[年代] 平安時代 [法量] [作者] 藤原道憲 著 [所蔵] 東京芸術大学蔵・信西入道古楽図/富山市立図書館蔵 [解説] 信西入道古楽図(舞図)・獅子舞 【拡大】 元来、象と獅子は仏教に深く関係あるもので、釈迦が降誕の折り菩薩が白象 に乗って天上から飛来してマーヤ夫人の胎中に宿したという逸話や獅子が仏 法の守護神として悪魔を払うものと考えられていた。 又、『推古天皇20年(612)百済人味摩(みま)之帰化して「呉(229)の伎楽舞」 を伝う。』とあり、伎楽は、大唐楽・百済楽・高麗楽・新羅楽より以前に我 が国へ渡来した音楽で主に”呉”から来たものを云う。平安時代には新堂新 塔の落慶供養の法会形式として「舞楽四箇法要」が面をつけ舞かれた。獅子 と神仏との関わりは不明である。
[年代] 平安時代 [法量] [作者] 藤原道憲 著 [所蔵] 東京芸術大学蔵・信西入道古楽図/富山市立図書館蔵 [解説] 信西入道古楽図(舞図)・伎楽面 【拡大】 此の舞図は、行道又は神幸の先導者群で伎楽の先頭に獅子等とともに露払い もしくは先導する役柄と思われる。後の行道又は神幸の王舞・鼻高面のルー ツと考えられる。
[年代] 平安時代 [法量] [作者] 藤原道憲 著 [所蔵] 東京芸術大学蔵・信西入道古楽図/富山市立図書館蔵 [解説] 信西入道古楽図(舞図)・王舞 【拡大】 舞楽に「駒形」ないし「狛竜」という楽曲があり、これが蘇芳非と番舞をな ることがすものであった事は「教訓抄」や「栄華物語」の駒競の行幸の際の 記述にみできる。動物の仮装的なものであったことが想定される。 清少納言の枕草子に「かへらせ給う神輿のさきに、獅子、狛犬など舞ひはれ さる事のあらんほととぎすうち鳴き、ころのほどさえ似る者なかりけんかし」 とあり神輿の前で左に蘇芳非の獅子が舞、右に狛犬(狛龍)が獅子の引き立て 役として両手足に四つの獅子頭を使って、さまざまな曲芸的な技を演じたの 又、新羅狛は允恭天皇の42年(453)に新羅から伝わった音楽の舞で12弦の新羅 琴であろう。(正倉院に残っている)・笛で舞を舞った平安朝初期まで宮中の 雅楽寮に伝えられ てた。
[年代] 平安時代 [法量] [作者] 藤原道憲 著 [所蔵] 東京芸術大学蔵・信西入道古楽図/富山市立図書館蔵 [解説] 信西入道古楽図(舞図)・師子と師子児・師子子 【拡大】 此の舞図は、「旧唐書」に音楽志又は太平楽は五方獅子舞ともいい、その獅 子は西南のインドやセイロンに出るもので、毛を綴って作り、人が中に居て ジャレル形をする。二人の縄を持つ者がこれにからみその人物は昆崙人(西 方の異人)のようだといっている。これらの事から治道は獅子使いから転化 したと考えられる又、獅子の右端にいる人物は、唐代の「西涼伎」にみえる 師子(獅子)とともに登場する師子児と考えられる。行道の場合師子の前の” 蝿払い”として2人の童子や師子子に似ている。
[年代] 平安時代 [法量] [作者] 藤原道憲 著 [所蔵] 東京芸術大学蔵・信西入道古楽図/富山市立図書館蔵 [解説] 信西入道古楽図(舞図)・獅子舞 此の図は、宝暦5年(1755)に貞幹によって筆写されたものです。絵が描かれ た時代は鎌倉時代に教訓抄(1176〜1240)に記された舞楽(笛を中心)よりは るか古く平安時代にまで遡ます。 【拡大】
[年代] 江戸前期模写:平安時代 末期 承安元年(1171) [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 伏見稲荷大社蔵 [解説] 年中行事絵巻。獅子舞が先導し神輿が進む。 【拡大】 此の絵巻は、長慶元年(1163)に成った後白河法皇の蓮華王院蔵に収められて いた絵巻を細かく絵画化し年中行事絵巻として60巻まとめられた。江戸前期 に焼失し即模写され現在16巻が残っている。当時、疫病流行で、非業の死を 遂げた人の怨霊のため、これを鎮める行事として行われていたが、12世紀に は年中行事として一般化し世人の一種の”法楽”の場とした。
