奥の細道(松尾芭蕉) 浜往来を通り那古の浦へ
《元禄2年7月14日 初秋 14日月:西暦1689年8月28日》



加越能書籍一覧 | 金沢近代資料館蔵
 【曾良の随行日記】
  黒部四十八か瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古(なこ)といふ浦に出づ。担籠(たこ)の藤浪(ふぢなみ)は春ならずとも、初秋(はつあき)の哀(あは)れとふべきものをと、人に尋ぬれば、これより五里磯づたひしてむかふの山陰に入り、蜑(あま)の苫(とま)ぶきかすかなれば、蘆(あし)の一夜の宿かすものあるまじと云ひおどされて、加賀の国に入る。

 7月13日市振を立って、黒部川、片貝川等を渡り越中に入り、この日は滑川に泊まる。

 あくる14日、快晴。初秋の風情も訪うべき値打ちがあろうものと、人に尋ねると、「これより五里磯伝いして、向こうの山陰に入り、漁師たちの粗末な小屋が少しあるばかりだから、葦の一節ではないが、一夜の宿かす者もあるまい」と言っておどろかされて、大伴家持が句を残す景勝地、奈呉ノ浦へ。
並木松:慶長8年(1603)前田候令(利長)  芭蕉は富山から高岡へと向かう。滑川から「浜往来」で、東岩瀬から舟で神通川を渡り、西岩瀬からは海沿いの松原を通り、練合、古明神村(鎮座:式内社 草岡神社)、放生津、庄川を舟で渡っている。有磯の海を右に見て高岡で宿をとった。 浜往来:古明神村浜海岸


はや早稲が垂れ下がっている  有磯海に心を残しながら歩いていた。米どころ越中はちょうど早稲の季節であり、その垂れた穂の間を、かき分けるようにして進んでいく。日に映える黄金色の稲穂の波、その右手には初秋の海がかなたに輝いている。 (はや早稲の香りが立ちこめる中を、垂れ下がった穂を分けるようにして行く、その右手には、古歌に名高い有磯海が望まれる)


芭蕉は有磯の海(富山湾)を右に見て、滑川から浜街道の松原を通り新湊のどの辺りで”句”を詠んだのであろうか!!

親知らずの難所市振んも宿の遊女 親知らずの難所市振んも宿の遊女 芭蕉と曾良 越の潟・那古の江



早稲の香や 分け入る右は 有磯海



 
射水郡海岸絵図(江戸時代末期):富山県立図書館提供
「浜往来」【西岩瀬→練合→古明神村(草岡神社)→越の潟→奈呉ノ浦(景勝地)】「浜往来」
    浜街道の浸食被害
  1. 天和年間(1681~) 芭蕉1689年に浜街道を通る。
  2. 寛延年間(1746~) 明神浜浸食被害
  3. 文化5年(1808)   明神浜浸食被害
    松尾芭蕉(1644-1694)伊賀国上野(三重県)出身、幼名金作。6人兄妹の次男。
     《和歌の西行、連歌の宗祇、俳諧の芭蕉~三大旅行詩人》
  1. 野ざらし紀行 出立:天和4年8月(1683)~東海道・伊賀・吉野・近畿・甲斐
  2. 鹿島紀行   出立:貞享4年8月(1687)~鹿島神社月見行
  3. 笈の小文   出立:貞享4年10月(1687)~東海道・郷里・吉野・須磨
  4. 更級紀行   出立:貞享5年8月(1688)~信州更級月見行(姨捨山)
  5. 奥の細道   出立:元禄2年3月(1689)~東北・北陸
    奥の細道で有磯海を詠んだ時代の著名人年齢
     《元禄2年7月14日 初秋 14日月:西暦1689年8月28日》
  1. 松尾芭蕉 (46歳)
  2. 井原西鶴 (48歳)
  3. 近松門左衛門 (37歳)
  4. 加賀藩第4代藩主 前田綱紀 (47歳)
  5. 水戸藩第2代藩主 徳川光圀 (水戸光圀・義公・梅里) (62歳)
  6. 第5代将軍 徳川綱吉 (常憲院) (44歳)
  7. 杜甫(58歳で湖水の舟上で死をむかえる)~冒頭の文「舟の上に生涯をうかべ」




   奥の細道(松尾芭蕉) 原文
《元禄2年7月14日 初秋 14日月 北陸路:西暦1689年8月28日》



奥の細道  芭蕉46歳     【旅図】  【日本海山潮陸図】  【加賀藩勢力図】  

 月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊(へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かすみ)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の破(やぶ)れをつづり笠の緒(を)つけかへて、三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べつしよ)に移るに
  ●草(くさ)の戸(と)も 住(す)みかはる代(よ)ぞ 雛(ひな)の家(いへ)
 表(おもて)八句を庵の柱にかけおく。

 弥生(やよひ)も末の二十七日、あけぼのの空朧々(ろう/\)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、不二(ふじ)の峯幽(かすか)にみえて、上野(うへの)谷中(やなか)の花の梢(こずゑ)又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのりて送る。千住(せんぢゆ)といふ所にて舟をあがれば、前途(ぜんと)三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)の巷(ちまた)に離別(りべつ)の涙(なみだ)をそゝぐ。
  ●行(ゆ)く春(はる)や 鳥(とり)啼(な)き魚(うを)の 目(め)は泪(なみだ)
これを矢立(やたて)の初(はじ)めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし。

 今年(ことし)元禄二とせにや、奥羽(あうう)長途の行脚(あんぎや)たゞかりそめに思ひ立ちて、呉天(ごてん)に白髪(はくはつ)の恨(うらみ)を重ぬといへども、耳に触れていまだ目に見ぬ境、もし生きてかへらばと定(さだ)めなき頼みの末(すゑ)をかけ、其の日漸く早加(さうか)といふ宿にたどり着きにけり。
 痩骨(そうこつ)の肩にかゝれる物まづ苦しむ。たゞ身すがらにと出(い)で立(た)ち侍るを、紙子(かみこ)一衣(いちえ)は夜(よる)の防ぎ、ゆかた雨具(あまぐ)墨筆(すみふで)のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちす)て難くて、路次のわづらひとなれるこそわりなけれ。
 室(むろ)の八島(やしま)に詣(けい)す。同行曾良が曰く、此の神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の神と申して、富士一体なり。無戸室(うつむろ)に入りて焼け給ふ誓(ちかひ)のみ中に火々出見(ほゝでみ)の尊(みこと)生れ給ひしより、室の八島と申す。 又煙をよみ習はし侍るもこの謂(いは)れなり。将(はた)このしろといふ魚を禁ず。縁記(えんぎ)の旨(むね)世につたふ事も侍りし。
 三十日、日光山の麓(ふもと)に泊る。主(あるじ)の云ひけるやう、我名を仏(ほとけ)五左衛門といふ。よろづ正直を旨とする故に人かくは申し侍るまゝ、一夜の草の枕もうちとけて休み給へといふ。いかなる仏の濁世塵土(ぢよくせぢんど)に示現(じげん)して、かゝる桑門(さうもん)の乞食順礼(こつじきじゆんれい)ごときの人をたすけ給ふにやと、主のなすことに心をとゞめて見るに、たゞ無智無分別にして正直偏固(へんこ)のものなり。剛毅木訥(がうきぼくとつ)の仁に近きたぐひ、気稟(きひん)の清質尤も尊ぶべし。

