私のお気に入りに、金峰山(キンプサン)がある。そこには、尊敬する「物の怪のジジ」や風流道の師であらせられる山里鬼山先生、それに私の同類とも思われる「山の精霊」やシカやクマや小鳥達が棲んでいる。本日は特別のサービスとして、神聖であり、そのうえ、肉体と精神にやさしい、原始の空間をご案内する。 この第2のゲートからが、我が風流空間の始まりとなる。時は、1999年の12月中旬。 私にとって、このゲートは茶室の”にじり口”に相当する。ここを潜り抜けると、私の茶室空間が展開される。万物に対して、一期一会の出会いを尊び、和敬静寂を探究する。通常、茶室の広さは四畳半であるが、私の茶室には、無限の広さが好ましい。 六本楢の最終ゲートを過ぎて数キロ行くと、私の大好きなポイントが一個所ある。 穏やかな山塊そして清らかな雲海の向うには、眉目秀麗たる富士の山。ホットするような心和む瞬間である。この眺望を楽しんだら、先へ進みましょう。 六本楢の最終ゲートを過ぎる約4キロぐらいから悪路が始まり、1999年12月現在で約4.3キロ続く。毎年少しずつ舗装されるので、数年後には普通乗用車でも行けるかも。 この悪路の終りに近いところから五丈岩が良く見える。ちょとした広いところがあるので、車を停めて昼飯を食べることがある。 「嫌なところは、もう終りだな」 「艱難辛苦汝を玉にす」 「艱難にあって、初めて親友を知る」 この悪路にはうんざりするので、こんな独り言が出てしまう。まだまだ未熟の証拠。 針葉樹の下へ落ち込む谷の向うには、本日の主賓である五丈岩が見える。 「なーんだ」 「なんの変哲もない突起ではないか」 と、思うであろう。 六本楢の最終ゲートを過ぎて約13キロ走ると、お目当ての大弛峠に到着する。峠の向う側は長野県川上村。 登山のシーズンともなると、最盛期には、道路の片側1キロぐらいが車の駐車場となる。私はそのような時は避けるようにしている。 大弛峠には、大弛小屋があって宿泊も可能である。また、そのそばには、狭いながらもテントを張るスペースも準備されている。また、峠の近くにはちゃんとした公衆トイレもある。 「金峰山登山口」という、標識にしたがって山に入る。 「ヒエー」 「撮影機材が重くて、まいっちゃうなー」 「風流とは99パーセントが発汗で、1パーセントが才能であるか!」 私の少年時代の夢の人であった、かのエジソンの言葉が、発明と風流とが交差しながら、私の脳裏を横切る瞬間である。 ちょこっと上った所に、お気に入りのポイントがある。 この富士の写真は気に入っている。空気の透明度に難点があるが、時間が遅いからこんなものであろう。そのうちに、もっと良い写真を紹介しましょう。 視界の悪い稜線を無心に歩く。12月の中旬ともなると、道はコチコチに凍っているが、危険なほどではない。進行右側の北側の斜面に生えている樹木には、所々に霧氷が付いていて、陽光に映えて非常に美しい。 私は、氷点下になると鼻汁が止めど無く出てくる質なので、息苦しくなって困る。冷やさないように、厚手のマスクをしているが、もう二枚目も駄目になった。止むを得ず、手拭いを出して鼻が隠れるように一巻きした。はなはだ格好が悪いが、風流道には、「格好の悪い方が上品」という変な掟がある。 「鼻づまり、鐘は上野か浅草か」 「鼻汁も一度に飲めば汚いが、こまめに飲めば唾液なり」 理系人間の限界が見えてきた。 鼻汁に悪戦苦闘しながら暫く歩くと、足場の悪い岩のこぶに出る。ここからの富士の眺めも素晴らしい。 そこを通り過ぎて程なく、本日のポイントである旭岳に着く。 旭岳にじっくりと腰を落ち着けて、「山谷風」に乗って乱舞する「雲たちの」喜ぶ姿を観察するのである。「五丈岩と雲たちの饗宴」の様を見るには、絶好の位置なのである。 何時間か待っていたら、谷の方から雲が湧いてきた。 寒くて、痛くて、指が思うように動かなかったけれど、5,6枚はシャッターを切る事が出来た。 ボトルの中の麦茶は氷っていた。 風流道からすれば、邪道ではあるが、「五丈岩と雲たちの饗宴」を動画でお見せしよう。 ブラウザはネットスケープ・ナビゲーターが合っているようだ。インターネット・エキスプロラーでは画像に少し上下動が認められた。 日没が迫ってきた。2回シャッターを切ったら雲たちは何処かへ走り去ってしまった。 「五丈岩と雲たちの饗宴」は、10分ぐらいで終ってしまった。しかし、今日はとっても運の良い日であった。 大いに満足した。足取りも軽く帰路に就く。真っ暗闇になっても構わない。ヘッドライトが有るので、星たちを眺めながら歩くのも楽しいものである。氷で滑らないように注意しよう。 身も心も弛緩しながら稜線を歩いていたら、日がまさに沈まんとしているその時、ほんの一瞬ではあるが、木漏れ日のサービスを受ける事が出来た。今日は何からなにまで、みんな素晴らしかった。 山の精霊たちに感謝し、尊敬する「物の怪のジジ」や風流道の師であらせられる「山里鬼山先生」に、丁重に挨拶をして山を下りた。 12月の下旬にもう一度行ってみた。道路には雪が氷となって付着していて、「少し危ないな」と思いながら大弛峠まできた。しかし、雪の中を歩くだけの体力も経験も無いので、すぐ戻ってきた。 2000年が楽しみだ! |