Itokoku History MUSEUM
2016.10. 平原王墓から出土した銅鏡(国宝):伊都国歴史博物館 蔵 《 糸島市の概要 》 福岡県糸島市の、人口100,102人、行政面積215.70㎢、議員定数22。平成22年1月1日に、前原市と二丈町、志摩町の1市 2町が合併し、人口約10万人の「糸島市」が誕生。 今回、『伊都国歴史博物館』にて現地対応となった。 「福岡県観光パスポート事業」の加入状況については企画部シティセールス課、「魏志倭人伝のクニグニネットワーク」については教育委員会の教育部文化課、「伊都国の歴史と文化」と「環境条例」については館長と学芸員から説明を受けた。 県の基本計画では、「恵まれた山、川、海、福岡県 知恵と工夫でつなぐ未来」を目指す環境像として定め、「自然環境の保全と創造」、「生活環境の保全」、「循環型社会の形成」、「地球環境問題への取組」、「各主体の自主的な環境保全の取組とネットワーク化」の5つの柱を掲げ取り組みを進めている。糸島市環境基本条例を見ますと(下記)
【1】 福岡県糸島市 「伊都国歴史博物館」 の展示方法について。 合併時に「糸島市立伊都国歴史博物館」と改称し収納資料も大幅に増加するに至り、文化庁から「重要文化財公開承認施設」に認定を受けている。魏志倭人伝の記述の伊都国の時代を中心として、旧石器時代から近代までの糸島地域の歴史通史展示をしている。特質すべきは魏志倭人伝には伊都国で「文書」(木簡)がとりあつかわれた記事があるが、今回の「硯(すずり)」の一部が出土したことで、その記述を裏付けている。伊都国の地で「文字」が使用された可能性を秘めている。今後の考古学の発見を待ちたい。射水市にも博物館はあるものの常設展示集客数や学芸員の数も違う。
伊都国歴史博物館
【2】 福岡県糸島市 「志摩歴史資料館」 の展示方法について。 志摩歴史資料館は、玄界灘に突き出た糸島半島の北部、志摩地域から出土した考古資料展示。古来から中国大陸や朝鮮半島との交易をはじめ、「海」を媒体とした地域で、「海」を大きな柱として「住居」「生活」「交易」「信仰」「漁業」「干拓」「生産」「墓制」の8つのテーマに分け展示している。 志摩資料館パンフより抜粋 エントランスホールの上部に「支石墓」を展示している。
【3】 「魏志倭人伝」に記された、伊都国とは! 三雲南小路・井原鑓溝・平原の三王墓の発見。 伊都国に代々「王」がいたの記述が指し示す遺跡郡から読み解く! 伊都国には千余戸の人々が住んでいた。 『伊都国が繁栄した弥生時代後期の約200年間に在位した他の伊都国王がまだこの地に眠っていると推定されている。平成16年の発掘調査では副葬品が出土したの墓は20基。発見された墓の総数73基の内三割におよぶ。出土した副葬品は、後漢鏡6面・ガラス玉12000個・玉玉玉7個・銅鏃1本等、ガラス玉は、棺内に散乱し、あるいは棺外の墓壙の埋土にも混ざった状態で出土。身に纏(ま)とっていたのではなく、遺体や棺、墓壙内にふりまかれていたと考えられる。古代中国において、玉は再生の力を見出し、遺骸に玉を纏わせて埋葬する葬玉の思想が色濃く反映したものと考えられる。水銀朱やベンガラが棺の内外に散布されていたのもこの送葬観念と結びついている。出土した後漢鏡は全て副葬前に破砕され、なかには鏡の一部だけが納められていたものもある。いずれの墓も埋葬された銅鏡は一面分ずつあった。鏡種としては、「内行花文鏡」にのみ限定した副葬されていることは、鏡種に対しての強いこだわりがあったとも疑いない。』 王の鏡(平成28年度伊都国歴史博物館秋季特別展)より抜粋
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