 卯月朔日(4月1日)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。往昔(わうせき)此の御山を二荒山と書きしを、空海大師開基(かいき)の時日光と改め給ふ。千歳未来をさとり給ふにや、今この御光一天にかゞやきて、恩沢(おんたく)八荒(はつくわう)にあふれ、国民安堵(あんど)の栖(すみか)穏かなり。猶憚(はゞかり)多くて筆をさし置きぬ。
  ●あらたふと 青葉(あをば)若葉(わかば)の 日(ひ)の光(ひかり)
黒髮山(くろかみやま)は、霞かゝりて雪いまだ白し。
  ●剃(そ)り捨(す)てて くろかみ山(やま)に 衣更(ころもがへ)  曾良
曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒(のき)をならべて、予が薪水(しんすゐ)の労(らう)をたすく。このたび松島象潟(きさがた)の眺め共にせんことを悦び、かつは羈旅(きりよ)の難(なん)をいたはらんと、旅だつ暁(あかつき)髪を剃(そ)りて墨染(すみぞめ)にさまをかへ、惣五を改めて宗悟とす。仍(よ)つて黒髪山の句有り。衣更の二字力ありて聞(きこ)ゆ。
 二十余町を登つて滝(たき)あり。岩洞の頂(いたゞき)より飛流(ひりう)して百尺千岩の碧潭(へきたん)に落ちたり。岩窟(がんくつ)に身をひそめ入りて滝の裏(うら)より見れば、裏見の滝と申し伝へ侍るなり。
  ●暫時(しばらく)は 滝(たき)に籠(こも)るや 夏(げ)の初(はじ)め

 那須(なす)の黒羽(くろはね)といふ所に知る人あれば、これより野越(のごし)にかゝりて直道を行かんとす。遥(はるか)に一村を見かけて行くに、雨ふり日くる。農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中(のなか)をゆく。そこに野飼の馬あり。草刈るをのこに歎(なげ)きよれば、野夫(やふ)といへどもさすがに情しらぬにはあらず。如何(いかゞ)すべきや、されども此の野は縱横にわかれて、うひ/\しき旅人の道ふみたがへん怪しう侍れば、此の馬のとゞまる処にて馬を返し給へと貸し侍りぬ。ちひさき者ふたり、馬の跡したひて走る。一人は小姫にて名をかさねと云ふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
  ●かさねとは 八重撫子(やへなでしこ)の 名(な)なるべし  曾良
やがて人里に至れば、あたひを鞍壺(くらつぼ)に結(ゆ)ひつけて馬を返しぬ。

 黒羽(くろばね)の館代(くわんだい)、浄坊寺何がしの方に音(おと)づる。思ひかけぬ主(あるじ)の悦び、日夜語りつゞけて、其の弟桃翠(たうすゐ)などいふが朝夕勤めとぶらひ、自(みづか)らの家にも伴(ともな)ひて、親属の方にも招かれ、日を経(ふ)るまゝに、ひと日郊外(かうぐわい)に逍遥(せうえう)して、犬追物(いぬおふもの)の跡(あと)を一見し、那須の篠原(しのはら)を分けて玉藻(たまも)の前の古墳(ふるづか)をとふ。それより八幡宮に詣づ。与市扇(あふぎ)の的(まと)を射し時、別しては我が国氏神正八幡と誓ひしも此の神社にて侍ると聞けば、感応(かんおう)殊にしきりに覚えらる。暮るれば桃翠宅に帰る。
 修験(しゆげん)光明寺といふあり。そこに招かれて行者堂(ぎやうじやだう)を拝す。
  ●夏山(なつやま)に 足駄(あしだ)を拝(をが)む 首途(かどで)哉(かな)
 当国雲岸寺のおくに、仏頂和尚山居の跡あり。たてよこの 五尺にたらぬ 草の庵むすぶもくやし雨なかりせばと松の炭(すみ)して岩にかきつけ侍りと、いつぞや聞え給ふ。其の跡見んと雲岸寺に杖(つゑ)を曳(ひ)けば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人多く道の程うちさわぎて、覚えずかの麓(ふもと)に至る。山は奥あるけしきにて、谷道遥(はるか)に松杉黒く苔(こけ)したたりて、卯月(4月)の天いま猶寒し。十景尽くる所、橋を渡つて山門に入る。さてかの跡はいづくの程にやと、後の山によぢのぼれば、石上の小庵岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るが如し。
  ●木啄(きつゝき)も 庵(いほ)はやぶらす 夏木立(なつこだち)
と、取りあへぬ一句を柱に残し侍りし。

 是より殺生石(せつしやうせき)に行く。館代より馬にて送らる。此の口付(くちつき)のをのこ短冊(たんざく)得させよと乞ふ。やさしき事を望み侍るものかなと、
  ●野(の)を横(よこ)に 馬(うま)引(ひ)きむけよ ほとゝぎす
殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気(どくき)いまだ滅びず、蜂(はち)蝶(てふ)のたぐひ真砂(まさご)の色の見えぬほど重なり死す。又清水ながるゝの柳は、蘆野(あしの)の里に有りて田の畔にのこる。此の所の郡守戸部某の、此の柳みせばやなど折々にの給ひ聞え給ふを、いづくの程にやと思ひしを、今日此の柳の蔭にこそ立ちより侍りつれ。
  ●田(た)一枚(いちまい) 植(う)ゑて立(た)ちさる 柳(やなぎ)かな

