったしなぁ。
河原さんについては朝日の日曜版の特集でもとりあげていたタイムリーさで、
彼が陣頭に立った100円ローソンは、一件当たりの売上が「その」セブンイレブンを抜くところまできているんだとか。
恩返しですなぁ。
ゲストで来ていた関空社長の村山さんは、松下を立て直した時のナンバー2で、
ナンバー2には、トップと共通するものを持っていながら、全く違った人がいい、みたいなことを言われてましたがやっぱそういうことなんだろうな。

日本電産の小部博志副社長の場合。
京都の大学に入って下宿のとなりの部屋にあいさつに行くと、その部屋の主が社長の永守重信氏。
おお、おれの後輩やないか。わかった。今から君は俺の子分にしたる。
と、いうわけで夜中に起こされてビール買いに行かされて、
当時はもちろんコンビニなどなく、おでん屋のおやじさんに「このまま帰ったらどつかれます」と頼み込んだ。
卒業してから起業したての日本電産に入社。やがてアメリカの大手企業3Mからの仕事の打診がくる。
性能は今のままで、半分の大きさのモーターを作れ。
この要求に社員の半分は会社を去った。なんと、モーターは出来上がり会社は飛躍的な成長を遂げる。
そして40年。会社はプレハブ小屋から7000億の企業になった。
不祥事が起こった時、気に入ったその社員を残す方向だった社長に先例を残さないため断固首にするように迫り、
「もうお前なんかやめちまえ」と言われると「わたしは辞めませんよ。辞めたら社長が困るでしょう」
すごい子分ですなぁ。

こういう話を見ると、HONDAの藤沢武夫さんのことをいつも思い出してしまう。
天才エンジニアにして頑固おやじの本田宗一郎氏を経営面で支え続け、
低公害車のCVCCエンジンの開発で水冷エンジンを主張する若い技術者たちに対して、
あくまで性能重視で空冷にこだわる本田宗一郎氏に最後にものを言えるのは、やはり藤沢さんしかなかったんだな。
で、見事CVCCエンジンがアメリカの基準を通ったあと、ふたりはともに第一線を去るわけです。

正月、副社長の藤沢が専務を介して本田にいってきた。
「今年の創立記念日にはやめたい」
とたんに、本田はいった。
「ふたりいっしょだよ。おれもだよ」
その後、二人が顔を合わせる機会があった。
「まあまあだったな」
本田は過去形でいった。
「幸せだったな」
と、つけ加えた。
「本当に幸せでしたよ。心からお礼を言います」
と藤沢がいうと、本田は、
「おれも礼を言うよ、良い人生だったな」
それで「引退の話は終わりました」と、藤沢は記している。
(城山三郎「本田宗一郎との100時間」より)

いいなぁ、こんな関係。
しかしナンバー2が職を賭して苦言しても、トップが「じゃあ、やめろ」って言って突き進んじゃったらしょうがないわけで、
ワンマン社長のタコ社長か、名社長かというのもそういう諫めてくれる人を自分の側から遠ざけないか、
で分かれるのであろう。そう言う意味では名社長の陰に名参謀は成り立つが、
逆は成り立たずに名参謀はそのまま討ち死にしたり、やめていく場合も多いのかも。
誰だって、いいことばかり言ってくれるやつらに囲まれていたいものですから。
まあ、会社に限らずそうですけどね。

カンブリア
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20090309.html


しかけ絵本ワークショップ 2009年03月09日

行ってきました一日体験。
ふつうのB5の画用紙をふたつ折にして切れ目をいれて折るだけで口がぱくぱく開いたり、
斜めに切って開き方によって絵が動いたりする。
平行線を切って段を作って段の中にどんどん段を作ったりできる。
とりあえず説明のようにして猫にしようと思ったらどうもカエルなので、
あらかじめテーブルに引いてあった新聞を切り取って、口の下に貼ってみた。
第二段は、切ったり貼ったりしているうちにどんどんはまってきて楽しくなってきた。
気がつくとあと5分、時間がない。
でも2時から4時までなのに30分延長してくれたんで、なんとか形になりました。
でも仕掛け絵本としてはもっといろいろ動かしてみたいですね。
申し込んだときは5年生以上ということで、周りが小学生ばかりかも、と思ったけど、
逆におとなの方が多かったくらいでした。
しかけしかけカエルしかけ猫
世界一のロボットメーカー 2009年02月10日更新

きのうのカンブリア宮殿のゲストは、産業用ロボットで世界一のシェアを誇る安川電機、利島(としま)社長。
元々が営業畑で文科系出身の初めての社長だそうです。
利島さんがロボット部門に回された当時、この部署は毎年15億の赤字のお荷物部署。
おれがなにしたんだ、と最初はくさりそうになった。
当時会社では1種類のロボットしか作っていなくて、ひとつの取引先にロボットが売れるとそこは買い換えるまでもう売れない。
そこで営業にはっぱをかけ、自分でも出かけて行って、売る話だけじゃなく用がなくても出かけていって話をしてくる。
そうするうちにいつも来てくれてるからって「こんなのがあったらええなあ」って話をしてくれるようになる。
それを持って帰ってすぐに図面を引いて持っていっちゃう。
と、いう具合にいわば御用聞きのようにして無理だと思うようなことでも要望をきいているうちに、
「あの」ホンダの工場が当時実績のなかった安川電機のロボットを採用してくれた。
一度に4本の腕が別々の仕事をしてくれる千手観音ロボ。
これも「こんなのあったら」から生まれたものだそうで。
で、今は2000種類のロボットを作ってまたどんどん新しいロボットに取り組んでいる。
そう言えば、
NHKのこだわり人物伝の枠でこないだまでやっていたシリーズで「松下幸之助」を取り上げていた。
でっちから叩き上げて、5坪の土間から会社を始めた。しかもまだ製品はできていない見切り発車。
当時電気が家にきてもコンセントなどなく、電灯線から片方に電球をつけてももう片方をつなげられる2またソケットを考えて売れに売れた。。
それも、おしるこやさんか何かで女の子ふたりがあたしは本が読みたいのよとか、
あたしはアイロンがけがしたいんだけど、とかいっしょにできればいいのにとか話しているのを耳にして、
これだ!と思って作っちゃったそうで。
ちなみにユーミンもファミレスに変装して行ってまわりのはなしに耳を傾けて曲のネタをしこんでいたってことです。

で、
そういう人の話に耳を傾けるのってやっぱ大事なんだなぁ、と素直に人のはなしを聞く、が課題のわたくしは思ったのでありました。

余談
松下幸之助さんの番組で、会社がピンチになった時今で言うワークシェアリングしてひとりの首も切らずに、
社員も意気に感じて在庫を売り切って危機を乗り切ったとか、
さまざまな逸話が紹介されていて、そういうのはもう伝説となっているはなしなのですが。
それだけにパナソニックがリストラするとかって事態がよっぽど深刻なんだと改めて思うわけで。

こだわり人物伝
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200901/tuesday.html

カンブリア宮殿
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20090209.html


世界堂in MUSABI 2008年12月10日

「むさび」の漢字がわからない。
多摩美や女子美はわかるけど、武蔵美でいいのかな。
それはともかく。
木版画に使う和紙や版木の板がなくなって、立川か新宿の世界堂まで買いに行くか、と思ってたんだけど、
ネットで調べてみたら武蔵野美術大学の中に世界堂があることがわかった。
で、学校の場所を見ると、およ。
西武線鷹の台徒歩20分って書いてある。
鷹の台なら白梅学園の説明会などでもよく行っているし、
駅前のギャラリーに行こうかと思っていたところだったのでこれ幸い。
でも、駅から徒歩20分はちょっとしんどいな。
と、いうことで例によって自転車こいで府中から小平まで出かけたのでした。
どこから入っていいか学校の周りをしばらくうろうろしていたら通用門みたいなところに警備の人がっ。
場所を聞いてみたら丁寧に教えてくれた。
自転車どうしましょう、と聞くとそのまま行けますよということなんでどんどん進んでいく。
おおっ、なんかつなぎ着てペンキ塗ってる女の子とか丸太や材木運んでたり、鉄骨見たいの組み立ててたり、
これが美大の雰囲気ですか。いいですなぁ。
いろんな工房があったり先生と学生がいっしょになんかやってたり、楽しそうだ。
国文なんでこういう雰囲気あこがれです。
などといつまでも見ているわけにもいかないので世界堂、世界堂。
つきあたりまでひたすら行って左側を見る、と
おっと親切な警備のおじさんの言ったとおり。
美大の中の画材屋さんって、なんか雰囲気も購買部っぽくていいね。
エプロンしたままの髭のポニーテールにした8年生風が絵の具買ったりしているよ。
おもわず一般人でも買えるんですか、って聞いてしまった。
新宿で買ったのと同じ朴の木の板と、和紙を購入。
新宿で買ったのと同じように背負えるように包んでくれました。
新宿からの時はこれを肩からかけて電車で帰るんだが、たすきがけにして自転車だと
なんかヒーローズのヤッターの人みたいになるね。
やったー
さっきの警備のおじさんにあいさつして帰ったらにやりと笑っていましたっけ。
(さっきのおじさんじゃなかったら聖剣を背負った怪しいやつと思われたかも)

さて、駅前の松明堂書店地下のギャラリーへ。
ここは宮本輝さんの本のカバーイラストなどもてがけている望月通陽さんの作品を
毎月テーマを変えながら1年かけて展示している。
今月が最後で「うるし絵と沈金」です。
うるし
ちなみに展示されているものは買うことができます。
うるしのお皿、すごく欲しかったんですが。。。
5万円か。
小さい香合の方なら、と思ったらこっちは6万円。
そうね、ふたがあるし。
お買い上げの品物は赤いシールがタイトルのところに貼られるというぐあい。
ははーん、そういうシールだったのね。
ほとんどシール済みだったぞ。

好評に応えて来月の1月と2月に総集編があるそうなんでまた来月も行こうかと思います。
たぶん買えないけど。。。眼福眼福、と。

で、毎月ですが地下のギャラリーから1回の本屋さんに階段上がってきて、いつもどうも、ってあいさつして出るんですが、 たまには本買います、ってサライを買ったというわけで。 (落語特集)

http://shomeido.jp/gallery/contents/exhibitions/exh2008/200812mochizuki_/200812mochizuki_urusie.html
2008.12/6
生き生きとした詩を書く方法。

朝日新聞の記事に、詩人の谷川俊太郎さんが詩の授業をした記事がのっていました。
埼玉の小学四年生のクラス。

生きているということ
いま生きているということ

のあとに、子供たちがじぶんで考えてきた一行ずつを書いていく。

36行が並んで全員で読んだ後に、谷川さんが「ひとつの詩として見た時につまらないと思うところはないかな」
と聞くと、子供の中から「似てるところがある」という声が。
みんな自由に作っているつもりが「遊ぶ」とか「家族」など共通したことばがいくつもあって、単調になっている。
〜して遊ぶこと、家族で〜すること、家族が〜ことといった具合。
そこで、同じ言葉を使った子同士で話し合い、「情景が浮かぶように」というアドバイスをもとに子供たちが直し始める。
情景が浮かぶようにってどうすれば?
「具体的に」「他の人が考えないようなことを書くと魅力が出るよ」と谷川さんが声をかける。
そして、できた人から発表。

サッカーをして遊ぶということ→みんなでサッカーをしてゴールを決めること
「オッケー」

絵をかくこと→おもしろい絵をかき、みんなを笑わすこと
「どんな絵かな?」
→自分のオリジナルキャラをかき、

家族がいるということ→お父さん、お母さん、お兄ちゃんふたりがいっぺんに野球を教えてくれること
「家族、とまとめるより、この方がずっとおもしろいでしょ」

家族と一緒にお笑い番組を見て大げさに笑うこと、
と直した子
「大げさに、がいいってほめられてうれしかった」

金八先生の詩の授業も好きなのだが、感動的な方向にまとめようとする傾向があるからな、金八っつあんは。
具体的個別の説明や感じ方をこんなこと書いたら笑われるんじゃないか、とか思わずに書いてみるのが大事なのかも。
(あと、おとながそれを何それ?とか言わない)
カエルの鳴き声が「ケルルンクック」だって、草野心平さんにそう聞こえたんだからいいんですよね。

ちなみに、期せずして友人の先生から「君も谷川さんに質問しよう」ってページを教えてもらったんですよね。
http://www.1101.com/shitsumonbako/index.html おっ、おとなも質問できるのか。

トイレ掃除 2008年11月11日15:01

今朝のラジオより。
横浜市の小学校で学校のトイレをじぶんたちで掃除する試みを始めたそうです。
きっかけは落書きやトイレ内での暴力行為などが過去最高になったことで、
調査した30校のうち、掃除している学校が・・・0校という結果が出たそうで。
(大きなゴミを箒で掃いたりぐらいはしているらしいが)
で、それが当り前のつもりでいたら他の市町村に聞いてみると
掃除する方が当たり前だったというわけで。そりゃそうだ。
これからモデル校で順番に当番を決めてやっていくつもりだが現代のトイレは掃除がむずかしく
薬品を使ったり衛生面など課題をクリアしなければならない、とかいう話でしたが、なんだかなぁ。
小学校ですよ。そういうことはあるとしても、ほっといても勝手にきれいにしてくれるっていうのは、
あんまり教育上よろしいとは思えないけど。
じぶんも神奈川県の小中だったけど、ぞうきんでごしごしやったりズボズボやったりしてた記憶がある。
県内でもいろいろあるのかしらん。
ていうか、むかしは横浜でもやっていたということなのですが。

トイレをゴシゴシ自ら素手で掃除するところから始めて、
荒れている高校をよくしていった校長先生のはなしとかもあるしトイレはやはり自分たちでやった方がいいと思われまする。

「関心・意欲・態度」を評価する。 2008年11月07日20:59

期末テスト2週間前。ということで範囲に合わせてプリント作ったりいろいろ忙しい今日この頃であります。
(と、言いながら招き猫とかも作っている)
で、ありますが今の学校というのはテストでがんばればなんとかなる、というわけではなくて、いわゆる
「関心・意欲・態度」というのがABCで観点別評価されて点数化されるわけです。
当初想像したよりもけっこうこれが大きい。
中間テストで90点だったが期末が80ちょいで、ちょっと5はきついかもなぁとか話していたら3だった、とか。
50点の子も3なんだけど。。。
提出物を期限通りに出すとかはわりとわかりやすいけど、
ノートの取り方を採点されるとかは、むちゃくちゃきれいに書いていても書くだけが目的みたいで覚えない子もいるし、
じぶんだけわかるぐちゃぐちゃノートとか、メモみたいなものでもとても役に立つものもあったりとか。
やる気を表に思いっきり出すやつもいれば、意地でも出したくないやつもいる。
上記の子はもろにそういうタイプだったんだけど。
まあ、今はそういう例を紹介したりして「ちゃんと授業受けろよ」って言うんだけど、
なんか言ってる自分が納得してないことしゃべっている気がするんだな。「ちゃんと」ってなんだよ。
そもそも関心・意欲・態度を外側から評価する、ということになにか無理があるような気もするし、
逆に関心をもたせることができるか、というのは生徒だけでなく
評価をつけている先生にもかえってくる評価という部分もあるように思えるし。
王さんはひとつのグラブを大事にして繕って何年も使ったからA評定。
長嶋さんはすぐ新品に替えてバットも柴田のやつをちょっと借りてホームラン打っちゃったりしたからC。
涼しい顔して帰った長嶋さんが夜中に素振りしてたりとかいうのは認められません。
キャプテンの谷口くんも、誰にも知られないように家に帰ってからとうちゃんと猛特訓してもだめですよ。
特訓は先生の見ている時にやらないとね。
(でもなぜかいつも後輩の丸井がたまたま見てるんだけど。おっと脱線)
手塚治虫少年は学校の行き帰りに道でいつまでも虫をただ見ていたというけど、
課題を立てたり、研究したり、レポートまとめたりしなかったからC評定。
でも、そういうふうにいえるものではないよね。
もともと偏差値教育の弊害が、とか生徒の多様な面を評価してあげようみたいな導入だったように思うけど、
かえってこどもは窮屈になっているようにも思える。
「ずっと手を挙げてたから今日は当ててもらえた」とか
「いつも誰くんばかり当てる。俺も思いきり手を挙げていたのに」とか生徒が言っているのをみるとなんか胸が痛むよ。
でも、たぶん評価する現場の学校の先生がいちばんきついのかもしれないな。
塾で数学とか教えて「やったー、テスト上がったじゃん」とか単純に喜んでられるのは、相当にしあわせなことなのかもしれない。
(採用試験に面接と作文で落ちた自分が言うのもなんですが(苦い笑)
自分が中学の時のことを思い出してみると、ひとクラス50人で13クラスとか
まるで「ひとりひとりに目が届く理想の教育」みたいなもんではなかったけど、ほっとかれててもわりとなんとかなったような気がする。
むずかしいものですなぁ。

ちなみに友情・努力・勝利は少年ジャンプのテーマだったっけ。
今はそっちもそう単純にはいかないんだろうな。

TK 2008年11月05日18:56

春に行った浦沢直樹氏の講演会で、
中学校時代にお昼の放送でかけたT−REXを
ちょっと上の学年の小室さんが聞いていたということを後になって知りまして、という話をしてたっけ。
さすがの二十世紀少年も、まさかこんなことになるとは、想像もできなかっただろうな。

おなじくTKの小林武史とくらべると、
往時ははるかに多くのヒット曲を連発して、はるかに多くの金を稼いでいたのに。
出す曲出す曲ヒット。いくらでもお金が入る。そうなると、音楽ではなく、
金が金を生むみたいな世界の人にいつのまにかなってしまうのかもしれない。本人も周囲も。
マイ・レボリューションとか、いい曲作るんだよなぁ。
ゲット・ワイルドとか。
ふつうにTMネットワークでやっていたら、長者番付にはのらなくてもあんなふうになってなかっただろうに。残念。
ap bankの演奏とかで、ひとりのキーボード奏者として演奏しているときの小林さんの
うれしそうな顔とか見ていると、特にそう思えてくるのでありました。

て、沿志奏逢2、きのう買った。(今頃か)
いいねえ。
ミスチルファンじゃない人にも聞かせたいぐらいでしたね。
MR.LONELYとスロー・バラード。
桜井さんが歌うのを聞いたら、玉置浩二、RCのもと歌をまた聞きたくなった。
歌うたいのバラッドもいい曲だねぇ。

世界が認める緩まないナット 2008年11月01日13:23

今週はカンブリア宮殿見逃してたんだけど、
たまたまチャンネル回してたら土曜の朝にCSで再放送してた。
東大阪のハードロック工業、若林社長。
メーカーに就職して緩み止めのついたナットを開発して独立。
はじめはどこをまわっても相手にもされなかったそうだ。
当時は「緩んだらまた締めればええやん」というのが常識で、
ほうられたり、門前払いされたり。
しかし、今は日本をはじめ各国の新幹線から、スペースシャトル、六本木ヒルズ、
明石海峡大橋から旅行用のキャリーバッグの車輪などにいたるまで、あらゆるところに使われている。
新幹線もそうだが、宇宙ロケットなどのナットが緩んだら、「締めればええやん」というわけにはいかんやん。
若林社長はナットだけでなく小学校4年生の時に疎開先で考えた自働種蒔き機をスタートに、
焦げ付かないで3倍速く焼ける卵焼き器(これは1日に2〜3000台売れて、ナット開発の資金になったそうだ。
恐るべし卵焼き)などさまざまな発明をしているのだが、説明するときにささっとそのへんにある紙に絵を描いてしまう。
種蒔き機はカレンダーの裏だった。しかも10月の。
そうやってとにかく絵にしてみると、また新しいアイディアも湧いてくるってことなんだな。
また描いたものはすぐに会社の試作部に出すと朝考えたものが昼には形になってくるとのこと。
いつまでも考えてるよりも、まず形にしてみる。だいじですね。
と、いうこじろう日記も書きながら次を考えてます。
(こちらはただの行きあたりばったり)
村上龍さんが憤慨してたのがこれだけの世の中の役に立つものを作っても会社の年商12億。(利益じゃないですよ)
例のリーマンの経営者はボーナスだけで19億。
納得いかないなぁ。とぶつぶつ言いながら番組は終わったのでした。
たしかに。

落書き禁止 2008年10月28日22:32

エル
ホワイトボードに落書きしないように、
落書き専用ボードを置いてます。
てか、自分用に。
こんな先生でごめんなさい。


常用漢字読み追加 2008年10月22日08:26

常用漢字表に追加する予定の案を文化
審議会国語分科会漢字小委員会(長い)が承認した、という記事。
こんなの何で今まで認められていなかったのか、というのがいくつもあった。

「臭い」に「匂い」が追加。
甘く危険な「臭い」はなんかやだもんね。

「怪しい」に「妖しい」が追加。
「妖しい」雰囲気の女。「怪しい」雰囲気の女。

危険な匂いの妖しい女。
危険な臭いの怪しい女。

「切る」に「斬る」
これは時代劇ファンには大歓迎です。
「闇を切る」より「闇を斬る」

斬りぬける。
切りぬける。

「早まる」に「速まる」
earlyとfastのちがいか。
起きる時間が早まったと速まったじゃ、まるで違う。
やったー、目覚めてから0.2秒で起きられるようになたー!

「恐れる」に「畏れる」
かみさんを「恐れる」
畏れるだと畏敬の念が加わるのね。

それから、「私」の読みが今までの「わたくし」に「わたし」もみとめられるようになるそうな。
感じてスト(なんだ、この変換)
漢字テストの読みで、正解が「わたくし」だったんで、
「わたくし」なんていってる人見たことない、という抗議に、
寅さんやお蝶婦人の例を挙げて押し通したことを思い出します。
わたくしだと、あみんも困るよね。

わたくし待つわー♪


うれし恥ずかし版画展 2008年10月19日20:08
版画展
きのうのこども陶芸の作品といっしょに自分の湯のみも混ぜて本焼きしてもらった。
で、今日は文化センター窯の電源を切りにいき、
それから市の美術館に版画展を見に行って、
それから生涯学習センターで銅版画、
ナナ
(こちらはまだまだ描き込みしていくつもり。
そろそろアクアチントとかもやってみたい) それから美術館で版画展の撤収作業に参加。
今週の月曜から今日までの展示でした。
展示してあると、
じぶんの版画以外がみんな上手に見えます。
講座の作品の展示とかはありましたが、
美術館に展示されるとかいうのは初めてだもので、
なんつうか、うれしはずかし朝帰りって感じです。
設営や片付けも手伝ったのですが、
たてや横にいくつもに区切られた仕切りをレールに沿って動かしていき、
最終的に壁に収納してがらんとしたスペースになってしまうというのがなかなか楽しかったです。
立体ルービックキューブみたいで楽しかった。
それはそれとそれの後、それは横にしたまま置いといて、間にこれを通す、とか。
今回の版画展は銅版画サークルだけでなく、市内の版画会全体の展示なので、
木版、シルク、いろんな版画が盛りだくさんでした。
そして帰宅して野球を見ているという、盛りだくさんの一日でした。
盛りだくさんで、録画してあるドラマがなかなかみられまっしぇん。
まず、クドカンから見たいです。
第二回の放送までには、見たいです。

「大丈夫」の使い方、など。 2008年10月08日20:23

携帯のリサイクルのCMで
古い携帯ここに入れていいのかなって彼氏が聞くと、
「そこで大丈夫だよ」って彼女が答える、というCMとか。
なんか違和感があるんですよね。
「そこでいいよ」でいいと思うのだが。
(「そこでいいよ」で大丈夫だと思うよ)
「賞味期限三日過ぎてるけど、大丈夫だよ」
これはわかる。
なんかへんなかんじだなあ、と思っていたら、
今日学校説明会でコーヒーとお砂糖ミルクセットを持ってきてくれた人に
「あ、ブラックで大丈夫です」と無意識に言っていた。
うーん。この分だと、うどんとそばとどちらですか、と聞かれても「そばで大丈夫です」と言っちゃいそうだ。

接続詞の使い方

今朝のラジオ。詩人の荒川洋二さんのコーナーで接続詞について取り上げていた。
入試問題では必ず出題される接続詞。前後の文脈から順接、逆接、並立、累加、説明、転換など合うものを入れていく。
で、例えば、
A今日は素晴らしくいい天気だ。(しかし)風が強い。
B今日は素晴らしくいい天気だ。(それに)風が強い。

だと答えはAでしょうが、では花粉症の人の文章だとしたらどうでしょうか。
と、いうことなのですね。
だから、もう目も鼻もたいへんなのです、と続く。
前後だけでなく、さらにまわりの文脈をよむと、ことばもいろいろな使い方ができるということなのでしょうか。

さて、(転換)
それから美しい「だから」使い方として井上ひさし氏が挙げていたという例が紹介されていました。

死ぬ前日、おれをよんで、坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へうめてください。
お墓のなかで坊っちゃんのくるのを楽しみに待っておりますと言った。だから、清の墓は小日向の養源寺にある。(by夏目漱石)

すっきりしてるなぁ。ひさしぶりに読んでみるかな。

木版リトグラフ 2008年09月21日18:24
リト
青いリトグラフー♪
もとい青いフォトグラフーだった。
(by松田聖子)

一日体験行ってきました。
しくみはベニヤ板に下絵を写し、
クレヨンみたいなのや墨みたいなのでその上から書いて、
薬品を塗り塗りして、ころころローラーでインクをのせてプレスして紙にすります。
インクから先は銅版画といっしょ。
と、いうか場所もいつもの銅版画とおなじでした。
ちがうのは腐食とかしないでいいので割りとすぐに版ができるのと、
多色刷りが割りと容易ににできること。

下絵は志ん生師匠の方だけ用意していって、
何枚か刷ってみたのですが、元の写真が白黒だし、あまり色を塗る部分が思いつかず。でもなにか色刷りがしてみたい。
で、例によって下の階の図書室で歌舞伎の本を借りてきました。
そのときはもう終了まで1時間をきっていてぎりぎりだったので、
ベニヤに直接下絵を描いて時間いっぱいまでやってぎりぎりセーフで刷りまでいちおう間に合いました。
そういうわけで染五郎に似てなくてもかんべんしてください。

