戦いすんで日が暮れて(1999.7.13菊民夫記)
ニュウーウエーブ公明21幹事長


 混迷の新湊市長選、7月11日の投票結果『太田あきら』6,046票。完敗。市議16人・県議2人・・・・沈黙。出遅れのなかでの船頭のいない選挙戦。選考過程での自薦・他薦での新聞報道による市民の強い不満。市長を選ぶのに県連指導で候補を決めたことへの市民の強い怒りと不満と。県連指導の承諾による市民が選んだ市議への不信感。太田候補に対するプライバシーのパッシング(数枚の怪文書での非難・中傷・誹謗〜口コミでの女性の敵)。市職員の派閥による今までの役所人事への不満と反発。総決起での知事への脅し(ガ−ド20人)個人演説会での他陣営の批判。相手を蹴落とすための選挙戦術だけが先行した。誰が当選しても後味の悪い新市長選び。もっと高い次元で論をして、冷静な目と耳で市民が評価して欲しかった。告示前の6月30日の『ザ討論会』には、沢山の市民が参加されたようである。選択をする為の材料とかで?しかし私はこの企画に対してものを言いたいのである。新聞や市民は高く評価しているようだが、私は違うと思う。7月4日の告示前に立候補予定者を集め、街づくりを聞くのは可笑しいと思わないか?そのじてんでは、あくまで立候補予定者であり『立候補していない』のである。立候補していない人に、市長になったらと聞くのは可笑しくないかと言う指摘である。確かに制約をし、選管は許可を出したかもしれないが、告示後の話ならいざ知らず、市民の評価は年齢・顔立ち・態度・発言や提言等で好感度チエック。しかし、おのおの責任なし、財政の伴わない事多し。カメラを通して(票を意識して)本音が言ないお利口さんばかり。弁論大会を想像させる???・・・市のニューリーダを決めるのに・・・・・提言や発言に対して各々の激しいリペート合戦?それでも立候補予定者に聞くの?そしてケーブルテレビで放映?聞きたい人だけ聞けば良いのに?本人の『選挙広報』は告示に入ってから各家に配布のはず。その前に、マスメデアを通して告示前にケーブルに流すのは可笑しい。事前運動ではとの私の見解である。今回の選挙で、自民党に対する批判が、候補者1人に向けられた事、止めること出来ず『太田あきら候補』に大変迷惑をかけ申し訳なく思う。そしてパッシングにより1人の人生を狂わせたかも。心が傷んでならない。議会での自民党系議員団(当時分家氏含む15人)が、新しい市政を望み、新しい候補を選んだはずなのに、6月9日の太田候補の出馬要請に対して、両県議立ち会いのなかで県連幹事長の記者会見で『松木市政を継承する?』発言、市の状況が判らない県連幹事長。あなたはなぜ表舞台に出てきたのですか?誰が頼んだのですか?未だに理解できない!!スタートから間違っていた。太田候補の売り出しも、行政40年のキャリアだけを強調した。しかし、なぜ今が太田晃なのか、誰もが答えていないしアピールもしていなかったはずである。今までの市長は、県から出向を経て、そして市長へ(エリート組)だが、今回の市長候補太田は、エリートでもない、何処にでもいる庶民の顔として、行政を下から積み上げてきた人物である事をアピールし、本江から六渡寺まで、隅から隅まで、誰よりも故郷を愛し、誰よりも新湊を良く知っている人物が今、我々が追い求めている市の顔である。それが太田候補である。堀岡のどぶ板−枚の場所や、あの角の奥さんは何処から嫁にきたとか、そんなたわいもないことを知っている、そんな庶民的な新湊市長を市民が望んでいるはずである。ましてや来年の4月から射水広域圏で介護がスタートするのだから・・・・・短い時間のなかで、余りにもいい人物を創ろうと意識して、本人が持っている持ち味を出してやれなかった。太田売り出しの戦術失敗か?今、反省するところ多し。与えられた仕事(後援会立ち上げ堀岡浸透)は着実にこなしてきたはずなのに『6046』の数字は余りにも重い。『10806』は議員が選んだ(望んだ)新市長ではないが、新湊市民が選んだ、新市長である事は間違いのない事実である。
 
     投票率78.73%(投票者数23,972票)
        分家(10,806票)
        太田( 6,046票)
        稲垣( 5,850票)
        京谷(   986票)