[年代] 江戸前期模写:平安時代 末期 承安元年(1171) [法量] 16巻(平安期60巻) [作者] [所蔵] [解説] 年中行事絵巻(巻9) 神輿の前に二頭の獅子が行き、その前に竜甲らしきものをかぶり裲襠を着 て、鼻の長い面をつけ鉾を持った人物が歩く。
[年代] 江戸前期模写:平安時代 末期 承安元年(1171) [法量] 16巻(平安期60巻) [作者] [所蔵] 伏見稲荷大社蔵 [解説] 年中行事絵巻(巻12)・稲荷祭。 行列の先頭に烏帽子直衣の騎馬が、顔に白い布をかけ胸に鼻の高い面をかけ た姿を描き、獅子は数頭となり神輿の露払いをしている。
[年代] 平安時代 [法量] [作者] [所蔵] [解説] 年中行事絵巻 「むとくなるもの・・・狛犬しく舞うものの、おもしろがりはやり出でてを どる足音」とあり、狛犬の舞(獅子舞)らしく舞いている者が調子に乗って夢 中になって踊る足音は見ざまが悪く品がないと嘆く。平安時代に賀茂の祭り などの折り京都の町中でも舞われた。この祭り見物に中宮定子のお供をして その様子を、清少納言は神妙にしとやかに舞うが調子に乗ってくるとに出会 った。 足音が騒がしく下品で興醒めすると批評している。
[年代] 平安時代 [法量] 六曲一双屏風(町田屏風)模本 右隻部分 [作者] [所蔵] 東京国立博物館蔵 [解説] 洛中洛外図屏風。神輿渡御。折しも祇園祭の神輿神幸(6月7日で賑わっている 。三基の神輿が祇園社を出発し、四条橋横の仮橋を渡って、烏丸高辻北の大 政所御旅所に向かう所である。
[年代] 室町時代 応永26年(1419) [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 杉谷神社蔵 [解説] 北野社で行われる8月の祭礼のさまを表す。拝殿に向かって獅子を伴い進む 御輿の行列が描かれている。北野祭礼段の絵は室町以降の諸本に多い。【拡大】
[年代] 室町時代 15世紀 [法量] [作者] [所蔵] 大阪 松下幸之助蔵 [解説] 三十二番職人歌合絵巻 田楽法師 中世の獅子舞は一種の大道芸人として危払い、神社の祭礼(太々神楽と合体) などの際に町の中で舞ったり、又戸口に禄物として布帛または金銭を乞うた のである。古代において鹿踊りをしながら祷詞を唱えて戸口を廻ったのと同 じである。
[年代] 室町時代 [法量] [作者] [所蔵] [解説] 街頭での獅子舞をする田楽法師。 鎌倉末期には田楽が歌・舞・ものまねの猿楽の能を圧する勢いを見せ互いに 京都を中心に競演していた。獅子舞が能楽に登場し価値付けしたのは能楽 「”石橋”〜中国浙江省の天台山の細い石橋が舞台」である。芸術として 「獅子、團乱旋の舞楽の砌、牡丹の花房、匂い満ち満ち、大筋力の、獅子 頭、打てや囃せや、牡丹芳、牡丹芳、黄金の蘂現れて、花に戯れ、枝に伏 し轉び、げにも上なき、獅>子王の勢い、靡かぬ草木もなき時なれや満歳千 秋と、舞納め、満歳千秋と舞納めて、獅子の座にこそ直りけれ。」
[年代] 江戸時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 日光東照宮蔵 [解説] 東照宮縁起絵巻。一人の王舞、二頭の獅子舞、それに田楽衆が整然と続 く。 【拡大】
[年代] 江戸時代 貞享3年(1686) [法量] [作者] 井原西鶴 [所蔵] [解説] 好色五人男。 此の場面は、馬屋の一家が春の野遊に出かけ、女達の監督役と して清十郎もお供をし皆々野遊を楽しんでいるさまである。当時の獅子舞は 主に太神楽としての獅子舞で、図の右端に見える御幣がそれを示している。 この頃は一種の大道芸となり、見物人の所望にまかせ、いろいろの曲芸を見 せた。獅子舞の囃子は笛(一尺八寸の一節切)・太鼓・小鼓・大鼓・三味線な どであった。
[年代] 江戸時代 [法量] [作者] [所蔵] [解説] 越後獅子と旅芸人 |