讃岐うどん「喜三郎」 2008年09月17日15:00

この間博多華丸大吉とタモさんが、
博多っこだからって、そんなにいつもにめんたいこばかり食べているわけではない。
「たい」とか「ばい」を全部のセンテンスにつけているわけではない。
いつもラーメンばかり食べているわけではない。
むしろうどん。
というような話をしていた。
じぶんも親が福岡なんだが、たしかにむこうに帰るとよくうどん食べに行ってたな。
腰の柔らかいするっとしたのどごしのうどんに薄味の出汁。
丸いさつまあげとネギがのってたような。
で、うどんのはなしなんですが、
今日「喜三郎」という讃岐うどんの店でタンタンうどんセットを食べてきた。
冷やした讃岐うどんに甘辛い肉みそがのっていて、これに小ライスと揚げたおもちまるまる一個がついてくる。
タンタン、ライス、タンタン、ライス、おもち
というローテーションで、野球でいくと7回の裏あたりまできたときに、
おもち、肉みそにつけてみたらどうだろうと思いつく。
「ピッチャー、下柳に代わって、クボタ」」
タンタン、おもち。
これはうまいぞ。
ええい、タンタンに入れちゃえ。
「ピッチャー、藤川球児!」」
揚げもちがちょっとやらかくなって、肉みそとよく合って、うまいぞー。
タンもち、タンもち、
すごい発明だ。はじめからやったらよかった。
でもよく考えてみたら、これがふつうの食べ方だったのかも。
今度ははじめから藤川でいってみよー。
なんのこっちゃ。
http://r.gnavi.co.jp/a052000/
仕事のやりがい。 2008年09月16日23:59

きのうのカンブリア宮殿はこの建設不況に、自社で大工さんを大量採用している中堅ゼネコンの平成建設。
大勢は仕事は下請けに回してアウトソーシングだが、逆をいく。
名前のとおりできてから20年の会社。
ふつうはそれぞれ別の専門の職人さんがする、
重機に乗り込んで穴を掘ることも、
コンクリの木枠を組み立てることも、
コンクリを流し込むことも、
木枠を解体することも自分でやってしまう。
あれこれ別のことをやると非効率的なように思うけど、
じぶんでぜんぶやれるというのは楽しいし、工夫も生まれるし、
なによりやる気が違うのだという。
工場再生のプロフェッショナルの時に、
モダンタイムス的な流れ作業だったところにぜんぶ自分で組み立てるかたちを取り入れたら、
どんどん従業員のやる気が出て業績がv字回復したという例があった。
それはそうだよ。
プラモデルだって、一部だけひたすら組み立てるより、最後まで作ったほうが楽しいにきまってるものなあ。

5度目の世界挑戦 2008年09月15日22:46

黄金の左。天才。エース。と呼ばれながら、4度の挑戦は2敗2引き分けの西岡利晃。
その後、フットワークが信条のスピードボクサーに致命的ともいえるアキレス腱を断裂。
4年半を経て今回の5度目の、最後の世界挑戦のチャンス。
対戦相手は奇しくも過去4度の世界戦の相手、ウイラポンがトレーナーとして育てたナパーポン。ポン。
妻とひとり娘を実家に帰し、ひとり練習した。
西岡は32歳になっていた。
と、ずいぶんと浪花節な話ですが、
こういう話が好きなんだー、よな。
試合は始めから「(ナパーポン)なんでこの位置にいるのかわかんないですねー」と
ゲストの内藤氏が首を傾げるほど西岡が有利に進んだが、
打っても打っても前に出てくるナパーポンに西岡の様子がかわってくる。
残り3ラウンドでポイントは思ったよりも広がっていない。
相手の出足は衰えず、西岡は=どうみてもスタミナ切れ。
正直これはやばそうだ、と思った。
ところがここから、クールでクレバーなボクサーが泥臭い根性ボクサーに変わる。
思い切り声を出す。
足をとめて打ち合う。
12Rを戦い抜いて勝ち名乗りを受け、腰にベルトを巻いて娘を腕に。
「パパ、チャンピオンおめでとう」
アナウンサーが西岡にマイクを向けると、また横から
「パパ、チャンピオンおめでとう」
いいなぁ。
家で練習してたんだなぁ、たぶん。

インタビュー後、因縁のウイラポンが西岡コーナーを訪れ西岡を祝福。
いいやつじゃん。

魁皇といい、怪我や挫折や年齢を乗り越えて、がんばっている姿はいいものです。
切れずにがんばってるやつには女神が微笑む(、と思いたい)。
防衛戦も応援してますよ。

清原引退を表明 2008年08月19日16:09

今季限りで。

って、そんなにサプライズでもないと思う。
怪我や膝の故障で限界の状態でがんばっているのは、
じぶんもまわりも知っていることだし。
一軍復帰をしたものの完治しているわけではないことも会見で語っていたとおりだし。。
それでも清原が打席に立つ姿を見たい打者であることにかわりはなく、
わくわくさせられるのはある意味イチロー以上といっていいかもしれない。
無冠の帝王と言われながらサヨナラ本塁打やオールスターのMVPなどは歴代1位とか、やはりここ一番、絵になる男なのである。
ドラフト会議で初恋の相手とも言える巨人が指名したのが桑田で、呆然と涙を流し。
日本シリーズでその巨人相手に優勝がきまる試合で、
まだ2アウトなのにファーストベースで涙を流し。
オープン戦かなにかで巨人とあたったときに、
通路で会った巨人の宮田コーチに頼んできちきちのユニフォームを着させてもらって巨人に行きたいですと涙を流したと言われる清原。
フリーエージェントで晴れて初恋の相手である巨人の帽子をかぶって満面の笑みをたたえた清原だったが、
えてして初恋の相手というのは、あこがれのままの方がいい場合が多いものである。
あの時、阪神にでも入っていたら、ぜんぜん違った野球人生だっただろうなぁ。

と、そんな清原選手の引退表明が奇しくもというか、夏の甲子園の決勝戦の日で、
これまた奇しくも、その決勝戦の朝日新聞の観戦記、を桑田が書いていた。
タイトルは、「栄冠は努力に輝く」

>決勝戦は、特に投手と捕手の体力は限界に近い。乗り切るのに必要なのは心だ。
僕は仲間の言葉、応援に支えられた。清原君が「頑張れよ、オレが打つからな」と言ってくれたのを覚えている。

同じ日に同じ新聞に清原のことがのるとは思っていたのか、いなかったのかはわからない。
でもなにかやはりふたりの間の運命的なものを感じてしまう。
ドラフト会議からずっとヒール扱いだった桑田はずっと清原のことばを覚えていたんだな。言った本人よりもおそらくずっと鮮明に。
その桑田はあきらめずに挑戦をつづけていくことでやじを声援にくつがえしていった。
記事の中で今の高校野球を見ていて気になることがふたつ書かれている。
ひとつは、投手が変化球を投げ過ぎること。

目先のことだけを考えずに、
>「一球入心」
全身を使い、心を入れて投げる直球は、スライダーやフォークよりも威力がある。

それからなんでもヘッドスライディングするのが高校野球らしいようにされているが、
>けが防止のために足から滑るように心がけてほしい
と。

球を追いかけて野球生命にかかわる怪我を何度も負った桑田のことばだけに、思わずにやりとしたくなる。

>目標に向けてどれだけ努力するか。努力した人にしか、栄冠は輝かない。

そうだよね。栄光をつかんだからといって、栄冠が輝くとは限らないんだ。
それと、「目標に向けて」というのが大事だよね。
マラソンの野口さんや土佐さんだって、努力しなかったわけではない。
でも、無理や焦りからのやりすぎた努力がじぶんを追い込んでしまうということもあるのかも。
それから過度の期待と声援ね。
松岡団長じゃなく、桑田さんに星野ジャパンの応援に行ってもらいたいなぁ、と思ったりもする今日この頃です。

乾いそうな粘土 2008年08月18日23:45

ねこばす
乾きそうな粘土ね。
夏休みがはじまる前に、
陶芸サークルに見学にいって、
粘土をいただいていたのですが、
覗いたときにビニール袋をよく閉めていなかったようで
乾いてかなり硬くなってるじゃあないですか。
とりあえずネットでいろいろ調べて、
水気を加えて練って練って、
せっかくだからなんか作ってみようと思って、
やってみました。
茶碗を作るつもりでいろいろ考えてみたのですが、
すっかりやり方を忘れていたのでした・・・
来月からはじまるんで、そしたら素焼きして絵付けして釉薬かけて、本焼きだ。
それから茶碗のやり方をしっかり教えてもらうとしましょう。
一度聞いたくらいでは覚えない、困った生徒なのでありました。

色とりどりの世界 2008年08月17日22:05

y 2週に一回の銅版画の日。
日ごろの墨汁木版なもので、
たまには色塗りがしたくなり、
絵の具をもっていった。
それから色塗り用の資料。
熱心に資料を見ていると、売り出しの品を探しているように見えるのがつらいところ。
つぎの回はもう月末なんだな。
ってか明日から仕事がんばりましょう。

野球はぼうずのダルやムネリンがやってくれることでしょう。

彫師の親方の小刀 2008年08月16日21:14

豊洲の平木浮世絵美術館で実演見学で聞いたおはなしを、
忘れないうちに書いておこうっと。

○親方のちびた小刀
ふつうの彫刻刀は刃が出ている部分に金属の輪がはまっているのだが、彫師の親方のはむきだしになっている。
それはなんでかと言いますと、浮世絵の版は数を刷るので、堅い桜の板を彫るわけです。
ふつうの彫刻刀のイメージのペンみたいに握るんじゃなくてがっしり握りこむみたいな感じで彫っていくわけ。
そうすると、金属の輪っかがじゃまになるわけ。
だからとってしまうというわけ。これがひとつめの理由。
もうひとつは、
小刀が切れなくなると自分で研ぐわけです。
研いでは使い、使っては研ぎ。
そうしているうちに、刃がだんだん短くなって、しょうがないので根元の木の方を削ってしまうというわけだ。
そういうふうにして、うん十年おなじ小刀を使っている。
こういう実演の時は、ちびた道具でかっこわりいんだけど、どうも使い慣れたものじゃないと、
っておっしゃってました。
親方、その道具はかっこいいす。

○七人の彫り師
東京の中で、摺り師の職人さんは30数人。
彫り師は七人だそうです。
おれはぁ、腕はNO.7だけど歳ならNO.1だ。
って親方あ。
復刻の浮世絵の版画などのしごとはあるものの、摺り師の人とちがって彫ったらそれでおしまいだし、
空いているときは千社札など彫って、やっと食えてるんだよ、とのこと。
彫師の稲荷町のとらお親方の千社札帳をみせていただいたのですが、
数々の有名人や浅草の老舗のおみせのものが。
お、浅草しむらがある。
お、しむら知り合いかい。
あ、なんかで見たことあるだけです。
勘亭流、いいすなぁ。
千社札でも神社などに貼れるものは白黒のものだけで、
カラフルな色刷りは名刺代わりというか、人に配るためのものだそうです。
今度は三色だ。
えーい、そしたら四色だ。
といったぐあいに、江戸っ子っぽくどんどんエスカレートしていく注文が
むかしはそういうことがけっこうあったんだけど、
今はなかなかなあ。
とのことであります。

○新弟子事情
弟子入り志願の若者がきたそうで、
いろいろはなしをしてかなり乗り気のようすだったそうなんですが、
「それで初任給は16万くらいはほしいんでスが」っていうんだよな。
会社のつもりできてるんだよなぁ。

○彫り師的電気スタンド
親方の前にフラスコがつるしてあって、
そのうしろに電球がつるしてある。
これがなかなか明るくて手の影がじゃまにならないすぐれものなのだ。
「中に何が入ってるんですか」との質問に、
「ただの水ですよ。他のもの入れてるとだんだん減ってきちゃうからね」
むかしは夜中まで彫っていたけど、今は夕方になると眠くなっちゃう。
いつやめて のんびりしてくれてもいいっておくさんも言ってくれているそうなんだが、
やれるうちはやりたい、結局すきなんだろうな、という親方でした。

○親方はけっこう話し好きで、しかも質問するのが若い女の子だといつもより答えものっているのだった。
それが元気の秘訣でもあるのかも。
いろんなはなしが聞けるのはたのしいし、まわりに 聞く人がいなくなると仕事だぜってかんじでこつこつ彫っている。
はなしは聞きたい、しごとは見たい。
なやましくてなかなか帰れないのでありました。

巨匠の対決展音声ガイド 2008年08月15日17:40

蕭白の弦田哲章さんの、「芸術をお求めならわたくしに。
実用的な絵図面をお求めなら円山応挙にでも依頼されることをお勧めします」
なんて啖呵口調。
蕭白の対戦相手応挙じゃないんだけど。
野沢那智さんの歌麿のいきなりのハイテンション。
諸星あたるの古川登志夫さんもいるぞ。
対戦相手はラムちゃんじゃないけど。

それから
池大雅「十便帖」
明から清の時代。
隠棲した文人の家をひとりの知人が訪れたときのことを描いている。

こんななんでもない説明が、プリズンブレイクのティーバッグの若本規夫さんのナレーションだと、
え?その知人どうなっちゃうの?って背筋がぞくぞくってしてきちゃう。彼がその知人を迎えて言うことにはぁ…
ドキドキ
自然に囲まれたこんないい暮らしはないよ。
ふつうだ。
でも
十便帖の実物は期間ごとに一部ずつ展示替えされます。なんて補足までなんかどきどきしちゃうからふしぎです。
あんまり楽しいんで展示見てない休憩してるときまでガイド聞いてました。
17日までだけど行かれた方は是非借りてみることをお勧めします。
ってか行かない人にも勧めたいくらいです。

若沖を独り占め 2008年08月14日20:22

対決巨匠たちの日本美術(東京国立博物館平成館)
会期末が17日まで。
さらに11からは宗達対光琳で風神雷神図の切り札をきってきた。
やるな、東博。
混雑必至。でも見たい。よーし、いままでの教訓を復習していってみよー。
教訓1開館前にいく。
教訓2入場券は上野駅の売り場で買っておく。
教訓3みんながはじめに行く第一会場ではなく第2会場から入る。
案の定、
東京国立博物館入り口の売り場は時間にならないとシャッターが開かないのでまず券を買う段階で道まで列が伸びている。
券を持っている人は開場前に会場前まで誘導。
5分程で入場したが音声ガイドを借りるところでまた並ぶ。そのあいだにあとからきた人々がどんどん第一会場に。
出遅れたー。そうだ孔明どのから授かった教訓3の袋を開けるときだ。
おなじことを考えた人が数人だけでさわやかなほどにがらがらだよー。
だれもいない伊藤若沖の旭日鳳凰図を、近付いたり離れて見たり、あざやかな色合いに目を奪われ、
新鮮な構図にこころをつかまれ、おっ、二羽の鳳凰は口が「あ」と「うん」になっているのか。いや「アー」と「…」かな?とか感心したり。
仁清や乾山の焼き物も間近でじっくり見れた。
でも今回のナンバー1ご指名は、
円空作の虚空蔵菩薩立像なのでした。
これはやはり、最近彫刻刀握ってるからなのかもしれないけれど。
丸太を手斧で割った面をそのままにお地蔵さんを削り出していくという。
もちろん完成度ではあとさきで見た運慶対快慶の地蔵菩薩とくらべるべくもないんだけど、
一気に削りきったという面の荒削りなあたたかさといつでも笑みをってお顔には、もうやられたって感じで、
人がいないのを幸いまわりをいったりきたりしたり、
また若沖みてから再び戻って、さしで10分ほどながめたりしていたのでした。 へんな言い方ですが削り方が生々しいんで、削ってる円空さんにはなしかけたくなる感じなんすよね。
そうこうしているうちに、第一会場からふつうに見てきた人達がだいぶ入ってきたところで、こちらはあらためてふりだしからスタート。
第一会場を見終わってもう一度第2に行ってみると、若沖の前は四重の人垣で埋まっていたのでありました。
ああ俺の若沖が。おばちゃん、あんまりガラスに顔近付けんなっ。
円空仏も人の頭の間から、遠目の観賞だったのですが、これがさっき間近で見た時と、表情も様子もちがうんだな。
さっきから生ビールでほろよいの頭で考えてたんだが、どうやら東博の照明のすごさのひとつを体感したようだ。
見る角度によってかくも陰影が違って見えるってことなんだね。
これは来春の阿修羅展が、今から楽しみだ。
おっと、長くなりそうなんでこのへんで。

ぐりとぐら山脇百合子絵本原画展 2008年08月13日18:09

ぐりとぐら
ものごころついた時にはいやいやえんの絵をクレヨンで描いていたような気がする。
うらわ美術館にて、
ぐりとぐりとなかまたち
山脇百合子絵本原画展。
あたたかいタッチが原画から伝わってくるとともに、
枝からさかさまにぶら下がっている男の子の横に上下に注意って鉛筆で描いてあったりたいへん楽しかったです。
「ゆうこのキャベツぼうし」という作品は料理のレパートリーがいくつも増えるほど
毎日キャベツを買ってきてスケッチしたという説明がついていた。
ゆうこがキャベツのぼうしを動物達にあげて鬼ごっこをする話なんだが、そこに狼が入ってくる。
で狼が捕まえるのがこぶたくんなんだが、つぎのコマにちゃんとこぶたがいたんでホッとしてしまったり。
そしたらあとで見た鉛筆書きのラフスケッチには
狼の鬼が獲物を狙うような勢いで描くみたいなメモが書かれていた。
助かってよかったな、こぶた。
あと、空色の種という絵本を持っていたのだが、あらためて見るとかなり現代的な内容。
きつねから手に入れた小さな空色の種を埋めて水をやると小さな水色の芽が出て小さな水色の家ができる。
はじめヒヨコが入った家はだんだん大きくなってネコや人間やぞうやしかなどみんながやってきて楽しくやっている。
それを見ていたきつねが交換したジェット機の模型は返すから家を返すように要求する。
住人をすべておいだし、さらにどんどん高層化する家にひとりで住んで悦に入っているきつね。
地上ではみんながたのしそうに遊んでいる姿。
そしてなにもかも失ってひとり地上に寝転ぶ目を閉じたきつねの姿。
空色ヒルズは姿を消し種を植えた立て札だけが立っている。
ホリエモーン。
なんて。
自由に工作したり絵を描いたりして遊べますというワークショップもやっていると書いてあったのですが、
帰ってきてから遊んでみました。たまには版画以外もやりましょう。

浮世絵実演 2008年08月11日18:24

アーバンドッグららぽーと豊洲1F
平木浮世絵美術館にて、浮世絵版画作品展。
目的の第一は、
彫師と刷り師の方の実演が目の前でみられること。
2ヶ月ほど前に三鷹で実演を見たときは版画をしたことなかったけど、
今回はいろいろ学ぶことが多いのではないかと思っていたのです。
ハンズで12本いり千円くらいの入門セットを買ってから、V字の角刀と、
丸刀で周りを彫る以外ほとんど使ってなかったのですが、
彫師の人は切り出しで細かい線彫って針みたいなやつで中をくりぬいてるわけで、
そうだったのか…
いままで鉛筆削るくらいにしか使えないと思ってたのが一番使える刀だったのか。
どうやらドライバー一本でパットまで打っていたようだよコーチ。チャーシューメーン。w(☆o◎)w ガーン
彫刻刀の使い方、刷りのバレンの使い方、
かんちがいしてとんちんかんだったことだらけでたいへん勉強になりました。
その後刷りの体験までやってけっきょくららぽーと豊洲に5時間くらいいたんですなあ。
ちなみに体験は刷りで、版は用意されていました。彫る気満々だったんですが。
色刷りも楽しすなあ。
やってみよーかな。

オリンピック開幕 2008年08月09日08:23

カール、カール、と長嶋さんがカール・ルイスに抱きついてた。
そんな時代もあったねとー♪
今あれやったら警備とかどう動くだろう。

そのときどう動く
みつを

で、

東京が1月1日の午後6時の時、西経120度に位置する都市では何月何日の何時か。

夏期講習の社会の問題です。
ちょうどオリンピックをやっている時だと、夜中にテレビでやっている開会式が現地では何時とか計算するのによいのですが、
北京だとあんまりかわんないんですよね。
2008年8月8日8時にスタート。
Gは発展の発につながるということで縁起がいいらしい。
中国ではこの日に合わせようと出産をがまんした妊婦が多かったらしい。
まだまだっ。
夜中まで続いた式典。チャン・イーモウ監督が指揮をとったそうですね。
チャン・イーモウといえば
「初恋の来た道」がもう、これでもかってくらい好きなんですけど、
時間としては2時間もなかったような。そして素朴。
チャン・ツィイーがかわいかった。
わざわざ遠くの井戸まで水汲みにいって、学校の外にじっと立って漢詩の読み合わせをしている父の声を聞いている母の姿。
それは何日も何年も何十年もつづき、やがて父が死に、棺をどうしても人の手で運びたいと母が念願した時、
都会から何日もかけて教え子たちが集まってきてその道をたどる。

やばい、泣けそうだ。

まあ、とにかくヤワラちゃんを応援しましょう。
がんばれ谷!

これでいいのだ。 2008年08月03日09:55

意識が戻らないまま6年。
赤塚先生が亡くなった。

昔手塚治虫さんの息子の真さんが、おそ松くんを見てたらお母さんがぱぱのを見なさいって怒ったら、
聞いていた手塚さんがばかなこと言うな子どもが見たいものを見せなさいって逆に怒ったという。
PTAでは子どもに見せたくない番組にいれられることがおおいけど、手塚先生は認めていたのだろう。(ほろ苦さと共に)
今赤塚先生がなにか一言言うとしたら、
もう
これでいいのだ
なんだろうなやはり。
ごめいふくをお祈りします、ってか
にぎやかに送りたいですね。

身から出た□ 2008年07月29日17:05

次のそれぞれの語句の□に入る最も適切な語を、あとのA群から選び慣用句を完成させなさい。

1、□を噛む 2、□を出す 3、血も□もない 4、手前□ 5、身も□もない 
6、□たかだか 7、身から出た□ 8、□にも留まらぬ 9、□の背くらべ 10、濡れ□に粟

A群
ア、涙 イ、世 ウ、鼻 エ、砂 オ、錆 カ、顎 キ、目 ク、団栗 ケ、味噌 コ、手

夏期講習のテキストは、10年以上おなじのを使っているのだが、この単元は毎年当てるのが楽しみ。
今年「手を噛む」「手を出す」というのが出たのは、ROOKIESの影響かしらん。
「身から出た手」とかはちょっとこわい。
「鼻を出す」で「鼻を噛む」(字が違うだろ)
「砂を出す」あさりかっ。
「身から出た砂」砂かけ婆ぁかっ。
または、水着直してんのかっ。
「目を噛む」「目を出す」
「身から出た顎」元気ですかー。
「団栗を出す」栗鼠かっ。「身から出た団栗」手品かっ。
でも、「味噌を出す」「身から出た味噌」は予想外の答えだった。あいつ、元気かなぁ。あ、
「涙の背くらべ」というのがありました。泣けるなぁ。

それから正解なんだけど、みんな「濡れ手で粟」を「泡」の発音で言うけど、
それだと楽しても手にいくらでもくっついてくる意味じゃなくなちゃうんですよね。
ちなみに文章題の方は全員でシャーペンで線をひきつつ○読みするんだけど、
今日やったのが志賀直哉の「赤西蠣太」
これは数年前からタイトルだけでかなりくいつく単元なのですが。

真面目に独りこつこつと働くので一般の受けはよかったが、特に働きのある人物とも見えないので、
才はじけた若侍たちは彼を馬鹿にして[何かに]利用するようなことをした。
の「何か」のところのアクセントは「何かにつけて」の何かなんだけど、例外なく「何かください」の方で読みますね。

ちなみに赤西蠣太はぼーっとして馬鹿にされているけど、、実は世を忍ぶ・・・
という話をすると夏休みの読書にもつながっていく、というわけで。

さて、まだまだがんばりますよー。

2008.7/25

夏期講習も四日目です。
いやー、朝から暑いですね。
塾まで2キロ歩いて教室に着くとすっかり着替えてすっきりして、掃除して準備します。
歩いている時に森本タケローさんのラジオ聞いていたらやってたんですけどね。
文化庁の調査によると、このことばを元気のないひとを励ます。
つまり「激を飛ばす」だと思っている人が70%だったとか。
たしかに三国志で董卓がみかどを擁して権力を握っていた時、袁紹を盟主として曹操たちが立ち上がり、
檄(板に趣旨が書かれている)を諸国に飛ばして蜂起をよびかけたこと、
あったじゃんとかいちいち説明するのたいへんだし。まあそっちで定着してるならいいのかも。
一生懸命(一所懸命)はだいぶ市民権をえているように思います。

ちなみに、
「しゃべれる食べれるミニストップ」というCMも、正確には
「しゃべれる食べられるミニストップ」ですが、
すわりがよくなくて舌噛みそうだから、見れると同じく食べれるとかもけっこういいのかも。

ワンポイント文法講座ー ハ ゚ フ ハ ゚ フ

「しゃべる」や「話す」「読む」「行く」など、五段活用の動詞には可能動詞がある。
「しゃべれる」「話せる」「読める」「行ける」

原則としてそれ以外の動詞は助動詞の「れる」「られる」をつけなくてはいけない。
「食べられる」「見られる」「寝られる」

五段活用の動詞の見分け方。
「ない」をつけてすぐ上の一文字を見ると、
話[さ]ない、読[ま]ない、行[か]ない、それから、しゃべ[ら]ない
って、一番上のあ行から活用が始まってるでしょ。
だから五段活用できるわけです。

すべらない話。

すべ[ら]なーい、すべ[り]ます、すべ[る]、すべ[る]時、すべ[れ]ば、すべ[ろ]う

はい、五段。


野茂
野茂が行っていなければ 2008年07月18日12:51

イチローや松坂はメジャーに行っていただろうか。
いずれは行っただろうね。
でも行っていたとしてももっとずっと遅くなって、
日本で2千本してから最後に行って1、2年みたいな形だったかもしれない。
思えば野茂がアメリカに渡った時は、野球界の目もマスコミの目も世間の目もあたたかいものではなかった。
日本を代表するエースが、当時の近鉄を自由契約のかたちで出て
じぶんの力で大リーグの中で力を認めさせていった。
きのうに引き続き司馬遼でいくと、
「世に棲む日々」の高杉晋作なのだな。
晋作が功山寺で挙兵した時、
長州征伐でやられ、藩内の空気も幕府恭順主流になって、
自分が作った奇兵隊でさえはじめはなかなか腰をあげず、
諸藩の脱藩浪人の外人部隊的存在の遊撃隊と伊藤俊輔の率いる力士隊の80人だけだった。
でも、彼には見えていたんだな。
押しても引いても倒れないように見える景色が、
ひとつ風穴を開けるとまったくちがったものにまわりのやつらにもはっきり見えてくるということが。
晋作が野茂なら松陰先生が仰木監督といったところかな。
近鉄時代に野茂を引いた仰木さんがオリックスに入ってイチローと出合ったのもまた、すごく運命的ですよ。
ちがう人が来ていたら一軍半だった鈴木一朗くんは、打撃フォームを教科書通りに正しく直されてそこそこの中堅バッターになれたか、
くさってやめていってたかもしれない。
松陰先生や晋作が明治維新を待たず世を去った如く、
変動の時代の第一世代、第二世代は多くは栄誉にあずかることなく舞台を降りるというのは司馬遼の受け売りだが、
どうも野茂引退の取り上げ方は小さいように思える。もっと敬意をはらってもいいんじゃないか。
特に野球界。
野茂は口べたでアピールはしないってこともあるのかな。
そんなじぶんの意志を通してきた野茂がやめるというからには、相当の覚悟と自覚があるのだろう。
できるなら日本でやってもらいたいですなぁ。
NO MORE とは言わず、 NO MURA さんのところで。
前にも書いたけど、清原対野茂が見たいですなぁ。

