マルタ・ロバンについて


はじめに
マルタ・ロバンの生涯(カカト倶楽部発行の「ROSE ROAD」第4号から)
日本における愛と光の家について(黙想会の予定表
おわりに


はじめに

 私が住んでいます大阪府茨木市には、「愛と光の家」という黙想の家があります。
 ある神父様に勧められて、洗礼を受けた1988年の夏休みにその一泊黙想会に参加して以来、私は六日間の黙想会を含めて何度かその黙想会に参加しました。
 その創立のために神が特別な道具としてお選びになったのがここで紹介するマルタ・ロバンです。(現在列福調査中。)
 私は愛と光の家を通じて、何人かの信仰生活の上でよい影響を受ける人と知り合いましたし、また知り合った「すごい」と思う信者の方がけっこう愛と光の家の黙想会によく行かれている方だったりして、愛と光の家の目立たない隠れた活躍に驚いています。そこで私も知り合った人の中で「この人は」と思う人には愛と光の家を紹介しています。
 ここで私がマルタ・ロバンについて紹介することが、お読みになった皆さんに「愛と光の家」について知っていただくきっかけとなり、またその黙想会に参加するきっかけになればと思います。


マルタ・ロバンの生涯(カカト倶楽部発行の「ROSE ROAD」第4号から)

 マルタ・ロバンの生涯について、カカト倶楽部が編集・発行している「ROSE ROAD」第4号の記事から、カカト倶楽部のご厚意により転載させていただきます。

時代の申し子

 マルタ・ロバンは、1902年、フランスのシャトウヌ・ド・ガロールという小さな村に生まれました。当時は反教権主義が広がり修道者を追い出していた時代でした。マルタは14歳で学校を終え、その後は両親の畑仕事を手伝ったり、家畜の世話をしていました。つつましく暮らしていたマルタに転機が訪れるのは彼女が16歳の時で、この頃より体が徐々に麻痺し始めました。

主への信頼

 病状は一進一退を繰り返しながら進行しましたが、主への信頼はますます増してゆき、23歳の時に自分の記憶、知恵、望み、心、からだ、自己の持つ全ての能力を主に捧げる決心をしました。
「神である主よ、あなたはこの小さなはしために、すべてを求められました。ですからどうぞ、すべてを取り、すべてを受け入れて下さい。
 今日私は、あますところなく、また取り戻すことなく、あなたに自分をお渡しします。おお、私の魂の愛するお方よ。私の望みはただあなただけ、それゆえあなたへの愛のために、私はすべてを放棄します。」(マルタの奉献の文より)

マルタの受難

 マルタは26歳の時以来、生涯にわたって床につくようになり、さらに食物も、のどを通らなくなりました。ただ不思議なことに御聖体だけは摂ることができたので、1928年から1981年までの間、マルタは奇跡的に御聖体だけで生きたのです。
 彼女が28歳の時、イエズスはマルタに現れて言われました。
「私のようになりたいですか」
 主にすべてを捧げていた彼女に、どうしてこれを拒むことができるでしょうか。やがてマルタの両手、両足、心臓、眼から血が流れるようになりました。(彼女は謙遜の心づかいでこれらを隠すことを願ったので表面上は完全に消えてしまいましたが)
 この頃より天に召されるまでマルタは50年間、毎週木曜日の晩から、キリストのアゴニア(臨終の苦しみ)を体験するようになりました。

愛と光の家の誕生

 フィネ神父はある人の頼みでたまたまマルタのもとに聖母マリアの絵を届けることになりました。彼は、初めてマルタと出会ったこの忘れがたい日を後に幾度も語っています。

「初めの1時間、マルタは私に、聖母についてしか話しませんでした。彼女は聖母を『私の大好きなママ』と呼んでいました。そこで私は、聖母と彼女は非常に深く知り合っているのだなと推測したのです。
 2時間目に彼女は、これから繰り広げられるであろう重大なことがらについて話しました。
『新しい愛の聖霊降臨が起こり、信徒の使徒職を通して教会が若返るでしょう。信徒は教会の中で、非常に大切な役割をもつようになるでしょう。そして、たくさんの人が使徒として召し出されるでしょう。』と。
 ずっとのちに教皇ピオ12世,ヨハネ23世,そしてパウロ6世が『教会の春』『新しい愛の聖霊降臨』と語られたのを聞いたときに、私は大変な衝撃を覚えました。
 彼女はさらに、信徒を養成するために多くの方法があるでしょうが、とりわけ『愛と光の家』が多くできるでしょうとつけ加えました。
『愛と光の家は、父親である一人の司祭の指導のもとに、自分を奉献した信徒で成り立つのです。愛と光の家は、全世界の中で輝かしい影響を与えるでしょう。これは教会の中で全く新しいことです。今まで決してなかったことでしょう。修道会ではなく、聖別された信徒から成るのです。これらの家は人々の物質的敗北と悪魔的な誤謬が生じたのちに、イエズスのみ心からの答えとなるでしょう。』
 3時間目になったとき、彼女は私の方に向かって言いました。
『神父様、神様からのお願いがあります。』
『え、どんなこと?』
『最初の愛と光の家を建てるために、ここシャトウヌフにおいでになるべきお方は、あなたです。』
『私ですって? でも私は、この教区のものではありませんよ。リヨンのものです。』
『関係ありませんよ。神のお望みだから。』
『なるほど、、、でも、何をするために?』
『とくに黙想会の指導のためです』
『そう、3日間の黙想会はいいでしょうね。』
『いいえ、聖母は5日間をお望みです。』
『ああ、そうですか。ではその黙想会は一体、誰のためなのですか?』
『婦人と若い女性たちのために。』
『その黙想会のあいだに、何をしますか?座談会ですか、何かの分かち合いですか?』
『いいえ、いいえ、いいえ。聖母は完全な沈黙をお望みです。』
『しかし婦人や若い女性たちを、5日間沈黙させることが出来ると思いますか?』
『聖母がそう頼まれるのですから。』
『ああ、そうですか、知らなかったので、、、 しかしどのようにして、黙想会があるということを知らせるのですか。』
『聖母はその任を果たして下さるでしょう。そしてイエズスが特別な恵みをお与えになるでしょう。宣伝する必要はありませんよ。』」

