風に吹かれて水郷の町・周荘
周荘・蘇州・無錫・上海
a bird of
possible


明清代にタイムスリップ 【周荘(周庄・貞富里)】 江蘇省昆山市
 『上有天堂、下有蘇杭、中間有一箇周荘』(略:天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州があり、中間に は周荘がある)
  上海市(直轄市)と江蘇省の境にある900年の歴史を誇る明清代の美しい水郷の村『周荘』は上海から70qに 位置する。運河にかかる小さな石橋の多くは元代(13〜14世紀)に造られ、千近くある住宅の60%は明清代(2 00年前)に建てられたものが残っており、豪商の瀋万三の屋敷の保存状態は良い。
 水路には多くの商人が集まり、食料・シルク・各種手工業品の集散地として発展した。人口の増加は、明 代初めには人口は約2000人、清代康熙年間には約3000人に。石橋から水路を望めば、かつて大いに繁栄した 中世の水郷都市へタイムスリップ。4、5年前から村全体が観光地(チケット30元)に。蘇州より周荘の方が魅力的な街である。
 周荘ビ−ル(地ビ−ル)は少し味が薄い。豚のもも肉を煮込んだ万三蹄は美味。

 豪商瀋家。清代の乾隆7年(西暦1742年)に完成。          
元代(1279年〜)に造られた石橋と民家が調和している。

南京娘?周荘娘の歌声
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 蘇州の盤門三景(盤門と呉門橋・瑞光寺塔) 【 水郷の町 蘇州 】 江蘇省蘇州市
 古都蘇州は歴史は古く、2500年の歴史を持ち明代には100万都市として世界でも有数の大都市であ った。東に太湖を望み、北西に長江が流れ、街には網の目に外城河が流れていることから「東洋のベニス」 と親しまれている。住むなら蘇州と古来から中国式庭園が多く、世界遺産が点在する。
 現在、市の総面積8488ku、人口218万人。上海から車で2時間たらずに位置し、交通アクセス面 だけ でなく、教育や企業立地(258ku)のインフラ整備も進み、全国でも随一の新興ハイテク 新区(開 発区)として急激に変貌を遂げている。特に日系企業は180社にのぼる、その80%が中小企業である。

  1. 蘇州の歴史的建造物
    • 盤門と呉門橋・瑞光寺塔(盤門三景)と蘇州城
    • 禅宗寒山寺(502〜519建立/清代末期再建)・虎丘の雲岩寺塔(961年建立)
    • 蘇州古典園林(拙政園・留園・獅子林・滄浪園〜蘇州の四大名園) 世界遺産1997.2000登録
    • 蘇州刺繍博物館(館内に環秀山荘)

 禅宗寺院寒山寺総門前の水路   寒山寺・目隠しの照門(清代)   寒山寺・月売門の窓   院寒山寺・普明宝塔/再建1996年   寒山寺・鐘楼の正面に程徳全の碑文   寒山寺・張継の詩「楓橋夜泊」が有名 
禅宗寒山寺
 虎丘(葬儀の3日後に白い虎が現れたので虎丘と呼ばれている)   虎丘(葬儀の3日後に白い虎が現れたので虎丘と呼ばれている)   蘇州で最古の塔(宋の建隆2年・961年に完成)高さ47bの斜塔   虎丘の木蓮 2004.3 
虎丘の雲岩寺塔(国宝)

 1、3月の拙政園/明代の庭園     a、拙政園/明代の庭園   b、拙政園/明代の庭園   c、拙政園/明代の庭園     2、7月の拙政園(中央に遠香堂)/明代の庭園 
拙政園(世界遺産)〜明代の庭園/(潘岳の「閑居賦」の一節)拙者之為政
 1、留園/明代の庭園   2、留園/   3、留園/明代の庭園   4、留園(太湖石)/明代の庭園 
留園(世界遺産)〜明代の庭園


 多くの人出賑わう無錫駅 2004.3 【 水郷の町 無錫 】 江蘇省無錫市
 無錫は、上海から車で3時間、面積4650ku、人口213万人。中国で4番目に大きい淡水湖・太湖を 抱え、西には恵山、北には長江が流れ、北京と坑州を結ぶ京坑運河(けいこううんが)が張り巡らされてい る水郷の町である。随の時代「魚米之郷」として栄えた。  上海に近いこともあり工場が急速に増えている。町はどこも建設ラッシュ。




 a、錫恵公園   b、錫恵公園(借景に写る龍光塔が見える)   1、太湖乗船前の蓮池   2、太湖仙島(霧がかかった太湖遊覧)   3、太湖仙島内   4、太湖仙島内 
太湖は総面積2200Km2(中国五大湖の4番目)

 太湖の黒真珠
太湖には白魚・黒真珠・太湖石が有名!