他に原画を描いていたのだが、急きょ野茂版画に変更だ。

おもしろき こともなき世を おもしろく (高杉晋作)


ガリバー 2008年07月17日13:24

ドラマ「青が散る」の中で「人の駱駝」という歌をうたっていた大塚ガリバー。
じゃなくて、
今週のカンブリア宮殿のゲストが車のガリバーの会長だった。

「業界の非常識でも見方を変えると常識になる」というのがテーマでしたね。
インターネットに登録されている全国の支店の在庫の中から該当する車を探す。
それまでの実際に車を見て、乗ってみてから決めるということからすると常識外れ。
「実際に車を見るといっても外装を見て、内装がきれいで、一回エンジンかけてかかれば、ぐらいなわけです。
ほんとは新聞紙持っていって床にもぐって見ないとわからないんです。でも販売店でそこまでやるお客さんはいないですよね。
逆にうちは全部の車にそれをやってのせているわけです」

龍さんは「新聞紙」にいたく感心してた。そういう身近で具体的な例は龍さんのつぼなのだ。
言われてみればそうなんだろうけど、他にも考えた人はたくさんいたんだろうけど、実際にビジネスにしてしまうところがすごいんだろう。
業界の「ガリバー」ということばは使うけれど、はじめから、しかも自分で「ガリバー」というところがおもしろい。
大風呂敷はまず広げてみることぜよ。みたいなことが「竜馬がゆく」にも書いてあったような記憶が。
司馬遼太郎で思い出したけど、
「坂の上の雲」で乃木希助が203高地に何度も何度も突撃を繰り返して死体の山を築いていた。
(海は死にますかー山は死にますかー)
児玉源太郎が来て戦艦の大砲を据え付けて一気に攻撃すればいいじゃないか、って案を出したら
砲兵や要塞攻撃の専門家たちは技術的にも時間的にも不可能だと反対した、というかそんな素人考えは、と一顧だにしなかったとか。
でも実際にやってしまうと、それで一気に戦局が打開したんだよね。

なんつうかプロの経験や専門知識はとても大事なものだけれど時としてそれがじゃますることもあるんだな、と思うわけです。

専門知識を自慢して、しろうと考えをばかにするのではなく、
しろうと考えにもすなおに新鮮な驚きを見いだせるようなプロになりたいものです。それがむずかしいんだってばよ。


夏休みの図書に池澤夏樹 2008.7/15

家からこじま塾まで2キロ。
今日もまた歩いて歩いて、近くの片町文化センターの図書館でしばらく涼んで休憩。
入り口近くのこども向けの図書のところを何気なく見てたら、
池澤夏樹の「キップをなくして」
という本が目に入った。
たしか通勤途中にラジオで紹介してたな、と思って何気なく手に取って読んでたら、
その場で1時間読んで、借りてきてしまいました。
切符をなくして外に出られなくなったステーションキッズたちは、
ラッチ(改札口)からは出ることができないが電車はどこまででもタダで乗れるし、キヨスクも食堂もタダ。
じぶんたちで勉強もする。他の子の面倒も見る。
そのかわり、ラッシュアワーにひとりで電車に乗っているこどもが迷ったり事故に合わないように人知れず手助けをしたりする。
時間を止めておりそこなった子供をおろしてあげたりもする。
東京駅などの巨大駅の中には知られざる場所や通路がある。
高田馬場から新宿まで行って中央線に乗り換えるとちこくしそうな場合は
新大久保で降りて大久保まで走れば1,2本前の電車に乗れる。
甲府までみんなのお昼ごはんを買いにいくんだけど、(電車はタダ、駅弁もタダ)
甲府駅の駅弁は「陣中鍋めし、甲州焼肉弁当、煮貝ずし」
煮貝ずし?
海から遠い甲州だからあわびをしょうゆの煮汁で煮てから運んだのかぁ。
とか、いろいろ勉強になるなぁ。
電車好きのこどもでなくてもすすめられそうです。
毎年なつやすみは聞かれるんですよね。感想文の本。

ちなみに記憶を頼りにラジオのhpを探したら、ありました。
毎週一冊紹介する番組なので、ずいぶん時間がかかりました。
2005年8月だったのか。
朝の番組だから聞いたのは朝から仕事する夏期講習の通勤時間、
ということは7月か8月、ということに気がついていたら、すぐ見つかったのに。
まだまだ甘いな。

でも、途中にすごくおもしろそうな本がいっぱいあって、探すのも楽しかったです。

http://www.tbs.co.jp/radio/stand-by/talk/thu/index-j16.html

ホームページに感想文のコツなどもあるので参考になると思いますよ。

はす
大賀蓮を見る会 2008年07月11日07:15

府中郷土の森にて、蓮を見る会に来ております。
先着50人にポスターと蓮の種の頒布あり。
りんごの電話機ほどではないがずいぶん並んでます。
ぼくのうしろの奥様たちがあたしたちが生きているうちに咲かせられるのかしらと係りの人に聞いていました。
思わず「それでも蓮の花なら見られますよ」とつっこみを入れてしまったこじま先生。
南無阿弥陀仏。
まあ、ほんとよねえ。と和む和む。
ぼくのうしろ5人ほどで50人の定員に。
早起きした甲斐がありました。っておきちゃったんできたんですけどね。
あしたと明後日も朝7時から頒布があります。

だざい
太宰治 2008年07月09日15:02

桜桃忌でもないのにいまごろなんですが、
デスノートの人で表紙をリニューアルしたや「人間失格」を見た。
(おそい)
あれは売れるよね。実際こじろう塾の生徒でも買った子がいる。
うちの本棚にも昔のがあるんだけど・・・
買ったけどまあ読んではいないらしい。
とりあえず表紙のイメージで読んでいくとめんくらうことだろう。

太宰治は第一回の芥川賞の候補作になって、選考委員の井伏先生に
「先生、芥川賞がほしいです」
ってなんどもなんども懇願する長文の手紙を出したことがある。
(でも落選した)
というトリビアをやってましたね。
ヘーヘー。
直木賞の候補作を辞退した伊坂幸太郎氏を見たら、
「もらっとけよー」ということでしょう。

中学校の時、教科書で「走れメロス」を読んで、テストでメロスとセリヌンティウスの友情の尊さについて書きなさいみたいな問題に、
「じぶん勝手なやつだと思う」
って書いたら大きくばつされた。。
若くて正直ものだったな、こじま中学生も。
芥川龍之介の本も表紙がかわったやつが出てますね。
あれも売れそうだ。

3の倍数 2008.7/2更新

3の倍数の時アホになる、って世界のナベアツのあれですが。

「自然数は0は入らない。1、2、サーン、4、・・・」
とか、いろんなところで使えます。
ロークとかニジュイーチとかはまだなんとか大丈夫なんだけど、
ゴジュイーチとか、わかりにくい数字の場合、ただのアホみたいになってしまうので、
「51はな、5+1=6だから3でわれるだろ。
そういう、ばらして足した数が3で割れたらもとの51も3で割れるんだ。
これは9の時も言える。
27は2+7=9。もとの数も9で割れる。これをサーンキューの法則という」
おー。
こうしてめでたくアホ先生でないことが証明されたのでした。

あと、こいつを知ってると
でかい数で何でわれるかわからない時に
けっこう威力があるのです。
8772も同じく3でわれる、とか。

ちなみに8772は3でも割れるけど偶数で2でも割れるから、
6でも割り切れるということになります。

教科書には
「各位の数字の和が3の倍数であるとき、その数も3の倍数であることを文字式を使って証明せよ」
という問題で出てくるんだけど、それよりかはこんなふうにした方がおもろー、とおもうのです。
だって、算数や数学、楽しい方がいいじゃないですか。
3人で割り勘するとき役にたつし。
あ、6人でもだいじょうX


「千房」社長の「ええやないか」 2008年07月01日14:46

「うちの部下はハエみたいなやつばっかりで。どないしたらよろしいですかって、相談されたんですけどね。
ちょうちょは花に集まりますやろ。ハエは何に集まりますか?う○こですわ。
言うてることわかりますか。部下がハエ言うなら元から断たなだめ、いうことですわ」

こんな感じで他の大企業などにも講演に行ってしゃべっている。
たとえがわかりやすいし、英語カタカナ言葉もできるだけ使わない。
カンブリア宮殿のゲスト。
お好み焼きの「千房」の中井社長。

「ええやないか」
と部下に言うときは、ねぎらいとはげましの気持ちを込めて言う。

「仕事がつづかなくて逃げ出して、10日も帰ってこない。誰もが首にしたくなるような、
そんな不良社員ほどえこひいきしたくなるんです。それで店長も育つし。
まじめな社員が3日休んだらクビですけど」

みんなに公平に、平等に、などと言わずに
「えこひいきします」「差別します」なんて、
誰もが避けることばを使う。
でも、部下のようすをいつも見ている。
ってか、見ている姿勢を感じるのです。
番組の中でもどんどん声をかけている。
「ええやないか」って言われた椛島店長、
うれしかっただろうな。

梅田の地下で食べた千房のお好み焼き、うまかったなぁ。
東京の千房もおなじ味だと思うんだけど、大阪で食べるとなんか違う感じがするんですよね。
なんでだろー。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/bn/080630.html

ミーアキャット式教育法 2008年06月29日23:32

NHKの「ダーウィンが、来たー」
見ました。
砂漠のサソリハンター、ミーアキャットは赤ちゃんミーアに初め死んだサソリを与えます。
赤ちゃんはかわいいハミングのような鳴き声をして喜んで食べています。赤ミはサソリがおいしいものだということを学びます。
つぎに生きているサソリを毒のあるしっぽを潰してから与えます。赤ミは、まずしっぽからということを学びます。
最後に捕まえたサソリを元気なままで与えます。赤ミはおっかなびっくりアタックします。
あらあら赤ちゃんミーア、しっぽの毒針にやられてしまいました。どうしたんでしょー。
だいじょうV。
サソリ毒には免疫になっているので刺されても死にません。
お毒味口役もつとまりそう。ですが刺されて痛いことにはかわりないということを学びます。
まずしっぽを潰すべしということを骨身にしみて学びます。
何度もはさみでやられたり刺される赤ミをみて、やれやれという感じでおとなミーア登場。
軽くジャブをくれて弱らせたサソリをようやく赤ミがゲット。
スパルタとお思いでしょうが、おとなは赤ミの力量にあったサソリを与えていることがわかったそうです。
死んだサソリをもらった時「シ」だった赤ミーのハミングが生きたサソリを相手にするようになるにつれて
しだいに「ド」の音に変っていて、いつも赤ミの変化を見ている、もとい聞いているのです。
研究者もこのハミングをしながら近付いて仲良くなっていろんなことがわかったそうです。
この教育法にも群れによって差があって、ちゃんと教えない群れではこどもがうまく育たず、家族が崩壊してしまったんだそうな。
アフリカ、カラハリ砂漠でありんこにまで鼻の頭を噛まれて鳴いていた赤ちゃんミーアはついにサソリハンターに成長。
今度は先生として教える側にまわるということです。えらいやっちゃ。

http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program106.html



星空のビリー・ホリデイ 2008年06月28日16:17

ビリー
BSで録画してたビリー・ホリデイの特集番組。
自身もブルース歌いの原田芳雄さんのしぶい声で彼女の半生と歌が紹介されている。
タイトルは「ろくでなしの恋」
ボルティモアから母親とともにNYに出てきた彼女は、
やがてナイトクラブに出入りして歌い始めるようになる。
彼女の他のふたりの歌手は、お客のチップを足の間にはさんで受け取る。
そんな非合法のクラブだった。
ところが彼女だけは手で受け取っていた。歌で勝負したかったから。
それでお高くとまりやがってという皮肉まじりに
「レイディ」と呼ばれるようになる。
ハーレムのレイディー ビリー・ホリデイ。
彼女が世に出てから、お互いの才能を認め合っていたレスター・ヤングは彼女のことをレディー・デイと呼ぶようになる。
尊敬の気持ちを込めて。
やがて「奇妙な果実」の大ヒットなどを経て、ビリーはスターダムをかけあがるが、
それは必ずしも彼女に幸せをもたらさなかった。
母の猛烈な反対を押し切って結婚した男は、彼女の金を持って遊び歩き、
他の女のところにとまるようになり、やがて麻薬で逮捕される。
その後結婚したトロンボーン奏者はこんどは売人で、彼女もまた薬漬けにされたうえ逮捕収監。
出てきた彼女を待っていたのはクラブやレストランを経営する実業家で、
警察にも手をまわして店で歌わせてくれるようになる。
しかしやさしい仮面はすぐにはがれて、なぐる蹴るの暴力が姿を見せる。
男はギャングだった。

「嫌われ松子」がしあわせに見えてしまうような彼女だったが、
テレビの収録で久しぶりにレスター・ヤングと共演。声もかすれているのに、その演奏は、とてもよかった。
その翌年、レスター・ヤングは亡くなる。48歳。
あとを追うようにビリー・ホリデイ死去。44歳。

レスター・ヤングとは共演までに、ずいぶんと疎遠になった期間があったということだ。
ほんとうに彼女のことを理解するレスターのような男ではなく、なぜかダメンズばかりを引き寄せていったビリー・ホリデイ。
ホリデイという名前も、証拠はないけどたぶんその人がお父さんということでつけた芸名で、
常にじぶんを守ってくれるタフな男を求めていたのだろうか。
だけどタフでほんとうにやさしい男というのは彼女の前には現れなかった。
(というのは原田さんの受け売り)

ぼろぼろになって声もでないんだけど、
だけど、いい歌なんですよね。
悲しいけれどそうなんだなぁ。

http://jp.youtube.com/watch?v=5ElQ-8fHvGQ


フジ子・ヘミング版画展 2008年06月26日16:51

いや、電車のできごとで肝心のことを書くのを忘れてた。
いつもはバイクで行くし、今年は吉祥寺の他の学校に行く時にも自転車でいっていて、明星の前を通過していたのです。
それが、朝から雨ということで電車で行くのがはじめてだったので、
hpから行き方をコピーしてメールで携帯に送って、それを見ながらいったのです。
みんなと歩いていてもすぐいなくなる方向音痴のくせにダンジョン系がすきなんだな。

以下その文面
●JR吉祥寺駅より:所要時間は約15分です。公園口より出て、「丸井」前の横断歩道を渡り、右折し「丸井」の横の道を歩き、井の頭公園に出ます。公園内はまっすぐ進み池の橋を渡り、売店前を抜けると、左手に交番のある階段とスロープが見えてきます(公園出口)。そこから直進し、最初の道を左折し、しばらく進むと 前方に大きな木が見えてきますが、その手前の道を右折します。進むと井の頭公園通りに出ます。そこを左折し、すぐの信号「明星学園入口」を右折。右手に正門が見えてきます。

すごく簡単は道順だったんだけど、やはり迷いました。

それはですね。
「大きな木」 のところなんですよ。
大きな木だと思って曲がったところが先にもっともっと大きな木があったんだなぁ。

結局は、焼きたてのパン屋さんのおばさんに聞いてたどりつきました。
わからなくなったら住人に話しかける、これ基本。

それでタイトルの件ですが、井の頭公園の手前のエーシーズ・ギャラリーという小さな画廊で、
フジ子・ヘミング版画展をやっていたのです。
(新作8点に今までのものを展示、販売)
版画もやっていたのか。知らなかった。

版画の横には、
「幸せを入れるポケットは大きさがきまっているから、よくばってもは入らないのよ」、
「どうしようもないときでも生きてこれたのは、猫にえさをやらないといけなかったから」
などの文章がついていた。

行きも帰りも閉まっていて、外から見ただけですが。残念。

すぐそばには昼間から誰か飲んでるちい散歩でも出てきたオープンテラスの焼鳥屋さん「いせや」があって、こちらはあいていたのですが、
仕事前だしなぁ。残念。

http://www.acesgallery.com/


爆笑する準備はできていた 2008年06月26日13:45

懐かしのージョージターウーン♪(by中原理恵)
吉祥寺の明星学園にいくために、某私鉄の各停に座っていた。
例によって向かいの席で手鏡を片手にお顔を塗り塗りしておられる。
ツンとすましたわりと美人と言ってもいい顔だちをしてらっしゃる。
それがですね。手鏡を見つめている目がですね。
すーっと中に寄ってですね。鼻の下がだんだんのびてくるんですよ。
最初は、まったく電車の中で、はずかしいという感覚ねえのか、と思っていたのですが、
その頃には肩のふるえを抑えるのに必死でした。
ふだんはわりと知らない人にもよけいなお世話をすることの多いのですが、目が寄ってますよ、と教えるのもあれだし。
そんなことを考えながら、まだ我慢はできていた。
ちょうど読みはじめていたハードカバーの本にまた集中しようとしたのです。
でも、なんとなく気になってまた顔を上げてみると、今度はあれ、ほらまつげをくるくるってやるやつあるじゃないですか。
あれを始めたんですけど、今度は目がだんだん上の方に。
コロッケ。

もうだめ。笑いが止まらない。声を出さないようにするのがせいいっぱい。

でもだいじょうぶです。本を見ながら爆笑しているようにしかまわりには見えないような形になってましたから。

宮部みゆきの「孤宿の人」ってそんなにおもしろいのか、と思ったことでしょう。


英検祭り 2008年06月25日14:35

私立の高校説明会も今週と来週で一段落する。
きょうは千歳烏山の佼成学園女子。
ハンドボールやバスケットが強い学校です。
数年前に校長先生がかわり、特に英語に力を入れています。
(山本先生といって、もとは大阪薫英という女子高をドラゴン桜みたいにのばしちゃった先生)
学校全体で英検祭りと銘打って盛り上げていて、
ここ数年の英検2級以上の合格者が15→45→60→62
ことしの伸びが頭打ちに見える?
まあ、今年の高3が120人というそれほど大きくない規模の学校であるし、一気にのびてきて踊り場、という見方もできる。
来年も見に行って結果がどうなっているかがまたたのしみです。
もちろん祭りだけでそうそう合格が増えるわけではなくて、
この学校は、高校の1年間を完全にニュージーランドでホームスティして、現地の学校に通うというコースを設けている。
高1の後半から留学、帰ってきてからは留学しないふつうのコースの子たちと過ごす。
これが他の生徒たちにとってもすごく刺激になっている様子でした。
説明会でも先ごろ帰国したばかりの子が原稿も見ずにスピーチし、ネイティブの先生と話したりしてくれましたが、
流れるような英語で、しかも感情表現が豊か。
いままでこういう説明会で見た中では一番じゃないだろうか。
でも先生との会話が終わって、今なにを話したかを説明する時には
すっかり今時の女子高校生しゃべりのマシンガン早口トークでした。
おなじペースで話しているのに、英語の時の方がかっこよく聞こえるなぁ。

ちなみにこの子を含め、7人が準一級に合格したそうです。
やるねぇ。

あと、ネイティブの先生は6人いるんですが、みんなが英語の先生じゃないというのもおもしろい。
体育や美術の先生もいて、授業の時は日本人教師とペアで教える。
絵を描いている授業やバスケの授業を見させてもらいましたが、自然に英語で教えてもらえるのって、いいですね。
こういうことが公立でもできると日本の英悟教育が根本からかわってしまうでしょうけど、なかなかむずかしいでしょうね。

いや、アサクラ総理ならやってくれるかも。。
がんばれ、モジャクラ。
まっすぐに素朴な疑問を政治にぶつけてくれる、キムタク総理みたいな人を、応援したいです。


フェラーリをデザインした日本人 2008年06月24日16:22

以前にはプロフェッショナルでも取り上げられていた奥山清行氏がきのうのカンブリア宮殿のゲスト。
カーデザイナーとしてフェラーリのデザインを担当した奥山氏に小池栄子の質問が飛ぶ。
「フェラーリってかっこいいんですか?ポルシェとかとどうちがうんですか?」

だって車わかんないんですもん。

「ポルシェもいい会社ですよ」と龍さんが苦笑いしながらフォロー。
「うちのおふくろと同じです。ヘラーリって言ってますから」
フェラーリはセクシーだと言う龍さんに奥山氏。
「日本の車も含めてほとんどの国ではクレー、粘土をこねてデザインを考える。
けど、イタリアは木を彫って作るわけです。
塑造と彫刻の違いがあるように思うんです。
木を彫って近くによって見るとあれこれ矛盾が見えたりしても、遠くから眺めると決まっていてかっこいい」
龍「イタリアの男性も女の人にイケイケみたいにみえて実はシャイですよね」
小池「えー、ジローラモさんしか思い浮かばない」
奥「ジローラモさんはシャイですよ」
(たぶん会話は前後関係などかなりあやふや)
いつも直球の小池栄子ちゃんは村上龍さんのアシスタントとして、じつに向いているとおもう。
セクシーの件も含めて今回の奥山さんと龍さんはかなり共感している部分が多かった。
小説でも何か書くことを決めて構想を作って、というより
書きはじめてからはじめて広がってくることが多いということにも、奥山氏ははげしく同意していた。
はじめは話にならないと思っていたような案でも作ってみるうちに思いもよらない展開をしたり、
1000個考えたうちのひとつを採用したあとの999個がつぎのデザインをするときの大事なヒントになったりする。
とか、
レストランでワインを飲みながらふと思いついてナプキンの裏に描いたような物の方が
会議で意見を出したりするよりずっといい場合が多い、とか。

さて、来週はお好み焼きの「千房」の社長がゲスト。さいきん行ってないけど、行きたいよー。

ちなみに、画像は日記とは関係ありません。
2色刷りがやってみたかったのよねん。
マッハ


井上雄彦 最後のマンガ展 2008年06月23日14:39
いのうえ1
月曜日ということで、上野の美術館はほとんどお休みなのである。
公園口JR改札の前売り券売り場もシャッターが下りている。
しかし上野の森美術館の前だけは熱かったのだった。
10時開館の15分くらい前に到着。
並んでいるヤツラがきのうの赤毛のアンとまるでちがうぞー。
みんなすっかり、武蔵モードに入って語ってるねぇ。
いのうえ2
墨痕鮮やかな大きな筆で、薄墨で淡く、細密なペンタッチで描きこまれたもの、鉛筆書きのラフなスケッチのままのもの、
大きく、小さく、時にはボードからはみ出していたり、壁にそのまま描かれていたり。

3mぐらいのコマがあって後ろに下がったと思うと10cm四方で近寄ってみたり、
圧倒的に絵がうまいだけじゃなくて、メリハリが効いていて、見せ方(魅せ方)をとても工夫しているように感じた。
あと、余白の使い方がうまいんだよねぇ。

それから、外に出てきたときに行列がかなり伸びていたのを見ても人数は相当きているのに、中はわりとゆったり見ることができた。
それは1回の入場をかなり制限しているからだと思われる。
実際ぼくが着いたときはまだ開館前で列もそう長くはなかったが、それでも入れたのは3回目。
10mくらいで区切っていて2回目がぼくの目の前でストップだった。
なんだよ、と思ったが、5分くらい置いてまた次を入れる。
これはなかなかうまい。
言うなれば140枚ほどのひとつの漫画を歩きながら見ているわけで、
ただコマをおってストーリーだけみているような人はどんどん先に行くのでそんなに人数がたまることがない。
見てるのがだいたい20代中心、ということもあるかも。
そんななかじっくり見てまた引き返しながら見て、またゆっくりはじめから見てしまったこじまさんだったのでした。
遅いぞ、こじまろう。(武蔵か。)

平日だったので当日券で入れるけど、休日は、なかなか入れないようなので、行かれる方はサイトなどでよく確認しておこしください。
それから木刀になんて文字が書いてあるか、係りのおねえさんに聞いた方がいいですよ。
マンガの内容は、バガボンド最終回の番外編、とでもいっておきましょうか。(おっと)

吉川英治氏の原作を読んでいる人もそうでない人も十分楽しめる展示だと思います。
むさし
7月6日(日)まで、上野の森美術館にて。


赤毛のアン展 2008年06月22日16:57

今日が最終日。どしゃぶりの中、三越まで行ってきた。
有楽町の改札前の地図見てる時に気付く。
日本橋三越やないかー。
会場はかつてのアンやダイアナの方達が多かった。 マシューが孤児院から来る男の子を迎えにくると、そこにはトランクを抱えたでこっぱちの赤毛の少女の姿が、といった場面の生原稿が。
しかし読めない。カメラずきだったという作者モンゴメリが撮ったプリンスエドワード島の風景や陶器の犬、
スクラップブックなどの展示の横にゆかりのシーンの文章がパネルになっているので、みなさんじっくり読みモードに入っていた。
そこもよかったんだけど、日本アニメーション制作の赤毛のアンのコーナーがあり、ここが完全に釘付けゾーンでした。
アン
背景の原画、鉛筆で書かれたキャラクター設定やレイアウト。「ここのアンは沈んだ顔に」とか、
「井岡様(美術監督)、この上の物はcutで」とか、棺桶の中に入れられた花まで細かく色指定が書かれている。
高畑宮崎チームの仕事の様子の一端を目の当たりにできたようでもう大満足です。
それからあたらしい新潮文庫版の挿絵原画があってこちらもとてもよかったです。
アン本
外のグッズコーナーは中以上の混雑。そのとなりは三越のお中元と山形物産展をちょうど開催中でいろいろすすめてくれるので
通り抜けるのに時間がかかるかかる。
バームクーヘンや黒蜜のクズきりのあとに無糖のアイスコーヒーとか、なかなかゆきとどいている。
やるな、三越伊勢丹チーム。そういう勉強のために試食したわけですよ。けっして食い意地がはっているからではありません。



