風に吹かれてバチカン市国紀行
カトリック総本山 Vatican City
1999.2


1505年、ユリウス2世がスイス人の私的衛兵隊を設置し今日に至っている  写真提供講談社 【T バチカン市国】 Vatican City
 面積0.44Km2、東京 日比谷公園の3倍の広さで周囲が城壁で囲まれている。人口はわずか800人ほど、日中の人口は国外から の通勤者も含めても3000人に満たない。国の経済は観光収入や世界の一等地に所有する不動産からなる 膨大な家賃収入で支えられている。
 バチカン市国は教皇を元首として枢機卿たちが国政をあずかり、 世界各地40万人を超える司祭を中核とした情報網を持ち、国際政治に及ぼす影響は大きい。カトリック 精神が司どる神の国そのもの。国土の大部分を占める緑地帯には教皇専用の散歩道や小別荘、修道女が 耕す畑がある。固有の貨幣や郵便局、消防署、病院、商店、貨物駅、印刷局、新聞社、ラジオ局、ヘリ−ポ −ト等完備している。サンピエトロ聖堂の入り口には1505年、ユリウス2世がスイス人の私的衛兵隊を設置し、今日に至っている。

●サン・ピエトロ大聖堂 E.オベリスクと噴水 1586年ベルニ−ニ作(サン・ピエトロ広場)
F.中廊には140体の聖人像(サン・ピエトロ広場)  帝政ロ−マ時代BC.64年に12使徒の『ペトロ』が皇帝ネロの迫害にあい殉教した場所に、324年に キリスト教を公認した『コンスタンチイヌス帝』がペトロの埋葬地に聖堂を建設した。
 創立後、1000年の歳月はサン.ピエトロ大聖堂を廃墟と化した。16〜17世紀にかけニコライ5世はベルナルド・ロッ セ−リ−ノの設計によって再建・増築の工事が始まった。その後ブラマンテにより『古典主義風』の新しい ギリシャ十字形の建物が造られた多くの建築家(フラ・ジョコンド、ラフアエロ他)に継承され、最後にブラマンテの計画を拡大した半球型の屋 根、大キュ−ボラを持つバジリカに仕上げたミケランジエロ(ヴイニヨ−ラ、ピッロ・リゴリオ他)に引き継がれた。 ”ペトロ”の墓は1939年に発見され、頂塔部のク−ポラ(円蓋)132.5m下に眠る。

A.聖ペテロ司教座(祭壇の奥、後陣に位地する) ベルニ−ニ作(聖霊の象徴である鳩を取り囲むデザイン) B.ピエタ像(聖母が死せるキリスト像) 1498〜1499(ミケランジエロ23歳の作) C.サン・ピエトロ大聖堂前から広場を見る D.キリスト教2000年の歴史が宿るサン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂 1999.2.

サン・ピエトロ広場(中廊には140体の聖人像 ベルニ−ニ作)
カトリック信者10億人の総本山、サン・ピエトロ広場と中廊


日本 バチカン市国

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