寛治4年(1090年)
  百練抄より


  (古文書:翻刻テキスト)
  加茂社古代荘園御厨
  日供料
          庄園 十九箇所
          御厨 九 箇 所
  寛治四年七月十三日。加茂御祖社奉不輸田七百四十五町
  為御供田。近日依有夢相被供御膳。
  右且是依神税不足也。又文置御厨於諸国。俗諺日将亡聴
  政於神。比請也。
  官符
    遠江国河村庄 公田三十町
    ○中略
  越中国倉垣庄 田地三十町
    ○中略
  右依有託宣。自寛治三年制御有御沙汰。域社司経泰聞。
  域公家召注文。件日被始進伝々。
  自爾以降大八膳也。


高岡市万葉歴史館提供:撮影菊民夫
東大寺所領の荘園絵図



【 意訳 】平安中期、寛治4年7月30日、第73代堀河天皇(在位1086〜1107 年)が山城(京都)の上賀茂・下賀茂両社から倉垣庄に供御田30町歩が寄 進されたとある。

・・!江戸末期の石黒信由の地図から当時の倉垣庄を検証!・・


【草岡神社奉賛会】
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