菊 民夫

平成6年12月定例会一般質問

a menber of the Shinminato City Assemble Tamio Kiku

 通告に基づき、順次質問をさせて頂きます。
基本計画における新湊市民病院増改築工事について、お伺いいたします。

 住民の生活の中にあって、患者の日常の健康管理や、疾病管理にあたる総合病院の建築は外観にしても、室内のデザインにしても住民に親しめるものでありたいものであります。大病院であれ近くの医院であれ、一人の医師が患者を診ることは、医者と患者の人間的な対話の始まりであり、これが診療の第一歩であるはずであります。総合病院での医療の総合性や一貫性のなかで、清潔で明るい、温かみのあるデザインは患者に対して、自然に『心理的治療』を与えるものであります。不安と苦痛の下で、心身共に疲れた患者や、その家族の心をいやす、思いやりや、やさしさが、仕上げ材料の選択や、ドアの引き手一つのデザインに至るまで設計全般に、にじみでたもので、ありたいと思うのであります。
社会資本の投下の中で、財政が厳しくても、どうしても行政がしなくてはいけない物の一つが『病院』であります。厳しい立地条件の中で、新湊市民病院の検討委員会が設置され昨年の5月に且ゥ治体病院施設センターから新湊市民病院改築マスタープランの報告を受け、ベット数に制限があり入院患者の伸びなやみがある事や、建設年度に比べ老朽化が目立つ事。特に病床当たり面積が、他の公立病院より狭い事は、現市民病院では41.1uであります。最近増築された200床未満の一般病院での1床当たりの床面積は50uを超え、1床当たりの起債標準面積45uよりも下回っているのが指摘され、当議会もそれに即対応し、見守ってきたのであります。
まず、基本計画のなかでスクラップ・アンド・ビルド方式を通して、患者に『やさしい』病院づくり、についてであります。
 去る11月30日の全員協議会で初めて且R下設計の基本計画の概要版の説明を当局から示されましたことは周知の通りであります。増改築の方針や計画概要の中で6人床を廃止し、個室と4人床とする、各病室にトイレと洗面所を新しく採用し、病床一人につき6uから8uに広くなった事により、患者に快適な居住環境を創るとお聞きしておりますが、この病院の病棟計画のなかでのいくつかの施策が、マスタープランの指摘された事を基本とし、患者にとって本当に『やさしいのか』疑問に感じているのであります。これらの論議を進めながら、当局の見解をお聞き致したいと思います。
先日、外国での研修を経た若い医師と話しをする機会があり、アメリカやイギリスの医療施設の違いを切々と語り『これからの病院は、病気にかからないための病院づくりであり、日本の様に病気になった方の病院づくりであってはいけない』と語っていました。なにげない言葉でありましたが、なぜか新鮮に聞こえてきました。
 病棟の計画水準を、格段に向上させるコンセプトの下で、スタートされている今、設計での増改築工事での「分散トイレ方式」の採用であります。入院患者の快適性を第一として、患者側からのアメニテイ、看護する側からの使いやすさでの採用だと思いますが、まずトイレ・洗面スペースの狭さを指摘しておかないわけにはいかないのであります。住宅施設として、捕らえる分についてのモジュール寸法が畳1枚程度と考えるなら、使う側の健常者でない、入院患者を想定してみますと、点滴を手にして歩く方、歩行機につながらないと歩けない方、杖を手にして歩く方、車椅子での歩行の方、手術後の部屋でのポータブルトイレの使用の方等が、あげられるはずであります。間口が、有効1.1メートル程度の縦長のトイレがいかに患者にとって、使いにくいのか想定できるはずであります。昭和23年に施行され、昭和54年に最終改正された医療法施工規則の第16条の3項に病室の床面積は、内法によって測定することとし、患者1人を収容するものにあっては6.3平方メートル以上、患者2人以上を収容するものにあっては患者1人につき4.3平方メートル以上とあります。
4床室での、実質の床面積は現施設と変わらないのであります。共有部分も含めて8uの4倍の32uとされていることは、起債面積に算入されたいとの事なのか、数字のマジックのようで疑問が残ります。 必要なスペースに、設備器具をくっつけただけの従来型ではなく、点滴の患者や車椅子の患者や子供や老人、いろいろの人が使う多目的トイレとし、清潔で明るく、やさしさのある空間のなかで、機器の配置,造作,色,仕上材料等,トータルでデザインされ、心のゆとりの感じられる、使う側のきめ細かな配慮を模索した、ものの方が、分散トイレ方式よりも、従来のセンター共有部分での集合方式での、トイレスペースの数、デザインや機能を見直す事の方が、より患者のためにやさしいと思うが、当局の見解をお伺いいたします。
 又、4人床での、設備が新しい時の4、5年は良いとしても、共有のトイレや洗面所のパイプシャフトから出る音,臭気,蓄尿ユニットの位置等に対して、病室との間仕切や遮音,消臭等の工夫があればお聞かせ下さい。
患者の一日の日課を想定して見ますと、トイレの使用、食事、TV、ラジオ、雑誌、見舞い客、家族、睡眠をとる事、そして治療に専念している事があげられます。病床での生活が短期から3カ月、6カ月、1年と長期になりますと、家にいる以上に病院生活を余儀なくされます。私は、病床の施設の基本は、あくまでも住宅的スケールでありたいと思います。生活するための、ベット以外のウオールユニットや床頭台,個人ロッカー、冷蔵庫、洗濯機の使用等は、最低限必要であります。小さな事の様に思えますが、患者にとって大きな問題であります。ましてやその病床で生涯を終えるとなると、事は違うはずであります。少しでも病床の有効床面積は、現施設よりも大きく取るべきであります。
病棟から、外を眺めようとすると、ベランダの手すりが高くてベッドから寝たまま外の景色は見えにくく、空のみが視角に入ります。又、外に出て、外気を吸いたいと思うが、避難経路のベランダが付いてはいるが、外にも出れない、看護婦は自殺防止だと言い、昼でも出入口に鍵をかけるところもあるそうです。結局、窓腰からの、空の景色と、白い天井と、今までと変わらないベッドスペース、この様に病床を客観的に見て感じるのは、私だけではないはずであります。外来患者に対するサービスや、医療機械の導入は病院にとって必要でありますが、病棟における病床の大きさや、窓やベランダの手すりの工夫や、トイレ分散方式、プライバシーの保てない展望浴室等の、施設導入は医療機械の導入を導く以前の問題であり、今建設する市民病院の施設の特色といえないものであります。もっとこれらの事を、慎重に捕らえて頂きたいのであります。患者のプライバシーや、アメニテイについて考えがあれば、当局の見解をお聞かせ下さい。
 又、患者に対する配慮で、現在の市民病院と比較してスクラップ・アンド・ビルドを通して、何が違うのか、お尋ねを致しておきます。