 心もとなき日数かさなるまゝに、白河(しらかは)の関(せき)にかゝりて旅心(たびごころ)定りぬ。いかで都へとたより求めしもことわりなり。中にも此の関は三関の一にして、風騒(ふうさう)の人心をとどむ。秋風を耳にのこし、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢猶あはれなり。卯(う)の花の白妙(しろたへ)に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠(かんむり)を正(たゞ)し衣裳(いしやう)を改めし事など、清輔の筆にとゞめ置かれしとぞ。
  ●卯(う)の花(はな)を かざしに関(せき)の 晴着(はれぎ)哉(かな)  曾良

 とかくして越え行くまゝに、阿武隈川(あぶくまがは)をわたる。左に会津根(あひづね)高く、右に岩城(いはき)、相馬(さうま)、三春(みはる)の庄、常陸下野の地をさかひて山つらなる。影沼といふ所を行くに、けふは空くもりて物影(ものかげ)うつらず。須賀川(すかがは)の駅に等窮(とうきう)といふものを訪(たづ)ねて、四五日とゞめらる。先づ白河の関いかに越えつるやと問ふ。長途の苦しみ身心(しんしん)つかれ、かつは風景に魂(たましひ)うばはれ、懐旧(くわいきう)に腸(はらわた)を断ちて、はか/゛\しう思ひめぐらさず。
  ●風流(ふうりう)の はじめやおくの 田植(たうゑ)うた
無下(むげ)に越えんもさすがにと語れば、脇第三とつゞけて三巻となしぬ。
 此の宿の傍に、大きなる栗の木蔭(こかげ)をたのみて世をいとふ僧あり。橡(とち)ひろふ太山(みやま)もかくやと間(そゞろ)に覚えられて、物にかきつけ侍る。その詞、栗といふ文字は、西の木とかきて西方浄土に便(たより)ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此の木を用ひ給ふとかや。
  ●世(よ)の人(ひと)の 見(み)つけぬ花や 軒(のき)の栗(くり)

 等窮が宅を出でて五里ばかり、檜皮(ひはだ)の宿をはなれてあさか山あり。路より近し。此のあたり沼多し。かつみ刈る比(ころ)もやゝ近うなれば、いづれの草を花がつみとはいふぞと、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼をたづね人にとひ、かつみ/\と尋ねありきて、日は山の端(は)にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚(くろづか)の岩屋(いはや)一見し、福島にやどる。明くれば、しのぶもぢ摺(ずり)の石をたづねて忍ぶの里に行く。遥か山陰(やまかげ)の小里に、石なかば土に埋れてあり。里の童部(わらべ)の来りて教へける、昔は此の山の上に侍りしを、往来(ゆきき)の人の麦草をあらして此の石を試み侍るをにくみて、此の谷につき落せば、石の面(おもて)下(しも)ざまに伏したりといふ。さもあるべき事にや。
  ●早苗(さなへ)とる 手(て)もとや昔(むかし) しのぶ摺(ずり)

 月の輪の渡(わたし)を越えて、瀬の上といふ宿に出づ。佐藤庄司(さとうしやうじ)が旧跡は、左の山ぎは一里半ばかりに有り。飯塚(いひづか)の里、鯖野(さばの)と聞きて、尋ね/\行くに、丸山といふに尋ねあたる。これ庄司が旧館也。麓に大手(おほて)の跡など人のをしふるに任せて泪(なみだ)をおとし、又かたはらの古寺に一家の石碑(せきひ)を残す。中にも二人の嫁(よめ)がしるし先づ哀(あはれ)なり。女なれどもかひ/゛\しき名の世に聞えつるものかなと袂をぬらしぬ。堕涙(だるゐ)の石碑も遠きにあらず。寺に入りて茶を乞へば、こゝに義経の太刀(たち)、弁慶が笈(おひ)をとゞめて什物とす。
  ●笈(おひ)も太刀(たち)も 五月にかざれ 紙幟(かみのぼり)
 五月朔日(ついたち)のことなり。

 其の夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入りて宿をかるに、土座に莚(むしろ)を敷きてあやしき貧家(ひんか)なり。灯(ともしび)もなければ囲炉裏(ゐろり)の火かげに寝所をまうけて臥(ふ)す。夜に入りて、雷鳴り雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、蚤蚊(のみか)にせゝられて眠らず。持病さへおこりて消え入るばかりになん。短夜(みじかよ)の空もやう/\明くれば、又旅立ちぬ。猶夜の余波(なごり)こゝろ進まず。
 馬かりて桑折(こをり)の駅に出づる。遥なる行末をかゝへてかゝる病(やまひ)覚束なしといへど、羇旅辺土(きりよへんど)の行脚(あんぎや)、捨身無常(しやしんむじやう)の観念(くわんねん)、道路に死なん是(これ)天の命(めい)なりと、気力聊(いさゝ)かとり直し、路縱横(じうわう)にふんで、伊達の大木戸を越す。
 鐙摺(あぶみずり)、白石(しらいし)の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、藤中将実方(さねかた)の塚はいづくの程ならんと人にとへば、これよりはるか右に見ゆる山ぎはの里を蓑輪・笠島といふ。道祖神の社、かたみの薄(すゝき)今にありと教ふ。このごろの五月雨(さみだれ)に道いと悪しく、身つかれ侍れば、よそながら眺(なが)めやりて過ぐるに、蓑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、
  ●笠島(かさじま)は いづこ五月の ぬかり道(みち)
岩沼(いはぬま)に宿る。
 武隈(たけくま)の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際(つちぎは)より二木(ふたき)にわかれて、昔の姿うしなはずと知らる。先づ能因(のういん)法師思ひ出づ。往昔陸奥(むつ)の守にて下りし人、此の木を伐(き)りて名取川(なとりがは)の橋杭(はしぐひ)にせられたる事などあればにや、松は此のたび跡もなしとは詠みたり。代々(よゝ)あるは伐り、あるいは植(う)ゑつぎなどせしと聞くに、今はた千歳(ちとせ)の形とゝのほひて、めでたき松のけしきになん侍りし。武隈(たけくま)の松(まつ)みせ申(まう)せ遅(おそ)ざくらと、挙白とといふものの餞別(せんべつ)したりければ、
  ●桜(さくら)より 松(まつ)は二木(ふたき)を 三月(みつき)ごし

