混迷の市長選!私の首長選び。(1999.6.15菊民夫記)
ニュウーウエーブ公明21幹事長


 混迷の新湊市長選は、4月25日の地方統一選挙後自民党系の3人が出馬表明し、自民党新湊市連にその3人の公認推薦願いが出された。立候補は誰でもできるが、本当にその人が新湊の顔として相応しいのか、市議選や県議選の立候補は良いのだが、その市の首長となるとそうはいかない。暗雲の中で新湊市の自民党議員団14人と県議2人を交え意見交換した後即、市連支部長を中心として選考委員(4人〜よく判らない委員も?)が決定される。市長を決める事でもあり、市民の声を十分に反映させるため、各界各層ら広く意見を聞き、市民党として候補を絞る事で一致した。多くの市民の声は、立候補の表明が早ければ良いと言う物ではなく、市の将来の根幹に関わる大きな事でもあり、市民の声は自ずと、自薦組より他薦組からとの圧倒的な意見集約により、他薦組で樹立する方向に向かう。しかし議員の中にも又、支部長自身も自薦組の三人でやらせてはの意見もあったが、議員の全員一致でようやく他薦組の候補選びに入る。当然行政に明るく他の党からも推薦できる人物と言うことで永田参議院の政策秘書の竹澤氏(支持)・自治省出身の久湊氏や堀田氏・現助役・現収入役(支持)等・他2、3の候補の名前が浮上する。支部長をはじめとする選考委員は即東京へ。しかし出馬要請したもののなかなか良い返事が返ってこない。時間が虚しく過ぎて行く中で、選考委員の発言にその都度私語が入り、私自身4人の言葉をそのまま信頼する事が出来なくなってきていた。同僚議員から、みんなで東京に行って、直接出馬要請へ!私自身、直接合って自分の目で、自分の耳で確かめたい事もあり、9人の一人として東京行きに便乗する。私の候補者選びの持論は、立候補するための条件整備(本人と支持母体)をしていく中で、幾つかの大きなハードルをクリアしなくてはならないのである。それが、家族の理解であったり・友人の数であったり・生活の変化であったり・活動の為の資金であったり・地域の受け入れ状況であったり、それなりの多くの問題を抱え、短い期間で判断しなくてはいけない状況に追いこまれるのである。政治家の資質を語るなら、与えられたハードルを全てクリア出来なくても、その自分の与えられたハードルを一つでも越える事ができ、又それ以上に政治に対して、ほとばしる情熱があれば、まわりの人(支持母体)は必ず熱意を持って、ついて来るものである。もう一つは、その候補がクリーンか?ダーテイか?又政党の色がないか?企業色がないか?である。私の接した候補者の感触は、優秀な行政マンではあるが、人を動かす政治家では無いと判断。その後即、支部長に断念を進言し、新しい候補選びに移行すべきで、ベストで無くてもベターの選び方もあるよと進言する即名前(太田候補樹立)を言うわけにはいかない。最後は議員の好き嫌いの世界になってしまい、自分の思いと違う方向に行く可能性がある。人から言わせるべきである。まし てや議員16人が一本化する事をは大変に難しく、それゆえ手の内は慎重にすべきであると痛感する・・・・家内が入院している事もあり久しぶりに心が解放された事もあり、東京の空の下で、ほろ酔いかげんでホテルへ直行、熟睡。次の日の状況下での選考委員の発言は、まだ久湊候補樹立への思いあり?・・・次のハードルを越えるべきと主張。決断のに鈍さに唖然。又時間だけが過ぎていく。5月29日急転直下、県連指導へ?議員全会一致?出席できず電話にて確認するが不通。次の日の朝刊で確認。不愉快さだけが残る。又振り出しに。自分の首長を決めるのに、人の手を借りるの?市民に言い訳たつの?自薦の方に意地悪しているの?自問自答!又出口の見えないトンネルへ。議員召集、そして市長候補も決めずに、協力への誓約書?サインせず。支部長・幹事長へ八つ当たり、腹の虫治まらず議員会冒頭前に放棄。6月9日、分家議員の辞職受理。県連幹事長、太田候補樹立へ協力要請。思惑でない候補なら、県連幹事長の協力要請があろうとも強く拒否(心の中)。思惑と一致。告示まで25日。元気で支援、時間との戦い始まる。自民党議員全員臨戦態勢。負けるわけにはいかない。6月13日(日)菊たみお後援会臨時総会、自民党の選考過程の裏話暴露。60人余りのの支持者に理解を求め太田候補支持での後援会を立ち上げる。準備はできた。与えられた仕事は着実にこなすための気持ちの整理がついた!!!!やるしかない!!!!