 終末医療と告知について、斉藤医院長の所見をお伺い致します。 我国の医療現場においては、患者は正しい説明を受け、理解した上で自主的に選択しているとは、いい難いのが実情であります。
昭和23年7月に制定された医療法が、平成4年に、44年ぶりにやっと抜本的に改定されたのであります。今回の改正の中で、医療を提供するにあたっての基本理念が盛り込まれ、その第一条に規定されている、医療は生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他の医療の担い手と、医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための処置及び、リハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。又第2項で、国及び地方公共団体は前条に規定する理念に基づき、国民に対し良質かつ適切な医療を効果的に提供する体制が、確率されるように勤めなければならない。・・・と追加されたのであります。
ようやく国が、患者側に立った医療の構築を明確にしていく為のステップのようであります。欧米ではインフオームド・コンセント(十分な説明を受けた上での患者の主体的に基づく同意)が法制化され、適切な医療を受ける権利が定着しているのであります。日本での法制化はまだまだ時間がかかるように思われます。患者であれ医者であれ、知る権利は国民の、基本的人権であります。
日本では、医療は治療をすることであり、死は別のように受け取られているように思えてなりません。『告知』に対して患者自身が知る事を恐れたり、告知によって患者が生きる希望を失ったり、強いショックを受け、精神的に不安定になることが想定されます。
 終末医療を受ける状態の中で、患者に真実を告げることは、患者に残された限られた時間を知らせる事であり、終末医療のケアの中で最も重要な事だと思うが現在の医療現場は、まだまだ消極的なように思われます。
 『告知』は『宣告』や『判決』に近いものがあります。日本の場合、担当医師に呼ばれ、なぜか患者本人には病状の説明はせず、家族に告知する事が多いようであります。告知される側と、告知を告げるがわの気持ちは微妙なものがあるはずであり、一歩間違えば、患者と医者の信頼関を失い、これからの新しい医療にも問題を残します。告知する能力のない医者であればなおさらの事、これからの新湊市民病院での責任ある医療従事者として、院内での医者の教育や、インフオームド・コンセントや告知について、なにか所見があればお聞かせ下さい。 又、日本ではまだ、ホスピス・ケアが確率されておりません。終末医療の特別な施設を作ると運営上の困難が予想されます。まずその病棟を何と呼ぶか問題であり丁度、患者が大部屋から個室に移されるた時と同じで、治る見込みのない人が行くんだと言う事にも、なりかねません。
告知され、患者も家族も、病気という現実を受け入れられたとしても、日本人の場合は「クオリテイー・オブ・ライフ」とか、質の高い1日1日を過ごせば良いとか、気持ちがなかなか、切り替えられない民族であります。1日でも長く長く、治ることや、治療だけ求める中で、付き添いの方から『一度でいいから、外の新鮮な空気を吸わせてやりたい』・・・と聞く言葉は、そんな贅沢な事ではないはずであります。 市民病院増改築計画の基本構想の中で、建物の廻りの緑化のための、屋上庭園の設置がみられるが、サンルーフとして温室を兼ね備えた屋内庭園として位置づけ等、もう少し患者にやさしい、快適な居住環境を試みてはどうか、市当局の見解をお伺いいたします。
 又、昨日の代表質問の中で、平成8年3月から、完全看護が法律のもとで実施されるとお聞きしましたが、終末医療での家族の付き添いとは、合い反するものがあるが、所見があればお聞かせ下さい。  以上1回目の質問を終わります。