 名取川を渡りて仙台に入る。あやめふく日なり。旅宿を求めて四五日逗留す。ここに画工(ぐわこう)加右衛門といふ者あり。聊(いさゝ)か心あるものと聞きて知る人になる。此の者、年比(としごろ)さだかならぬ名どころを考へ置き侍ればとて、一日(ひとひ)案内す。宮城野(みやぎの)の萩茂りあひて、秋のけしき思ひやらるゝ。玉田・横野・躑躅(つゝじ)が岡はあせび咲く頃なり。日影も漏らぬ松の林に入りて、こゝを木の下といふとぞ。むかしもかく露深ければこそ、みさぶらひみかさとは詠みたれ。
 薬師堂・天神の御社(みやしろ)など拝みて、其の日はくれぬ。猶松島塩竈(しほがま)の所々画(ゑ)にかきて送る。かつ紺(こん)の染緒(そめを)つけたる草鞋二足餞(はなむけ)す。さればこそ風流のしれもの、こゝに至りてその実をあらはす。
  ●あやめ草(ぐさ) 足(あし)に結(むす)ばん わらぢの緒(を)

 かの画図(ゑづ)に任(まか)せてたどり行けば、奥の細道の山際に十符(とふ)の菅あり。今も年々十符(とふ)の菅菰(すがごも)を調へて国守に献ずといへり。壺碑(つぼのいしぶみ)市川村多賀城に有り。
 つぼの石ぶみは、高さ六尺余、横三尺ばかりか。苔を穿(うが)ちて文字幽(かすか)なり。四維国界の里数をしるす。此城、神亀元年(724年はじめ)、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人之所置也。天平宝字六年(762年)、参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣○(ケモノヘン+「葛」)修造。而十二月朔日 と有り。聖武皇帝の御時に当れり。昔よりよみ置ける歌枕(うたまくら)多く語り伝ふといへども、山崩れ川落ちて道改(あらた)まり、石は埋(うづも)れて土に隠れ、木は老いて若木にかはれば、時移り代(よ)変じて、其の跡たしかならぬ事のみを、こゝに至りて疑(うたがひ)なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の一徳存命(ぞんめい)の悦び、羇旅(きりよ)の労を忘れて泪(なみだ)も落つるばかりなり。

 それより野田の玉川、沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造りて末松山(まつしようざん)といふ。松のあひ/\みな墓原(はかはら)にて、羽(はね)をかはし枝を連(つら)ぬるちぎりの末も、終はかくのごときと悲しさもまさりて、塩竈(しほがま)の浦に入相(いりあひ)のかねを聞(きく)。
 五月雨の空聊(いさゝ)か晴れて、夕月夜かすかに、籬(まがき)が島(しま)もほど近し。蜑(あま)の小舟こぎつれて肴(さかな)分つ声々に、つなでかなしもと詠みけん心もしられて、いとゞ哀なり。その夜目盲(めくら)法師(ほふし)の琵琶(びは)をならして奥浄瑠璃(おくじやうるり)といふ物をかたる。
 平家にもあらず舞(まひ)にもあらず、鄙(ひな)びたる調子うちあげて、枕近うかしましけれど、さすがに辺土(へんど)の遺風(ゐふう)忘れざるものから、殊勝(しゆしよう)に覚えらる。早朝塩竈(しほがま)の明神に詣(まう)づ。国守再興せられて、宮柱(みやばしら)ふとしく彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仭(きうじん)にかさなり、朝日朱(あけ)の玉垣(たまがき)を輝かす。かゝる道のはて塵土(ぢんど)の境(さかひ)まで、神霊あらたにましますこそ吾が国の風俗なれと、いと貴(たふと)けれ。神前に古き宝燈(はうとう)有り。かねの戸びらの面に、文治三年和泉(いづみの)三郎(さぶらう)寄進とあり。五百年来の俤(おもかげ)、今目の前に浮びてそゞろにめづらし。渠(かれ)は勇義忠孝の士なり。佳命(かめい)今に至りて慕はずといふ事なし。誠に人能く道を勤(つと)め義を守るべし、名も亦是にしたがふといへり。

 日既に午に近し。舟をかりて松島に渡る。其の間二里余、雄嶋(をじま)の磯(いそ)につく。
 抑(そもそ)も事ふりにたれど、松島は扶桑第一の好風(かうふう)にして、凡そ洞庭(どうてい)西湖(せいこ)を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江(せつかう)の潮(うしほ)を湛(たゝ)ふ。島々の数を尽して、欹(そばだ)つものは天を指し、伏すものは波に匍匐(はらば)ふ。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右に連る。負へるあり抱けるあり、児孫(じそん)愛すがごとし。松の緑(みどり)こまやかに、枝葉汐風(しほかぜ)に吹きたわめて、屈曲(くつきよく)おのづから矯(た)めたるが如し。其の気色(けしき)○(アナカンムリ+「目」)然(えうぜん)として美人の顔(かんばせ)を粧(よそほ)ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇(ずみ)のなせるわざにや。造化(ざうくわ)の天工、いづれの人か筆を揮(ふる)ひ詞(ことば)を尽さん。
 雄島(をじま)が磯(いそ)は地つゞきて、海に出でたる島なり。雲居(うんこ)禅師の別室の跡(あと)、坐禅石(ざぜんせき)など有り。はた松の木陰(かげ)に世を厭(いと)ふ人もまれ/\見え侍りて、落穗(おちぼ)松笠(まつかさ)など打烟(けぶ)りたる草の庵(いほり)閑(しづか)に住みなし、いかなる人とは知られずながら、先づ懐かしく立寄るほどに、月海にうつりて、昼のながめ又改む。江上に帰りて宿を求むれば、窓をひらき二階をつくりて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙(たへ)なる心地(こゝち)はせらるれ。
  ●松島(まつしま)や 鶴(つる)に身(み)をかれ 時鳥(ほとゝぎす) 曾良
 予は口を閉ぢて、眠(ねむ)らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩有り、原安適松が浦島の和歌を贈らる。袋(ふくろ)を解(と)いてこよひの友とす。かつ杉風・濁子が発句あり。
 十一日、瑞岩寺(ずゐがんじ)に詣づ。当寺三十二世のむかし、真壁(まかべ)の平四郎(へいしらう)出家して、入唐(につたう)帰朝の後開山す。其の後に雲居禅師の徳化(とくくわ)によりて、七堂甍(いらか)改りて、金壁荘厳(きんぺきさうごん)光を輝(かゞや)かし、仏土成就の大伽藍(がらん)とはなれりける。彼の見仏聖(けんぶつひじり)の寺はいづくにやと慕はる。

