【T エツフエル塔とパリ都市改造計画】 セ−ヌ−川
パリのシンボル「エツフエル塔」は斬新な建築や芸術を今もなお採り入れ続けるパリの象徴である。
エツフエル塔はナポレオン三世時代に1889年のパリ万博に合わせて建設された。1855年、1867年、1878年
、1889年、1900年、1937年と19世紀の半ばから20世紀の初頭までセーヌ川河岸地区で過去6度の万国
博覧会が開催された。自国の産業発展を目的とした内国博覧会に端を発したパリ万博は、回を重ねるごとに大
きくなり、国際色豊かで華やかなイベントに発展していった。
特に、ナポレオン三世(Napoleon・ 位1852〜70)の第二帝政下で行われた万博時に、パリの大規模な都市
改造計画(セ−ヌ県知事オスマン男爵)がなされた。産業の発展、さまざまな芸術運動、ア−ルヌ−ボ様式も
花開く。
現在、市内に残る古い建物の大半が19世紀以降のナポレオン三世統治化時代のものである。
116年前の建設時に多くの署名人がパリの美観(古典・近代化)を損ねると批判した。従来の常識を打ち
破るような芸術や建築は、常に逆風が吹き荒れる。結果、パリは近代都市に生まれ変わり、現在のパリの美
しい景観を見ることができる。
●現在、フランスの人口 6,168万人(2004年11月)。面積は日本の約1.5倍( 54万7,000km2)。人種は
ケルト人・ゲルマン民族(フランク系、ノルマン系)等の混血。宗教はカトリック90%、プロテスタント
1%、ユダヤ教1%、イスラム教8% 。
1958年ドゴ−ル大統領就任。1981年ミッテラン大統領就任。1986年シラク大統領就任、2002年5月再任
(任期5年)される。 共和制を布く。
フランスが歴史に登場するのは、BC.58年にロ−マ領ガリアの時代である。その後、カロリング朝
(751〜987)、カペ朝(987〜1328)、バロア朝(1328〜1589)、ブルボン朝(1589〜1792)。1789年
のフランス革命以降、共和制(1792〜1804)・帝政・ブルボン朝(王政復古)・共和制(1870〜1957)を
繰り返した。
特に、フランス革命を語らずしてフランスの歴史は語れない。19世紀以降の法の前での国民の自由・
平等の権利や国民主権、農地解放。啓蒙思想関係では1748年のモンテスキュ−の「法の精神」。1754年のルソ−の
「人間平等紀元論」「社会契約論」。1774年の「チュルゴ−の財政改革」等学ぶ事が多し。こんな事
高校時代の世界史で習ったっけ!時間と金があればもう一度大学に行ってみたいね・・(爆笑)(^_^;)
枯れ葉散る♪・・でも風がつめたい(旧五声会) 1995.11.16〜19
10年前、五声会メンバ−で初めてヨ−ロッパ(ベルギ−・フランス)を視察。
1995年11月15日。成田発9時55分。12時間余りかけてブリュッセルに。
16日午後、高速バスで一路パリに移動。夕方到着。凱旋門・エツフエル塔・コンコルド広場を見学後ホテルに直行。
17日以後3日間フリ−。メトロを利用して移動。芸術家たちの溜まり場モンマルトの丘にそびえるサクレ
・ク−ル寺院他。アフリカ人街。カトリックの総本山ノ−トルダム寺院のステンドグラス。そしてル−ブル美
術館。セ−ヌ−川の景観(水辺)、シャンゼリゼ大通りのライトアップされた夜景、見る物全て魅了される。
行く前に、知人からパリに行くなら洗練されたストリップデイ−ズを見てきたら、きっと貴方の「デザインの
物の考え方」が変わるとほだされ「クレ−ジ−・ホ−ス」を予約。額縁(ステ−ジの高さ2m余り)から突
然出てきた青い目のお人形さん、光の芸術に圧倒。本当に綺麗、心を打つものがあった未だにあの衝撃は忘
れられない。
パリに行って一度もフランス料理食べなかったな!何時もス−パでお買い物、誰も食べないチ−ズも買った
っけ(匂いが強い)!でもその年の「ボジョレヌ−ボ」だけは口にした。安かったもの!〜(^-^)
2005.1.11(回想 By Tamio)
毎日パリ郊外のホテルからメトロと足で移動
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