羽生
天才は歩きながら考える 2008年06月20日15:32

天才タイガー・ウッズの逆転勝利は大々的に報じられても、将棋の羽生さんが森内名人を破ったのはあまり報じられてませんね。
通算5期名人位をつとめると永世名人ということになり、
これで、木村義雄(十四世名人)、大山康晴(十五世名人)、中原誠(十六世名人)、
谷川浩司(引退後に十七世名人襲位予定)、森内俊之(引退後に十八世名人襲位予定)に続き6人目だそうです。
(ちなみに13代までは世襲制)
特に今回の相手の森内名人は少年時代からのライバルで羽生さんが先に天才少年現ると脚光を浴びて
若いうちに7冠王になったりしたのに、その後永世名人でも先を越されている、という相手。
ふつう天才といわれて後からきた人に追い越されたりするとそのままになってしまう場合が多いだけに、この人はやはりたいしたものです。
以前にプロフェッショナルのゲストに来た時に、対局中の御飯は必ず将棋会館から街道沿いのレストランまで歩いて、
必ず同じ席で必ず同じサンドイッチを食べて、また歩いて帰ってくるというはなしをやっていました。
最近見た茂木さんSPでも、脳をリラックスさせて集中力を高めるには同じ道を歩いたりしながら考えるのがいいということでした。
ただ考えているだけだと脳にはいろんな外部刺激が入ってくるけれど、
自然に体を動かしているとむしろ考えに集中できる。
西田幾多郎が哲学の道を散歩して考えたというけれど、
それは京都までいかなくても近所の道でいい、ということなのです。
無意識に歩いても目的地につけ知ってる道、ってことなのですね。
そっか。イチローが打席に入る前に同じ動作を繰り返して体から打撃モードに入って行ったり、
遠征に行った時でも毎日昼ごはんは弓子さんの作ったカレーライスというのともつながるのかも。
(それはカレーがすきだからー、かも)
ちなみにこじろう日記も毎日同じ道を40分歩いて通っている間に考えているのでした。
その途中のきのうゴムを買ったダリ画材にまた寄って今度は木版画の板を買ってきた。
「はまったら、今度はバレンが欲しくなるよー」
と言って出してくれたのが
\65000
竹の皮を巻いた中の黒いところは何重にも和紙を巻いてあって、2年かかって作るということなのです。すごい世界です。
まだまだ僕には420円のプラバレンでじゅうぶんと思われます。。
ダリ画材の店主のおじさんは、実は絵も描いていてバレン職人でもあったりする。
陶芸教室の先生は、実は絵も描いていて工房の名前が「アール陶房」だったりする。
(アール・ヌーボーのしゃれとは、気がつかなかった)
いろいろ世界が広がってきました。楽しいですなぁ。


鬼平
こじ平版画帳 2008年06月19日15:49

さいきん歩いて通っているから日焼けして黒くなったと思ったら、インクがついてるだけだった。

版画を刷った指先のインクがとれません。
気がつかずに顔をかいたりするので、
気がつかずにインクがついていたようです。
(たぶん他にもいろいろ触った部分についていることでしょう)
銅版に行った時に習った大事なことをまったく忘れていたのに気が付きました。
「刷る時は必ず軍手をつけてやらないとたいへんですよー」
納得。
日曜日に東急ハンズで買って来た2枚のゴム版、表裏を使っちゃったので、
近所の画材屋(ダリ画材という)さんでまた新しいのを買ってきました。
1枚55円。安い。(ハンズは70円)
最近はゴムはあんまりやる人がいないそうで在庫は2枚だけでした。まあ木版か、消しゴムなんですよね。
はじめは消しゴム版画でもと思っていたのですが、意外とただのゴムより高いんだよね。
「消しゴムは消すためにあらず」というナンシーさんの名言がありますが、
やはり消すためが主のようで。

思うように彫れないジレンマに陥って楽しんでおります。
もともと似てない似顔絵がますますザックリになる。
まあ、それはそれでいいんです。

銅版画のサークルに入っている中1の生徒がきのう授業の日で、
「この線は髪の毛なの?一本すじを入れると髪の毛らしく見えると思うけど、そうじゃないと顔がロボットみたいに見える」とか、
「むだな部分が多いから仕上がりがきたないんだ」とか言いたいことをいってきます。
それがいかにもなまいきな口調なのですが、くやしいかなその通りなので「ありがとう」と言っておきました。
こちらの方では彼がせんぱいですからね。

ちなみに陶芸のサークルの見学にいってきました。
こちらも楽しそうです。
だんだん充実した午前中になってきたぞ。


関東高校 2008年06月18日13:41

今日は中央線の武蔵境にある、旧関東高校、(いまは聖徳学園)で説明会。
きのう吉祥寺まで行ったのにくらべると、びっくりするほど近い。
GS跡の旧価格よりずっと手前だった。残念。
聖徳学園に自転車で行ってみたのはミスチルの桜井さんがここ(関東高校)に自転車通学していたのを読んでいたからということもある。
実家はたしか、練馬の方なんだけど、
なんでもはじめのうちはバスで通っていたが、彼女の家に自転車でむかえにいくために、40分かけて自転車で通うようになったとか。
青春だなぁ、桜井高校生。
ちなみに彼女の家は学校から2、3分のところだったとか。
以前に関東高校の制服姿の写真がのっている本をもっていって、昔からいる先生にいろいろ聞いてみたことがある。
他の質問している人は合格基準は、とかでそんな質問するやつはわたしぐらいでしたが、
「彼らはいい青年ですよ」と実にうれしそうにはなしてくれました。歌はあまり聞いたことがないみたいでしたが。

元赤ヘルの江藤が卒業生ということは知っていたけど、先日働きマン読んでて調べたら、安野モヨコさんもそうだとわかった。
しかも江藤と同級生。朝日新聞の「おちびさん」が毎週たのしみで、朝日をとっている、といっても過言ではないのでした。


探偵
夏草やGS跡の旧価格 2008年06月17日13:23

午前中、吉祥寺で高校の説明会があったので、
自転車でいってきた。
最近歩いて通勤してるので、たまには自転車に乗らないと。
府中から東八道路で多磨霊園、自動車試験場、野川公園、ゴミ処理場などの前を通って吉祥寺通りへ。
ジブリ美術館の前を通って40分といったところ。ジブリの周りを道草すると1時間になる。
途中に元ガソリンスタンドでチェーンで周りが囲ってあるところをずいぶん見かけた。
そういえばうちの近所も4軒あったのに2軒になってるな。 前に番組で見たけど、ガソリンスタンドの跡って土の中に埋めてあるタンクや、土壌にガソリンがもれていないかの検査など、
基準がいろいろあってふつうの物件みたいに簡単ではないらしい。
だからそのままの状態になっているところが多いが、そうした物件専門に扱うところもあって、
役場の地図から建物やタンクの位置がどこにあったかを推理して重機を手配して穴を掘って探す。
それでもなかなか見つからないと、
近所のお年寄りや町の顔役のような人などに聞き込みをしたりする。
「あった」
GS探偵物語ですな、工藤ちゃん。

今日見かけたところの「管理物件」って張り紙が貼られた後ろに

会員価格レギュラー72円

のシールが。
いったいいつから管理物件なんでしょう。
明日も武蔵境の方の学校なんで、自転車で行けたらもいちど見てこよう。

ちなみに「東八」道路は「東京・八王子」の略だと思われます。
ちなみに「京王」電鉄は「東京・八王子」の略だと思われます。
ちなみに「東八」は御家人斬九郎に出てくる居酒屋の名前です。


イチロー対ニンザブロー 2008年06月14日08:59

イチロー
トリックはわかりやすかったけどおもしろかったです。さすが千両役者。なぜか今まで見てなかったのです。時代劇と重なったのかなあ。
犯人は嘘が嫌いで、誰よりも肩が強くて、足が速い人物ですー。
新庄じゃだめ?

名前はハチローにしようとしたとか、野球選手でなくアメリカで成功した寿司職人にしようとしたとか三谷さんらしいコメント。
ビデオ見終えて止めたら古畑中学生の宣伝でまた三谷さんでした。
出とるなあ。

クアラルンプール発JAL深夜便 2008年06月12日14:08

12時前にテイクオフすると、すぐに簡単な機内食が配られ深夜2時に消灯。
乗客が熟睡した深夜4時。明かりがこうこうとつき、和食の朝食が配られる。
「ちょっとちょっと、かんべんしてくれよ。明日着いたら朝一で会議だからすこしでも寝てたいんだよ」
「もうしわけございません。この時間にお出ししませんと到着時に片づけられませんので」
「それはそっちの都合でしょう。それに朝からこんなに食べられないよ」
「もうしわけございませんが、サービスマニュアルで決まっておりますので」
「あのね、わたし前に乗った時も同じクレームを言ったんだけど、そういう乗客の意見は届いてないわけ?」
「もうしわけございません。わたくし、その時の担当ではございませんので」

と、いう役所広司主演の寸劇がガイアの夜明けの中でやっておりまして。(どちらも役所)
JAL再生の歩みというタイトルで2週間ぐらい前の放送だったんですけど、ほったらかしてて昨日見たのでした。
(飛行機乗らないんで優先順位が低かったのよね)
実際の機内の光景ではほとんど食事には手をつけず、明りから逃れるようにして少しでも眠りをとろうとするビジネスマンの姿。
そのまま6時前、成田着。

異例の若さで抜擢されたというJALのクアラルンプール支店長が現地の日本企業(信越化学など)に足を運び意見を聞くと、
少しでも眠らせてほしいこと、水をコップで持ってきてもらっても置けないのでその場で飲んでしまうしかないなどのさまざまな苦情が出て、
それをもとにテストフライトが行われる。
乗り込んだ乗客にはすぐにふたつのふくろがくばられる。
ひとつにはサンドイッチとクロワッサン。ペットボトル入りの水。
袋に入っているのは座席の前のバケットに入れておけるためで、食べたい時にパンをつまむことができる。
機内食が簡単な分、もうひとつの袋には安眠グッズが入っている。
4時すぎに電気がつくことはなく、乗客は1時間以上長く眠ることができる。
たった1時間、とはいえ短いフライト時間の中の1時間。大きいですよ。

でもこの改革も一筋縄ではいかなそうなものを感じました。
この支店長を抜擢した西松社長は財務畑出身だそうなんですが、
もともとJALの社長は営業、人事労務、経営企画の派閥の中から出ていたそうで、
それが数年前の経営危機が言われた時にそれらに属さないということで西松さんが選ばれたってことなんだね。
どこもなかなか言うこときかないでしょう。
そして、組合が全体のもののほかに職能別に7つあって、それぞれがじぶんの意見を主張している。

早期退職に応じた数年前まで組合の幹部も経験していたという人のことばを借りると、
結局「変らないことに対する理由づけ」ばかりして、なにも変わらない。
ということにならないといいのですが。
例えば上記のテストにしても、機内食がきちっと食べたい人もいるんだから一概に寝たい人を優先するのはどうか、という意見もあるわけで、
そういう意見もあるからなにもしないという方が、会社内的には○なのだから。

今年の新入社員はANAは倍以上なんだってのも知らなかったなぁ。
誤侵入や客室乗務員の個人情報ファイル問題など、まだまだたいへんそうです。

ツルのはっぴ着てタラップを降りてくるポールの笑顔が懐かしや。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview080527.html



細菌とウイルスの違い。 2008年06月11日14:53

知らなかったなぁ。あれ?おれだけか。ま、いいや。
きのうの爆問のちょっと浅野忠信っぽいウイルス学の権威の教授が、とてもわかりやすく説明してくれました。
細菌というのはじぶんで細胞を持っていて、健康な細胞から栄養を吸い取り、代わりに毒を送り込んでその細胞を殺してしまう。
そして吸い取った栄養を使って分裂しどんどん仲間を増やしていく。
健康な細胞と自分の仲間をすりかえていくわけだね。
対してウイルスは自分で細胞をもっていないので、他の細胞に入り込んで自分(ウイルス)のコピーをどんどん作らせちゃうわけ。
やがてコピーが増えると細胞は破裂して、ウイルスがばらまかれる。
細菌は抗生物質で細胞をやっつければいいけど、ウイルスは細胞がないんだからそうはいかない。
とりついている人間の細胞を破壊しただけでウイルスは死滅しない。
こわいね。エイリアンだね。バイオハザードだね。ビジターだね。(知らないか。。。)
そういう恐ろしいウイルスだけど、教授の研究しているエボラ出血熱でも、
洞窟の中でコウモリに取り付いている時は宿主を全滅させるようなことはしない。
宿主がいなくなればじぶんも生きてはいけないわけだから。わりと先のことや状況考えて居候してるわけです。
それがある時なんで爆発的にじぶんごと宿主を死滅させるような行動に出るのか。
コピーの時にギズモからグレムリンに変化しちゃうみたい。コピーのコピーのコピーは、もうギズモにも止められない。

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080610.html

ウイルス、こわいですねえ、じゃなくて、
映画ってほんとにいいもんですね、の水野晴郎さんが亡くなった。
きのうナンシーさんの似顔絵を見てきたばっかりだったし、びっくりしました。
ご冥福をお祈りします。


ナンシー関 大ハンコ展 2008年06月10日13:19

梅雨の晴れ間。露出の多いモデルらしき人が信号無視して闊歩するセンター街から公園通りの坂道をのぼり、
渋谷パルコ・パート1の6階パルコファクトリーに行ってきました。
開場したばかりにもかかわらず思った以上に人がいて、これはとてもうれしいことでもあり、
くすくすと笑いをこらえるひと、声を出して笑っている人、熱心にメモをとる人、くいいるように消しゴムの版を見つめている人、
同じ渋谷と思えない空間が広がっておりました。濃い。
ナンシー関が生前残した5000を超える消しゴムと壁にはコラムやテレビ番組の紹介欄などを拡大したパネルが貼ってあり、
例えば大食い番組の亜流がどこの局でもやられるようになったが、
この分野を荒れ地から切り開いてきたテレビチャンピオンの大食い王とは似て非なるものであるとか、まじめで今に通じる提言。
また南こうせつのオールナイトニッポンで長渕が10分くらいのギター弾き語りコーナーをやっていたことが書いてあり、
おっ、同じの聞いてたんだなぁと感慨ぶかいものがありました。
だって、同じ年だったんだもん。(途中までね)

はんこに一言書かれたコメントがまたおもしろくてなかなか前を離れられません。
みんなおなじみたいなのでなかなか前が空かないのはしょうがないよね。
会場限定の「ナンシー公認判子押し師」により押された「はん画」の前で悩みに悩んだんだけど、断念。
中村主水の「裏稼業」って書いてあるのと火野正平さんのがほしかったんだけど、
似顔絵のはあまりなくて5種類限定だったのよねん。
一番奥にナンシーさんの仕事場が再現されていて、またナンシーさんが集めたいろんなもの、
ビデオやブルース・リーのフィギュアなども展示され、
みうらじゅんさん、いとうせいこうさん、山田五郎さん、清水みっちゃん、浅草キッド、などなど、
ナンシーフリークの方々のコメントが流されていました。
それが入口まで聞こえるせまい会場なんだけど、そこはとても充実していました。
しりあがり寿さんが俺、まだ彫ってもらってなかったんだよねってさびしそうに言っていたのが印象的だった。
今週の日曜までだから渋谷にたまたま行った人でも立ち寄ってみるといいと思います。
なんと、おとな300円。

http://www.bonken.co.jp/index.html

七回忌は没後6年目だったんですね。まちがえてた。


弱点こそが最大の魅力になる 2008年06月04日15:59

プロフェッショナル仕事の流儀のトークスペシャルVOL.7。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080603/index.html
玉三郎さんとバレリーナの吉田都さん、音楽プロデューサーの武部聡志さんの総集編だったんだけど、
ちょうど武部さんの回の本放送見てなかったんですよね。
スガシカオ氏が歌ってる番組の主題歌のプロデューサーでもあり、バンドのメンバーとしても参加してる人で、
今まで手掛けた人が紹介されてたけど錚々たるメンバー500人以上。
ユーミンのコンサート、拓郎、斉藤由貴の卒業、徳永のレイニー・ブルー、ラブラブ愛してるの全部だきしめて、
みぽりん、今井美樹、平井堅・・・・
それからもちろん、一青窈ね。
はじめ「もらい泣き」のテープを持ってレコード会社をまわったときはどこも相手にしてくれなかったそうですよ。
それだけにヒットした時はどうだっ、てかんじだったろうなぁ。
他にも久保田利伸のファーストアルバムとか、
まだそんなにブレイクしてないけど、
これはと見込んだ歌手のレコードをいっしょに作っていくみたいな仕事がうまくいった話をしているときはほんとうにうれしそうでした。

すべてを持っていて順風満帆にきている人より、
挫折したり「弱点」とかを持っている人のほうがいい歌を歌えるんだみたいな話になった。

なんかすごく納得できるような気がした。
関係ないけど、勝新さんとか都はるみの顔が思い浮かんでしまった。

なんかそういうことを考えていて思い出したのが、徒然草なんですよね。

まあ、古文見たくないという人はスルーしてください。

第百十七段

 友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言をする人。七つには、欲深き人。
 よき友、三つあり。一つには、物をくるゝ友。二つには医師。三つには、智恵のある友

こじ訳するとだいたいこんな感じ。

こういうやつとは友達になりたくない。

身分が高く、高貴な人。
若者。
体が丈夫で病気もしたことがない人。
やたらと酒を飲みたがる人。
血気にはやる強い人。兵士、お侍。
うそつき。
欲張り。

おともだちになりたいわぁ。

ものをくれる友達。
お医者さん。
智恵のある友達が、その次くらいかなぁ。

後ろの方はともかく身分が高い人とか、丈夫な人とかはいいことのような感じもするけど、
やはりどこか、武部さんのことばと共通する順風満帆商事的なものを感じるんですよね。
じぶんが痛んだことのないひとにひとの痛みがわかるか、みたいな。
徒然草の鎌倉時代末期って700年近く前のことなんだけど、
兼好法師もなんか演歌っぽい曲がすきなひとのような気がするよ。
がんばれ、森進一。


テキーラ 2008年06月03日13:18

テレ東系ドラマ「本当と嘘とテキーラ」
先週の水曜に録画してあったやつをようやく見ました。
そこからもめんどくさそうだと思ってほっといたことがわかるけど、
見たらとてもよかったです。
さすが不揃いの山田太一。せりふもそんなかんじ。
ドラマは不祥事を起こした会社の記者会見、のリハーサルの場面から始まります。
全責任は自分にあると頭を下げる社長(山崎努)
横から実は自分に責任があるんですと柄本明。
驚く山崎努。もうちょっと自然に、とアドバイスするコンサルタントの佐藤浩市。
柄本っちゃんがとにかくいい。
罪をかぶった形で懲戒免職になったあとも佐藤浩市のしごとばに現れてひつこくからみ、つきまというざがられるんだけど、
娘の同級生が自殺した事件などが起こる中、いつのまにか頼りになる相談相手へと変わっている。
テキーラというのは、佐藤浩市が企業研修でいつもやる、笑顔で接客する時のあいことば。心の中はどうでもとにかく笑顔で接しましょう。
そして娘からもパパは家でもテキーラだと言われる。
お互いテキーラでうまくやっていた親子はやがて・・・

山田太一の世の中を見る目はやはりするどくて、やさしいね。
逆にタイムリーすぎて、お蔵入りしてた可能性もあるぐらいですよ。
佐藤浩市、マジックアワーも楽しみだけど、
こっちを映画館でもいいくらいに高評価です。

http://www.tv-tokyo.co.jp/yamada-hut/


薬師寺展 2008年05月27日15:59

期間終了2週間前。ようやく行ってきました。
まずは業務連絡から。

その1当日券は上野駅の窓口で買うべし。

100円割引の券を持っていたんですが、(会場でのみ使用可)
駅の窓口がひとりも並んでいなかったので買ってしまいました。
すると会場にはチケットを求めるお客さんが長蛇の列。
正解でした。
おーい、今からでも駅に戻って買った方が早いですよ。

その2日傘は折りたたみを持って行きましょう。

今日も夏のような暑さで、特に女性は日傘をさしている方が多かったのですが、
長い傘は持ち込むことができないので、中に入る時に行列を外れて預けに並ばないといけない。
まあ、あとから入れるようにはしれくれているんですが、
折りたたみにこしたことはないと思われます。

その3それでもやっぱり開館前に行くのがいいのです。

開場ちょっと前に着いて上野駅でチケットを買って券売所で並ぶ人たちを横目に平成館の前まで行くと、
9時半の開場を待つ人たちの列ができている。
うーん、さすがに朝からこんでるのか、と思ったらほとんど待たずに入れました。
入り口の前では薬師寺のお坊さんに「おはようございます」のさわやかなあいさつをいただきました。
いいあいさつで、実にきもちがいい。
12時前ごろに出てきたときにはさっきの列の先の先の先まで回って回って、
とんで回って回るってかんじで道路を渡るあたりまで列ができていました。
「ただいま100分待ちになっております」
しばらく見ていると、
「ただいま1時間40分待ちになっております」
いっしょじゃん。

行列をたどって出口に行きながらゴミを運んでいるおじさんと話してたんですけど、
さすがに驚いているご様子でした。

その4音声ガイドは借りるべし

ほとんどストレートで中に入れて、待ったのは音声ガイドを借りる時ぐらいだったのですが、
ぼくの前で並んでいる昭和ひとケタ風のご夫妻。
「みんなどんどん入ってくよ。別にいらないだろ」
「だって、説明聞かないとわからないでしょ」
「ただ説明だったら読めばいいだろ。10時半までに行かなきゃいけねんだよ」
などと、ずっと言っている間に列は一番前に近づいた。
しょうがねえなぁ、助け舟を出すか。
「ありがたいお経とか、ご声明とかも、聞けるみたいですよ。ねえ」
と、博物館コミュの情報を案内係のおねえさんにパス。
パスが通ったか?御借り上げ、ありがとうございました。(関係者じゃないけど)
ほんとにこの市原悦子さんの音声ガイド、よかったですよ。
家政婦は菩薩を見た。

その5日光・月光菩薩立像

はじめ離れた段上でちょっと離れたところから見て、それから段を降りて見上げる形になります。
身長3m以上。予想以上にでかい。
まわりをぐるっと見られるなんて、ないよね。
きてよかったなぁ。特にななめ後ろからの角度、すばらしい。

情熱大陸以来、NHKの特番も何度も見ているのですが、
実物を前にするとほんとに鳥肌が立つというか、思わず合唱。合掌してしまいます。

ん?
首の下お肉ついてるわね。
こっちの仏さんはの方がメタボだね。

とか罰あたりなことを言ってる人が。

まあ、たしかに「2.3トンと2トン」ということですからね。
係りのおねえさんに聞いてみたんですよ。おふたりではほんの300キロほど違いがあるようです。
さすがちょっと年上のおねえさんだけあって、よく知ってらっしゃる。

その6聖観音像

こちらもかなり大きいんですが、後に両菩薩を見てからもどってくると等身大でかわいく見える。
いままでの番組などをみて、 正直こじろう一押しはこの「聖観音像」と思っておりました。
それで2周ほどまわりをうろついていたのですが、
また話し声が耳についた。
「こちらが、日光かしら」
「月光」じゃない?」
「あ、こちらは聖観音像で、日光・月光はまだ先ですよ」
「あら、そうなの。ありがとうございます。そうなんだって、いやあねえ」
「字が小さくてわからないのよ」
そこを見ると
「触らないでください。ここにのらないでください」と書いてあった。
昭和のお嬢さんは小さい字に弱いから大きく書いてあげてください!
「おにいさん。字は静かな観音様ってことかしら」
「正しいじゃないの?」
「いや、えーとですね。聖子ちゃんの聖です」
「どうもありがとうね、おにいさん」

しばらくしてから気がついた。
あ、「せい」観音って言ってた。
あわててさきほどの二人組を探して、追いかける。
「すいません。聖子ちゃんじゃなくて、聖徳太子でした。すいません」
「あら、ありがとう
小さな親切大きなお世話にならないように、みなさんも気をつけましょう。

常設展の入口入ったところにそっくりの観音様があって、模造って書いてあった。
でもどこかちがうんだよなぁ。と、考えたら、
ヒップラインがほんものはもっとプリッとしておられるのです。
模造するときは後ろはなかなかわからないからなぁ。
ほんものは違うなぁ、って
この罰あたりがあぁぁ。

その7豆知識@

音声ガイドでも、市原悦子さんが薬師寺は当代一の宮大工によって再建されました、とおっしゃっていましたが、
その当代一の宮大工、西岡常一さんの本によると、もともとは宮大工ではなくて「寺社番匠」といって、
法隆寺専属の大工、瓦職人、材木屋、左官職人、木挽きなどがみんなそろった村だったそうです。
それが明治の廃仏毀釈で「寺」が抜けて「みんな食えんようになってやめていきました」 ということなのですね。
西岡さんはそんな中、畑を作って食いつなぐようにして技を残していったそうなんです。
そうした技術が残っていなかったら、今の薬師寺の金堂も西塔もなかった、ということですね。まりがたやー。

豆知識A

その西岡棟梁のお弟子さんの小川三夫さんの本で読んだはなし。
弟子入りして修行している時。
同級生たちは会社に入って出世してるのに自分は世の中から取り残されているような気がする。
この先どうするか迷っている時に東京に向かう新幹線で当時の薬師寺の高田管主に出逢ったー。
高田さんは、薬師寺再建の費用集め(十億)を大企業からの寄付ではなく1回千円の写経×1000000巻で行おうと、
テレビもどんどん出て、講演で全国を走り回って宣伝していた。
それでずいぶん陰口を叩かれたりもしていたそうなんですな。
その時にじぶんの悩みを聞いてもらうと、「わしもマスコミ坊主とか言われたりするけど考えていることは薬師寺のことだけや。
お前もがんばれ」と励まされたそうなんです。
まりがたや。

中国だったかの古いことわざに「水を飲む時は井戸を掘った人のことを忘れてはいけない」というのがあるそうで、
帽子のおとうさん、メタボとか言っちゃだめですよ。

って、聖観音様のおしりがとか、日光菩薩の二の腕がとか言ってるお前が言うなって?
ごもっともー。
日光菩薩
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=5129


鶴恩流記憶術 5/7更新

プロフェッショナルSP茂木健一郎さんの回。
GWの夜中に再放送を見てまた日記を書きたくなってしまった。

「鶴の恩返し式記憶術」
これは茂木さん本人がずっとやっていた記憶法で、
単語などを暗記する時にとにかく読んで書く。
それも見ながらではなく書く時は本をふせて隠して書く。
すぐ答えを見ていいので、やったーとかうわぁとかいちいちリアクション。
その姿はとても人には見せられないので、
「けっしてのぞいてはいけません」
と、いうことで
「鶴の恩返し式」
というわけなんですな。
(と、いうわけでテレビ初公開)

これを実際に番組で頭にセンサーをつけて実験した。
ふつうに目で見て覚えているときには言語を司る左脳がほんのり色づいていた程度だったものが、
声に出し始めると真っ赤になるほど活性化している。
被験者の学生さんも、いつもは必ず数個間違える英単語が短時間でパーフェクトにできちゃって、びっくりしておりました。

目で見る、口に出す、耳で聞く。
一度に複数の経路で脳に信号が送られると記憶は強く定着するってことがわかっているそうです。
また、覚えるときのリアクションや情景も記憶に結びつくそうです。