 再 質 問

それでは、再質問をさせて頂きます
。 患者に対する配慮の中で、病棟の各フロアーのエレベータ前のナースステーションが設置され、快適な居住環境として、話し声が不用意に漏れないような構造として計画されたとあります。患者や見舞い客の出入りの管理上の問題で、病棟の中心に位置づけされたと思うが、ナースステーションは逆に、患者や付き添いの家族にも見られているいる事を忘れないで欲しいのであります。多くの病院のナースステーションは、外部からレントゲンやCTの断層写真がガラス越しに不用意に見え患者のプライバシーが阻害されています。患者や家族は自分の病状のことにはすごく敏感でありますから、十分看護婦とのミーテイング場所には配慮をして頂きたいと思います。
又、15才以下の、親の付き添いを必要とする小さい子供を、普通は子供でも病種別の分類で、外科や、整形や、小児科と、棟で分かれると思うが、私は小児科だけは手のかかることもあり、病種に関係なく一緒の棟とすべきだと思うが、斉藤院長の所見があればお伺いいたします。
又、医療器具の追加は後からでもできるが、病棟での指摘は、建物の構造物の変更を伴いますので、病棟のプランの、実施設計を慎重に進めて頂くよう要望しておきます。
 再質問をおわります。


12月定例議会一般質問要旨 061208

基本計画における新湊市民病院増改築工事について
1)患者に「やさしい」病院づくりとは・・・病棟についてスクラップ・アンド・ビルド方式を通して病棟を検証する
。 @ やさしい病院、親しみのある病院とは。 【局長】
 ・6人部屋から4人部屋とした設計意図が病床に活かされているのか・・・ゆとり病室?
 ・トイレの分散方式には本当に患者にやさしいのか・・・畜尿ユニット・音・車椅子・ポータブルトイレ?
 ・長期入院に対しての生活の場はこれで良いのか・・・ロッカー・冷蔵庫・洗濯機?  ・屋上のリハビリ用浴室と展望一般浴場は患者にやさしいのか・・・感染に敏感・手術後の患者どうしが入るの?
 ・ベランダの機能は病床にいかされているか・・・避難防止・出入口の鍵と自殺防止だけなの?
 ・医学図書館とは別に、図書の貸出はあっても良いと想うが?
           現 実
            ↓
患者の一日、トイレ・食事・TV・ラジオ・新聞・雑誌・談笑そして治療に専念
(病院暮らしは窓腰の景色と天井)

A 患者に対する配慮で、現在の市民病院との違いは? 【局長】
 ・小児科棟の配慮について・・・小児科治療と外科治療患者は病種分類をするの?
 ・産婦人科の配慮について・・・病気ではない。新生児と母親に対する配慮(民間施設に対抗出来るの)?
 ・エレベータ前のナースセンターの配慮とは・・・患者や家族にも見られている?  ・デイルームと食堂・面接室・家族の待合い室・・・家族はいつも1家族?  ・ホテル感覚の病院は大きなエントランスホールとレストランなの・・・レストランの利用者は患者それとも外来患者?
 ・緑に囲まれた環境とは?・・・屋上庭園は何処の棟から誰が見るの?
           現 実
            ↓
外来患者のオーダリングシステムと病床患者とのサービスとは

B 終末医療と告知について? 【院長】
 ・一度でいいから外の空気を吸わせてやりたい・・・温室や屋内庭園?
 ・完全看護と家族の付き添いについて(心の支え)・・・電動ベッドや介護用ベッドの開発?
 ・病院での死に際はどうしても痛々しい・・・楽にさせてやりたい?
 (スパゲテイと延命治療について)
 ・告知をされる側と告知を告げる側の気持ちは?
           現 実
            ↓
病院で死ぬか、在宅で死ぬかではなく、誰に看取られて死ねるかを活かされた病院にしていただきたいと想う。
 

(1994年12月8日 新湊市議会議場)





掲載中の記事・写真の無断掲載・転用を禁じます。
Copyright 2000 菊 民夫(kiku tamio)