 十二日、平泉(ひらいづみ)と心ざし、あねはの松(まつ)、緒だえの橋など聞き伝へて、人跡(じんせき)まれに、雉兎蒭蕘(ちとすうぜう)の行きかふ道そこともわかず、終に道ふみたがへて石(いし)の巻(まき)といふ湊(みなと)に出づ。こがね花さくと詠みて奉りたる金花山海上に見渡し、数百の廻船(くわいせん)入江(いりえ)につどひ、人家地を争ひて竃(かまど)の煙立ちつゞけたり。思ひかけず斯る所にも来れる哉と、宿(やど)からんとすれど更に宿かす人なし。漸くまどしき小家に一夜をあかして、明くれば又知らぬ道まよひ行く。袖の渡り、尾ぶちの牧(まき)、真野(まの)の萱(かや)原などよそ目に見て、遥なる堤を行く。心細き長沼にそうて、戸伊摩(といま)といふ処に一宿して平泉に至る。その間二十余里ほどと覚ゆ。
 三代の栄耀(えいえう)一睡(すゐ)の中にして、大門のあとは一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡(あと)は田野に成りて、金鷄山(きんけいざん)のみ形を残す。先づ高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河なり。衣川(ころもがは)は和泉(いづみ)が城(じやう)をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡(やすひら)等が旧跡(きうせき)は、衣(ころも)が関(せき)を隔(へだ)てて南部口(なんぶぐち)をさし堅め、夷をふせぐと見えたり。偖(さて)も義臣すぐつて此の城にこもり、功名(こうみやう)一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷(し)きて時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ。
  ●夏草(なつくさ)や 兵(つはもの)どもが 夢(ゆめ)の跡(あと)
  ●卯(う)の花(はな)に 兼房(かねふさ)みゆる 白毛(しろげ)哉(かな) 曾良
 かねて耳驚かしたる二堂開帳(かいちやう)す。経堂(きやうだう)は三将の像をのこし、光堂(ひかりだう)は三代の棺(くわん)を納め、三尊の仏(ほとけ)を安置す。七宝(しつぱう)散りうせて、珠(たま)の扉(とびら)風に破れ、金(こがね)の柱霜雪(さうせつ)に朽(く)ちて、既に頽廃空虚(たいはいくうきよ)の叢(くさむら)となるべきを、四面新に囲(かこ)みて甍(いらか)を覆(おほ)ひて風雨を凌(しの)ぐ。暫時千歳の記念とはなれり。
  ●五月雨(さみだれ)の 降(ふ)りのこしてや 光堂(ひかりだう)

 南部(なんぶ)道遥(はる)かに見やりて、岩手(いはて)の里に泊る。小黒崎、みつの小島を過ぎて、鳴子(なるこ)の湯(ゆ)より尿前(しとまへ)の関(せき)にかゝりて、出羽(では)の国に越えんとす。此の道旅人まれなる処なれば、関守(せきもり)にあやしめられて、漸(やう/\)として関を越す。大山をのぼつて日すでに暮れければ、封人(ほうじん)の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留(とうりう)す。
  ●蚤虱(のみしらみ) 馬(うま)の尿(しと)する 枕(まくら)もと
 主(あるじ)の云ふ、是より出羽国に大山を隔てて道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。さらばと云ひて人を頼み侍れば、究竟(くつきやう)の若者反脇指(そりわきざし)をよこたへ、樫(かし)の杖(つゑ)を携(たづさ)へて我々が先に立ちて行く。けふこそ必ず危き目(め)にも逢ふべき日なれと、辛(から)き思ひをなして後について行く。主(あるじ)のいふにたがはず、高山森々(しん/\)として一鳥声きかず、木の下(した)闇(やみ)茂りあひて夜(よる)行くがごとし、雲端(うんたん)に土ふる心地して、篠(しの)の中踏(ふ)み分(わ)け/\、水をわたり岩に蹶(つまづ)きて、肌(はだ)につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしをのこの云ふやう、此の道必ず不用(ふよう)の事あり。恙(つゝが)なう送りまゐらせて仕合(しあはせ)したりと、悦びて別れぬ。あとに聞きてさへ胸とゞろくのみなり。

 尾花沢(をばなざは)にて清風と云ふ者をたづぬ。かれは富める者なれども、志いやしからず。都にも折々(をり/\)かよひて、さすがに旅の情(なさけ)をも知りたれば、日比(ひごろ)とゞめて、長途のいたはりさま/゛\にもてなし侍る。
  ●凉(すゞ)しさを 我(わ)が宿(やど)にして ねまる也(なり)
  ●這出(はひい)でよ かひ屋(や)が下(した)の 蟾(ひき)の声(こゑ)
  ●眉(まゆ)掃(はき)を 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花(はな)
  ●蚕飼(こがひ)する 人(ひと)は古代(こだい)の すがた哉(かな) 曾良

 山形領に立石寺(りふしやくじ)といふ山寺あり。慈覚大師の開基(かいき)にて、殊に清閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし人々の勧むるによつて、尾花沢より取つてかへし、其の間七里ばかりなり。日いまだ暮れず、麓(ふもと)の坊に宿かり置きて、山上の堂に登る。岩(いは)に巌(いは)を重ねて山とし、松柏(しようはく)年ふり、土石老(お)いて苔(こけ)滑(なめら)かに、岩上の院々扉(とびら)を閉ぢて物の音聞えず。岸をめぐり岩を這(は)ひて仏閣(ぶつかく)を拝し、佳景寂寞(せきばく)として心すみ行くのみ覚ゆ。
  ●閑(しづ)かさや 岩(いは)にしみ入(い)る 蝉(せみ)の声(こゑ)

 最上(もがみ)川乗(の)らんと、大石田(おほいしだ)と云ふ所に日和(ひより)を待つ。こゝに古き俳諧(はいかい)の種こぼれて、忘れぬ花の昔をしたひ、蘆角(ろかく)一声の心をやはらげ、此の道にさぐり足して、新古ふた道にふみ迷ふといへども、道しるべする人しなければと、わりなき一巻のこしぬ。此の度の風流こゝに至れり。最上川はみちのくより出でて、山形を水上とす。碁点(ごてん)・隼(はやぶさ)などいふおそろしき難所あり。板敷山の北を流れて、はては酒田(さかた)の海に入る。左右山(やま)覆(おほ)ひ、茂みの中に船を下す。これに稲つみたるをやいな舟といふならし。白糸(しらいと)の滝は青葉(あをば)のひま/\に落ちて、仙人堂岸(きし)に臨(のぞ)みて立つ。水漲(みなぎ)つて舟あやふし。
  ●五月雨(さみだれ)を あつめて早(はや)し 最上川(もがみがは)