脳には、メモを見て電話番号をまわす時みたいにちょっとだけ覚えておく場所があって、それをしまっておく場所は他にある。
そこに移すことが「覚える」「定着させる」という作業なわけです。
で、この「定着」というのが問題なんですよね。

生徒に教えてその日は「わかった」って言ったことが次の週には
「は?」という状態になっていることが日常茶飯事ですからね。。
だったらどうするということで、
本も読んだし、話も聞いた。
いろいろやってみたんだけど、
今は国語の教科書の文章だけでなく、漢字テストや英語の答え合わせの時にも、とにかく音読させるというのをやっている。
鶴恩流からいくと、これはどうやら理に適っているようです。

昔から寺子屋などでやっていることも音読なんですよね。 やっぱり残っているものって理由があるんだなぁ。
ほめる時には速攻でほめる。 2008年04月30日15:21

プロフェッショナルSPは、
いつもは聞き手の茂木健一郎氏がゲスト(?)
ゼミのようすを中継していたけど、
ちょっとオーバーかと思えるほどのアクションを交えて褒める。

「こんなことは妄想かもしれないけど・・」みたいに生徒が言うと、

「新しい考えは妄想からはじまるんじゃないですか。すばらしい」とか。

「これは誰もやってない視点だ。天下とれるかもしれない」とか。

住吉美紀アナ「いくらほめようと思って探しても探しても
どうしても褒めるところがない場合はどうすればいいんですか」と質問。

それに対してもそれでも褒めるところを見つけるんだな、茂木氏は。
人の言うことを聞かないやつは意志が強いねぇ、と言えるし、マイナス要素もプラスに言い直すことができる。
そうすると褒められたほうで自分で反省するというわけ。

ぼくも褒め方についてはいろいろ考えてはいるんですよね。
褒められて素直によっしゃって拳を握りしめる生徒もいれば
「別に」、って生徒もいるし。
面と向かって言わずに去り際に「あれ、よくできたなぁ」とか独り言を言ってみるとか。
でもふつうに褒めた方がいいんだよね、やっぱ。
いつも褒めても「別に」って顔するやつがいる。

そんで、こっちも「別に」って顔して○だけつけてたら、
「なんでだよ」って目で見てきよりました。
そうかそうか。

ふだんの番組で、
ゲストが思わずいいはなしをしたくなるのがわかったように思います。

関心をもった聞き方、あいづちの打ち方ひとつで相手のやる気も変わるんだよなぁ。


よその社長はいいこと言う 2008年04月22日12:19

カンブリア宮殿の第2回金言大賞。

ノミネートは、
1関心があると見える(ドトール、鳥羽名誉会長)
2欲しい人がいれば価値がつく(生活倉庫、堀之内社長)
3開発に常識人はいらない(日清食品、安藤社長)
4負けるところを決めろ(コマツ、坂根会長)
5会議は決定の場だ(楽天、三木谷会長で社長)
6キレイにすればプライドが戻る(鍋屋バイテック、岡本会長)
7組織は頭から腐る(アルプス技研、松井最高顧問)
83年後の自分から眺める(吉野屋ホールディングス、安部社長)
9事実の裏の真実をつかめ(ツカサグループ、川又代表)
10資料の厚い会社は大企業病(カネボウ化粧品、知識社長)

並べてみるとそのことばだけ取り出してもあまりよくわからんということがわかりました。
「ことばだけでなく流れや文脈を嫁」ということですな。

雑感その1
この中で若いのは三木谷さんと知識さんですが、やはり自分が社員時代会議の長さや資料の多さでうんざりしていたんでしょうね。
三木谷氏、資料が事前に渡っていれば会議では決定するだけでいいので1時間場所をとっていても10分で終わってしまう、
というのは裏返せば予習してないやつは出る資格なしと、テレビから社員に言ってるね。

雑感その2
6の工場をきれいにすればプライドが戻ってやる気が出るの時に、
龍さんが特殊部隊のマニュアルに「体を洗え」「清潔にしろ」というのがあるという話をしていた。
ジャングルで任務を遂行しているときにも汚れてくるにつれて集中力もやる気もなくなりゲリラにやられてしまうそうなんですね。
これは硫黄島からの手紙でも同様のことが出てきたように思います。

雑感その3
先日見た「母べえ」の中で思想犯で捕まった父べえ(八十助さn)が牢屋の中で風呂にも入れてもらえず転向を強いられるんですが、
やっぱり汚くしてると「もうどうでもいいや」となる心理を利用しているのかと改めて思いました。

雑感その4
日清食品。
「打倒!カップヌードル」をモットーに
数人単位のグループで競い合って新しい定番作りに挑んでいる。
大勢でやると生まれてこないような工夫やアイディアが生まれてくる。
これは先週のプロフェッショナルの工場再生にも通じることですね。

雑感その5
「社長の陰に山本勘助あり」
ドトールのコーヒーの味利きをする人、
日清でスープの味利きをして、0.05g唐辛子だな、などと指示を出す人、
と並んで吉野屋のおたまが選ばれてた。
47個の穴と配列で260gのごはんにまんべんなく肉とつゆが染みわたるようになっている。つゆダクの場合はどうなんだろう。

雑感その6
アルプスで声出し特訓や鬼の研修などが受け入れられるのは、
松井さんのキャラクターだからだいじょうぶだけど、
あれがプロレスラーみたいな人だったら・・・と言いかけてはっとした村上龍。
小池栄子「プロレスラーの妻です」
その後のぐだぐだぶりもおもしろかった。

大賞はその
「組織はサンマと同じ。頭から腐る」
アルプスの中で社員だけが朝礼や鬼の研修を受けているのではなく、
社長も幹部研修を受けて「そんな自分本位の人に誰がついていくんですか」とか
女性カウンセラーにぼこぼこに言われている様子をうけてのことばでした。
自分的にはあの研修は受けたくない村上派ですけど、(小池さんは受けたい派)
それが「プライド」と思っていることが「うぬぼれ」だったり、
自信のつもりが過信だったことに気が付くことにつながるというのは共感できました。

ちなみに個人的には(こじ的には)
ドトールの

関心があると見える。
関心が無いと見ているのに見えていない。

を推していたんですが。
実はカンブリアのファンクラブに入っているので投票権があったのですが、
気が付いた時には期間が終わった日でした。

見えてなかったんだなぁ・・・

薬師寺展までの薬師寺の一年。 2008年04月11日18:46

現在、東京国立博物館で開かれている薬師寺展に
日光・月光菩薩や聖観音像を送り出すまでの薬師寺の四季と、
これまでの再建のあゆみをふりかえるハイビジョン特集。

情熱大陸で、仏像が届いて展示するところを見ていたので、
それまでの経緯や、今の薬師寺の様子が見られてとても興味深い番組でした。

思ったことを箇条書き。

・左側の月光菩薩は左側に、右側の日光菩薩は右側に反っているのは、
情熱大陸を見た時はぜんぜん考えなかったけれど
真ん中の薬師如来の両側に立っている姿を見るとすごく納得できる。

・でも、今まで三体揃っている姿をみている時にはそんなことはあまり考えたことがなかった。
離れてみて改めてわかる。

・中央に薬師如来が座り、両側に日光・月光菩薩が立っているようすは、
金堂と東塔・西塔の関係と似ているような。

・そう考えると日光菩薩が東に、月光菩薩が西に対応していると見ることができるよね。

・そんな薬師寺も少し前までは東塔と仮の金堂があるだけだったんだ。

・でも東塔が残っていたおかげで金堂と西塔を再建することができたんだなぁ。

・番組の中で西岡常一棟梁とともに再建にあたったお弟子さんの小川三夫さんが、
塔は図面上はまっすぐでも実際には反っているぐらいにしないとずんどうに見えてしまうと話していて、
それは日光・月光菩薩が左右に反っているのとも対応しているのかも。

・「関口宏のそこが知りたい」という番組で見てから本を買って、
その後ずいぶんしてからプロジェクト]で法隆寺のはなしをとりあげていた。
今回の特集を見てから久しぶりに本を引っ張り出して読み始めました。
理屈じゃなくて経験の積み重ねから出た宮大工の口伝は、
やっぱりいいこと書いてあるなぁ。
木を買わず山を買え。
木は生育のままに使え。
木組みは寸法で組まず木の癖で組め。
木組みは人組。
じっくり読んでできればつづきを。

叱り方星野流。 2008年04月08日14:29

カンブリア宮殿のゲスト、星野監督。
叱り方について、星野さんらしい言葉でした。

感情をあらわにして叱れ。

叱るときに「これは愛のムチだよ」とか説明することはないわけで、
要は本気で叱っていることをわからせることが大事なのですな。
でもこれはたいへんむずかしいことでもあって、
単にヒステリックに、自分の感情のはけ口として怒っている場合が多い。
ふだんの信頼関係があって、はじめてそんな人が本気で叱ってくれているという気持ちになれるのでしょう。
愛情がなければ本気で叱ることもできないですよ。by星野

叱られたことは素直に直せて、
きちんと叱れる。
そんな大人になりたいものです。

さくら満開の中の府中市美術館 2008年03月28日16:02

さくらを見に公園まで遠回りしていたところ、
さくらに囲まれた府中市美術館で「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」展が開会中だったので、とうぜん入場。
ちなみに南蛮はスペイン・ボルトガル。紅毛はオランダ・イギリスでしたっけね。

さくら
ロザリオの聖母像や十字架、メダイ(メダル)など。
伊達政宗が送った支倉常長をはじめとする使節団が帰国したとき、日本は既にキリスト教を禁教にしていて、
持ち帰った品々は日の目をみることもなく仙台伊達家に厳重に秘蔵された。秘蔵というか、封印されたわけですよね。
そのおかげで今、残っていてこうしてみることができるというのはなんともふしぎ、というか数奇なものをかんじました。
国宝になったり重文になったりということもふくめて。

展示の中でとくに川上澄生さんの木版が気にいって、絵ハガキをかってきました。
ほんとは他にもオランダ人のものを模した日本地図など、気に入ったものがあったのですが、そうはハガキになっていなかったもので。

なんばん
入場料は一般600円の上にイヤホンガイドが300円とお手頃、
常設展で同時開催の100年前の武蔵野・東京、
(小林清親の浮世絵あり、府中、小金井などのかつてのようすがわかってとてもいい展示でした)
牛島憲之記念館の方の説明も説明も聞けてとてもお得です。
ぜひ借りましょう。


浦沢直樹氏の講演会 2008年03月23日20:24

図書館を併設した市民会館が昨年末にできた記念の流れの催しということで、
「図書館と私」という演題でしたが、
図書館には冷房と冷水器めあてでいつも行っていたことと、
高校の図書館でボブ・ディラン全詩集という本を見つけて借りてきて、
高校の3年間その本はずっと浦沢家にあった、ということぐらいで。

その後、20世紀少年のコマをプロジェクターで映して
浦沢さんが20世紀少年だった頃の話。
砂利穴に自転車を連ねて遊びに行ったり、
(ケンジじゃなくて、ひとりだけ自転車がなくて走って追っかけてたキャラが浦沢さんだそうです)
秘密基地を作って中でずっとマガジンやサンデーを読んでいたり、
(やぶ蚊がほんとにひどくてそれどころじゃなかったけど、それでも少年たちには基地は特別な場所)
中学校の放送係にT−REXのシングル盤をかけてもらったり。
(当時1年上に小室哲哉氏がいて、小室さんもその日のことを記憶していたという後日談などもあり)
すぐに眠ってしまうおばあちゃんといっしょのちゃぶ台で、
広告の裏にアトムやプルートの絵を描いて手塚治虫というサインを練習していた小学生時代。
同じ部屋の縁側に座って火の鳥の未来編を読んでいて、いつの間にか日が暮れてしまっていたとき、
じぶんにとっての価値の基準とでもいえるようなものはこれだ、と気がついた。
そしてそれはそれからほとんど変わっていなくて、
成人するという瞬間は年や儀式に関係なくそういう時ではないかと思う、ということでした。
「府中というのはそういうじぶんの基準を育んでくれた場所なのです。
で、これで「府中とわたし」というもうひとつの演題できれいにまとまりましたね。やったぁ。
で、時間を見るとまだ50分?そういう時間が余った時は、お、ここにペンと紙がありますね」
ということでその後は浦沢まんが道場に。やったぁ!

下書きもなにもなく、いきなりどんどん描いていって

最後のいっぽんの線を引くときの緊張感を「失敗」「成功」にわけて実演して見せて下さったり、
しかもそれが手塚まんがの似顔絵だったりして、おもしろかったなぁ。 プロジェクターから映し出した画面にひとつの絵ができあがっていくのは、
ほんとに落書好きの少年の落書きノートそのままでした。

図書館の講演ということで副館長さんから最後は図書館についてのことばを、求められた浦沢さん。
「えー、本はきちんと返しましょう」

さて、浦沢さんの講演が終わった後、今日は卒業生を近所のおすし屋さんに連れていくというイベントがあり、
今こども達が帰って行ってから日記を書いてます。
自分を含めて8人。2テーブルで、105円の皿ぴったり100皿。
+高いお皿が6皿でした。
例年のことですが、すまんがいっぱいいただくぜ、とことわって、
ひとりだけ生ジョッキをいっぱいいただきました。
うまい。
それにしても1貫だけの皿ばっかり食べたり、チーズケーキひとりで2皿の次はチョコレートケーキ2皿とか、
あいつがトイレにいってる間に2皿食べて22皿に追いつこう、とか、やってくれますなぁ。
まあ、こういうのもたまにはあっていいよね。


 惑  星 2008年03月19日19:43

数学の講座からこっち、宇宙の本とか読んでるんですけどね。
その本に「惑星」の由来が書いてあった。
太陽系の惑星は、水・金・地・火・木・土・天・海。
とか言いますよね。
それはわかるんだけど、でもどうして惑星なのか。

「惑う星」でしょう。
決まった軌道をもって太陽の周りをまわっているのになんで惑うなの?
そんなこと考えたこともなく使っていたんだけど。

じつはですね、これは江戸時代に地動説の本を訳した長崎のオランダ通詞が作った言葉だそうなんですよ。
火星とかの動きを見ていくと時々本来の向きとは逆に動き出してしばらくするとまた元の動きに戻るんで、
「遊び惑っている星」と呼ぶようになったとか。
だから、「遊星からの物体]」とかももともとはそこからきているってことですよね。
じゃあなんでそんな妙な動きをすんの?ってことですよ。
それを天動説で説明しようとすると地球の周りを星が小さい円をかいて回りながら回っているみたいなえらいことになっちゃう。
でもそれが常識だったわけですよ。

ところがです。
地球の方が自転しながら回っていると考えるとぜんぶ説明できちゃうことにコペルニクスは気がついちゃった。
つまりですね。
例えば火星。
惑星
Aにいる時は火星が前に進んでいるけど、並んで進むようになるとインコースを回っている地球の方が先にいくから後退してみえる。
さらにだんだんとCの方に離れていくとまた火星が前に出るという具合。

無理につじつまを合わせてたものが見方を変えてみたらぜんぶシンプルにつながるじゃん。
まさにコペルニクス的転回。
でも、ガリレオの登場がそれから100年後。
年周視差というこの天体の運動がはじめて観測によって検出されたのは彼の死後300年たってからなんですね。
常識と権威の壁は厚い。

まあ、惑星だけに水金地火木土天、カイメイされるには時間がかかるってことですね。
あ、「メイ」はないのか。
どってん…


与勇輝人形芸術の世界 2008年03月12日14:54

与勇輝 今日の午前中に行ってきました。
与勇輝人形芸術の世界。
立川の高島屋。
帰ってきてからググってみたら
銀座の松屋や横浜高島屋などでもやっていたのですね。
知らなかったなぁ。
http://homepage2.nifty.com/saihodo/exhibition_atae.html
平日の午前中にもかかわらずかなりの混雑。
写真のような人形、というわけではないです。
でもなにか写真以上にリアルというか、質感とか表情なども含めて、これはやはり近くでみてしか感じられないことだと思います。
「ありんこ」というタイトルの作品があって、女の子が指先をみつめているんですけどね。
ありんこが実際にのっていたわけではないように見えたんだけど、
その指の造形や少女の首のかしげ具合、目線などを見ると、
あー、ありんこだ。
と思ってしまうからふしぎです。 会期は3月17日までと短いのでお近くで興味のある方はお見逃しなく。

それから、 帰ってから日記を書こうと思ってググってみたら、以前に日記に書いた「数学講座」の先生の文章が。
しかも場所は自分のコンピューター上。

これはびっくりでした。前に数学講座の関連で検索した時に気がつかなかったんだけど(2001年の文章だし)
今回「与勇輝」で検索したことで目次にのっていた文字がひっかかったということかと思われます。
先生が書いていることと、自分が出かけたことはまったくの偶然なんだけど、
検索したら必ず一番上に出るという条件は必然として整っていたということですね。
ふしぎななぁ。

グーグルおそるべし。

http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_124.htm


熊谷守一の世界 2008年03月03日14:23

北浦和駅からすぐの公園の中にある埼玉近代美術館に熊谷守一展を見に行ってきました。
合わせて写真家藤森武さんの講演を聞いてきました。
藤森さんは昭和49年から51年まで、熊谷さんが97歳でなくなる一年前までの3年間、
それこそ毎日のように通って日常の生活や画室など、三〇〇〇枚の写真を撮っていて、
その中からスライドで解説しながら話をしてくださって、これがまたたいへんおもしろく、
藤森写真のファンにもなってしまいました。
それで終ってから写真集にサインを入れてくださるということで館長さんらしき人がいたので聞いてみると
今からでも大丈夫ですよ、ということなので下にダッシュ。
受付で「写真集どこですか」
「はい、B1Fです。右手のエレベーターか階段をご利用ください」
ダッシュ。当然階段でダッシュ。
レレレのれ?どこ?
一周してみた。
ちがう。これは他の地元のサークルとかの写真展だと思われ。
またまた階段で受付へダッシュ。
はぁはぁ、今やってる、くまがいさんの、しゃしん、しゃしん、ぜぇぜぇ。。。
とポスターを指さす。
「あ、そうでしたか。それならこちらでございます」
と受付のすぐ向かいのショップで売ってました。
最初からそういうふうに聞いておけばよかった。うつけものがぁ。
ショップに行って本を探していると、受付のドタバタ騒動を見ていた他のお客さんが
「これですよ」と教えてくれました。かたじけなし。
再び2F会場へダッシュ。
間に合ったけど暑くもないのに汗だくで、そうとうあやしいやつになってました。
藤森さんも苦笑。
「間に合いました」
「たいへんでしたね」
「見てください。携帯の待ち受けも熊谷さんなんですよ」
「ほぉー」
熱意とあわてものということは伝わったようです。
猫
と、熊谷守一鑑賞記というよりどたばた日記になってしまいましたが、
絵や書も堪能してまいりました。
縦の絵は筆の流れが縦に、横の絵は横になっているのも、
絵を膝の上に置いて塗っているからだということが講演を聞いてよくわかりました。
熊谷守一の絵が生まれる世界は、豊島区千早の今は美術館になっているお宅で、
後半の30年間は一歩も外にでることがなかったそうです。
今はちがうけど、当時はジャングルのように木や草が生い茂っていて、
その中にたくさんの鳥や猫を飼って仙人のように暮らしていた熊谷さんは、でも
「仙人なんてきらいだね」といっていたそうで、
若い女の子からサインを頼まれていつもより余計にありんこの絵を描いてあげたりしていたそうです。
また、「光陰矢の如し」などという書は、
「持ってきたから書いてるけど、こんなことばはきらいだね。
だいたい光陰が矢の如しだったらとっくに死んでるよ」とかおっしゃっていたそうです。
写真
絵もそうだけどご本人自体がたいへん魅力的な熊谷守一。
葬儀の時にゆかりの人が好きな絵をいちまいずつかざったそうなんですが、
藤森さんが選んだ一枚だけが熊谷さんを写したポートレートだったそうです。
写真、ていえばずっと前に土門拳さんの古寺巡礼という写真集を見つけてそれ以来土門ファンだったんですが、
話をきいて藤森さんが土門さんのお弟子さんということをはじめて知ったというわけで。
おもしろいですね、世の中は。
絵や書、写真展はまだ先まであるのでもういっぺんいこうかな。
実物から伝わってくるものって、やっぱわかんないですよね。行ってみないと。

http://www.momas.jp/3.htm

ウラワーウラワーキタウラワー♪


ねむの木学園 2008年02月20日13:53

午前中の「知るを楽しむ」の再放送枠は、宮城まり子さん。
ねむの木学園をはじめるにあたってアメリカの施設に研修に行った。
ベッドから起きられない女の子に付き添っていた職員の人が部屋を出るときに
後ずさりしながら最後までこどもの目を見て離れていった。
ノウハウや施設の運営もとても勉強になったけど、この姿勢がいちばんだいじなんだと思った。
いつも見ているよ、気にかけているよ、という。
日本に帰って学園を立ち上げて、教育委員会が派遣してくれた先生が絵を教えてくれていた。
ある日先生たちが子どもの失敗した絵を焼却炉で燃やしているのを見た。
走っていって燃え残っている火を必死で消して絵を助け出した。
それを子どもたちも見ていた。
それからまり子先生と子どもたちのつながり方がまったくちがったものになった。
先生にはお引き取りいただいて絵は自分で教えるようになったということです。
と、いうか教えないということですよね。
山下由美子ちゃんが一年以上かけて描いたたくさんの家の絵を、この番組でも取り上げていました。
由美子ちゃんはひとつひとつ鉛筆で下書きしたあと、黄色は黄色みたいに同じ色のところはまとめて塗っているんじゃなくて、
ひとつひとつの家をその度に絵の具のふたを開けて、絵の具を出して、ふたをしめて箱に戻して、
また他の絵の具を出してというふうにして描いていてむちゃくちゃ能率が悪いけど、
逆にだからひとつひとつに存在感があるということも言える。
たくさんの家のある絵を完成させるために描いているんじゃなく、ひとつひとつの家を描くこと自体が楽しくてしかたない。
なんだかそんな気持ちが伝わってくるように思いました。
ねむの木学園をつくろうと思うと吉行淳之介氏に相談したときに
しばらく考えて吉行さんはほんとにやるなら三つの約束をするように言ったそうです。

一、愚痴を言わない。
一、金がないと言わない。
一、途中でやめない。
やる以上はこどもたちは君を信じて来るんだから。

愚痴も言いたい、金がない、途中でやめるしかないかもしれない。
そんなことは今までいっぱいあったと思うけど、
激励ではなく一番耳の痛い、言われたくないことばを言ってくれた吉行さんの存在はほんとに大きかったんだな、
と改めて思いました。
たいへんなことだからほんとは賛成じゃなかったと思いますと、なつかしそうに振り返るまり子さんが印象的でした。
それにしても吉行淳之介、かっこいいなぁ。

じゅんのすけー。


ルーブル美術館展 2008年02月14日13:17

上野の東京都美術館に行ってきました。
平日の朝からということもあってか、さほどの混雑もなく、
宝石をちりばめた嗅ぎ煙草入れの前がなかなかあかないぐらいでけっこうゆったりとみられました。
嗅ぎ煙草入れもですが、ポプリ入れ、辛子入れ、テリーヌ入れ、ワイングラス入れなどなど、
ふつうの生活で使うちょっとしたものがふつうに豪華。
まさしく「フランス宮廷の美」とはそういうものか。
塩入れだって、食卓塩なんて書いてあるやつじゃありませんぜ。
(食卓塩って金で書いてあるとかいうことでもありませんぜ)

また、家具がよかったですねぇ。
アントワネットお気に入りの家具職人製作のシリンダーデスク。
あまりにも手がかかり費用がかかるため財政のひっ迫でその職人にはあまり頼めなくなってしまったそうです。
これまたお気に入りの、MとAのイニシャルをあしらった旅行用携行品入れは、
万一のときの持ち出し用にスペアを作らせていたんだとか。
華やかな宮廷の美の裏で革命の空気はひたひたと迫っていたのだった。
さてと、今回は工芸品などが中心の展示でしたが、肖像画などもけっこうありました。
「大きめの鼻や広い額が特徴で、本人を忠実に描いたと評されている狩猟服を着た王妃マリー・アントワネット」
サロンでは不評だったそうですが、だいたいまぁ、そういうもんですよね。
それから版画です。
家具の設計図。
当時の人気美容師作の流行ヘアカタログ。
背の高いヘアスタイルが流行りだったために梯子にのってセットしてるところとか
外出のときに1mほどの頭を支える専属の使用人を引き連れたご婦人の風刺画などなど。
版画って、わりあいそういうふうにふつうに使われるものだったのかもしれないです。
ゆっくりまわって、目の保養ができました。
それとともに宮廷の中と外の空気の差がが感じられるなかなかに興味深い展示でもありました。
ああ、そうそう。
ルイ15世が使っていたという屏風があったんだけど、
「次から次へと料理が運ばれてくるために、扉を閉めることができず、
そのため風除けに屏風は大事な役割をはたしていました」というナレーション。

扉が閉まる間がないほどってふつうに言うけど、すごいですよね。
それだけに展示されていた食器やさまざまな○○入れなども、宮廷にはかかせない重要アイテムだったのでしょう。
イヤホンガイドはいろいろ勉強にもなるし楽しめて、
やっぱり、なにごとにも先達はあらまほしきかな。

http://www.asahi.com/louvre08/


野村再生工場第一号。 2008年02月12日13:12

宮本輝さんを特集していた流れで毎週録画にしていたNHKの「知るを楽しむ」の枠。
そのままにしていたら先週から野村監督の回をやっております。
(歌手志望のはなしもその中でやっていたのですけどね)
女手ひとつで育ち盛りの息子たちを育ててくれている母を少しでも楽にしたい。
歌手志望もそのためだったのですが、声をつぶしただけに終わってしまいそれからは野球の道へ。
しかし甲子園にはとうてい縁がなく、スカウトの目に留まることも全くなくて、南海ホークスの入団テストを受ける。
入団テストの最初の課題は遠投だったんだけど、野村さんはそのころ肩が弱くて最初のトライは合格ラインにぜんぜん届かず。
無理だ。。。と思ってあきらめかけた最終トライ。
二軍のコーチの人がそーっとそばにきて「マエイケマエイケ」って言ってくれて、なんと合格。
思い切って5mぐらいずるさせてもらったそうです。それは見逃しのレベルを超えてるようにも思うけど、
そういう時代だったんですなぁ。
1年目のカベ(ブルペン捕手)時代の給料は7000円。そのうちの3000円は寮費として天引き。
でもその残りの中からも毎月1000円、お母さんに仕送りしていたそうなんです。
しかし出番はほとんどなく、シーズン11打数ノーヒット。
オフに契約にいったら、クビを宣告された。
必死で食い下がった。
熱意が通じたか。あまりのひつこさにあきらめたか。
「もう一年おいたるわ」
そういう時代だったんですなぁ。
その後、キャッチャーは無理を打診された肩の方も、
一升瓶に砂を入れて筋トレしてだんだん強くなって、それから打撃も開花。
押しも押されぬ大選手になったわけですが。
それにしても最初のズルを見逃してくれたコーチがいなければ、今のノムさんもいなかったわけで。
まったく不思議なものです。
ちなみに、仕送りの1000円を、お母さんが毎月貯金して積立てくれていたことをずっと後になって知りました、
というはなしをしているうちにノムさんは泣いてましたねぇ。
か、監督・・・
阪神時代は連続最下位だったけど、あれは井戸を掘った時期だったんですね。
水を飲む時は井戸を掘った人に感謝することを忘れてはいけない、という
中国のことわざを思い出しました。
水を「ノム」ときはね。
でもあの後星野監督だったことは、ほんとによかった。いやほんと。


