国際交流に思う(菊民夫記910115)
 
 
 昨年の九月に近くて遠い国、ソ連を視察する機会がり、富山新港より日ソ友好交流視察団として、沿海州ウラジオストク市を訪れました。共産圏ということもあり、又自由経済地域に移行していく街でもあり、教育、生活習慣、市場経済でのマネージメントの行方は、私にとって大変興味深いものでした。
 港の桟橋を通りぬけると、帝政ロシア時代に造られた、濃いグリーンと白の配色を施した、メルヘン調の宮殿を思わせるシベリア鉄道の起点であるウラジオストク駅がいちばん最初に目に入り、駅周辺には露店やアイスクリーム屋に、終日沢山の人で賑わっている。服装や顔立ちで、民族の違いがはっきりわかる人達の行き交うなかに、汚れた沢山の古い日本車が走りぬける光景は、大国がゆえのソビエト連邦の苦悩が伺われる思いがしました。街並を歩く姿は中年の男女はいかにも生活に疲れた労働者風、若い女性は流通機構の乏しさを感じさせない程ファッションに跳んでいて灰色のイメージがまったく感じられない。又子供達には可愛いリボンを頭につけ、着せ替え人形のようにカラフルな可愛い服装で着飾っている様子は、どの国の親も子供に対する愛情は、さほど変わらないようである。この街一番の繁華街であるレーニンスカヤ通は、十九世紀末に建てられたバロック様式の建物群に、商品価値の乏しい品物をマネージメントの経験のない店員が無愛想に立っているだけで客足がほとんどない状態です。自由市場ではスイカ・トマトに列をなし、その横では若者達が路上でギター演奏をしているようすは、確かにペレストロイカの波が押し寄せてきていることを肌で感じました。
 ソビエト連邦の義務教育は十年制で、五年から十年生までが日本の中・高校に当たり、各クラス三十名で六時間授業で、第二外国語を六年生から三年間日本語としているのに驚かされました。私達が訪問したウラジオストック市第五十一小中学校の校長が三十歳のうら若い女性であり、生徒数一0六四名(先生六0名その内男四名)で、日本のPTAに似た親の団体があり月に一度会合があり欠席の親は一人もいないとの事でした。又宿題も日本以上に多く、ソビエトの教育機関でも宿題の多い少ないが論議されているとの事で、子供の教育の悩みは何処も同じである。その国の言葉で会話が出来ればその国の文化も理解できるはずである。語学の必要性を身近に感じているのは子供よりも親の私達ではないでしょうか。(磯松寄稿)