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【T バチカン市国】 Vatican City
面積0.44Km2、東京
日比谷公園の3倍の広さで周囲が城壁で囲まれている。人口はわずか800人ほど、日中の人口は国外から
の通勤者も含めても3000人に満たない。国の経済は観光収入や世界の一等地に所有する不動産からなる
膨大な家賃収入で支えられている。 バチカン市国は教皇を元首として枢機卿たちが国政をあずかり、
世界各地40万人を超える司祭を中核とした情報網を持ち、国際政治に及ぼす影響は大きい。カトリック
精神が司どる神の国そのもの。国土の大部分を占める緑地帯には教皇専用の散歩道や小別荘、修道女が
耕す畑がある。固有の貨幣や郵便局、消防署、病院、商店、貨物駅、印刷局、新聞社、ラジオ局、ヘリ−ポ
−ト等完備している。サンピエトロ聖堂の入り口には1505年、ユリウス2世がスイス人の私的衛兵隊を設置し、今日に至っている。
●サン・ピエトロ大聖堂

帝政ロ−マ時代BC.64年に12使徒の『ペトロ』が皇帝ネロの迫害にあい殉教した場所に、324年に
キリスト教を公認した『コンスタンチイヌス帝』がペトロの埋葬地に聖堂を建設した。
創立後、1000年の歳月はサン.ピエトロ大聖堂を廃墟と化した。16〜17世紀にかけニコライ5世はベルナルド・ロッ
セ−リ−ノの設計によって再建・増築の工事が始まった。その後ブラマンテにより『古典主義風』の新しい
ギリシャ十字形の建物が造られた多くの建築家(フラ・ジョコンド、ラフアエロ他)に継承され、最後にブラマンテの計画を拡大した半球型の屋
根、大キュ−ボラを持つバジリカに仕上げたミケランジエロ(ヴイニヨ−ラ、ピッロ・リゴリオ他)に引き継がれた。
”ペトロ”の墓は1939年に発見され、頂塔部のク−ポラ(円蓋)132.5m下に眠る。

サン・ピエトロ大聖堂 1999.2.
カトリック信者10億人の総本山、サン・ピエトロ広場と中廊
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