パペロ 2008年02月09日13:52

図書館で、借りていた志の輔落語「紺屋(こうや)高尾」のCDを返して、
「八五郎出世」を借りていたら、なにやら催し物をやっているので立ち寄ってみました。
パペロと遊ぼうのコーナーがおもしろかった。
問いかけに対してピカピカして頭をくるくる回して答える、なんかかわいいやつです。

こども「すきなひとはだれですか」
パペロ「アナタノコトガスキデスヨ」
こども「ものまねをして」
パペロ「ミーンミーン」
係りのお兄さん「せみのものまねなんだね」
こども「おならをして」
パペロ「ブー」
お兄さん「においは出ないんだね。残念だったね」
こども「そうなんだぁ」
がっかりしているこどもを見てこのままではいけない、とこじろうは思った。
そして、その子の願いをかなえるため、お腹に力をいれ・・・
と思ったがやめた。

会場は小さなブースに分かれていて、計測器、模型、ロボット制御装置など
なかなか興味深い展示が並んでいて楽しめました。
例によって当然スタンプラリーにも参加。
スタンプを押すんじゃなくて、科学にまつわるクイズに答えていく形式なんだけどね。

近代科学の父とよばれるのは誰か。
1、マリー・キュリー
それはたしかに父じゃないだろ。
みたいな突っ込み入れながら回って、記念品に修正テープをもらっちゃった。
けっこう太っ腹だなぁ。
セグウェイの試乗をしたかったんだけど、時間が合わず断念。
それに雪も降ってきたし。
こなーゆきー、ねぇ♪
ゆきはーふるーちゅーにちはーこないー♪
なごーりーゆきーもー振るときーおしりー、ふざけすぎたー♪
いろんな名曲がありますが、
雪でした。あなたのあとをなんとなくついていきたかったー。
ああ、あなたは見知らぬ街の見知らぬ人ー♪(猫の「雪」)
って、わかるかなぁ。わかんねぇだろうなぁ。。。



スーパーでスペシャルなブルドーザー。 2008年02月06日14:03

強みを磨き、弱みを改革するように努力する。
しかし、弱みを改革することばかりを議論していると
往々にして強みを磨くことを忘れてしまう。

今週のカンブリア宮殿のゲストは、多角経営と公共事業の激減で大赤字だったコマツをV字回復させた坂根会長。
負けている全部をよくしようとすれば全部がそこそこのものはできるけど、できるのもそこそこのものになってしまう。
思い切ってここは負けていてもいいときめて、強みを磨いて突出したダントツのものをつくる。
伏見工業のラグビー部の泣き虫先生とも共通しているような容貌からしても、そのまま名物校長先生の教育論のようにも見えました。
ダメなところばかり言われているといいところを伸ばそうって元気もしぼんじゃうし。
まあ、そういうこともあるんだけど、クレーンやショベルカー、ユンボなどが好きなんで、見ていて楽しかったです。
マジンガーZやガンダムがすきなのもそういう点が大きいかも。
エイリアン2でシガニー・ウィバーがガキーン「さあ、かかってらっしゃい」ってやつ、かっこよかったすなぁ。
えー、さて、5億円の無人で動くITダンプやスーパーブルドーザーが飛ぶように売れているんですなぁ。
地図情報から絞り込んでいくと、どこにあるか、さらに個別の動いている時間から燃料の量、
エンジンの調子、油圧、油温などなどまで、コンピューターで把握して、調子が悪いところはいち早くメンテナンスされる。
お客もうれしいけど、データは経営戦略にも大きな武器になるわけです。
坂根さん、映ってないときに小池栄子ちゃんに「わたしの話、わかりますか」って聞いていたそうで、
龍さんも感心してましたけど、こういうとこも勉強になりますなぁ。

タクシー初乗りより安い国際線料金 2008年01月31日12:43

今週のガイアの夜明けは、世界の空を席巻する格安航空会社(LCC)。

クアラルンプール−コタキナバル間を3000円
クアラルンプール−プーケット間を1700円
クアラルンプール−バリ島間を600円で運行している。
インドネシアのチルボンという小さな町から小さな子どもたちを残してマレーシアに出稼ぎにいくおかあさん。
2年前は船で10時間以上かかっていたのが飛行機で行けるとなると、休みに子どもたちに会いに帰ることもできる。
LCCのシェア拡大は、人々の生活様式まで変えている。

カンタスの100パーセント子会社のジェットスターでは、
機内食はオプションで、コンビニのサラダを持ち込んで食べている人も。
毛布や枕をつけるとで1200加算という具合に、予約のさいに選択する。

シドニー−ホノルル18000円。

ところが日本からの便はサービスをすべてカットした価格でも、

関空−シドニー70000円。

これでは他社がフルサービスで93000円であるのと比べてもたいした差ではない。
日本の航空運賃は割引の限度が決められているからしょうがない、といってはいられない。
ジェットスターの日本法人は旅行会社を設立してしまった。
関空−シドニーの往復を30000円。
旅行会社なら規制の対象にかからないことを利用した。

もちろんいちばん気になるのは安全の問題ですよね。
日本の国土交通省もJALや全日空もいちばんそこを強調するのでしょうが、
逆におごりが見える部分もないわけじゃないし。
料金は高いのに赤字って、やっぱ問題があるような。
安全には規制も必要だけど、だからといっていつまでも規制で守られることにあぐらをかいていられるわけでもないですから。

ふつう全席指定の座席を自由席にすることで人件費を節約。
機内誌を持ち帰らないようにする。
ごみが出るとすぐに回収したことで到着してからの清掃時間を短縮し、
機体の稼働率も上がり、空港からも早く飛び立てる。
細かい工夫を積み重ねて、エアアジアでは通常の三分の1のコストで飛行機を飛ばしている。
参考になることはたくさんあると思います。
ビジネスクラスで旅行したい人もあれば、高速バスもある。
安全面がしっかりしてれば、サービスは選べていいんじゃないかしらん。

ちなみに、
深夜特急みたいに、満員の鉄道に飛び乗って網棚に寝るとか、
バスの屋上にのって風に吹かれているとか、どうもそういうイメージがあるかもしれないけど、
「左の尾翼につかまっている人ー。傾いてるのでお二人ほどもうちょっと右に寄ってくださーい」
とかそういうことはないと思いますよー。

解凍してもじゃがいもがおいしい冷蔵庫 2008年01月16日14:06

ガイアの夜明け「進化する冷凍技術」
冷凍したカレーを解凍するとジャガイモが水っぽくなっておいしくない。
これ、常識。
でも常識が変わる冷凍技術が開発されているんだな、これが。
冷凍庫から出してきた凍っていないペットボトルの水。
これをボールにあけるとみるみるうちにシャーベットのような氷の塔ができていく。
これは全体を温度差なく均一に冷やしておいた状態では水が凍らない[過冷却]の状態になっていて、
そこに急激な温度変化を加えることで瞬間冷凍させるという技術なんですな。。
従来の強い冷気でまわりから冷やしていく冷凍庫だとゆっくり固まるので、
できた氷の結晶が大きくその氷が食品の細胞を壊してしまう。
瞬間凍結だと氷の結晶ができる前に組織の中の水分もそのまま冷凍できる。
実際に年末に作りすぎたカレーをお正月に家族で食べてもぜんぜん解凍とわからない。
冷凍握り寿司、冷凍ケーキもどんどんできます。
さて、
北海道小樽の冷凍食品宅配会社でも、独自の技術を開発して
おいしいまま瞬間冷凍した食品を届けるサービスを行っている。
通常の冷凍だと水分が出てしわしわになっていたゆでたまごもゆでたてのようにみずみずしい。
この技術に注目したのが糖尿病食で定評のある病院。
もともとおいしいものを食べていて糖尿になるのに、ふつうの味気ない病院食ではなかなかつづかない。
血糖値を上げるのは糖質である。だからカロリーはあっても「糖質」が少なければよいわけで、
そう考えるとかなりのバラエティーに富んだメニューを取り入れることができる。
例えば一般的な糖尿病食のメニューが玄米ご飯、野菜のスープ煮、
プチトマトやおしたしなどで512キロカロリー、糖質62.8グラムであるのに対して、
豚肉の生姜焼き、豆腐ハンバーグなど同じく5品を445キロカロリー、糖質17.9グラム。(ごはんはないけど)
生姜焼きがうれしいですな。
しかし入院して食事療法で劇的に血糖値が改善しても、苦労するのが退院してからの食事を自分で作ること。
たいていの人はここで挫折してしまう。
そこで病院の食事をそのまま届けられないか、ということを考えたわけです。
特に豆腐にすがだたずにそのまま冷凍できる、というのは最大のメリットです。
(メニューのキモが大豆製品ですから)
一回のメニュー。鶏肉の南蛮漬け、厚揚げと大豆のトマトソース煮、油揚げのピザなど。
カロリーは600キロ以上あるが糖質は12グラム。
油揚げのピザ生地の部分は小麦粉を使った場合の25分の1になっている。
半年ぶりで「ほんとにピザ食べていいんですか」というメニューが食べられて、しかもおいしい。
1回分880円は高くないと思いました。

島根県隠岐諸島の離島からの海産物の輸送にも最新の冷凍技術が役立っています。
するめイカと岩がきが島の特産品。
その場で氷を詰めて箱詰めしてフェリー乗り場に直行しても本土へ向かうフェリーの朝の便はもう出てしまっている。
1日2便の午後の便を待って、乗り込むが他の島をまわって境港に着くのは夕方5時過ぎ。
翌日の競りに出してもまわりの港近くでその日にとれた新鮮なイカにくらべられて値段をたたかれる。コストもよけいにかかる。
そこで登場したのがCAS(セルアライブシステム−細胞を生きたまま凍らせる凍結庫)
半年以上前に冷凍した物がとれたてぷりぷりの状態で食べられる。
町ぐるみで冷凍工場も造って、インターネットで受注する。
これによって、島の漁業自体が徐々に回復しているそうです。
こういうことを他のところでもやっていったら、
助かるところがたくさんあるし、たいへんなサイトができそうだぞって、だからそれが楽天だって。。
この間のカンブリア宮殿の三木谷さんの回とあわせてみるとおもしろそうですね。。


孤高のクライマーのパートナー 2008年1月10日14:36

NHKスペシャルの再放送。
凍傷で指を失った登山家夫婦山野井泰史さん、妙子さん。大岩壁に挑む。
どうも悲壮感の漂うなイメージで、積極的に見ようということではなくつけていただけだったんだけど、
話が進むにつれて引き込まれて見てしまった。
なによりも、前向きで明るい。

ヒマラヤの無酸素単独登攀など、「単独」が代名詞のような山野井さんが
「唯一、妙子ならパートナーとして一緒に登りたいと思った」って9歳年上の妙子さんと結婚して、
5年前に下山中に雪崩に襲われて、奥さんを救いにいくために山野井さんは凍傷覚悟で手袋を外すわけです。
それで指先をかけられる岩の割れ目をひとつ一時間ずつかけて探して降りて行って、奇跡の生還を果たす。
そして、リハビリと訓練の末に再挑戦する岸壁の頂点に昇る時に、泰史さんは妙子さんを先に行かせる。
「トップでのぼる喜びには、指があるとかないとか関係ない。それを妙子に味あわせてやりたいんだ」
なんて、こんな最高のおのろけは聞いたことないですよ。あっちっち。

切れない人はすごいです。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/080107.html


落合シェフのイタリアンもち料理 2008年01月09日14:28

きのう、ひさしぶりに朝のNHKの番組を見ていたら例の(?)3シェフ共演をやっていましたぁ。
お正月明け、ということで食材はもち、
残った「もち」をおいしく料理、でした。
特にイタリアンの落合シェフの「もちピザ」は、共演のおふたりも絶賛。
孫さんはあっというまに完食して、おかわりしてました。「ほんとのピザよりうまいよ」
もちピザはずっと前に高島夫妻の「ごちそうさま」(いただきます?)でやっていて、
自分でも作ったりしていたのですが、さすがイタリアンの落合シェフ。
オリーブオイルというのが一味違うかんじでおいしそうでした。
フライパンで作れるし、こんどやってみよっと。
http://www.nhk.or.jp/hot/onair_new/index.html

生涯学習センターに申し込んでいた「陶芸教室」が外れたんで、
あたらしく実技系の講座に申し込んでおいたのですが、なんと当たってしまいました。
思いつきで申し込んだので当たってちょっと微妙。
今回は定員が45名もいるんで当たりやすかったみたい。
「朗読」「水彩画」に続いて3つ目の実技講座です。
ちなみに講座名は、
@色鉛筆で描く植物画入門
A中高年のためのフラダンス講座
Bはじめてのゴスペル入門
Cやさしい中国語会話
のどれかです。

そのうちはじまったらまた日記にでも。



チャップリンの秘書は日本人だった。2008年01月08日13:55

暮れにNHK-bsハイビジョンでやって、明けてETV特集で再放送があり、
今週またbsで再放送があるようです。
NHKはかなり力を入れてますね。
高野虎市氏。
広島県八木の大庄屋の子に生まれたが、生まれた時から許婚がきまっているようなレールの上をすすむことを嫌い、
15歳で単身アメリカ、シアトルへ。
荷物運び、店員、運転手などをしながら夢と希望の国アメリカでの現実に直面する日々に転機が訪れたのは
31歳の時に見た「チャップリンの運転手募集」という新聞の記事だった。
はじめは運転手だったが、彼はしだいにチャップリンに信頼される存在になってゆく。

トイレに入っているときまで
「トライチ。Where are you?」
「チャーリー。今手が離せないよ」
「そんなことどうでもいいから早く来い。新しいアイディアを思いついたから意見を聞かせてくれ」
チャップリンが最初の妻とうまくいかなくなってきた時、
彼女はチャーリーの心を引き戻そうと、わざと他の男を家に呼んで彼を嫉妬させようとした。
ところがそれを口実に妻と別れようとしたチャーリー。
「トライチ。今日はわたしたちは探偵だ」
しっぽをつかもうとふたりで夜中に庭から忍び込んだものの、
逆に妻側が雇った探偵に見つかって銃をつきつけられる。
「ちょっとまって。僕たちは怪しいものじゃない」
うしろを振り向くともうチャップリンはどこにもいなかった。
といった具合。

同じくチャップリン邸で働いていた日本人の女性と結婚し、
キッドの撮影当時に生まれた虎市の長男に、
チャップリンは自分のミドルネームであるスペンサーという名前を贈っている。
仕事のマネジメント、お金の管理からふだんの洋服選びまでを任されるようになった。
日本からハリウッドを訪れる政治家や有名人もみな、虎市にアポを頼むようになっていた。
しかし、そんな蜜月にも映画モダン・タイムスで共演したポーレット・ゴダードが3人目の妻、として、
チャップリンの身の回りを取り仕切りはじめてから暗雲がかかりはじめる。
やがてチャップリンと袂を分かって秘書時代に紹介した人物がらみでスパイ容疑で投獄されたり、
そのことで戦争後も長く収容所から出てこられなかった。
晩年は、広島に帰り市民権を剥奪されて日本に帰ってきた移民たちの権利回復のための仕事をしていたが、
チャップリンの来日を知っても会いにいくことはなかった。
複雑な思いがあったのでしょうね、ひとことで言えないような。
チャップリンの娘さんはゴダードに対してはかなり辛口の感じだったけど、
トライチに関しては父は心から信頼していた、と言っておりました。
そう簡単には言えないけど、やはり会っていたら、よかったんじゃないかなぁ、とぼくは思いますよ。
番組は中村獅童さんが虎市を演じたドラマ仕立てで、舞台になった土地をまわって、
チャップリンの娘さん、虎市の娘さん、広島の親戚や晩年いっしょにすごした女性などに
インタビューをした映像などをとれいれた作りになっておりました。
仕事ができて卒がなく、交渉術にも長けているけど、どこか人生に不器用な、
そんな虎市さんを獅童さんがなかなかよく演じてました。
この番組もおもしろかったけど、もう一本。
チャップリンが本編で使わなかった膨大なフィルムについての番組があって、
僕としてはこっちの方が超おすすめなのですが、
それはまた別のお話。


クローズアップマジック 2008年01月06日18:07

きのうの日記のマジシャン前田知洋さんのつづきなんですが。
司会の本上まなみさんと山本太郎さんの前で手品をしたあとに、
種明かしをせがむ司会の二人に前田さん。
「本上さん。これから僕が種を教えたとして、誰にも話さないでくれますか」
本上「はい」
前田「絶対、誰にも話さないと約束できますか」
本上「それはちょっと」
山本「ぼくは口、固いですよ」
前田「ほんとうですか。絶対ですか」
山本「絶対言いません。口固いですから。口は固くないとだめです」
前田「そうですよね。ぼくもそうなんです」

クローズアップマジックはお客さんと会話しながらやるから手品の技術だけでなく、しゃべりを聞いていてもおもしろい。
ちなみに今回の手品は本上さんが選んだのがクラブの4で、これですかと出したカードがハートのQ。
それを4つにちぎったものが本上さんの握った手の中でクラブの4に変ってしまい、
さらにちぎれていたカードがつながり、
さらに折れ目がもどってきれいなカードになってしまうというものでした。
で、いちばんびっくりしたのはどこかというと、
もう一本他の番組を録画していたやつをみたら、同じ手品をやっていて、
ゲストの浅野ゆう子さんが選んだのがクラブの4なのに、ハートのQとまちがえて、それを4つにちぎって。。。
えー。そこまでいっしょですか。
それが種なのか、そして古畑任三郎で山城さんがやっていたお客に思った通りのカードを選ばせる
マジシャンズセレクトってやつなのか、
はたまた複数の番組を見ている僕みたいなやつのために、わざとやってくれているのか。
いずれにしてもたいへんおもしろかったです。
つぎになにかの番組で見る時、またクラブの4なのか。たのしみがまたひとつ増えちゃったなぁ。


じぶんの職業を証明できるもの。 2008年01月05日17:58

暮れにNHKの帯番組で柳家花禄さんのお伊勢参りの番組をやっていたのを今頃になってみたんですが、
(と、いうかこの枠は毎日録画にしてるので)
その中で、入りでっぽうに出おんなと、どこより厳しい箱根の関所で
手形のいらない職業があった、というクイズがあったわけで。。
四拓で答えは「芸人さん」だったんだけど、
手形がいらないなんていいなぁ、ってことではないのです。
実際にお役人の前で芸を披露して認められなければ通れない。
つまり芸人さんが自分を証明するものは自分の芸だけである。
芸は手形では証明できないということなのです。
これを見てたら、海パンで牢に座っている若手の方を思わず思い浮かべてしまいました。
最近テレビを賑わしている大人気の人たちの中で、いったい何人が関所を越えることができるんだ、とかね。

そういえば、おなじく最近見たNHKのトップランナー。
クローズアップマジシャンの前田知洋さんの回でこういう話を聞きました。。
東京電機大の工学部出身。まわりの友人がメーカーや研究所に就職するのになぜプロのマジシャンになったのか。
就職すれば○○電気の前田です、みたいに自己紹介できるんですが、
クローズアップマジシャンです、って言ってもわからなくて、トランプを当てたりするんですって自分で説明しなければならない。
なんかそういうめんどくさい仕事がやりたかったんです。
そんな感じだったかな。
つまり自分が説明したり、実際に仕事をやってみせて認められないと誰も証明してくれないということなのですよね。
そういう気持ちって自分が会社にいた時はぜんぜん考えなかったけど、実際やめたときはすごく考えたもんなぁ。
やめる前にももっと考えとけばよかったと思ったりもして。

前田さんは品川区の大井町の出身だとかで、じぶんが就職して四年間いた教室のすぐそばでした。
ぐうぜんですが、なんかすごく親近感がわいてしまいました。
余談ですが、その頃は時代屋の女房で夏目さんが降りてきた歩道橋の脇を通って通ってました。
なつかすいーですなぁ。。。


イチローとノリ 2008年01月03日07:28

お正月の番組で印象に残ったふたり。
共通するのは
「自分を捨てる」ということ。
プロフェッショナル仕事の流儀SP。
人並み外れた技術と反射神経。イチローをイチローたらしめている「どんな球にも対応できる」才能。
ゆえに悪球に手が出てしまうことも。
「この□の中に入るボールを打ち返すなら誰より上手にできる。
それだけできれば今まで覚えてきたどんな技術もいらない」
まっくら闇で目標のひかりも見えないけれど、
その「イメージ」を目指してイチロー自身と戦うようなイチローをカメラは追った。
そんなに考えすぎて自分を追い込まなくてもいいじゃないか、とも思うが
それがなかったら今のイチローもないようにも思えて、ほんと難しいよね。
そして最後にセンターの守備についた時の涙の意味が、特集番組であかされる…
えー、気になるー。今明かしてよー。
さて、中村紀。出てたのは「さんまのまんま」の締のゲストです。
去年の今頃、100パーだめやと思てました。
娘に「なんで家いてんの」言われて、テレビで野球の話出そうになると消してました。
元全日本の4番が、朝出かけて公園ででも野球して帰ってこようかと思うほど追い込まれてた。
でもまだできる。野球さえできればいい。
「本人がやりたいっていうんだから、やらしたらいいでしょ」って落合監督のコメントが今さらながら思い出されます。
MVPとって、年俸もまたカーンとアップした紀がどうなるか。(喉元過ぎたら…ってこともあるし)
そして野球をこころから楽しめる入り口あたりにきたというイチロー。
今年もこのふたりには注目です。


みつをさんと富弘さん 2007年12月28日19:03

日曜日に相田みつを美術館に「星野富弘・相田みつを展」を見に行った。
星野さんの絵は知っていたけど、どういう人かをぜんぜん知らなかった。
体育の先生を志して群馬大学を卒業。赴任して2か月目に顧問の器械体操部の練習中に第四頸椎を損傷。
あたまを持ち上げることもできない状態で、ようやく筆を口に咥えて点がひとつ書けるようになったのが2年後のこと。
その点が富弘の「富」になり、「お富」と書いたのが始まり。
それから9年間の入院中に少しずつ絵や書をかけるようになっていった。

みつをさんが書家として自立することを決意したもののなかなか芽が出ずに、
29歳の時には自分の作品をもって、仕事を探して歩いていた。
そんな時に、ある和菓子店で包装紙のデザインをやることになり、店主から自信はあるのかと聞かれて、
「自信はありませんけど、今のものよりよくできるという自惚れはあります」と答えた。
その包装紙から、作者のみつをさんの名前もだんだん知られるようになって、今でも店の顔として使われているんだとか。

絵葉書を買いました。

あんなにして
やったのに
「のに」がつくと
ぐちが出る

みつを

もう一枚、気に入った作品があったんだけど、
どうしてもみつからなかった。

極楽を
保証されても
娑婆がいい

みつを

また探しにいきます。

http://www.mitsuo.co.jp/museum/index.html


講習二日目(図録のちから)。 2007年12月27日18:31

科目ごとに専任の先生がいるような大手の塾とはちがい、
講習では朝の9時から夕方5時過ぎまで、英・数・国・社・理をおなじメンツに教えることになるので、
ちょっとでも変化をつけようといろいろやってます。
国語に限らず、問題でも答えでもなんでも、とにかく音読。
「池のまわりを反対側にスタートしたふたりが、10分後に出逢ったぁ〜」とか。
数学の文章題を「うるるん風」にアレンジしたりする。

推古天皇の摂政になって、17条の憲法や冠位12階の制度をつくった(  )太子。
とか無理やり穴埋め問題を作ったりする。
( 明 )太子?

答えが出なかったら無理なヒントを出してみる。
538年(  )から仏教が伝わる。
「えー、アルプスの少女ハイジの友達で、歩けなかったんだけど…」
クララ?
はい、クダラ正解。百済ね。教科書ではペクチャって習うね。

そういうダジャレ攻撃もあれですが、今年は大徳川展の時に買ってきた図録がとても心強い味方です。

1600年、関ヶ原の戦い。といっては、これが徳川家康がつけていた鎧かぶと。そして、これが家康の刀だよ。
とか、
15代将軍、徳川慶喜が朝廷に大政を奉還。ほら、ここに慶喜ってかいてあるでしょう。とか。

えー、これが徳川家康のミイラの写真です。
「えー」
うそです。木の像です。

なんつって。 実物の写真の持つ力はすごいですよ。
眠そうだった生徒が目を輝かせてのぞきにきますから。

30日まで前半戦はあと3日。
たのしんでやろうと思ってます。


声のちから(田中真弓さん)2007年12月22日14:23

田中真弓さんって誰?という人も声を聞くとピンとくるはず。
授業を受けた小学生たちもそうでした。
クリリンで、ルフィーで、天空の城ラピュタのパズーの声優さんです。
NHKの「ようこそ先輩」で母校の小学校での授業の様子をやっていました。
田中さんが教室でこどもたちに話してたことなんですが、
事故で意識が戻らない子どものおかあさんから手紙をもらったのがきっかけで、 大好きなルフィーの声で「おれ、モンキー・D・ルフィー。海賊王をめざして航海してるんだ。
タクヤもがんばれよ、がんばれタクヤ」みたいな録音をした。
それをおかあさんがエンドレスで聞かせていたら、ほんとうに意識が回復したとか。
ルフィーについては、他にもそういうはなしが多いそうで、
アニメになって仕事をもらった時から「使命」のようなものを感じていたそうです。
ワンピースでは、ゾロとかサンジとかにくらべてルフィーはどちらかというと三枚目だし、
悪魔の実を食べてゴム人間だけど、いつも明るく前向きにがんばっていますからね。
なんかわかるような気がします。
ウソップも好きですけどね、ぼくは。

おっと、脱線。
授業の前半は声でなく、文字だけのコミュニケーションを考えるということで、
スケッチブックだけで会話する授業。
遅刻したAくんと待っているBさんのメールの会話。
「今どこ?」
「家の中って言ったらおこる?」
「もう怒ってるから」
「どうしますか」
「遅れたバツ。そっちが決めて」
「じゃあ、今日は解散ということで。ばいばい」
えーっ、とクラスのブーイングを浴びたAくん。
「じぶんではわるいと思ってるんだけど」
あやまってないじゃーん、と女子からまたブーイング。
でも、声に出して読んでみるとぜんぜん印象がちがってくる。
とくに田中さんが読むと。
中学生とかも、メールできついこと書かれたとか悩んでいる子を見ることが多いんですが、
やっぱりなかなか伝わらないですよね。
ミクシーの顔文字とかでも苦笑いのつもりで書いたやつが携帯だと青ざめてたりすることもあるし。
ほんとの手紙だと伝わることも多いと思いますけども。
さて、そういうことも含めて文字コミュニュケーションのむずかしさを改めて学んだこどもたち。
次は教室を出てNHKのスタジオで、自分の声を録音する授業。
気持ちを伝えたい人に語りかける。
自分で書いてきた原稿をひとりひとりマイクの前で読んでいく。
事前のアドバイスでもいちいちここをこうやって、というのではなくて、強調する部分だけをちょっと言うだけなんですね。
亡くなったおばあちゃんに呼びかけた女の子は、緊張のため声はうわずって、つっかえるは、何度も噛んじゃうという状態。
田中さんはかんでいたところを指摘するのではなく、「ゆっくり読んでみよう」
そしたら自然にさっきつっかえていたところが直っている。

こういう教え方も、すごく勉強になりました。
田中真弓さんといい、野沢雅子さんといい、ぼくは名優だと思います。
マジンガーZなど、多くのアニメ主題歌を歌ってきた水木一郎アニキがこの間NHKに出てたけど、
見て感動して育った人たちがどんどん大人になっているということもあるし、
声優さんも、これからもっともっと評価されるようになると思います。


絵本原画展(府中市美術館) 2007年12月13日14:00

地元の府中美術館で絵本の原画展をやっています。
これは企画展ではなく、市民ギャラリーでの展示だったので入場無料でした。
入口と出口がちょっと離れていたので、見終わってから入口の前を通りかかり、
受付の前に置かれた告知などを眺めていると
「おにいさん、よろしかったら見ていかれませんか」
と受付の女性。
「あ、今出てきたところです」
「スタンプラリーもやってるんですよ。6個集めると絵葉書が2枚もらえますから。
こちらでひとつスタンプを押して、残りの5つは新しくできた中央図書館にありますよ。はい、用紙」
「あ、どうも」(おにいさんと呼ばれてやる気になっている)
「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、探して押してみてくださいね」
ん?

