ゆとりの教育、ゆとりの時間
「ゆとり」
とてもむずかしい言葉です。
ゆとりの時間をつくることが
ほかの時間のゆとりをけずることになったりする。
ところで、
以前にこういう話を聞いたことがあります。
山陽新幹線が開通したときに、
東京で働いている息子のところに
岡山にすんでいるおばあちゃんがでかけることになった。
息子が迎えに駅まで行ったが、
予定の列車から降りてこない。
どうしたことかと心配して待っていると、
アナウンスで呼び出しが。
行ってみるとおばあちゃんが乗務員の人たちともめている。
話を聞いてみると、おばあちゃんは特急券を持っていなくて、
検札にきた車掌がいくら説得しても納得しないという。
おばあちゃん曰く、
「別に早く着いてくれなんて頼んでないよ。
1時間や2時間早く着いたからって別にそれで
なにがいいとかそういうことないんだからさ。
かえって着いてからひまもてあましちゃうよ。
それよりも景色もよく見えないし、乗ってる時間が短いのに
なんで余計なお金をはらわなけりゃいけないのさ。
逆にお金を返してほしいよ。ほれ、なんとかいっとくれよ」
結局息子さんが特急券の代金を払ってぶつぶつ言うおばあちゃんを
連れてなだめながら帰っていきましたとさ。
と、いうような話でした。
えーと、けっこう前なんですが、
たしか物理学の授業のときに聞いた話でした。
相対性理論とか時間についての話の関連で。
だからどうだってことではないのですが、
どこかで「ゆとり」についての話と結び付いているような気も
しないでもないように思え、
思いだしながらちょっと書いてみました。
2002年からの新学習指導要領
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