コンピュ−タ−導入について
(菊民夫記1986.3.18)
 
 
  私の家では、日曜日の朝ともなると、数人の来客があり、ピコピコという音で始まる。さほど珍しい光景ではない。子供達は自分のソフトを持参し、ファミコンのテレビゲ−ムに熱中である。母親は、天気が良いのだから外で遊びなさい。そして勉強しなくなったと嘆くのである。臨教審の一次答申の中で教育の情報化の対応として、コンピュ−タ−の導入が計られつつある。教育の個別化、効率化、情報処理などの課題を踏まえて、私達がまだ理解しえないまま教育現場に入りつつある。昭和45年当時の私達の学生時代はコンピュ−タ−による構造計算が主で、仕事の効率化とデ−タ−処理が目的で現在の情報処理は二の次であったように思われる。そして15年余りを経た現在、全国で、別々の性能を持つパソコンが400万台、ゲ−ムとして共通のフアミコンが600万台、家庭に普及しているといわれている。特にフアミコンがもたらした影響は少なくない。一種の社会問題にまでなっている。もしも、フアミコンが社会に貢献したものがあるとすれば、子供達は無意識の内にコンピユ−タ−に馴れ親しんで いるのではないだろうか。フアミコンは小さくてもコンピユ−タ−である。8ビツトのパソコンよりも 性能の良い所もあり、いずれは別のハ−ドを加える事により各家庭の端末機としてニユ−メデイアの進出につながるのではないだろうか。ただコンピユ−タ−が理解しえないまま教育現場に入った時、プログラムを作成しコンピユ−タ− との個々の対話の内で、子供達が、創造、豊かな人間性を育てる事が出来るのであろうか?もう少しコンピユ−タ−、特にフアミコンの行方を子供と一緒に見守って見たい一人である。
(PTAなでしこ投稿)