 六月三日、羽黒山にのぼる。図司左吉(づしさきち)といふ者を尋ねて、別当代会覚阿闍梨(ゑかくあじやり)に謁(えつ)す。南谷の別院に舎して、憐愍(れんみん)の情(じやう)こまやかにあるじせらる。

 四日、本坊において俳諧(はいかい)興行(こうぎやう)。
  ●ありがたや雪(ゆき)をかをらす南谷(みなみだに)
 五日、権現(ごんげん)に詣づ。当山開闢(かいびやく)能除大師(のうぢよだいし)は、いづれの代(よ)の人といふ事を知らず。延喜式に羽州里山の神社とあり。書写(しよしや)、黒の字を里山となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるも、鳥の毛羽を此の国の貢(みつぎ)に献(たてまつ)ると風土記(ふどき)に侍るとやらん。月山、湯殿を合せて三山とす。当寺武江東叡に属して、天台止観(てんだいしくわん)の月明かに、円頓融通(ゑんとんゆうづう)の法(のり)の灯(ともしび)かゝげそひて、僧坊棟(むね)をならべ、修験行法をはげまし、霊山霊地の験効(けんかう)、人貴びかつ恐る。繁栄長へにして、めでたき御山(おやま)と謂(いつ)つべし。
 八日、月山にのぼる。木綿(ゆふ)しめ身に引きかけ、宝冠(はうくわん)に頭を包み、強力(がうりき)といふものに導(みちび)かれて、雲霧山気(うんむさんき)の中に氷雪(ひようせつ)を踏んで登る事八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身こゞえて、頂上に臻(いた)れば、日没して月顕(あら)はる。笹を敷(し)き篠(しの)を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲(くも)消ゆれば、湯殿に下る。
 谷の傍に鍛冶小屋(かぢごや)といふあり。此の国の鍛冶(かぢ)霊水(れいすゐ)を選びて、こゝに潔斎(けつさい)して剣を打つ。終に月山と銘(めい)を切(き)つて世に賞せらる。彼の龍泉(りうせん)に剣を淬(にら)ぐとかや。干将(かんしやう)莫耶(ばくや)の昔をしたふ、道に堪能(かんのう)の執(しふ)あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばし休らふほど、三尺ばかりなる桜の蕾(つぼみ)半ば開けるあり。降りつむ雪の下に埋れて、春をわすれぬ遅桜(おそざくら)の花の心わりなし、炎天(えんてん)の梅花こゝに薫(かを)るがごとし。行尊僧正の歌の哀(あは)れもこゝに思ひ出でて、猶まさりて覚ゆ。すべて此の山中の微細(びさい)、行者の法式(ほふしき)として他言(たごん)する事を禁ず。仍(よ)つて筆をとゞめて記さず。坊にかへれば、阿闍梨(あじやり)の需(もとめ)に依つて、三山順礼の句々短冊(たんざく)に書く。
  ●凉(すゞ)しさや ほの三日月(みかづき)の 羽黒山(はぐろやま)
  ●雲(くも)の峰(みね) 幾(いく)つくづれて 月(つき)の山(やま)
  ●語(かた)られぬ 湯殿(ゆどの)にぬらす 袂(たもと)かな
  ●湯殿山(ゆどのやま) 銭(ぜに)ふむ道(みち)の 泪(なみだ)かな 曾良

 羽黒を立つて、鶴が岡の城下長山氏重行といふ武士(ものゝふ)の家にむかへられて、俳諧一巻あり。左吉も共に送りぬ。川舟に乗りて酒田の湊に下る。淵庵不玉(えんあんふぎよく)といふ医師の許(もと)を宿とす。
  ●あつみ山(やま)や 吹浦(ふくうら)かけて 夕(ゆふ)すゞみ
  ●暑(あつ)き日(ひ)を 海(うみ)に入(い)れたり 最上川(もがみがは)

 江山水陸(かうざんすゐりく)の風光(ふうくわう)数(かず)を尽して、今象潟(きさがた)に方寸(はうすん)をせむ。酒田の湊より東北の方、山を越え磯を伝ひいさごを踏みて、其の際十里、日影(ひかげ)やゝ傾(かたぶ)く比(ころ)、汐風(しほかぜ)真砂(まさご)を吹き上(あ)げ、雨朦朧(もうろう)として鳥海(てうかい)の山かくる。闇中(あんちう)に莫作(もさく)して、雨も又奇(き)なりとせば雨後の晴色(せいしよく)又たのもしと、蜑(あま)の笘屋(とまや)に膝(ひざ)を入れて雨の晴るゝを待つ。其の朝、天よく霽(は)れて朝日(あさひ)はなやかにさし出づるほどに、象潟(きさがた)に舟を浮ぶ。先づ能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上漕(こ)ぐとよまれし桜の老木(おいき)、西行法師の記念を残す。江上に御陵(みさゝぎ)あり、神功后宮の御墓といふ。寺を干満珠寺(かんまんじゆじ)といふ。此処に行幸ありし事いまだ聞かず。いかなる事にや。此の寺の方丈(はうぢやう)に坐(ざ)して簾(すだれ)を捲(ま)けば、風景(ふうけい)一眼の中に尽きて、南に鳥海天をさゝへ、其の影(かげ)うつりて江にあり。西はむや/\の関路(せきぢ)をかぎり、東に堤(つゝみ)を築(きづ)きて秋田にかよふ道遥(はる)かに、海北に構へて浪うち入るゝ所を汐(しほ)ごしといふ。江の縱横(じうわう)一里ばかり、俤(おもかげ)松島にかよひて又異(こと)なり。松島は笑ふがごとく、象潟は怨(うら)むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂(たましひ)をなやますに似たり。
  ●象潟(きさがた)や 雨(あめ)に西施(せいし)が ねぶの花(はな)
  ●汐越(しほこし)や 鶴脛(つるはぎ)ぬれて 海(うみ)すゞし
 祭礼
  ●象(きさ)がたや 料理(れうり)何(なに)くふ 神(かみ)まつり 曾良
  ●蜑(あま)の家(いへ)や 戸板(といた)を敷(し)きて 夕(ゆふ)すゞみ
 美濃の国の商人 低耳 岩上に雎鳩(みさご)の巣(す)を見る
  ●浪(なみ)こえぬ 契(ちぎり)ありてや みさごの巣(す) 曾良

