24時間リレーマラソン 富士北麓公園 徹夜レースの巻

8月最初の土日となった3日(土)、富士山のふもと、富士北麓公園に、24時間リレーマラソンというものに行ってきました。
最大12人までのチームで24時間リレーをして走り続ける、という企画モノ。

もちろん、こんなミョーな企画に参加するのは始めて(でも全国的にはいくつもあるんだって。陸上バカ(ここでのバカはある意味尊敬語に値する)が沢山いるってことだな。)。今回の会場となった富士北麓公園は、いわゆる運動公園みたいな感じで、陸上競技場から体育館、野球場なんかがあるところ。そこの敷地内1周1.6キロの周回コースをぐるぐると回るんです。アップダウンのある1500m走のリレー、と考えればなんとなくイメージできる(できない!?)かな。んで。一人何周ずつでもよくって、途中でどんどん交代(リレー)し続けるってもの。
今回、参加チーム数は200チーム以上を越え、良くまぁこんなに参加する人がいるんだな(おまえもその一人だろ!)と思いながら、ただ24時間リレーし続けるなんて、なんかの罰ゲームになりそうなもんだなぁ、の心境なのでした。
なぜか大会公式ホームページに写っていました。ゼッケン121番の選手が僕です。ちょうど1周目が終わったところ。前の選手にぶつかりそうになって、右手で突き飛ばそうとする寸前の写真です(手が開いているのはそのため)

【 24時間のその前に・・・
いきなり遅刻寸前。スタートは土曜日の昼12時。その日の朝、メンバーと集合して、会場へは自動車で中央自動車道に乗り、河口湖インターまで、おおよそ2時間の予定。でも実は8月の最初の土日だったのだ。そりゃ混みまっせ。高井戸…稲城…八王子…御殿場…大月……ことごとく押し寄せる渋滞の波。僕らのチームは4台で分乗したのですが(出発別々、現地集合)、レーススタート前に到着したのは、わずか僕の車1台のみ。しかも選手集合20分前だったのだ!

受付も仮に済ませ、テント設営、弁当の予約、と、もはや〆切時刻が分単位しか残っていない手続きをするかたわら、既に「第1走者集合!」の放送が…。もともと第1走者は別の人だったけど、チームメンバーがまだ揃っていない状況(僕以外は女性2人のみ。で、僕が走らないわけにはいかないでしょう…)ではもう腹くくってランニングに着替え、アップも柔軟もなしに、各チームの猛者が集う第1走者集団の列に潜り込んだのでした。

この集団の先頭の方は、オープニングラップを取りたい輩がぞろぞろいるわけ。殺気に満ちた待ち時間…)。オープニングのアナウンスが暫く続いた後、あっというまにスタートの号砲(しかしいまだ僕のチームのメンバーの姿は見えず)。
【アスリートダマシイにだまされて・・・】
仕方ない。もう走るっきゃない。コースレイアウトの確認もできず、いきなりやってきた本番。緩い(と聞かされていた。実はきつい…)アップダウンのコースを、1周目だけはアップも兼ねてマイペースで回る…つもりだったんだけど…、他のチームの殺気立った雰囲気に、負けちゃったんだな。アスリートダマシイが黙っちゃいない。負けちゃいられん、とペースが自然と上がっていたのだった。あぁ愚か。

気づいた時に、気づいたんだよ…。そういえば交代する時間はいつになるのか?そもそも他のメンバーはいつ来るんだ???……ということは、僕は何周走り続けなきゃ行けないのだ…???…急に不安に…。そういえば、今日は暑い。そういえば、アップもしていなかった(ここで気づく)。そういえば朝ご飯(パン1枚)からもう6時間も経ってるのに、お昼を過ぎた今も、まだ何も口にしていない。おなかも空いて来たよぉ…。おいおいこれから先どうなっちゃうんだ???このペースはいつまでもつんだろか…。

そんな不安を吹き飛ばすかのように、メンバーの到着の連絡が引継ぎポイントで知らされた。お、結構早かったじゃないかぁ!助けてくれぃ!ということで5周を終えたところでたすきリレー!はらへったよぉ!
【高木ブーがやって来たヤァヤァヤァ。(雷様・・・)】
その後、しばらくの休憩の後(もち、他のメンバーは走っているよ)、再び僕の出番に。しかぁし!急にアヤシクなる雲行き…。あっという間に空は雲に覆い尽くされ、いたるところで響く雷の音。山の天気は変わりやすい。雷注意報、雷警報、とめまぐるしく状況は展開し、レースは規定通り、一時中断に。アナウンスにより、選手・スタッフとも緊急避難。仮設テント内は落雷の危険性が高い為、各自体育館や、駐車場の車の中に避難。そして突如として豪雨。

