風に吹かれてベルガモン博物館
PERGAMO MUSEUM
2004.11


1、ベルガモン祭壇見聞 ギリシャ建築物

T・ベルガモン祭壇(博物館内)BC164〜156年 2004.11.13撮影 tamio  コレクションの前身は1830年の旧ベルリン博物館にさかのぼる。1930年に現在のベルガモン博物 館が開館し、その後1982年に中央玄関ホ−ルが新設された。100年以上に渡って展示方法が考えられ た世界有数(ル−ブル・大英・ベルガモン)の博物館である。
 ギリシャ建築・ロ−マ建築と西南アジア地域の3つの建築物が包括的に展示され、特に実物大のベルガモ ン祭壇(トルコ遺跡:ギリシャ建築BC164〜156年)やミレトス市場門(ロ−マ遺跡:BC120年)・バビロンの行列通り (バグダットバビロン遺跡:BC6世紀)に見る者を引きつける。19世紀にドイツの考古学者カ−ル・フ− マン指導による発掘調査でトルコのベルガモン遺跡(ゼウスの祭壇跡)よりベルリンに持ち出された。
 現在、トルコのベルガモン遺跡には三本の松だけが残る。

 T・ベルガモン祭壇西フフリ−ズ1 祭壇底面36.44m×34.20m   T・ベルガモン祭壇西フリ−ズ1 イオニア式中柱   T・ベルガモン祭壇西フリ−ズ2 階段北側面(ギリシャ神話)  T・ベルガモン祭壇東フリ−ズ1 大理石高さ2.30m   T・ベルガモン祭壇東フリ−ズ2  トルコ・ベルガモン遺跡より 1999 
ベルガモン博物館の祭壇(ベルリン)古代美術コレクション BC164〜156年

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ベルガモン博物館

2、アテネ神殿 比較見聞 ギリシャ建築

 U・アテネ神殿(ベルガモン博物館)BC4世紀 イオニア式 2004.11.13撮影 tamio   ヘレニズムとは、ギリシャ風の文化・ギリシャ精神の意味で,世界史のうえでは,紀元前4世紀アレクサ ンダー大王(*遠征)の東方遠征でギリシャ文化がオリエント各地の文化と 融合して生まれた文化をいう。
 エジプトから西アジア・中央アジアにおよび、前1世紀のローマによ るエジプト支配までつづいた。自然科学が特に発達,エジプトのアレクサンドリアは、ヘレニズム文化の中 心地としてさかえた。又、ヨーロッパ文明の源流の1つとしてのギリシャ文化を、もう1つの源流のキリスト教 (ヘブライズム)に対比して「ヘレニズム」とよぶこともある。

 ●「世界史講座」ヘレニズムという言葉は、広義と狭義の2義に使われる。広義にはヘブライズムとともにヨーロッパ文明の 二大基調であるギリシア精神を意味する。狭義には純粋のヘレネスの文化と区別される前4世紀末以後の文化 をさし、政治的にヘレニズム時代という場合は、前334年から前30年の約300年間をさす。狭義のヘレニズム という言葉は、ドイツの歴史家ドロイゼン(1808〜84 )が、新しい時代と文化に意義を見だして以来普及し た。

 ●「建築史講座」イオニア式の柱は,柱頭の左右に垂れ下がる渦巻形の装飾が最も顕著な特徴である。柱身 はドーリア式よりも細く(高さは直径の9倍),条溝はふつう24本。下部には柱礎(台座)がある。柱上の フリーズは,壁面と突起石とに区画されず,帯状に連続している。ドーリア式が素朴で重厚・男性的である のに対して,イオニア式は流麗で,女性的。“コリント式”は,イオニア式の柱頭の渦巻き形の装飾に代え て,柱頭の周囲に多数の葉の型を上下3段に彫刻している点が特徴。そのほかの点はイオニア式と同様である が,全体としてさらに華麗な感じになっている。


 U・ギリシャ建築物(ベルガモン博物館)イオニア式 spacer  U・ギリシャ建築物(ベルガモン博物館)イオニア式 spacer  ギリシャ・パルテノン ドリス式  spacer  ギリシャ・パルテノン イオニア式を加えたドリス式
ヘレニズム・ギリシャ建築比較


3、ミレトスの市場門見聞 ロ−マ建築物

 V・古代ロ−マのミレトス市場門 BC120年(写真提供ベルガモン博物館)   ベルガモン博物館の「ロ−マ建築物(V)地域」にミレトス市場門とヘレニズム期の市庁舎が本物の部分 を使って原寸台で復元されている。門は1100年前に地震によって破壊されていたが、1903年〜19 05年にかけてドイツ発掘隊によって発掘されベルリンに持ち出された。
 皇帝ハドリアヌスの時代、紀元120年頃の構造物で古代ロ−マの南市場の入り口にあった。高さ28.92m の2階建て大理石造りである。3つの破風からなり、1階は曼草模様フリ−ズつきの軒蛇腹をめぐらせイオ ニア式の柱で支え、2階は円柱の柱頭はコリント式の複合である。エンタブラチュアは葉の飾りづなと雄牛 の頭のフリ−ズで飾られている。2階の中央は真ん中で打ち抜かれている。大変見応えのある建物である。

 ベルガモ博物館正面   ベルガモ博物館平面図   V・古代ロ−マの市庁舎   V・古代ロ−マ 上部コリント式  V・古代ロ−マ 下部イオニア式


4、イシュタル門の彩釉煉瓦見聞 西南アジア(バビロン)

 9・バビロンの市壁復元の彩釉煉瓦(ベルガモン博物館)BC6世紀   ベルガモン博物館の西南アジア館内に、紀元前6世紀。新バビロンの時代の「イシュタル門」が龍や牡牛 をかたどった彩色煉瓦で復元されている。門をくぐり抜けると、高さ12.5メ−トル、幅8.0メ−トル 、総延長30メ−トルの「行列通り」に続く。
 門の正式な名前は「イシュタル・サ−キパト・デビシャ(イシュタルは敵を征服する女神)」という名前 である。ライオンはイシュタル女神の聖動物(天空の女帝)として崇拝されていた。

●バビロンの遺跡はバグダッドから南に約130kmのところ。20世紀初頭にドイツ人コルデヴァイが発掘。 紀元前7世紀から6世紀頃の栄えた新バビロニア王国の遺跡。バビロンはもともとシュメール人が建設した 都市にセム系のアムル人が進入して紀元前1890年頃に王朝を開いたとされている。これが「目には目を」 で有名なハンムラビ法典(古バビロニア王国)である。

ベルリンの女神(アッテカ出土)
大理石に彩色がほどこされている BC580〜560年

 6 ベルリンの女神・墓像(ベルガモン博物館) BC580〜560年 

T.Museum L(15/s) U.Museum L(15/s)


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