一個目のばーばーばーちゃんのスタンプを押して、中央図書館へと向かう。
最近毎日落語のCDを借りて携帯に入れて聞いているのでどっちみち図書館にいくつもりだったのですよ。
4Fの視聴覚のコーナーで文楽師匠の明烏・船徳のCDを返して志ん生師匠の富久を借りて、
係りの人にスタンプの場所を聞いてみると
「ご自分で探してみていただけると、うれしいです。この階にふたつ。下に3つありますから集めてみてください」とのこと。
とりあえずぐるっと一周してみたけど見つからない。
もとの場所にもどってみるとさっきの人が心配そうにブースの外に出てきていた。
「よろしければ、ヒントをさしあげますから。
この階のスタンプはあちらの入り口を出たはじとはじとか。あとは下の階の児童書コーナーを見てみるといいと思いますよ」
ナイスヒント。ありがたし。
「じどうしょコーナー」で大人がスタンプを探してまわるのはたしかにちょっと恥ずかしいかもしれない。
でもまあなんとかスタンプ集めて絵はがきゲット。
山脇百合子さんの「ぐりとぐら」と、林明子さんの「まほうのえのぐ」をいただきました。
ぐりとぐらは昔、本を持ってたんですよね。うれしいなぁ。

原画展は12月16日までですが、図書館の「絵本の世界」展は2月29日までやっています。
図書館の前に「南方郵便機」という自家焙煎のコーヒー豆屋さんがあって、
豆をひいてくれている間にコーヒーの試飲もさせてくれるので行かれた方はぜひお寄りください。

こいぬ

マリ
2007.12/12

「マリと子犬の物語」?
震災の山古志村。取り残された犬に会いにゆく。
どうぶつとこども出して、泣かせようとしているでしょう。
とか思いながら見たのですが。

ごめんなさい。泣いてしまいました。
こどもが多く、はじめはおかしぽりぽり、おしゃべりぺちゃくちゃしていたのですが、
映画が進むにつれすっかり静かになっていました。

じぶんの足が怪我するのもいとわず、ひたすら飼い主を救おうとするマリ。
犬はえらいなぁ。
われわれネコ族(?)もすこしは見習いたいところです。


えこひいき 2007年12月4日

「わかんない」

「分母を6にそろえて…」

「それから?」

「それから先はじぶんで考えな」

「先生、ひどいよ。○○が聞いた時は最後まで教えたじゃん。ひいきだよ」

「それはちがう。お前さんがひとりでできるように鍛えてるんじゃないか」

「えー。そうなんだ」

「そうなんだよ」

「先生、ひどい。○○がかわいそう」

うーん。どっちにしてもそれかい…

みんなが同じ速さで走るわけでもなく、同時にゴールするわけでもない。
同じように教えるのではなく、その子の性格やわかりぐあいによって、
教え方や接し方を変えること。これは必要だと思ってやっている。
しかし、じぶんがそのさじ加減をつかんでいる気になっていると、
それはえこひいきと紙一重にもなる危険がつきものだということも肝に銘じなければいかんと思ったりするわけで。
それと納得いかない時にこどもが「先生、ひどいよ」と言えるような関係は、失わないようにしたいと思ったりもするわけです。
いろいろむずかしいですね。

大徳川展(上野・国立博物館) 2007年11月22日

入口の前から続く行列はエントランスをぐるっとまわって、入場待ち50分。
平日の午前11:30でこの状態。出てきた時でヨカタ。
混雑のうわさは聞いていたので朝一で見てきて正解でした。

教訓その1 早起きは三文の徳ってほんとだね。

ゲートについた時は9:30の開場に数分前。すでに4列縦隊でかなりの人が並んでいる。

教訓その2

面倒でもチケットはあらかじめ買っておこう。

列に並んでいる人はチケットを買う人で、窓口は時間にならないと開かない。
持ってる人は列を横目にサクサク会場へと案内してくれる。
申し訳ないす。
大徳川展は平成館の2F。展示は第一会場・第二会場にわかれていて、入館者はそのままどっと第一会場へ。
あらかじめ調べていた僕はそれを横目で見ながら第二会場へ。
これがまた正解。
まだほとんど人がいなくてあきれるほどにゆったりと見ることができました。

教訓その3

ほんまかいなと思っても、人の意見には耳を傾けてみよう。

飾ってある品のひとつひとつが、実際に信長や秀吉、家康、千利休などゆかりの品々。
秀吉直筆の茶の湯日記とかを見ると、イメージとかなり違う感じの字だったりして。
このルソンつぼを安土城ができた時に献上された信長はたいそうよろこびました、か。
信長がこの壺の目の前で実際にニヤリと笑っていたのかな。
大河ドラマで染五郎(現幸四郎さん)がルソンの壺で堺の町を救ったシーンを思い出してしまったよ。

教訓その4

なんの壺かわかって見ると楽しさ倍増。
特にこうした展示ではかならずイヤホンガイドは借りましょう。
なにごとにも先達はあらまほしきかな。(仁和寺の法師より)

それから三代将軍家光の娘、千代姫が尾張の徳川光友に輿入れしたときの嫁入り道具が展示されていて、これがまたすごい。
純金95%の茶釜セット。95パーといっても5パーセントは裏張りの銀ですから。
椅子ぐらいある豪華な蒔絵の箱。貝合わせの貝がらが中に360個入っている。
当時千代姫2歳。光友八歳というから、本人は貝殻がいちばんよろこんだのではないかと思われます。
いやいや、やはり金かな。おなごは生まれた時からおなごでございますから、ほほほ。(大奥より?)

じっくり見てから第1会場へ。こちらは関ヶ原で家康が着ていた鎧かぶとや刀など武張った展示が中心。
もうそうとうに混んでいて、先にこちらを見といた方がよかったかな、とちょっと後悔。
でも鎧かぶとや刀は大きいからわりと人のうしろからでも見られるんですよね。
あとでもう一度第2会場をのぞいてみたら利休お手製の虫食いの茶杓(耳かきくらいの)の前などびっしり人で埋まってました。
ああいうのは見えないよね列の後ろからだと。
家康が征夷大将軍になるときの宣旨から外国との通商条約、
「大政奉還」の上意書や徳川慶喜の将軍職辞職の沙汰書まで、
時代もの好きにはたまらん展示の数々。また酒井抱一や狩野探幽など、絵や書もひとつひとつがゆっくり見たいものばかりで、
こりゃあ仕事前にまわるのはたいへんでした。
帰りに印籠ストラップと図録を購入。

教訓その5
図録は帰りに買おう。

とにかくありえないほど多くのお宝をひとつひとつ説明してくれているので、図録も大きく、重い。
帰りに買うのもそうですが、リュック持って行って正解でした。

筑後の国の三池光世作。
家康が臨終の折、不穏な動向のある西国に切っ先を向けて立てて置くことを遺言し、
以来久能山東照宮の本殿の奥に安置されていたという門外不出の名刀。
幕府が続いていたらみることができなかったでしょうなぁ。
他にも来国光など、背筋がぞっとするような名刀の数々でしたが、
最も斬れそうに思ったのは、
会場を出てから常設展で見つけた、「虎撤」でした。
やっぱ近藤さーん。

紅葉真っ盛りの上野は修学旅行も集中しているようで、中高生大集合状態でした。
岸田劉生の麗子像の前には中学生が座り込んでレポートを書いていて、横からしか見えなかったけど、
横からだとすごくすっきりした顔に見えた。スマートな麗子いけるやん。
えーと。。。
とにかく、世間では3連休のところが多いようですが、
もしお出かけの際に多少の参考にしていただければ、うれしい限りです。

ドトールコーヒー 2007年11月21日

カンブリア宮殿、ドトール帝国を一代で築いた男、鳥羽(とりは)さんがゲストでした。
塾に就職するまで大門の喫茶店でバイトしていた自分は、いまでもコーヒーには目がないのです。
全国の店舗に送る大量の豆を焙煎するのにもかかわらず全て備長炭を使い直火焙煎している。
コーヒーの値段は安くてもお客さんに豊かな気持ちで帰ってもらいたいからと、
当初単価が2300円のカップと1700円のスプーンを使っていた。
看板メニューのジャーマンドッグの開発に当たっては本場の製法を研究。試作品のソーセージをすべて試食した。
と、こんなにいいことばかりの宣伝かってVTRの時はたいてい村上龍さんはちょっと疑ってかかる。
最後になにか一言言いたくなるらしい。
「でも、大金持ちだからなぁ」とか
「備長炭使う意味わかんないよなぁ」とか。
小池栄子ちゃんがいつも素直に驚いてるのと対照的で、ふたりの反応を見ているだけでおもしろい。
ドトールは喫茶店相手に豆を卸す形でスタート。
コーヒー業界が一堂に揃って出かけた海外視察が転機になった。
立ち寄ったパリのカフェ。地下鉄から降りた客はどっと店に向かうが、
椅子が空いているのになぜかみんなコーヒーを持って立っている。
不思議に思って調べてみると例えば立ち飲みだったら50だけど椅子席だと100、
外のテラスは150というような料金体系になっていることがわかる。
帰国して今のドトールの形を立ち上げるにあたって、
通勤前に気軽に立ち寄ってコーヒーが飲めるようにまず価格を普通の半分以下の150円に設定する。
それからその値段になるように今では当たり前になっているセルフサービスにして人件費を減らし回転率をあげる。
必要な経費を積み上げていって値段を出すのではなく、まず値段を決めてからそれに合うように工夫する、というわけだ。
コーヒー業界の人がたくさんいたのに、どうして鳥羽さんだけがそういうことに気がついたわけですか、という龍さんのもっともな質問。
鳥羽さんが東京に出てきたとき、コーヒーは30円。ラーメンも30円。
それからラーメンが100円になるとコーヒーも100円。200円になると200円というように当たり前のように連動して値段が上がってきた。
誰もがそれを当り前のこととして受け止めていた。
学生街の喫茶店♪、紅茶のおいしい喫茶店♪喫茶店は黄金期で数もどんどん増えていった。
でも、いつかそうじゃなくなる時がくるんじゃないか。絶好調の中でそういう危機感を覚えていたころに、ちょうどパリの視察があった。
まったくおなじ場所にいて、おなじ光景を見ていても、
危機感や問題意識をもって何かを見つけようとしている人だけがその何かを見つけることができる、ということのですなぁ。
勉強になりましたです。
でも、ドトールが値上げしそうというはなしが出て、
180→200円というぐらいということなんでまあそれぐらいなら、というのが会場でも大勢を占めた意見だったけど、
スタバと同じ価格だったらちょっと考えちゃいますなぁ。
完全な成功物語。
でもそこまでいいと、龍さんのちょっと皮肉になるようなところもわからないではないんですよね。
やっぱ僕も龍さん的なアマノジャク人間のようです。

期末テスト真っ最中。 2007年11月20日
テストで学校が早く終わって明日もテストなんで
塾の生徒が早く来ていつまでもいるんで、日記を書く間がありません。
と、いう日記。

国語。中2のテスト範囲より。
平家物語の「扇の的」
与一、かぶらを取ってつがひ、よつぴいてひやうど放つ。
小兵といふぢやう、十二束三伏、弓は強し、・・・

「小兵といふぢやうってどういう意味ですか」
「それはね、小さいけれどー♪ってこと]
(最近あのCMがちょっと気になっていた)

英語。三単現で苦労してます。

「主語がheやsheみたいに三人称でひとりの時は動詞にsをつけるってこと」
「三人なのにひとりってどういうことですか」
「三人ってことじゃなくて、自分(I)が一人称、話している相手がyouで二人称、heはそれ以外だから三人称」
「やっぱり三人じゃないですか」
「いや、そういうことじゃなくてね」
「じゃあ4人称は誰ですか」
うーん。

こういうことをやっているうちに今日も一日が過ぎていったのでした。

昆虫写真家栗林慧 2007年11月19日

NHKの今日の料理プラスで大根の葉っぱとちりめんじゃこを油で炒った菜っ葉めしの作り方を見て
テレビそのままにしていたら、はじまっていた。
カマキリが目の前でカマを振り上げていて後ろに巨大な葉っぱが揺れている。
かまきりよりちょっと小さい猫が縁側に座っている。(遠近法)
まるでみなしごハッチそのまんまの画面。
この写真を撮ったのが、栗林慧さん。(大根めし見てなかったらぜったい見てなかったよ)
こどもの頃から虫好きだった栗林さんが自衛隊入隊後、貯金したお金で買ったのが初めての一眼レフカメラ。この時すでに21歳。
栗林さんは虫の目から見た写真、みたいな絵をとりたかったんだけど、なかなかそういうカメラがない。
なければ自分で作ればいい。
レンズを外して間にジャバラをとりつけ、その先にレンズをつけてまたカメラと連動するようにつないで、
被写体にきちんと光が当たるような角度に両側にストロボを取り付けた。
工作やメカも好きだったんですな。
そうやって作ったカメラで匍匐前進をし被写体に近づいて撮る。
(のちにアリの巣を観察する時は、巣の横に4mの穴を掘った。自衛隊での経験が役にたってますなぁ)
そうして細部までくっきりした目の前にいるような写真をものにしていったわけですが、問題は残ります。
カマキリにピントを合わせると背後はぼける。これではハッチの目で見た写真ではありません。
20年越しの課題を解決したのが医療用の内視鏡。
しかしそのままだと画像も小さく使えないことがわかると高価な内視鏡を惜しげもなく分解。
買ってきたレンズや部品を加工してできたのがクリアビジョンならぬ、クリビジョン。
こうしてハッチの目で見たカマキリの写真が生まれたのだった。

好きこそものの上手なれというけれど、
子どもの頃長崎の山の中で飽きずにいつまでも虫を見ていた気持ちが、
今の仕事(作品という意味でも)につながっている。
手塚治虫さんもこどもの頃、学校も忘れるほど道端でぼーっと虫を見ていて、
その時に見つけて名付けた虫の名前が自分のペンネームにもなっているそうです。

生きる力を育てる、ということで学校でも教科以外の研究もレポートにして発表するという
総合的な時間みたいなものができて数年がたちましたが、
手塚さんや栗林さんみたいな子は、評価Cになっちゃうのかもしれませんね。

http://www5.ocn.ne.jp/~kuriken/
クレイマー・クレイマー 2007年11月16日

今週は「ブルーレッド置くだけ」や「トイレその後に」「熱冷まシート」などのベタなネーミングでヒットを飛ばしている
小林製薬のクレーム対応を取り上げていました、ガイアの夜明け。
「こう書いてあったら誰でもそうおもうぞ」
「口のにおいが消えるって言うから安心して朝まで酒飲んで会社に行ったら、酒臭いって上司にばれたじゃないか。責任取れ」
「部屋用の消臭スプレーをねこにかけたら、具合わるくなったじゃないか。ねこにかけるな、なんて一言も書いてないだろ」
「申し訳ございません。ご迷惑をおかけしました」「おっしゃるとおりでございます」
「瞬間消臭っていちばん大きく書いてあるじゃないか。赤で。うそじゃないか。瞬間てぱっと消えるってことじゃないのか?」
商品の苦情に対して他の製品を提案したオペレーターに
「わたしはあんたの今のそういう態度に対して頭にきてるんだ。だからあんたはだめだって言うんだよ。はなしのわかるものに代われ」
いったん電話を切り、オペレーターは席を立ち、ひとりの女性のところへ。
「クレーム対応の達人」の北島さんへ。
こういう人がいるんですねぇ。
電話をかけてしばらくはなしをすると、お客はすっかりおだやかな調子になっていた。
それでも30分以上かかることもある。
この間カンブリア宮殿にも出ていた小林製薬の社長は
「使ってみて不都合を感じても、なにも言わないお客様の方が多いけど、そういう方は二度と買わない。
わざわざ電話してきてくれる方は感謝」と語る。
クレーム「処理」ということばからも、クレームはやっかいなもの、というイメージがある。
そしてその「やっかいな、めんどくさい」という気持ちは無意識に相手に伝わってしまう。ほんとうに不思議なほどに。
北島さんがはじめにお客さんの言うことをとにかくよく聞いて、真摯に説明しますと言うのは、
単純だけれどむずかしく、とてもだいじなことだと思います。
クレームをどう聞き、どう活かすか、どう対応してくれるかでその企業自体のイメージも決まってしまうわけだから。
福井市の商工会議所が立ち上げた「苦情買います」のサイトの投書がきっかけで、
雨に濡れても高密度に織り込んだ繊維が水をはねかえして、服に水滴がつかないヌレンザという傘が生まれて、
横浜の高島屋などでも大ヒットしているそうな。
3万円以上という価格にもかかわらず。
最近立て続けに買ったばかりのコンビニビニール傘をとられている身としては、そういうことも心配になりましたが、
案外いい傘ってとられにくいのかもしれませんね。
こういう例を見るとクレームは宝物。
だけども、だけど。
それはその通りとしても最前線で電話を受けている人がたいへんなことにかわりはないわけで。
ほんと、頭が下がります。
社長、クレーム係の人のクレームを聞いてくれる係りを作ってあげてください。
あー、そうするとその人のクレームを聞いてくれる係りも必要ですね・・・

鉄腕一代・稲尾和久 2007年11月13日

日本シリーズでジャイアンツ相手に3連敗のあと四連投四連勝。
といっても、第一戦と第三戦も投げているんですよね。
今より試合数が少ない時代に年間42勝。
考えられない数字です。
そんな稲尾さんですが、はじめはバッティング投手をやっていたそうで、
豊田さんや中西太さんが監督に使ってみたらどうですと進言したそうです。
くさらず頑張っていれば、神様仏様も見ているってことですね。
うちの親父が平和台球場からのがちがちのライオンズファンで、
稲尾は家が漁師で舟で櫓を漕いで強い足腰を養ったとか、ずいぶん聞かされてました。
東京に出てきてからもずいぶん川崎球場のロッテ戦とかに連れて行かれたっけ。。
そのころはライオンズは低迷期でしたけど。
そろそろマスターズ・リーグが始まるなぁ、見に行こうと思っていた矢先の訃報。
まだ70歳。残念です。
夢と伝説に溢れた昭和のプロ野球の時代がだんだん遠くなっていきますね。
慎んでご冥福をお祈りします。

堀文子展パート2 2007年11月12日
今回の会場はホテル・ニューオータニの6階にある美術館。
ホテルのフロントに大々的にポスターなどが貼ってあるわけもなく、
エレベーターの係りの人に尋ねる。
とても親切でわかりやすい。
前回横浜の高島屋では出来上がった絵、
今回は鉛筆スケッチや水彩で軽く色をつけてあるものが中心。
高島屋で見たものと同じ絵の下絵、あるいは同じ対象の習作が数多くあって、
見る順番としては逆でなくて大正解だったと思う。
やはり本編を見てからメイキングを見たいじゃないですか。
本絵で絵具がきっちり塗ってある時はいい絵だなぁ、と感心しているだけだったものが、
鉛筆の線だけだと花びらの微妙なカーブや線の強弱がとてもよくわかる。
栗のいがいが。茗荷やタケノコの皮。蝉の羽。黒柳徹子氏の髪の毛。
赤ちゃんのスケッチは、手の部分だけをいくつも横に描いていて、
指の重なり具合やぽってりとしたところとかがとてもよく観察されているのがわかる。
対象をよく見る。やはりこれなんですなぁ。

それからヒマラヤのブルーポピーはスケッチもとてもよかったです。
むしろ自分の好みとしてはさらっとしたスケッチの方が好きみたい。
そういう自分を発見したりもする楽しい空間でありました。

ハゲタカ 2007年11月08日

NHKの土曜ドラマ「ハゲタカ」で鷲津(大森南朋)が使った、
「エンプロイー・バイアウト(EBO)だ」
ということばは魔法の呪文のようにかっこよかった。
(ハリー・ポッターのなんたらかんたらパトローナム!みたいに))
今週のテレビ東京のガイアの夜明けは、ドラマさながらのケースが登場してたいへん興味深く、引き込まれました。
舞台は福岡県大牟田市の太陽電池工場。
メーカーを買収した新興企業は大牟田工場の閉鎖を突如決定。
今年の2月には操業を停止して生産は中国の無錫の工場にすべて移行した。
しかし誰もいないはずの工場に電気がついていて、機械のメンテナンスをする人の姿があった。
いつか工場が再開する日が来るのを信じて湿気で内部が錆びたりしないように乾燥剤をいれたり油をさしたりしている。
元の工場長はEBOに必要な資金を援助してくれる商社やファンドを探してうごく。
現場のチーフはやめていった従業員たちに声をかけ続け、意志を確認する。

手を差し伸べたのは元長銀の破たんでシティバンクに転職し、ひとりで数百億を集めた辣腕金融マン。
彼は数年前に九州の中での企業合併や再生を支援するファンドを立ち上げていた。
熊本生まれで、シティ時代にも自ら九州地区の担当を志願して人脈を作り、顧客を開拓した。
九州に足跡を残して、恩返しをしたいと語る彼だが、ロマンや男気、共感や同情ではお金はだせない。
しっかりと利益を出せるかどうかを見極めて、支援を決定する。
と、まるでハゲタカをそのまま地でいくように話は進むが、現実はドラマ以上に困難を伴う。
すでに転職して新しい職場でなじんでいる元従業員たちに、
まだはっきりと先が見えない段階で「安心してついて来い」とは言えず悩むチーフ。
彼自身にも妻と小さいふたりの娘、両親、家族の生活がある。

ハゲタカでは一発逆転で、亡き会長(菅原文太)にかわいがってもらっていた
レンズ部門の特別な「みがき」技術を持ったマイスター(田中眠)を中心とした従業員が
ストック・オプションを行使して株を買い取り、ファンド側と交渉して独立する。
しかし、あくまでもこれはゴールではなくスタートなのだ。
番組の方では、工場が11月1日に操業を再開して、工場長が機械のスイッチを入れる場面で終わるが、
従業員は閉鎖前の半分ほど。まだまだ不安の多いスタートだ。
でも、みんなの顔は輝いている。

心配なところはやまほどあるけど、この番組、わりとあとのフォローもしっかりやってくれるので
長い目で見守っていきたいと思います。
がんばれ、大牟田工場。
ガイアの夜明けHP http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview071106.html エンプロイー・バイアウトの説明は こちら ↓http://www.nhk.or.jp/hagetaka/keyword/keyword06.html
11月6日(火)

ALWAYS

日曜日に調布のパルコに行って、さっそく見てきました。
前日に日テレでも前作をやっていましたね。
続けてみるのが望ましいですけど、「続」というよりも、
クライマックスをこちらに持ってきた「後編」というにふさわしい。
続編がこれだけおもしろいというのは、
ゴッド・ファーザー以来じゃないかというくらいよくできている映画でした。
ぜひとも映画館で観てください。(2回泣いた)
エリカ様でも、さすがに「別に」とは言えないでしょう。
見どころは、「特にありです」

舞台あいさつの時に堀北真希ちゃんのファンという男が舞台に突進してきて、
堤さんらが取り押さえたそうですね。
さすが、SP。

11月3日(土)
キスリング
府中市美術館にて
キスリング展開催中

ずいぶん前からやっていて、
府中市内にはスウェーデンの少女イングリッドを使ったポスターがたくさん張ってあっていたるところで見ているのですが、
実物と写真はこれほどちがうものか。
とくにお魚のぬめっとしたとことか、裸婦の肌のぺとっしたとことか、ビロードのぺたっとしたとことか、
まだ絵具が乾いてないんじゃないかと思うくらい触感が感じられる絵なのです。
同じように果物のある静物を描いたものが
20のとき、21歳のとき、40過ぎて描いたもの、晩年のものとか、たくさんあるのですが、
だんだんとそういうふうに変ってくるのがわかるのです。
あこがれのセザンヌ先生に学んだ絵が、
だんだんとひとつひとつの対象が存在を主張するようなキスリング的な洋ナシやリンゴにかわっていく、というか。