 酒田の余波(なごり)日をかさねて、北陸道の雲に望む。遥々(はる/゛\)のおもひ胸(むね)をいたましめて、加賀の府まで百十里と聞く。鼠(ねず)の関をこゆれば、越後の地に歩行を改めて、越中の国市振(いちぶり)の関(せき)にいたる。此の間九日、暑湿(しよしつ)の労(らう)に神(しん)をなやまし、病おこりて事を記さず。
  ●文月(ふみづき)や 六日(むいか)も常(つね)の 夜(よ)には似(に)ず
  ●荒海(あらうみ)や 佐渡(さど)に横(よこ)たふ 天(あま)の河(がは)

 今日は親(おや)知(し)らず子知らず・犬もどり・駒(こま)がへしなどいふ北国一の難所(なんしよ)をこえて疲れ侍れば、枕(まくら)引きよせて寝たるに、一間隔てて面(おもて)の方に、若き女の声二人ばかりと聞ゆ。年(とし)老(お)いたるをのこの声も交りて物語(ものがたり)するを聞けば、越後の国新潟(にひがた)といふ所の遊女(いうぢよ)なりし。伊勢参宮するとて、此の関までをのこの送りて、あすは故郷にかへす文(ふみ)したゝめて、はかなき言伝(ことづて)などしやるなり。白波(しらなみ)のよする汀に身をはふらかし、蜑(あま)のこの世をあさましう下(くだ)りて、定めなき契(ちぎり)日々の業因(ごふいん)いかにつたなしと、物いふを聞く/\寝入りて、あした旅立(たびた)つに、我々に向ひて、行方(ゆくへ)知らぬ旅路(たびぢ)のうさ、余り覚束(おぼつか)なうかなしく侍れば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたひ侍らん。衣(ころも)のうへの御情(みなさけ)に、大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせ給へ」と泪(なみだ)を落す。不便(ふびん)の事には侍れども、我々は所々(しよ/\)にてとゞまる方(かた)多し、只人の行くに任(まか)せて行くべし、神明(しんめい)の加護(かご)必ず恙(つゝが)なかるべしと云ひすてて出でつゝ、哀(あは)れさ暫らく止まざりけらし。
  ●一家(ひとつや)に 遊女(いうぢよ)もねたり 萩(はぎ)と月(つき)
 曾良にかたれば書きとゞめ侍る。

 黒部四十八か瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古(なこ)といふ浦に出づ。担籠(たこ)の藤浪(ふぢなみ)は春ならずとも、初秋(はつあき)の哀(あは)れとふべきものをと、人に尋ぬれば、これより五里磯づたひしてむかふの山陰に入り、蜑(あま)の苫(とま)ぶきかすかなれば、蘆(あし)の一夜の宿かすものあるまじと云ひおどされて、加賀の国に入る。
  ●早稲(わせ)の香(か)や 分(わ)け入(い)る右(みぎ)は 有磯海(ありそうみ)

 卯(う)の花山(はなやま)・くりからが谷を越えて、金沢は七月中(なか)の五日(いつか)なり。爰(こゝ)に大阪よりかよふ商人何処といふ者あり、それが旅宿(りよしゆく)を倶(とも)にす。
 一笑といふ者は、此の道にすける名のほの/゛\聞えて、世に知る人も侍りしに、去年(こぞ)の冬早世(さうせい)したりとて、其の兄追善(つゐぜん)をもよほすに、
  ●塚(つか)も動(うご)け 我(わ)が泣(な)く声(こゑ)は 秋(あき)の風(かぜ)
 ある草庵にいざなはれて
  ●秋(あき)凉(すゞ)し 手毎(てごと)にむけや 瓜茄子(うりなすび)
 途中○(クチヘン+「金」)
  ●あか/\と 日(ひ)は難面(つれなく)も 秋(あき)の風(かぜ)
 小松といふ所にて
  ●しをらしき 名(な)や小松(こまつ)吹(ふ)く 萩(はぎ)薄(すゝき)

 此の所太田の神社に詣づ。実盛が甲(かぶと)、錦(にしき)の切(きれ)あり。住昔(わうせき)源氏に属(ぞく)せしとき、義朝(よしとも)公より賜はらせ給ふとかや。げにも平士の物にあらず。目庇(まびさし)より吹返(ふきかへ)しまで、菊唐草(からくさ)の彫(ほ)りもの金をちりばめ、龍頭(りうづ)に鍬形(くはがた)打(う)ちたり。実盛討死の後、木曾義仲願状(ぐわんじやう)にそへて此の社にこめられ侍るよし、樋口(ひぐち)の次郎が使せし事ども、まのあたり縁紀(えんぎ)に見えたり。
  ●むざんやな 甲(かぶと)の下(した)の きり/゛\す

 山中(やまなか)の温泉に行くほど、白根(しらね)が嶽(たけ)あとに見なして歩む。左の山際(やまぎは)に観音堂あり。花山の法皇三十三所の順礼(じゆんれい)とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置(あんち)し給ひて、那谷(なた)と名づけ給ふとや。那智(なち)・谷組(たにぐみ)の二字を分ち侍りしとぞ。奇石さま/゛\に、古松植(う)ゑならべて、萱(かや)ぶきの小堂岩の上に造りかけて、殊勝(しゆしよう)の土地なり。
  ●石山(いしやま)の 石(いし)より白(しろ)し 秋(あき)の風(かぜ)

 温泉に浴(よく)す。其の功(かう)有明に次(つ)ぐと云ふ。
  ●山中(やまなか)や 菊(きく)は手折(たを)らぬ 湯(ゆ)の匂(にほひ)
 あるじとするものは、久米之助(くめのすけ)とて、いまだ小童(こわらべ)なり。彼が父俳諧(はいかい)を好み、洛(らく)の貞室(ていしつ)若輩(じやくはい)のむかしこゝに来りし比(ころ)、風雅(ふうが)に辱(はづか)しめられて、洛に帰りて貞徳の門人となつて世に知らる。功名の後、此の一村判詞(はんし)の料(れう)を請(う)けずといふ。今更昔がたりとはなりぬ。  曾良は腹を病(や)みて、伊勢の国長島といふ所にゆかりあれば、先立(さきだ)ちて行くに、
  ●行き/\て 倒れふすとも 萩(はぎ)の原(はら) 曾良
 と書き置(お)きたり。行く者の悲しみ残る者のうらみ、隻鳧の別れて雲(くも)に迷ふがごとし。予もまた
  ●けふよりや 書付(かきつけ)消(け)さん 笠(かさ)の露(つゆ)
 大聖持の城外、全昌寺(ぜんしやうじ)といふ寺に泊る。猶(なほ)加賀の地なり。曾良も前の夜この寺に泊りて、
  ●終宵(よもすがら) 秋風(あきかぜ)きくや 裏(うら)の山(やま)
と残す。一夜のへだて千里に同じ。吾も秋風を聞きつゝ衆寮(しうれう)に臥(ふ)せば、明ぼのの空近う読経(どきやう)声すむまゝに、鐘板(しようばん)鳴つて食堂(じきだう)に入る。
 けふは越前の国へと心早卒(さうそつ)にして堂下に下るを、若き僧ども紙硯をかゝへ、階(きざはし)のもとまで追ひ来る。折ふし庭中の柳散れば、
  ●庭(には)掃(は)きて 出(い)づるや寺(てら)に 散(ち)る柳(やなぎ)

