自然が友

よそ者の戒律
2005.05.02
古明地 光久


農地法違反や産業廃棄物処理法違反などは、日常茶飯事であり別に珍しくもなんともない。

山林に不法投棄された産業廃棄物等は、簡単には人目につかない。たとえ、人目についたとしても、後難を恐れてか表面に出ることはない。また、畑や田に鉄くずや瓦礫などを投棄する行為は、農地法(無許可農地転用)及び産業廃棄物処理法(不法投棄)の違反行為に該当するが、同じような理由から表面に出ることは殆どない。

保守的閉鎖社会において、このような違法行為を非難することはできない。そのような行為を非難したなら、村八分になってしまうからである。

このような社会では、物事の善悪を個人の意思で判断し、それに基づいた行動を個人として行うことは全く許されず、個人は全体の構成要員として存在するだけである。もしも住民が、個人の意思で行動をしたなら、大切な閉鎖性は消滅し、力と無法が支配する社会体制は短期間に崩壊し、旨みのない社会へと転落?してしまうからである。

良き事も悪しき事も、お互いを「巻き添え」にしながら、暮らしを立てているのが閉鎖的「巻き添え社会」の特徴である。

このような土地柄では、行政が率先して行動しなければならないのであるが、行政自体がそのような社会構造の頂点に位置することを考えると、とても無理な話なのである。


たとえば、力のない一住民が、有力者に危害を加えられた場合を考えてみましょう。

じっと、声も立てず息も殺して、ひっそりと我慢をしなければいけません。そんな時、基本的人権などという場違いな異音を立てようものなら、一瞬にしてエライコトになります。噂は町内を電光のごとく駆け巡り、その「力のない一住民」は、山梨的方言で言うならば、「い(異)な人」という烙印を押され、社会から完全に浮き上がり、無視され、挙句の果てに「巻き添え社会」から排斥されてしまいます。大変ですね。嫌ですね。怖ろしいですね。

ですから、「力のない一住民」や、町内の取引のみを収入源とする「商人」たちは、常に、周辺に対して全神経を張り巡らし、研ぎ澄まし、物申すことも一切せず、天下一の我慢の子を決め込むしか手はありません。

さて、よそ者の場合はどうでしょうか。彼らの身分は、「力のない一住民の遥か下」に位置し、許される振る舞いは、「金だけ出して、口出すな!!」というところです。

さて、私が十年以上の歳月を「よそ者」として過ごし、この間、まさに、身を削るような体験から会得した究極の奥義に、「田舎暮らしの極意」があります。その根幹となる戒律を特別に紹介しましょう。


「地元住民の傍には、絶対に住むな!」です。そして、「決して妥協をするな!!」です。

これができない場合には、他人のとばっ塵を受けて、所謂「巻き添え」状態になり、挙句の果てに、あなたの基本的人権である生命・身体・財産まで侵害されてしまいます。私の場合がそれですよ。

このようなケースでの切羽詰った対応策としては、二つのパターンが考えられます。

T 最悪の対応策
貴方と「巻き添え社会」との間に、基本的人権をめぐる不毛の戦いが始まります。その結果は、あまり芳しいものではありません。なにしろ、相手は多勢、こちらは一人ですから、ネット活動を採用するしか方法はありません。不器用な私の場合がこれですよ。

U 超最悪の対応策
下記のような殺し文句を多用することです。
「郷に入っては郷に従え」という隷属的・忍従の常套句を頻繁に引用し、「基本的人権などを主張する輩は悪い奴に違いない」、というような姿勢を、地元住民の方々に発信し続けることです。無論、口先だけでは効き目がないので、貢物なども、タイミングを見はかって、頻繁に献上しなければなりません。

ただし、この劇薬的格言を使う場合には、次のような問題が生じることに留意してください

「郷に入っては郷に従え」という常套句の意味を少し考えてみましょう。

「住む土地の風俗・習慣に盲目的に従って生活しなさいね」ということであり、上記のような「巻き添え社会」の場合には、あなた自身が、とんでもない重大な違法・背信行為に加担することとなります。

すなわち、「先住民の行うことは何でも、お説ごもっともと積極的に受け入れ、何事も決して事を荒立てず、ただひたすら追随し、お追従を並べ立て、自衛のための発言・行動なども堅く慎み、場合によってはニコニコしながら殺されてしまいなさい!」という、日光の三猿(見ざる聞かざる言わざる)に加えて、落語の世界に出てくる”太鼓もち”のような、さらに”金魚のウンコ”や”土中のミミズ”のような哀れな自分に甘んじなければなりません。

さて、このような生き方の終着駅は何なのでしょうか。それは、どのような立派な生き方だったのでしょうか。

残念なことに、想い出多き人生の終着駅において、貴方は、違法行為を是認・加担する勢力そのものに変身して降車する羽目となります。

地域社会の健全なる変革と発展を望む勢力は、寂しく、悲しく、そして空しい思いで、乗降客たちの姿を静かに見つめているのです。