鏡像 山王宮曼陀羅垂迹画
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[年代] 鎌倉時代
[法量]
[作者] 不詳
[所蔵] 大和文華館蔵
[解説] 山王宮曼陀羅垂迹画:神仏習合
宮曼陀羅に”鏡像”(仏)がみえる!
鎌倉期に描かれた宮曼陀羅垂迹画
春日宮曼陀羅 鏡像
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垂迹画に描かれた”鏡像”(クリックして拡大)
鏡像から懸仏へ 日輪懸仏
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[年代] 江戸時代
[法量] 銅板打出 径157p
[作者] 不詳
[所蔵] 石川県 正覚寺蔵
[解説] 日輪懸仏(神仏分離により気多大社から譲渡):神仏習合
寺の創建年代については不詳であるが、気多大社の神宮寺の坊のひと
つとして泰澄か開いたと伝えられる。元は天台宗系の寺院であったが、
中世以降真言宗系の寺院となった。
日輪懸仏は明治の神仏分離令により気多大社から譲渡されたものである。
図案は鳥居・狛犬・日輪・不動明王・馬に乗った武将から察すると前田
家の守護神として気多大社に奉納されたと思われる。
(文章は日本の美術274/垂迹画より抜粋)
神社から懸仏(が消えた日
幕末まで、全国の神社・仏閣に”懸仏”がかけられていた。明治に入り神
仏分離・廃仏毀釈が実施され、官吏の調査がおこなわれ、仏教的色彩の濃
い懸仏や仏像神等は神社から全て排除され処分された。日本における神仏
習合の歴史が表舞台から姿を消した。
剣梅鉢の定紋から加賀藩主前田家からの寄贈
鏡像から懸仏へ 阿弥陀如来像懸仏
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[年代] 江戸時代
[法量] 薄手の鋳製銅板に鍍錫 径18.2p
[作者] 不詳
[所蔵] 滋賀県 日吉神社蔵
[解説] 懸仏:神仏習合
鏡像から懸仏へ 虚空蔵菩薩懸仏(不動明王)
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[年代] 鎌倉時代 正嘉元年(1257.12.14)
[法量] 金堂鏡面
[作者]
[所蔵] 岐阜県関市 新宮神社蔵
[解説] 虚空蔵菩薩 懸仏(神仏分離により蓮華峯寺に移す):神仏習合
平安時代の中頃には密教が高賀の郷に入ってきており、高賀神社の大
日堂の中央に、密教の中心仏である大日如来座像が安置されていました。
鏡像から懸仏へ 千手観音等 鏡像
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[年代] 鎌倉時代 11世紀末頃
[法量] 白銅の鏡、蹴彫り 14.8cm・厚さ6.6mm・重さ520g。
[作者] 不詳
[所蔵] 秋田県 水神社蔵
[解説] 線刻千手観音等 鏡像 国宝:神仏習合
左に功徳天、右に婆蘇仙の像を刻み、その上方に守護神八体・観音八
部衆を巧みな線刻で描いています。
工事中に偶然発見された。1677年(延宝5年)玉川から窪堰川まで水
路下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みむねやち)の地
中1.5mから古鏡が発見され藩主の佐竹義処に差し出したところ、堰
神として祀る。
鏡像から懸仏へ 鑁字(ばんじ)懸仏
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[年代] 鎌倉時代
[法量] 木製刳物漆塗りの鏡板 金銅製種子 径24.7p
[作者] 不詳
[所蔵] 栃木県足利市 鑁阿寺(ばんなじてら)蔵
[解説] 鑁字懸仏 国指定工芸品
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本
山である。1196年(建久7年) 足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘
し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。
蓮座の上に”梵字”(インドの古典語:サンスクリット)が示すバン・
大日如来(金剛界)
梵字(バン) 大日如来像
春日宮曼陀羅垂迹画に梵語(サンスクリット語/インド)で描かれた鏡像
(4守護神)。神道の御神体とされた鏡に、その神の本地である仏像や梵
字を手彫りしたものを”御正体”と呼ばれていた。現在は”鏡像”と呼
びならわされ、明治元年の神仏分離までご神体として礼拝していた。
- 春日大社に仏が日本神として出現(垂迹)した場面
- 一宮 梵字(モウ) 不空羂索観音像( 武甕槌神(
- 二宮 梵字(バイ) 薬師如来像 径津主神
- 三宮 梵字(カ ) 地蔵菩薩像 天児屋根命
- 四宮 梵字(キヤ) 十一面観音像 比売神
鏡像から懸仏へ 阿弥陀如来像 鏡像
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[年代] 不詳
[法量] 薄手の鋳製銅板に表面を鍍錫 径18.2p
[作者] 不詳
[所蔵] 白山神社蔵
[解説] 阿弥陀如来像 鏡像:神仏習合
鏡像から懸仏へ 男子像 鏡仏
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[年代] 平安時代 後期
[法量] 像は別作り 毛彫り 径17.6p
[作者] 不詳
[所蔵] 石上神社蔵
[解説] 男子像 鏡仏:神仏習合
鏡板の中央に鳥居とともに男子像。
鏡像から懸仏へ 蔵王権現像 鏡像
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[年代] 平安時代 後期
[法量] 半肉打ち出し 鍍金に手彫り 径24.5p
[作者] 不詳
[所蔵] 京都国立博物館蔵
[解説] 蔵王権現像鏡像(明治政府により修験道禁止) 重文:神仏習合
鳥居型を背負った蔵王権現像。吉野山の蔵王権現は奈良 金峯山の本尊。
大峯山寺本堂の草創については定かでない。伝承によれば、7世紀末に
修験道の祖である役小角が、金峯山で感得した蔵王権現を刻んで本尊と
し、蔵王堂を建てたとされる。 明治7年(1874)、明治政府により修
験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となったが、同19年(1886)
に天台宗末の仏寺として復興した。
【草岡神社奉賛会】
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