冬の金峰・五丈岩

私のお気に入りに、金峰山(キンプサン)がある。そこには、尊敬する「物の怪のジジ」や風流道の師であらせられる山里鬼山先生、それに私の同類とも思われる「山の精霊」やシカやクマや小鳥達が棲んでいる。本日は特別のサービスとして、神聖であり、そのうえ、肉体と精神にやさしい、原始の空間をご案内する。

道中、耳を澄ましてお聴きなさい。
「お元気でーすかー」
「楽しいでーすかー」
「最高でーすかー」
などと、山の精霊達の声が、あちらからも、こちらの方からも、かすかに聞こえて来るはずです。全山こぞって、あなた達を歓迎しているのです。単細胞の私なんぞは、あまりにも嬉しくなって、時としては涙が出てくる事もあるくらいである。

「お最高でーっす」
と、無心の境地で応えて下さいね。
貴方のその声は山々に木霊し、南アルプスや北アルプスなんかは軽く飛び越え、遥か彼方の宇宙にまで到達する。そして、無限の彼方に存在・漂流する、真っ白な氷の粒粒に衝突・弾性散乱を繰り返し、とっても清らかな反射波に変換されて、貴方の心に戻ってきます。そして、子供のときに持っていた、あの冒険心や好奇心や勇気や素直な心が、沸沸と湧いてくるでしょう。人生もろもろの嫌な事、悔しい事等、しばし忘れて、私と一緒に風流空間を漂流してみませんか。

金峰山は、我家の北西約30キロに位置し、その北側は長野県の川上村である。標高は2598メートルであり、その真東には朝日岳2579メートル、そして登山口である大弛峠2400メートルを挟んで、その東側に国師岳2592メートルがある。
我家から大弛峠までは約30キロ、1時間半の行程。その殆どが舗装されているが、途中4キロが相当に悪いガタガタ道のため、地上最低高の高い四駆車で行く。

さて、我家から北北西約15キロの所に牧丘町最北端の部落である柳平1400メートルがある。
部落のはずれには第1のゲートがあり、そこを3キロ過ぎた、六本楢1645メートルというところに第2のゲートがある。これらのゲートは冬(12月下旬)には閉まってしまう。



この第2のゲートからが、我が風流空間の始まりとなる。時は、1999年の12月中旬。

私にとって、このゲートは茶室の”にじり口”に相当する。ここを潜り抜けると、私の茶室空間が展開される。万物に対して、一期一会の出会いを尊び、和敬静寂を探究する。通常、茶室の広さは四畳半であるが、私の茶室には、無限の広さが好ましい。



六本楢の最終ゲートを過ぎて数キロ行くと、私の大好きなポイントが一個所ある。
穏やかな山塊そして清らかな雲海の向うには、眉目秀麗たる富士の山。ホットするような心和む瞬間である。この眺望を楽しんだら、先へ進みましょう。




六本楢の最終ゲートを過ぎる約4キロぐらいから悪路が始まり、1999年12月現在で約4.3キロ続く。毎年少しずつ舗装されるので、数年後には普通乗用車でも行けるかも。
この悪路の終りに近いところから五丈岩が良く見える。ちょとした広いところがあるので、車を停めて昼飯を食べることがある。

「嫌なところは、もう終りだな」
「艱難辛苦汝を玉にす」
「艱難にあって、初めて親友を知る」
この悪路にはうんざりするので、こんな独り言が出てしまう。まだまだ未熟の証拠。

針葉樹の下へ落ち込む谷の向うには、本日の主賓である五丈岩が見える。

「なーんだ」
「なんの変哲もない突起ではないか」
と、思うであろう。




六本楢の最終ゲートを過ぎて約13キロ走ると、お目当ての大弛峠に到着する。峠の向う側は長野県川上村。
登山のシーズンともなると、最盛期には、道路の片側1キロぐらいが車の駐車場となる。私はそのような時は避けるようにしている。
大弛峠には、大弛小屋があって宿泊も可能である。また、そのそばには、狭いながらもテントを張るスペースも準備されている。また、峠の近くにはちゃんとした公衆トイレもある。

「金峰山登山口」という、標識にしたがって山に入る。

「ヒエー」
「撮影機材が重くて、まいっちゃうなー」
「風流とは99パーセントが発汗で、1パーセントが才能であるか!」

私の少年時代の夢の人であった、かのエジソンの言葉が、発明と風流とが交差しながら、私の脳裏を横切る瞬間である。

ちょこっと上った所に、お気に入りのポイントがある。
この富士の写真は気に入っている。空気の透明度に難点があるが、時間が遅いからこんなものであろう。そのうちに、もっと良い写真を紹介しましょう。




視界の悪い稜線を無心に歩く。12月の中旬ともなると、道はコチコチに凍っているが、危険なほどではない。進行右側の北側の斜面に生えている樹木には、所々に霧氷が付いていて、陽光に映えて非常に美しい。
私は、氷点下になると鼻汁が止めど無く出てくる質なので、息苦しくなって困る。冷やさないように、厚手のマスクをしているが、もう二枚目も駄目になった。止むを得ず、手拭いを出して鼻が隠れるように一巻きした。はなはだ格好が悪いが、風流道には、「格好の悪い方が上品」という変な掟がある。

「鼻づまり、鐘は上野か浅草か」
「鼻汁も一度に飲めば汚いが、こまめに飲めば唾液なり」
理系人間の限界が見えてきた。

鼻汁に悪戦苦闘しながら暫く歩くと、足場の悪い岩のこぶに出る。ここからの富士の眺めも素晴らしい。
そこを通り過ぎて程なく、本日のポイントである旭岳に着く。

旭岳にじっくりと腰を落ち着けて、「山谷風」に乗って乱舞する「雲たちの」喜ぶ姿を観察するのである。「五丈岩と雲たちの饗宴」の様を見るには、絶好の位置なのである。

何時間か待っていたら、谷の方から雲が湧いてきた。
寒くて、痛くて、指が思うように動かなかったけれど、5,6枚はシャッターを切る事が出来た。
ボトルの中の麦茶は氷っていた。

風流道からすれば、邪道ではあるが、「五丈岩と雲たちの饗宴」を動画でお見せしよう。
ブラウザはネットスケープ・ナビゲーターが合っているようだ。インターネット・エキスプロラーでは画像に少し上下動が認められた。




日没が迫ってきた。2回シャッターを切ったら雲たちは何処かへ走り去ってしまった。
「五丈岩と雲たちの饗宴」は、10分ぐらいで終ってしまった。しかし、今日はとっても運の良い日であった。




大いに満足した。足取りも軽く帰路に就く。真っ暗闇になっても構わない。ヘッドライトが有るので、星たちを眺めながら歩くのも楽しいものである。氷で滑らないように注意しよう。

身も心も弛緩しながら稜線を歩いていたら、日がまさに沈まんとしているその時、ほんの一瞬ではあるが、木漏れ日のサービスを受ける事が出来た。今日は何からなにまで、みんな素晴らしかった。

山の精霊たちに感謝し、尊敬する「物の怪のジジ」や風流道の師であらせられる「山里鬼山先生」に、丁重に挨拶をして山を下りた。




12月の下旬にもう一度行ってみた。道路には雪が氷となって付着していて、「少し危ないな」と思いながら大弛峠まできた。しかし、雪の中を歩くだけの体力も経験も無いので、すぐ戻ってきた。

2000年が楽しみだ!