松下村塾に思う
(菊民夫記1991.8.5)
 
崩れかけた「白い土塀」と「松下村塾」そして山陰線の列車の中で食べた「夏みかん」の味。19年前の夏の暑い盛りに訪れた、萩市の印象である。先日久しぶりに、庭園都市萩市を訪れる機会があり、昔のおぼろげな記憶をたどりながら街を 散策しました。歴史の重みと恵まれた自然環境は、幕末・維新と歴史の流れを大きく変えた、多くの若き志士達を育んだ街でもあり、時代は大きく変わっても、当時の面影をそのまま残し、何か歴史がそっと語りかけてくるような親しみのある街である。学びに来る者は決してこばまなかった吉田松陰は、29歳の短い生涯のなかで、2年半にわたり8畳と4.5畳の小さな狭い場所で、すべての階級を越えた、80人もの門下生の教育に情熱を傾け た。時が移り時代が変わっても、松下村塾の実践的教育は教育の根底に脈々と流れている。
「事を論ずるには、まさに己の地、己の身より意見を起こすべし。すなわち着実となす。そうすれば、 なにができるか、なにをなすべきかがはっきりしてくる。」・・・「現実のなかで君なら、PTAで何をなすか、どうするか」、問いかけできそうである。今年度は、学校祭のある年でもあり、皆さんの協力をお願い致します。(PTAなでしこ投稿)