景行天皇の40年秋7月(110年)、大和武尊が東
 夷の邪神姦鬼、蝦夷などを討伐の際、吉備津日子(武
 彦)命を遣わされて越の国(こしのくに)御征伐のみぎり「草岡の里
 は海辺で地勢平坦なるが故に、この地に守護社を建
 設したきもの」と重臣をして天皇の奏し、勅許(ちょっ‐きょ)[天皇の
 許可]を賜りここに一宮を創立して草岡神社と称するこ
 ととなった。又朝廷でも厚く崇拝されたので、さすがの
 強族蝦夷などことごとく平定することとなった。その後
 代々の天皇は草岡神社への信仰浅からぬものがあっ
 たという。

     [草岡神社史・昭和43年1月31日発行]