1、ベルリンの街角 ドイツ連邦共和国
18世紀末に建築家ラングハンスが古典主義として建てた凱旋門は勝利の象徴であった。
現在、その「ブイランデンブルク門」は統一ドイツのシンボルとなっている。
ドイツの首都ベルリン市の人口は340万人(2003年)。総人口は 8,254万人、面積 35.7万km2(日本の約9
4%)である。人種はゲルマン系を主体とするドイツ民族で在留外国人は約730万人にのぼる。
1989年11月9日にベルリンの壁が開放され、経済面、社会面、政治面を乗り越えて90年10月3日
に戦争の傷跡を残しながら統一国家が実現した。98年9月の総選挙でコ−ル首相から、シュレーダー首相(社会民主党)に16年ぶ
りの政権交替が行われた。2003年の実質GDP成長率(-0.1)、失業率(9.6)、財政収支/GNP(-3.9)である。
●バウハウスとモダンデザインの展開について
19世紀の鉄血宰相ビスマルク時代に文学・建築・絵画など数多くのドイツ文化が花開いた。
「ウイリアム・モウリス」は、中世を回想して”ア−ツ・アンド・クラフト運動”で機械生産を否定
(産業革命)した。「ルイス・サリバン」、「アントニオ・ガウデイ」、「ウイクトル・ホルタ」は近代化
の波の中で、機械を肯定し(産業革命)植物に原型を求めた”ア−ル・ヌ−ボ−様式”を創始し、鉄とガ
ラスによる流動的表現で美を生み出した。
1903年にウイ−ン工房、1907年にドイツ工作文化連盟、バウハウスへと引き継がれる。そして
1928年にCIAM(近代建築家国際会議)、チ−ム・10の思想、UIA(国際建築家連盟)へと運動が展開
された。「ウイリアム・モ−リス」、「ヨセフ・ホフマンとウアン・デ・ウエルデ」、「グロピウス」、
「ミス・フアン・デル・ロ−エ」、「ル・コルビジエ」、「ミ−ス」、「ホセ・セルト」、「ギ−・デ−
イオン」など多くの建築家や評論家を輩出し美術・工芸運動思想は確立された。
今、検証するとモダンデザインの理論的基礎はバウハウス(ベルリン)によってほとんど確立されたと
言っても過言ではない。その思想は主として建築、工芸のデザインに採り入れられた。又、ファッション
に与えた影響も大きい。
ベルリン市 2004.12.13
Meissen
2、ドレスデン ザクセン州
東西ドイツの統合の発端となった東ドイツにおける民主化運動のうねりは「ライプチッヒ」や「ドレスデ
ン」に端を発し、ドイツ統合に決定的な役割を果たし街である。
ドイツ帝国の時代、ドレスデンは63万人(1939年)の人口を擁し、ドイツでもっとも重要な都市のひとつ
であったが、1945年2月の米英軍の空爆を受け、歴史的な街が大きく破壊された。社会主義時代に大通りや
軍事行進のための広場が設けられ、歴史的な建造物が姿を消した。歴史的建造物の中ではツヴィンガー宮殿
とゼンパーオペラだけが平和の象徴として残った。1989年の社会主義時代に民主的な基本権を求めて多くの
市民がデモ行進した。その後、東西ドイツの「壁」が崩れ、翌年にはドレスデンで初めて民主的な市議会選
挙(1990年)が行なわれている。現在、多くの建物が復元されている。
●ドレスデンの街並み
ザクセン王国の首都ドレスデンは「エルベのフィレンツェ」と称えられ、バロック様式を残す街である。
特に18世紀のアウグスト王の時代に宮廷文化が開花した。現在人口約50万人で、新5州のひとつでザ
クセン州の州都であ。
アウグスト王は東洋の白磁(姉妹都市有田)に魅せられ欧州で初めて陶磁器を作ることに成功した。それがマイ
セン磁器である。又、ドレスデンはヨーロッパ屈指のゼンパー・オペラに代表される音楽の都である。
街は、中央駅とエルベ川(ドナウ川源流)の間に旧市街がある。
オペラ座のある劇場広場にセンバ−・オペラ、ツヴィンガー宮殿(陶磁器コレクション・兵器展示室)、
ドレスデン城「君主の行進」の壁画にはザクセン王国の歴代の王をタイル上に焼き付けた大名行列の壁画が
ある。約25000枚のマイセン陶磁器のタイルを使用し、長さ約100m 。現在改修中で2006年に完成予
定のバロック様式の聖母教会。広場のすぐ目の前にはエルベ河畔の遊歩道「ブリュールのテラス」。ゲ−テ
は「ヨ−ロッパのバルコニ」とこの場所から見る眺めを絶賛した。又、アウグスト橋を渡って対岸の新市街
から旧市街の眺めも最高である。
バロック建築華やかなドレスデンの街並み
ドレスデン城『君主の行列』
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