奇門遁甲と気学
 今回は、少し気学と奇門遁甲の関連に触れてみたい。国内では、気学は奇門遁甲の一部を取り出したものと主張する人達がいます。その人達によれば「気学は、奇門遁甲の九宮を取り出したもの。」だそうです。ところが、この主張には幾つかの問題があります。
 
 まず、1つ目には用語の上の問題です。日本の気学等では九星と言えば「一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫」等を指します。ところが、奇門遁甲では九星というと「天蓬星・天任星・天冲星・天輔星・天英星・・・」といった別の星のことをいいます。さて、それでは奇門遁甲では気学でいう九星のことを、どのように呼称するかというと、どいうわけか日本の奇門遁甲では九宮と呼びます。これも、おそらくは透派の影響だと思います。
 これも原書をきちんと読めばすぐに判ることなのですが、九宮という用語は「乾宮・坎宮・艮宮・震宮・巽宮・離宮・坤宮・兌宮」の9つの固定した宮を指す用語です。「一白・二黒・・・」等の星は、紫白星等と呼ぶのが妥当であろうと思います。原書によっては七色星と記してあるものもあります。現在、私の講義では紫白星として講義しています。(古い通信講座のテキストでは、日本の慣習に従い九宮としていました。)

 しかし、この用語上の混乱は、最近は日本国内だけでなくなってきています。台湾では日本で出版されている本の海賊版が良く出回っており、日本の占い関連の本も出版されています。その関係か、近年は台湾の研究家の書籍でも、紫白星を九宮と書いているものが散見されるようになっています。
台湾や香港でも紫白星を九宮と呼ぶ人がいる以上、日本だけをおかしいとは言えません。したがって、そう呼ぶ人達を誤っているとも言う気はありません。ただし、本来の正しい用語では無いことを知っておかないと、後に原書を研究される時に障害となってしまいます。そこで、あえてここに書かせていただきました。

 次の問題です。こちらの方がより重要だと思います。それは、この紫白星を記載した奇門遁甲の原書は明代・清代を通じてほとんど存在しないということです。私が知る限りで、紫白星を記載した原書は明代の書が1冊、清代の書が1冊の合わせて2冊しか見たことがありません。もちろん、「遁甲演義」「奇門遁甲全書」「奇門遁甲統宗大全」「古今図書集成 奇門遁甲」等の主要な文献には記載がありません。つまり、本来の奇門遁甲では紫白星は使用しないのです。言い換えれば、奇門遁甲で紫白星を使用するのは極めて珍しい流派だといえます。実際に、中国・台湾・韓国の奇門遁甲の研究達も紫白星は使用していません。この意味において、日本の奇門遁甲は異色であると言えます。しかしながら、上記の用語の説明の部分でも触れましたように、近年の台湾の研究家の中では、遁甲盤の紫白星を加える人達も出てきていますので、これについても紫白星を加えるのは誤りとここで主張する気はありません。誤りどころか、国内に残る江戸時代から明治時代に書かれた遁甲書を読むと、中国式の奇門遁甲に本命星を使用した九星術を加味して、日本独特の奇門遁甲を使用した形跡があります。残念ながら、この日本独自の奇門遁甲は失伝しており、伝承者はいないもようです。

 さて、長々と書いてきましたが、感の良い皆さんであれば既にご了解いただいたと思いますが、本来の奇門遁甲では使用していなかったはずの紫白星を元に、気学が発生したいう説には疑問があるのです。