 取りあへぬさまして、草鞋(わらぢ)ながら書き捨つ。越前の境、吉崎の入江を舟に棹(さをさ)して、汐越(しほごし)の松を尋ぬ。
  ●終宵(よもすがら) 嵐に波を はこばせて
     月を垂(た)れたる 汐越(しほごし)の松 西行
 此の一首にて数景(すうけい)尽きたり。若し一辨(べん)を加ふるものは、無用(むよう)の指(し)を立つるがごとし。丸岡天龍寺の長老(ちやうらう)、古きちなみあれば訪(たづ)ぬ。又金沢(かなざは)の北枝(ほくし)といふ者、かりそめに見送りて此処まで慕ひ来る。所々の風景過さず思ひつゞけて、折節(をりふし)あはれなる作意(さくい)など聞ゆ。今既に別(わかれ)にのぞみて、
  ●物(もの)書(い)て 扇(あふぎ)引(ひ)きさく 余波(なごり)かな
 五十丁山(やま)に入つて永平寺を礼す。道元禅師の御寺なり。邦機(はうき)千里を避(さ)けて、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴き故ありとかや。

 福井は三里ばかりなれば、夕飯したゝめて出づるに、たそがれの路たど/\し。爰(こゝ)に等栽(とうさい)といふ古き隠士(いんし)あり。いづれの年にか江戸に来りて予を訪(たづ)ぬ。遥(はる)か十とせ余りなり。いかに老いさらぼひてあるにや、将(はた)死にけるにやと人に尋ね侍れば、いまだ存命(ぞんめい)してそこ/\と教ふ。市中ひそかに引入(ひきい)りて、あやしの小家に夕顔へちまの這ひかゝりて、鶏頭(けいとう)箒木(はゝきゞ)に戸ぼそを隠す。さては此の内にこそと門を叩(たゝ)けば、侘(わび)しげなる女の出でて、いづくよりわたり給ふ道心(だうしん)の御坊(ごばう)にや。あるじは此のあたり何がしと云ふものの方(かた)に行きぬ。もし用あらば尋ね給へといふ。かれが妻なるべしと知らる。昔物語にこそかゝる風情(ふぜい)は侍れと、やがて尋(たづ)ね逢(あ)ひて、その家に二夜泊りて、名月は敦賀(つるが)の湊(みなと)にと旅だつ。 等栽も共に送らんと、裾(すそ)をかしうからげて、路(みち)の枝折(しをり)とうかれ立つ。

 漸(やうや)く白根(しらね)が嶽(たけ)かくれて、比那(ひな)が嵩(たけ)顕はる。あさむつの橋を渡りて、玉江の蘆(あし)は穂(ほ)に出でにけり。鴬(うぐひす)の関(せき)を過ぎて湯尾(ゆのを)峠をこゆれば、燧(ひうち)が城(じやう)・帰山(かへるやま)に初雁(はつかり)を聞きて、十四日の夕暮敦賀(つるが)の津(つ)に宿をもとむ。その夜月殊に晴れたり。
 明日(あす)の夜もかくあるべきにやといへば、越路(こしぢ)のならひ猶明夜の陰晴(いんせい)はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、気比(けい)の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭(しやとう)神さびて、松の木(こ)の間(ま)に月のもり入りたる、おまへの白砂霜(しも)を敷(し)けるが如し。往昔(わうせき)遊行(ゆぎやう)二世の上人、大願發起(だいぐわんほつき)の事ありて、みづから草を刈り、土石を荷(にな)ひ、泥濘(でいねい)をかわかせて、参詣往来(さんけいわうらい)の煩(わづらひ)なし。古例今に絶えず。神前に真砂(まさご)を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持(すなもち)と申し侍ると、亭主(ていしゆ)の語りける。
  ●月(つき)清(きよ)し 遊行(ゆぎやう)のもてる 砂(すな)の上(うへ)
 十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず雨降る。
  ●名月や 北国日和(ほくこくびより )さだめなき
 十六日、空(そら)霽(は)れたれば、ますほの小貝(こがひ)ひろはんと、種(いろ)の浜(はま)に舟を走(は)す。海上七里あり。天屋(てんや)何がしといふもの破籠(わりご)小竹筒(さゝえ)などこまやかにしたゝめさせ、僕(しもべ)あまた舟にとり乗せて、追風時(とき)の間に吹きつけぬ。浜はわづかなる海士(あま)の小家にて、侘(わび)しき法華寺(ほつけでら)あり。こゝに茶を飲み酒をあたゝめて、夕暮の淋しさ感(かん)に堪(た)へたり。
  ●寂(さび)しさや 須磨(すま)に勝(か)ちたる 浜(はま)の秋(あき)
  ●波(なみ)の間(ま)や 小貝(こがひ)にまじる 萩(はぎ)の塵(ちり)
 其の日のあらまし、等栽(とうさい)に筆をとらせて寺に残す。

 露通(ろつう)も此の湊まで出むかひて、美濃の国へと伴(ともな)ふ。駒にたすけられて、大垣(おほがき)の庄(しやう)に入れば、曾良も伊勢より来り合ひ、越人(ゑつじん)も馬をとばせて、如行が家に入り集まる。前川子(ぜんせんし)、荊口(けいこう)父子、其の外親しき人々日夜とぶらひて、蘇生(そせい)の者に逢ふがごとく、かつ悦びかついたはる。旅の物うさもいまだ止(や)まざるに、長月六日になれば、伊勢(いせ)の遷宮(せんぐう)拝まんと又舟にのりて、
  ●蛤(はまぐり)の ふた見(み)にわかれ 行(ゆ)く秋(あき)ぞ
                           俳諧名作集 講談社(著者:潁原退蔵)より抜粋



親不知の難所と市振の宿の遊女場面/7月12日 芭蕉翁絵師伝 狩野正栄筆 義仲寺蔵



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