【 T 瀋水の北側 瀋陽 】 Shen Yang
遼寧省は中国東北地方の南部に位置し総面積14.59万Ku。総人口4,200万人で、43の少数民族(満・漢・モンゴル・回・朝鮮・シボ族)がいる。行政区画は14の市があり瀋陽(720万人)・大連(500万人)・本渓(240万人)・撫順・丹東・営口・錦州・遼陽等で瀋陽は市区面積186kuの重工業の盛んな州都である。中央政府から『東北振興』地域にも指定されている。
●富山県との友好提携は今年で20年。平成17年6月現在での遼寧省への富山県の企業進出企業は25社・29事業(内大連市に21社
・25事業所)におよぶ。富山県と遼寧省は昭和57年に中沖前知事が団長を務めた第12回『青年の船』で同省を訪問したことを機に、
双方の間で協議され昭和59年5月に『友好県省を締結』した。
両県省内の自治体や芸術文化団体、スポーツ団体、労働団体、報道機関などの交流(友好提携)は
計36組に及ぶ。特に、両県省の将来を担う人材育成に力を注ぎ、職員・留学生の総合派遣や各種技術派遣員の受け入れ、遼寧省内で日本
語を学習する大学生・高校生への奨学金の支給、シニアボランテイアの派遣による技術事業などを実施してきている。
平成6年に、遼寧省から富山県に「遼寧省栄誉公民」の称号が授与され、平成14年には当時の中国全国人民代表大会常務委員長(全国
議長会議長)である李鵬(り ほう)氏が富山県を訪問し、同年9月に、日中国交正常化30周年を記念し富山県において日中の自治体関
係者が一堂に会した「日中自治体友好交流会議」が開催された。
富山県との中国との貿易状況は平成16年度の貿易額は542億5600万円で平成6年度を指数100とした場合この20年で5.82倍
に増えている。主な貿易品目は輸出は一般機械・非金属・繊維・金属。輸入は非鉄金属・衣類・化学繊維・鉄鋼等で、伏木富山港から中国
関係定期コンテナ航路(大連・青島・天津・上海)は週2便を運航し、富山空港からの大連便(中国南方航空)は週3便、10月23日か
ら週3便の上海便(上海航空)も就航する。遼寧省との経済、文化の交流が更に進むことになる! 第16回日中友好富山県地方議員連盟訪中団(菊民夫記)
遼寧省博物館見学 2005.10.18
楊貴妃屏風(遼寧省博物館:黒檀と漆重ね塗りの技法)
【 U 世界遺産瀋陽故宮 】 Shen Yang
- 歴史的建造物
- 1,昭陵(北陵:清の2代皇帝、太宗皇太極とその皇后の陵墓で関外三遼寧陵で最大規模)
〜1651年健立敷地450万u
- 2,福陵(東陵公園:清の太奴児哈赤とその皇后の陵墓)〜1651年健立、敷地19.48万u
- 3,永陵(清代の太奴児哈赤皇帝の父親・祖父母・皇室一族の陵墓)〜1598年健立
- 4,瀋陽故宮博物院(清の太奴児哈赤皇帝と息子太宗皇太極皇帝の2代の皇居)
- 5,遼寧省博物館(地区の新旧石器遺跡土器・青銅画・書画・唐三彩・明清代の陶器3000点所蔵)
●瀋陽には清の関外三遼寧陵(昭陵・福陵・永陵)の陵墓がある。
故宮は清朝初代の太奴児哈赤皇帝(ヌルハチ)と息子太宗皇太極皇帝(ホンタイジ)の2代の皇居として使われ北京についで完全な形で残っている。1625年(後金天命10年)に着手され1
636年(清朝崇徳元年)に完成した。敷地は6万uに300余りの建物があり満・漢・蒙古族の文化芸術が混合した建築様式の中に満族
の文化が色濃く残っている。規模は北京の12分の1である。
瀋陽の歴史は漢代にはじまり「候城」と呼ばれていた。渤海国時代や遼代には「瀋洲」と呼ばれ、政治・
経済・交通等の拠点として注目されたのは元が中国全土を統一した時期である。1296年に瀋水(運河)
の北に位置するため名を「瀋陽路」と改められた。清朝建国の祖、ヌルハチ(1559〜1626年)が清
朝の前身である後金の都を「瀋陽」に遷都した。満州帝国時代には「奉天」と呼ばれ、1948年の解放後
に「瀋陽」に戻された。
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