「私は、私の長上であるボルネ司教に話しました。『マルタが頼むのなら、承諾しなければなりませんよ。』との答えでした。」
「また私の霊的指導者であるアルベルト・ヴァレンサン神父にもその件について話しました。この著名なイエズス会士は、神秘神学の権威者でした。『マルタ・ロバン。知ってますとも。このあいだピッグ司教に連れられて、彼女のところへ行きましたよ。彼女はシエナのカタリナです。彼女は、教会の娘です。あなたは、彼女が言うことを全て安心しておやりなさい。彼女が言うことを全部必ずして下さいよ。全部、全部、全部ね。』
 それでもう、やり始めるしかありませんでした。ヴァランスのピッグ司教に会いに行きますと、司教様は両手を広げて歓迎して下さいました。すぐに理解し、計画を祝福して下さったのです。」

マルタの祈りは限りなく

 こうして始まった黙想会は徐々に参加者が増え、男性も参加できるようになり、現在、愛と光の家は世界の60数カ所に建てられるまでになりました。
 日本では大阪府の茨木市にあり、関東にも現在準備中です。
 51年間、御聖体以外なにも食べず、なにも飲まず、夜も眠らず、生き続けたマルタ。50年間、毎金曜日毎にイエズスの御受難を生きたマルタ。
 彼女は1981年に天に召されましたが、その働きはとどまるところを知らないようです。
 彼女の生涯を知るにつれ、イエズスの私たちに対する計り知れない愛を思い起こすことが出来ます。

参考図書

「マルト・ロバンの面影」
 ジャン・ギトン著 中央出版社

「マルタ・ロバン 十字架とよろこび」
 レイモン・ペレ著,レデンプトリスチン訳,愛と光の家(800円)

いずれも愛と光の家(連絡先は下記)に注文することが出来ます。


日本における愛と光の家について

 はじめに書きましたように、日本では大阪にも愛と光の家があり、また関東でも準備中です。
 愛と光の家では、「静けさのうちに神との出会いを!」求めて、

沈黙のうちに、家庭的な雰囲気の中で
みことばに耳を傾け、神を見いだしたい方
みことばを味わい、神との交わりを深めたい方
使徒職者として神の愛のふさわしい証し人として生きたい方
司教様方の呼びかけに答え、日本の教会における福音宣教(NICE)に積極的でありたい方
生きることの意味を再発見したい方

 そのような方々のため黙想会を計画しています。

 黙想会の日程および申し込みについてはこちらのページをご覧下さい。


終わりに

 私は卒業旅行でフランスのシャトルヌフにある愛と光の家の本部を訪れました。駅まで迎えに来ていただいた車から見える景色はのどかな田園風景。そして本部ではMICHON神父様を始めメンバーの皆さんからとても温かいもてなしを受けました。そしてマルタさんが毎日を過ごした家にも行き、そこでマルタさんが悪魔から攻撃を受けて頭をぶつけられた家具なども、この目で見、この手で触ってきました。またMICHON神父様から許しの秘跡を受けたのも懐かしい思い出です。告白は日本語で、許しの言葉はフランス語で、償いの祈りは二人で一緒に英語で。私も神父様も英語は得意とは言い難く、一緒に唱えながら二人とも同じ箇所で言葉が詰まるので、祈りながらなんだかおかしくなってきたのを覚えています。

 日本ではケヌエル神父様がマルタさんから指名され、この愛と光の家をお作りになりました。私はこのケヌエル神父様をとても敬愛し、とても頼りにしております。現在のカトリック教会ではとても大きな混乱があるように思われます。何が正しく何が誤りなのか、識別が困難なときもあります。
 そのようなときに必ず正しいことを教えてくださる方、羅針盤として、私はケヌエル神父様を信じています。

 愛と光の家について、またその黙想会についてさらに詳しく知りたいと思われた方は、直接下記の愛と光の家にお問い合わせ頂くか、またはメールを頂きましたら愛と光の家に転送させていただきます。

愛と光の家
568 大阪府茨木市大字千提寺136番地
TEL 0726-49-1030

このページの内容についての一切の責任は濱田個人にあります。

最終更新日 1997.12.30