【 T 中世ヨ−ロッパ都市に魅せられて 】 PRAHA
チエコの歴史は9世紀に大モラビア帝国から始まる。その後、ボヘミア王国、ハプスブルク帝国と中世以来
1000年の歴史の中でゴシック、ルネッサンス、バロック様式と歴史の繁栄を誇った街並みが残る。
国の人口は1,026万人(2001年末現在)、国土は日本の約5分の1(78,866km2)。首都はプラハ。宗教は
カトリック(39%)。人種はチエコ人94.7%、スロヴァキア人3.1%。言語は チェコ語である。
チエコは第二次世界大戦後、共産主義体制が確立されたが、1968年の「プラハの春」事件を経て、1989年に
「ビロード革命」(民主革命)により共産主義体制に終止符を打つ。1993年 スロヴァキアと平和裡に分離
独立。 11月17日を自由と民主主義のための闘争の日と定めている。議会は 2院制をとる。
● カレル橋とプラハ城
古き良き日のヨ−ロッパがいまも残るプラハ。モルダウ川を挟んでプラハ城と旧市街側に集中している。
丘の上にあるプラハ城を下り「カレル橋」を渡り旧市街地へと続く。曲がりくねった石畳の路地とトラムが目につく。
カレル橋は、1406年にカレル2世によって架けられた。長さ約520メ−トルの石造りで1475年
に旧市街地を守る城壁の門として両側にゴシック様式の塔(火薬塔)が建てられた。17世紀から19世紀
に左右の欄干に30体の聖像が並ぶ。橋は野外ギャラリ−のようである。彫像一つ一つが情熱的しぐさや、
運命に身をまかせた控えめな表情の聖人に心を奪われる。聖ヤン・ネポムツキ−が川に投げ込まれた場所に金属製十字架と5つの星がはめこまれた大理石に碑文がはめ込まれている。
- 歴史的建造物
- プラハ城と聖ウイ−ト大聖堂(ステンドグラス)の丘と小地区。
- ルネッサンス様式のベルウエデ−レ宮殿。
- 音響の良いコンサ−トとして利用できる聖ミクラ−ジュ教会(天井のフレスコ画)。
- プラハ最古のカレル橋(火薬塔)とチエコ橋。
プラハ城 2004.12.15
スバトプルク・チエコ橋(欄干)
【 U 旧市街地広場とユダヤ人地区 】 PRAHA
旧市庁舎は1338年国王ヤン・ルクセンブルクの発布により創設された。市民の住宅であった5つの建
物を合併し改築して造られた。その中核がカメンのボルフリン家である。ゴシックの入り口に上はルネッサ
ンス様式の窓。その両横に神聖ロ−マ帝国・旧市街の紋章が飾られている。1360年に第2市庁舎として
二階にルネッサンスの飾り窓のある家を。第3市庁舎は毛皮商人ミケシュの正面破風にネオ.ルネッサンス
の建物を収得。1830年に第4市庁舎として、隣のクラシカルな14世紀に建てられた「雄鶏の家」を収
得。更に1896年に第5市庁舎として、広場の端にある「一分の家」を収得した。 迷路のような旧市街地
に各時代の建物が並び、街そのものが建築博物館のようである。プラハの人は歴史建造物を大切にしている。
古くなっても壊さず何度も修復し何世紀に渡っててそのままの姿で保存している。それ故に1000年の都
と称されるゆえんである。
- 歴史的建造物
- 旧市街広場・旧市庁舎(仕掛け時計)・テイ−ン教会
- 装飾のないゴシック様式の新旧シナゴ−ク(1389年の反ユダヤ暴動)
- ネオ・ルネッサンス様式の国立劇場(民族は民族のために)とプラハ市民会館。
- プラハ市民会館と火薬塔。
●1410年、その旧市庁舎に時計技師ミクラ−シュと天文学者シンデルにより「奇跡の器機」が作られた。この時計台は
12使徒・骸骨、守銭奴、放蕩者の人形仕掛けと天文時計である。
特記すべきは、文字盤の中心に地球が描かれている。その周りを太陽が回っている点である。これはプラハ
の天文時計が天動説に基づいていると言うことである。
旧市庁舎と対照に壮大なゴシック様式のテイ−ン教会があります。1380年、ヤン・ルクセンブルク王
の統治時代に着手された。宗教改革派教会に属し、ドイツ改革推進派の中心人物トマ−シュ・ムンツエルの
説教が行われた所である。何度かの改築が行われ、16世紀始めに進歩的な発展を遂げる。夜になるとライ
トアップされ、この広場のランドマ−クとして位置づけられている。又トラムなしではプラハの街は語れない。
プラハ市街地にトラムが似合う
モルダウ川にかかるカレル橋 築造1406年
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