モイーズ・キスリングは1891年。ポーランドのユダヤ人の仕立て屋の息子としてクラクフに生まれました。
クラクフはアウシュビッツから鉄道で1時間ほどの古い街。
生い立ちとそれからの時代を考えると戦場のピアニストやライフ・イズ・ビューティフル、
もしくはアンネの日記などからも想像できるように彼の生涯は波乱にみちたものでした。
実際彼の古くからの支持者だったタス医師は図録の表紙にもなっている兄妹とともに1943年に収容所に送られています。
そんな逆境の中、なぜか彼には運命のいたずら的なエピソードが多いのです。
15歳で美術学校の彫刻科を志望するが定員オーバー。そのおかげで絵画科に入ってしまう。
パリで絵を学んでいるときに他の画家と決闘をする。
銃で一発ずつ撃ち合うがお互い外れて勝負はサーベルに。
鼻を斬られた彼は、そこを指さして、「これがポーランド第四次分割だ」と言ったとか。
外人部隊に志願して第一次世界大戦へ。
胸に大けがをして送還されるが戦友が彼に遺産を遺して戦死。その金でスペインへと渡る。
遺産を使い果たすと、パリ時代の友人、ピカソやモディリアーニの絵をたたき売っちゃって旅費にしちゃったり。
逆境の中でもどこかめげないところがある。
パリのカフェで藤田嗣治と4時まで飲んでへべれけになっても、
藤田の紹介でパリに来ていた若い画家たちが朝の8時に行ってみるとちゃんとキャンバスに向かっている。
(これは藤田の方もそうだったらしく、あの人たちは人間か、と驚いたとか)
やっぱり絵が好きで好きでしょうがない、というのが明るさを失わなかった第一の理由なのかもしれないです。
今日はお昼頃行って絵を見て、
2時からこのキスリング展の担当の府中市美術館副館長さんが
展示されている絵や親交のあったピカソ、ブラック、モディリアニ、藤田、
ジャン・コクトーなどなどなどのスライドを見ながら2時間講義して下さり、出てきたのは4時過ぎてました。
腰が痛くなったけど、人の授業を聞くのもたまにはたのしいものですね。
(講座を聞いたおかげでちょっとキスリングに詳しくなり、予定外の図録購入)

最後の浮世絵師小林清親などの版画、さらに青木繁の原稿と手紙まで見ることができました。
これはお値打ちの800円でしたなぁ。(音声ガイドも300円だし)

11月18日までやっていますが、もしも遠くからでも行かれる方がおりましたら
歩くと20分くらいかかってまわりもなにもないのでご注意ください。
東府中か府中の駅前から「ちゅーバス」という市民バスに乗るのが便利です。
100円です。ご参考までに。

http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/01_Kikakuten/H19/kisling/kisling.htm

11月2日(金)

朝のラジオでさっそく電話アンケートをとっていた。
ダルビッシュ相手に山井投手が8回まで完全試合。
名古屋ドームに響くヤマイコール。
しかし告げられたアナウンスは。
ピッチャー、山井に代わりまして、岩瀬。
さて、あなたは落合監督の采配を支持しますか。
結果は…
支持する37%。
支持しない62%。
どちらとも言えない1%。

支持の代表的な意見
あとからなんだかんだ言えるのは勝ったからこそ。
個人の記録も大事だけど、優勝を優先させるのは当然のこと。
ましてや1点差で日本シリーズの土壇場の場面。
もしホームラン打たれていたら、落合さんを非難している人は今頃どういうことを言っていたんでしょうか。

支持しない
勝てばいいのか。自分は記録を集めた記念館まで建てていて、
記録の大事さはわかっているのに山井がかわいそう。空気が読めない。
中には、あのままパーフェクトで優勝したら山井ひとりの手柄みたいになっちゃうから、
みんなで優勝したってかんじにするために替えたんじゃないの?という意見もあった。
うがった見方をすれば落合さんの最後の現役時代のユニフォームがなんだったかを考えたら、
大沢親分の顔に泥は塗れないみたいなことまで言えてしまうわけで。

で、わたしの意見はというと、山井君には悪いけど、「支持」派なのでした。
もともと少数意見にのるほうでもあるんですけどね。
前日に勝った時に「いつものように目の前の試合を勝っていくだけです」みたいに言っていたけれど、
落合さんほど大局観というか全体をみている人は少ないと思うのです。
阪神が藤川10連投、破竹の10連勝で一気に4位から首位まで駆け上がっていったころにも、
逆転負けした試合でも今はこれぐらいでいいのよ、みたいなことを言っていた落合氏。
阪神ファンのわたしからすると、
負け惜しみかよ、ぐらいに思っておりましたが、
今から考えるとほんとにちょうどよかったという感じさえしてきます。
去年セリーグで優勝したのに、プレーオフを戦って波にのった日ハムにやられちゃった。
そこから考えると、セリーグでは優勝するよりも疲れた阪神をたたいて波にのり、
かえす刀で試合があいた巨人を返り討ちにして、一気に去年の雪辱にかけた方がよい。
無理して1位を狙うこともない作戦か、とさえ思えてきます。
ましてや相手は監督が大リーグに去ることが決まっていて、
新監督の梨田氏の発言でコーチ陣にもかなりの動揺が見える。
しかもプレーオフも先に終わって今度は向こうが試合があくことになる。
そう考えると、セの優勝を逃したときにした坊主が、
最近風林火山で武田信玄とともに出家した山本勘助と重なって見えてきてしまうのでありました。

ちなみにタイだったか、ベトナムの古いことわざに「毒蛇はいそがない」ということばがあります。
宮本輝さんの「ひとたびはポプラに臥す」という本に出てくるんですが。
毒蛇はじぶんの毒がどれだけの効き目をもっているかちゃんとわかっているので、
すぐに目に見えた結果が現れないように見えても目先のことでおたおたしないっていうか。
そういう意味で落合さんはそうとうな毒蛇だなぁ、と思うわけです。
まぁ、毒カエルという声もありますけどね。
えー、おあとがよろしいようで。

10月31日(水)

天気もよかったのできのうのうちに歩いて通勤中にドンキ一号店に寄って、(量が多いからね、あすこのは)
お菓子を買っておきました。
ずっと前に、こじろう塾の子が入れ物の中を探って空っぽだったときにえらいがっかりしてたんで、
それからハロウィンが近づく度に たいてい入れとくように準備しているのです。

その子は今日来る予定ですが、 けっこう昨日のうちに減っているので、夜までもつか心配です。
そしたら底に「スカ」って書いてはっとこ。

zaku
10月29日(月)

うめめ

NHK教育テレビのわくわく授業。
出演者の欄が気鋭の写真家梅佳代さんとナレーションのアナウンサーさんの名前だけだったわりに
撮影シーンや撮った写真が少なかったのが残念だったが、
紹介されていた授業のようすは、なかなかおもしろく、勉強になるところが多かった。
その1なんでも話し合う授業。
初めて整数÷小数を習う小学生のクラス。
96÷2.4=40は
960÷24=40にして考える。
これはどうして同じなのか。
先生のヒントでみんなは目盛とにらめっこ。
いかにもできるって子が96cmと2.4cmをmmの目盛で見ると
960mmと24mmになる、と発表するがひとりの女の子は
両方とも10倍なのに答が10倍にならないことにイマイチ納得がいかない。
そこで前に習ったことでこういうのなかったかなあって
9÷1=9
90÷10=9を例にしてみると、
「あ、わかった。そういうことか」
若いのにヒントを出す間といい、うまいこと教えるなあ。
そんな悠長なことやってたら時間なくなっちゃうだろ、という声もあるが、
そういう気付きで算数わりとおもしろいなってなることもありますから。
しかしあれだ。持っている知識で新しいナゾを解くって、
FFやドラクエとも共通するんですよね。
こういう授業だったらおもしろいよなあ。
これは弟子入りして早速まねさしてもらいたいものなのですな。


堀文子
10月26日(金)

このあいだの日曜日、横浜の高島屋まで行ってきました。
府中方面から横浜は、川崎まで南武線が通っているし意外と近いんですよね。
当日は競馬が東京開催で府中本町の駅は混雑して駅に来る人は多かったけど、
逆方向の電車はかなりすいていてゆっくり座って行けました。
川崎から京浜東北線に乗り換えて横浜へ。
久しぶりに横浜で降りたんで、岡田屋モアーズとか相鉄ジョイナスとか、用もないのに行ってしまった。
で、ひとしきりうろうろしてから高島屋の催事場までエスカレーターをのぼってゆくと、
いちばん奥の方にギャラリーの→が書いてあるのだけれど、
なかなかたどりつけずに30分くらいかかってしまった。
なぜかというと、「雑誌ミセスが選んだ全国のうまいもの展」というのを手前でやっていたからなのでした。
残念ながら赤福は撤去されて張り紙が出ておりましたが・・・

会場にたどりつくまでにすでにお腹いっぱいってかんじでしたが、
そんなこんなで、ようやく入場券を買って中に入りました。
80歳を過ぎてもブルーポビーを描くためにヒマラヤの5000mの高地まで足をのばしたり、
顕微鏡をのぞきながらミジンコなどの微生物を描いたり、
行動や発想が若い、ということもあるけれど実際に見ると絵が若々しいことに驚きです。
絵を見てからプレートに書かれた制作年を見ると、1940年代や50年代のものもあり、
最近のものもあるんだけど、むしろ70歳、80歳を越えたあたりからのものの方が色彩にあふれていてはなやかで、
年をとって枯れる、というのは無縁の人なんだなぁと感じました。
中学生でも枯れているやつはいるし、
最近の子は、とか言ってるから「若さ」っていうのは本人次第なんだな、とつくづく思います。
今回の展示は、出来上がった作品を見られたのもよかったけど、
鉛筆で書いて→でここはスミレ色、ここは黄色とかメモがあるスケッチや水彩で色づけしたものもあって、
最近絵を描くのが好き好きになってきたけど、
いまいちどうやっていいのかわからないこじまにはたいへん勉強になりました。

横浜の方は昨日までということですが、ホテルニューオータニの方はまだまだやっているようなのでリンク貼っときます。

新日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0916/index.html

「画業70年 自然と共に生きて 堀文子展」

横浜島屋ギャラリー
http://www.takashimaya.co.jp/yokohama
2007年10月11日〜10月22日

「年月の記録 スケッチ帳より 堀文子展」

会場 会期
ニューオータニ美術館
http://www.newotani.co.jp/museum
2007年9月29日〜11月18日


10月22日
おもひでぽろぽろ
天空の城ラピュタ、カリオストロの城のスピード感が好きなことに変わりはないけれど、
最近高畑監督の作品や、耳をすませばとかが、けっこうよくなってきた。
むかし見た時はまどろっこしい感じもしたんだけれども。
雨の道路や車のフロントガラスに映り込んだ景色や山形の自然の情景。
意識して見ないとまったくふつうに見て通り過ぎてゆくところにこれでもかというほど手をかけている。
逆にだからこそ自然に通り過ぎるのかもしれませんね。
wikiで調べてみましたけれど、テレビの中で流れているひょっこりひょうたん島は
残っていた音声のテープから絵をつけていったということですが、
終わりのクレジットまで作り込んであって、
中山千夏、熊倉一男、増山江威子…不二子ちゃんも出てたんですなあ。
美術監督男鹿和雄、キャラクターデザインは近藤喜文。(耳をすませばの監督)
今井美樹、柳葉敏郎のふたりを想定して作られたそうで口元のしわまでぴったりでした。
トトロと蛍の墓がかぶった時に宮崎、高畑両監督が近ちゃんを取り合って、
宮崎さんは自分で絵を描けるからということで泣く泣く譲ったという話かのってましたが、
近藤さんは耳をすませばの後、四十台で亡くなったんですよね。残念です。
主人公は子どもの頃に分数の割り算は逆数をかけることに納得いかず
算数嫌いになるんだけどあれは突っ込んでやるとたいへんなんだよなあ。
おっと脱線。
調べたやつに永井一郎(カメオ出演)て書いてあったんだけどアニメでもそういうのあるのですな。
どこで出てたんだろう。

注 カメオ出演
映画などの中に筋とは関係なくちょっとだけ顔を出していること。
ヒチコック監督が自作の映画にちょっと出てるのなどが有名。


10月20日

新しくシリーズが始まるということでこの間武田さんがなにかのゲストで出ていて、
金八先生からのメッセージを伝えようとしてせりふをかんでいた。
ご本人も「俺も年かなぁ」なんて落ち込んでたけれど、セリフ自体がかなり理屈っぽい言い回しで、
なんか「ことばはことばによってことばをなんとかかんとか」みたいな、
「ぼうずが上手にびょうぶにぼうずぼうずの絵を描いた」ってかんじで
あとから言い直した方もすとんと自分の胸に落ちているような感じではなかった。
いまのところドラマ中の金八先生も熱意が生徒たちになかなかつたわらず空回りしているけど、
脚本的にも現実の方がドラマより先にいってしまっているのかもしれない。。

マッチがガクランの襟を立てて登校してきたり、
三原順子が長いスカートはいてきたり、
沖田浩之と直江喜一が中島みゆきの曲が流れる中を機動隊に連れて行かれたり、
鶴見辰吾と杉田かおるが15歳の父と母になって、
その子がまた15歳になって3Bにはいってきたり、
思えばずーっと金八先生のクラスと付き合ってきたけど、
目に見える荒れっていうのは金八先生が体当たりで生徒にぶつかっていったり、
生徒の不満を聞いてくれているバイト先の元不良の古尾谷雅人のマスターのところに行って話あったり。
荒谷二中の先生が腐ったみかんがいっこ入っているとまわりのみかんが腐るから、
外に出さなきゃいけないって言ってましたね。
それで加藤優が桜中学に転校してきたんだっけ。
でも、みんなが携帯持っていて、クラスの子の悪口とか書いて、
それを他の子が見て本人に知らせてきたり、
逆にあることないこと言いふらしたりって状況が現実に蔓延している中で、
金八さんはどうやって子どもたちに対していくのでしょう。
つまみだすみかんなんて、いまでは目には見えないのです。
他の学園ものに比べると数字があまりいっていないようですが、
ぼくは最後まで金八の奮闘を見届けたいと思います。
ネットにくわしくない金八先生は、3BでHPを開設します。って言って全員に交換ノートを配ります。
ちなみにこれは夜回り先生の水谷先生が
「先生が新しい携帯電話をあげるから自分の携帯を水に入れなさい」と言って
糸電話の話をするのを参考にしているのかな、と思いました。
金八先生は教育学部に通う息子の厚作にその話をして、
「生徒、かなり引いてたでしょ」ってあきれられるわけですが、
いやいや、いくらネットが進んでも、そういう媒体は、ぜったいになくなることはないですぞ、厚作くん。

ウルトラマン
怪獣

10月16日
高校の説明会で三鷹に行く用事があったので、近所でなんかやっていないかなぁと思って検索していたら
三鷹市美術ギャラリー「怪獣と美術」か、ふーん。
ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの怪獣を生み出した、とな。
読んでいるうちにすっかり行く気モードになっておりました。

入口を入ると、いきなりガラモンとバルタン星人の原画がお出迎えです。
バルタン星人はウルトラQで使ったセミ人間の着ぐるみの再利用から生まれたそうな。
再利用から40年たってもいまだにウルトラマンのライバルとして不動の人気を保っている。
なるほどバルタンは予算も施設もまだ十分ではない時代に、知恵をしぼって作られた。
そういうぎりぎりの制約の中で生まれたものは、存外自由に作れるものよりすごいものができるって、ありますよね。
必殺の闇を生かした独特のライティングも、当時カメラもセットもなかなか高い予算がくめなかったのを逆手にとって、
そういうところは闇に沈める発想からできたということです。(能村庸一の実録時代劇史より)
おっと脱線。
さて、昔のウルトラものにはただのアクションヒーローものと違った展開があって、
たとえばお金に執着しているこどもがカネゴンに変身してしまったり、宇宙飛行士が孤独の中で怪獣化してしまったり。
そして怪獣化してしまった自分を悲しむみたいなところがありました。
それってなんなんだろう、というのが謎だったのですが、
この展示でその謎が少し解けたような気がしました。
会場には怪獣やウルトラマンだけでなく、大きな鬼の顔の彫刻なども展示されていました。
晩年は大江山の鬼のモニュメントも作られたということです。
それらはどれも、恐ろしい中にもどこか悲しい表情をたたえています。 成田亨さんが考えていた怪獣の原点というのは、「鬼」だということなのですが、
これらの作品を見て、解説を読むと鬼はまったく違った世界からやってきた化け物というよりも
人間の心の中にも住んでいたり、あるいはもとは人間だったのかとも思えてきます。
そんなことに思いを巡らせながら、というわけでもなく、
ただただ作品に見入っているうちにあっという間に2時間以上がたっていたのでした。
突撃ヒューマン、シルバー仮面、スペクトルマンのゴリ、ラーのマリオネット、ライオン丸のマスクなど、
リアルタイムで見ていたものばかりで、楽しかったですなぁ。
怪獣のパーツの展示では色がだんだん変わっていく目玉がみっつと、壊れた目玉というふうに
実際撮影に使われるときの様子がうかがえるようになっていて、とても興味深く見ることができました。
ふだんは絵葉書派のわたくしですが、久々に図録買ってしまいました
。他の美術展とちがって、全集に作品がのっているからいいや、というわけにいかないものね。
ええと、10月21日(日)までやっております。ウルトラファミリーの方はお早めに。

風林火山

めがね
ことしは「なまか」をテーマに香取くんがメインの27時間テレビ。
新人アナの提供読み、世界にひとつだけの花まで今年もしっかりつきあいまってしまいました。
朝方、慎吾ママでおはーってやってたぐらいの時は、慎吾ちゃん、かなりきつそうでした。
「慎吾ママ、ひげが伸びてきてるよ」などと、突っ込まれておりましたなぁ。
ナマカ

映画じゃないけど歌舞伎、いってきました。
歌舞伎座ではなく市民ホールの、若手中心の公演だったためか
前から10番目くらいの真ん中の、ちょうどいい席で見ることができました。
(でも観客席は超満員)
演目の前に 市川笑三郎、市川春猿おふたりによるかけあいで、
「歌舞伎の見方」というコーナーがあり、
笑い、泣きなど、感情の表わし方や
拍子木などをつけるとどうなるか、などを実演しながら説明してくれて
とてもわかりやすくておもしろかったです。
「ぇえーっ」と驚いたあとにカッカン
刀を交えるときのカンカンカン
ものを落として   カラン
笑い、泣きなどの感情表現につける効果音。
「ノリカ、陣内さんと添い遂げられてほんま、うれしいワ」ヨヨヨ
三味線の音色はやがて哀しげな音色に。
なんて、いうのもありました。
春猿さんはこの間も国分君といのっちの番組に出ていて、
トイレやお風呂はやっぱり気を使っていると言ってました。
だって、休み時間とかにトイレでとなりどうしになったりして、その後舞台に上がったらお互い気まずいですよ。
なるほど。女形の人もたいへんなんだなぁ。

その春猿さん(右端)から描きはじめたんだけど、だんだんつまってきて左端の段治郎さんがはいらなくなり候。
あとからうしろにつけたしました。

やっぱりなにごともバランスが大事です。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/jyungyou/2007/07/post_7.html

サダヲ
こないだの日曜日に舞妓Haaaan!!!見に行ってきました。
あまり京都の名所や史跡にくわしくはなれそうにないですが、

舞妓はんには詳しくなれそうです。
この映画が植木等さんの遺作となってしまいました。
病をおしてワンシーンの登場。
ひとギャグかまして、わっはっはと去って行く。
あれが植木さんのアドリブなのか。
それともクドカンさんの脚本のセリフなのか。
まあ、どっちでもいいでしょう。
おやじギャグさえ味がある。
さすが植っ木ー。
ちなみに主演の阿倍サダヲさんは、
植木さんの楽屋にあいさつに行ってことばをかけてもらったそうです。
「あなた、役者の方?」
こりゃまた、失礼しましたっと。


幸せのちから
6/3
幸せのちから

主人公のクリスは、高価な医療機器を何台も仕入れて、大もうけを夢見る。
高いだけに一台売れただけで利益は大きい。
アパートに積まれた在庫の前で記念写真。
だが、レントゲンよりも精度は高いが値段は2倍もするその高価な医療機器
(骨の密度を測定するスキャナー)はなかなか売れない。(売れないよなぁ)
重たい箱を提げて走り回るが担当者は会ってもくれない。
そんな中で出会った一台の赤いフェラーリの男が株の仲買人であったのがきっかけで
クリスは証券会社の研修生を志願する。
研修生の面接に合格するも、それは何ヶ月も無給で本採用になるのは20人にひとり。
妻は「転身?セールスから見習いへの転身なの?」と家を出て行ってしまう。
駐車違反で警察に拘留され、税金を口座から強制的に引き落とされて、残高は21ドル。
アパートを追い出され、泊まっていたモーテルからも締め出されて、
駅のトイレの鍵を閉めて外からどんどんたたかれる音に歯を食いしばりながら息子とふたり冷たい床の上で眠る。
そんなどん底の状態なのになぜかこの映画に「明るさ」や「希望」があるのは、
父子(子役のクリストファーはほんとのウイル・スミスの息子)の会話の中に、
幹部の役員とのシャツにまつわるやり取りなどの中に、
「上質なユーモア」があふれているからだと思われる。

教会の無料ベッドに並ぶためにクリスは他の研修生が遅くまで仕事をするところを定時で引き上げなければならず、
そのために顧客に電話をかけるときも受話器を置かないでフックを押しただけで電話を切って次の電話をかける。
「これで1日に8分の節約だ」
大きなことではない。
こういうちょっとした努力の積み重ねが身を結び、クリスは会社の中でもトップの成績を収めるようになり、
やがて自分の会社を興していくことになる。
クリスが目を留められるきっかけがルービック・キューブだったり、
タクシーの屋根にデニーロのレイジング・ブルの広告がはいっていたり、
レイカーズのユニフォームでポスターに映っているのが、
シャキーム・オニールではなくて、マジック・ジョンソンだったり、
そういうところもタイムスリップして楽しめました。
(あの機械をタイムマシンと読んでいたじいさんもいましたが)

「転身」が「無給」であり、3歩進んで2歩下がるどころか3歩進んで3歩下がる、
あるいは3歩進んで5歩下がるであっても、
夢に向かって明るく、前向きな姿勢があったら、そのマイナス2には意味がある。
なんだかそんなことを感じさせてくれる映画です。

ちなみに、この映画の原題
the PURSUIT of HAPPYNESS(しやわせを提供します)
ほんとうはHAPPINESS(しあわせ)であるところがHAPPYNESS(しやわせ?)
になっています。
スティーヴン・キングのPET SEMATARY(ペット・セマタリー)も ペットの墓地に子供が立札を書いていて、
それがSEMETARYではなくて間違えてかいてあったのがそのままタイトルになっていた。
こういうところ、にくいよね。
ちなみにむかし布の肩掛けかばんにかっこつけて永室京介って書いてる生徒がいました。
ドリーム・ガールズ、眉山、ボビー、しやわせの力と、
この一ヶ月ほどパルコ調布キネマでかかる映画全部当たり。
(あ、先週はダービーでパヒューム見逃したけど)
なかなかないよ、こういうことは。

ボビー
5/20 BOBBY

先週につづいてまた映画に行ったのか、とおもわれそうですが、
調布のパルコキネマの会員になっているので、
回数券で1本750円で見られるわけであり。
しかも長い休みのときはだいたいドラえもん、クレヨンしんちゃん、コナン、とっとこハム太郎なので、
見たい映画があったときはどんどん見るのです。
ちなみに今週の上映スケジュールは、朝から眉山が4回、
BOBBYは夜8時から10時までのレイトショー一回だけなのだ。

さて、BOBBYですが、
途中でテレビの画面に選挙に関する映像が映ったり、選挙対策本部の場面になったときをのぞくと、
これから先このホテルでおこることを忘れてしまうほど日常的に映画は流れていきます。
厨房、ロビー、コーヒーショップ、マネージャー室、交換台、美容室、客室、選挙本部。
女優志願のコーヒー・ショップの女の子も、
選挙の運動員なのに薬をやりにいってへろへろになっちゃう若者役のコも、
ホプキンスもハリー・ベラフォンテもヘレン・ハントも
マーティン・シーンもシャロン・ストーンもイライジャ・ウッド(指輪物語)も
ローレンス・フィッシュバーン(マトリックス)も、、、、
みんなおなじぐらいずつ同時並行的に進行する群像劇。
と、いうと三谷幸喜監督の有頂天ホテルを思い浮かべてしまいますけれども。
実際、売れなくなった飲んだくれの元大歌手のデミ・ムーアは西田敏行みたいだし、
川平慈英くんみたいな厨房係や、
ホテルに無断で入り込んで邪魔にされる篠原涼子みたいな新聞記者の女の子とか
追い出そうとする西村雅彦みたいなマネージャーとか。
題名は「BOBBY」ではなく「アンバサダー・ホテル」でもいいな。と思いながらずっとみておりまして、
実際そういうふうに十分楽しめる映画にもなっておりました。

ただひとつちがっているのは、その楽しめる風景が、
見ているうちに忘れているけど実はどんどん短くなる導火線の上で繰り広げられている、ということで、
それまでの風景が個人的で日常的であればあるほど一瞬にして舞台が暗転したときの衝撃は大きい、ということでした。
映画が終わっても、しばらく立ち上がれなかったもの。

結末は見る前からわかっていたというのにね。

白人、黒人、さらにどんどん増えていったヒスパニック系の人たちの人種間の問題。戦争。銃によるテロ。
アメリカでも日本でもいやな事件が多い今日この頃ですが、
100万言を尽くすよりもこの映画のボビーの演説に耳を傾けてみてほしいです。

映画を見た後にも、ふだんほとんどパンフレッドを買わないワタクシが、
たぶん、スティングと戦場のメリークリスマス以来買ってしまったのでした

イーストウッド監督だけじゃない。
エミリオ・エステベス、恐るべし。。

たかお

5/13 眉山

眉山を見てきました。
土曜日にCSの日本映画専門chでやっていた「深夜特急」を久しぶりに見たら、
10年たった大沢たかおと松嶋菜々子を見たくなったわけであり。
お母さんと娘さん、というお客さんがあそこにもここにも。
母の日で「母娘でご観覧の方はおひとり様1000円でご覧になれます」というのもあったと思うけど、
この映画はほんとうにいっしょに見ると、帰りにはお互いに少し素直になれるかも。
ほんとにかいつまんで言うと、頑固な娘が意地っ張りの母から指輪を譲られる物語、
と言いますか。かいつまみすぎ。
それから阿波踊ファンと新必殺仕置人のファンも楽しめます。
どんど晴れでは盛岡弁の女将の宮本信子さんは
「ひ」が「し」になっている江戸っ子にかわっていて、小唄や啖呵が流石に見事。
深夜特急の時大沢くんが20台後半、松嶋さんが前半位だったと思いますが
ほんとにふたりともいい歳のとり方をしてますよ。この映画で松嶋ファンになっちゃった。
始める前の予告編が阿部サダヲ(舞妓Haaaan!!!)
キムタク(HERO)とダンダンダーンてかんじで、
それにくらべると本編は静かで刺激が少ないですが、おすすめですよ。
山田辰夫さんや本田博太郎さんなど、脇もしぶくていい芝居。
レミオロメンの蛍もはまってます。

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