30分ほど雨が続いただろうか、雨上がりの後は夕立特有の一転した晴天に早変わり。さっきの雨が嘘のよう。逃げ遅れた人はびしょびしょなのに。避難も解除され、競技場に選手達が戻ると、いくつかのテントが雷雨で(風?)破壊。テントはよく運動会の来賓席などで使うみたいなやつのしっかりしたやつなんだけど、これがひっくり返っていて、ポール(鉄)がぐにゃぐにゃに曲がってしまっていたのだ。中に人がいたら、と思うと…みんな避難していてよかったよかった。こんなテントの復旧の為に(このテントを使っていたチームの荷物は当然びしょびしょ)、再スタートが更に30分延期。落雷による中断が午後3時ごろ、再スタートは4時半で、中断時間は1時間半にも及んだのだった。

再スタート後、すぐに僕の番が回って来て、今度は気持ちも落ち着く中、しっかり4周。まだまだ末足は残っているぞぅ。これでようやく担当の半分が終了なのでした。これからは折り返し。これからが勝負なのだ。
【夜と〜ぉ、朝のあいだにぃ〜(確か・・・ピーター)
そうこうしているうちに夕方、夜、とあたりは次第に暗くなっていき、7時になるころにはすっかり空は真っ暗に。山の近くだからほんとに真っ暗になるんだね。投光器や照明に明かりが灯り、夜の部のはじまりはじまり〜。

夜ご飯を食べて、一休み。実は次の出番は午前1時と午前3時半頃の予定なのだった。夜中はほとんど眠れないから、今のうちに睡眠を…とは思っていたんだけど、晩ご飯やら、夜食やら、とにかくたべるものがどんどん出て来て、しかも「もったいない…」と思い次々に食べていると、そのうち寝る時間もなくなり、結局ほとんど仮眠を一時間ちょっととったくらいで真夜中の部に突入してしまったのであった。

僕の夜中の担当は計9周。チームのみんなと話し合って、4周1回、1周4回、1周1回、と分けることにした。真ん中の「1周1回」は精鋭(?)3人で1周毎に交代してバンバン走ろう!という意図。これが思わぬ結果を招くとは、この時誰も…。

さすがに夜になると気温も下がり、昼の太陽の照りつける下でのレースより、楽に走れるようになってきました。しかぁし、こんな真夜中に200人越の選手がリレーゾーンでわらわらとしている状況はいったいなんだ?(参加チームが200チーム以上あるから、常に200人くらいがリレーゾーンで待機している)夜通し走り続ける様を見ながら、彼らはきっと飛脚の末裔なんだろうな、と妙に感心していたのでした。時は午前3時を過ぎ、いよいよ各チームとも疲れからかスピードが落ちて来ているような気がしました。
【真夜中の! 1600mインターバルトレーニング?】
ここで僕らは1周毎のダッシュ合戦。夜担当の男性陣は3人いたんだけど、みんな変に負けず嫌いだから、誰かが好タイムを出すと、それに負けじと次のラップでふんばる。ちょっと放っておくと体育座りのまま眠っちゃいそうな状態(もう真夜中だし・・・)の中、1,600Mダッシュだよ。みんなちょっとハイな気分になっていて、ちょっとしたことで大笑いしながら、ラップをこなしていったわけ。当然のように順位は一気にジャンプアップ。

その後、空が段々白み始め、太陽が昇ると、徹夜明けの太陽は体にこたえる。「まっ、まぶしい!」太陽にやられ、急激に強度を増す眠気。がっくりと気力も失われ、目にクマをつくってラスト6時間の担当にたすきを託したのでした。あとはゴール近くの時間までぐっすり。気づいた頃にはラスト30分。そして感動のゴールで(ほんとちょっと感動しちゃったよ)24時間のリレーは幕を閉じたのでした。

最終順位は94位。200チームを越える参加の中で半分以上の成績は、ジョギング走りの女性陣もチームにいたことを考慮すると、かなりの快挙だったのでした。やっぱりあの午前3時台のギアアップが効いたかな…。また来年も、とみな心に誓ったのでした。
おしまい。