 外灘(租界時代の洋館/和平飯店〜1929) 【 上海 】 中央直轄特別市上海
 上海市は北京市・天津市・重慶市と並ぶ「中央直轄特別市」である。中央直轄特別市は「省」や「自治区」 と同格である。
 上海の歴史は700年と浅い。面積は6341ku(群馬県並)、人口1400万人の中国最大の国際都市であるが、 その発展の影には、租界としての長い歴史を無くして語れるものではない。1840年の「アヘン戦争」敗戦 がきっかけとなり、南京条約により上海は開港し、イギリスの自国の植民地として占領・開発して出来た のが現在の外灘(バンド)地区である。20世紀に入ると、イギリスの他にも日本や欧米列強各国から居留民 達が続々と訪れ、租界地を広げると共に、上海は東アジアの金融・経済の中心地 となっていった。
 上海の観光スポット豫園は1559年(明代嘉靖38年)に四川省の役人が造園を着手し、18年の歳月をかけ約70ヘクタールに拡張された。 豫悦老親(親戚たちと愉快に楽しく)≠ニの意味で豫園となずけられた。アヘン戦争時、一部分が破壊され、以後、商店街や学校等とし て使用されたが1956年から修復作業(20ヘクタール)が始まり、現在一般公開されている。

  1. 上海の歴史的施設
    • 上海博物館
    • 豫園・1920年代の町並みを再現した多倫路ストリ-トと虹口エリア
    • 外灘・浦東新区
    • 玉仏寺(清代1882年創建).龍華寺(三国時代247年創建)・静安寺(三国時代220〜280創建)

 1、外灘  2、黄浦江対岸は浦東新区  3、浦東新区(東方明珠塔・上海国際会議場・グランドフイアット上海)  4、黄浦江対岸は浦東新区夜景   5、外灘(租界時代の洋館/和平飯店〜1929)  6、外灘 
上海外灘・浦東新区

 豫園の飾り窓
豫園


 宋代宮殿様式の禅寺、玉仏寺大雄寶殿 (1882年建立)  spacer  上海博物館(少数民族ミヤオ族の衣装)  spacer  豫園打唱台(明清代の造園/1559年〜) 
玉仏寺(左)・上海博物館(中央)・豫園(右)



 内川船上結婚式 写真提供:商工会議所事務局長 川野修 3003.11.3  【 新湊内川風情・・・】 新湊市内川
 10時から、新湊内川を舞台として賑わい創出が演出された。内川再発見!初めての試みである。舞台創 出は内川であり、その道具は生活の滲み出た漁船である。内川に映し出された港町の活気は失われていない。 内川は、街並みの家々を写し、しんみなとの歴史をも静かに映し出してきました。そして住む人の心も映し 出してきました。綺麗な川よりも、生活感のある川が素敵です。何気なく見ていた川や、おいしい水が飲め ることがこんなに素敵な事なのか改めて実感した。市も川に新しい橋を架け、内川の環境整備をしてきた所 であるが、賑わいを創出する上で多くの仕掛けがいります。フリ−マッケットや琴の演奏、野点、第一イン 出店のコ−ヒ屋さん。内川遊覧、船上での結婚式等、沢山の人で賑わった。商工会議所への委託ではあるが 、新湊芸術協会の協力を得て、1回で終わることなく、さらなる発展に努力したいものです。
 内川には、春には春の艶やかさがあり、夏には夏の眩しさがり、秋には秋の色彩があり、冬には冬の厳し さがあります。肌で感じる風情を全て内川が包んでくれます。内川の魅力は、そこに人が住まいをし、生活 感が溢れているからである。夏に内川で潮風とビ−ルに酔いしれ、ほろ酔いかげんで風に吹かれる。こんな 風情を味わってみたいものである。
 (リバ−サイド フエスタin新湊 2003.11.3 tamio寄稿)

  1. リンク


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周荘運河

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