風に吹かれてオ−ストリア紀行
ハブスブル家が築いた都 VIENNA
2004.11



 【 T 音楽と芸術の都ウイ−ン探訪 】 ♪青きドナウ♪

夏の離宮 シエ−ンブルン宮殿(宮殿の黄色はマリア・テレ−ジア・イエロ−)  1713年  オ−ストリアの人口約810万人 。面積はほぼ北海道(約8.4万km2)に匹敵する。首都ウイ−ンは160万 人(2004年11月現在)。人種は主にゲルマン民族(外国人約75万人)である。 言語はドイツ語。宗教はカトリック78%、プロテスタント5%である。1270年 ハブスブルク家ルドルフ大 公、オーストリア王権確立。1918年 第1次大戦敗北によりハプスブルク帝国崩壊 。1955年 連合国との国家 条約により独立回復 した。議会は2院制をとっている。

 ウイ−ンは “音楽の都” “森の都” “バロックの都” そして、ヨーロッパで一番美しく、世界の人々 のが一番憧れる国際都市である。 窓越しに見たウイーン市庁舎は1883年に建てられたネオゴシック様式の壮麗な建物である。庁舎の広大な中 庭ではクリスマスのフリ−マ−ケットの設営が始まっていた。市庁舎は市民のものであると言う主旨が徹底 している。議会のない時は自由に見学でき、車椅子も用意され、観光客のために英語とドイツ語のガイドも あると聞いた。野外コンサートや演劇なども催され、時にはフリーマーケットにも開放される。
マリア・テレ−ジア銅像(広場)
●ウイ−ンの歴史はとても古く、ローマ帝国の軍営地が始りと言われているので約2000年の歴史を有し ている。ウイ−ンを語るときに”ハブスブルク家”と”マリア・テレジ”抜きでは語れない。名門“ハブス ブルク家”が13世紀から20世紀にかけて約650年の長きにわたり太陽の沈まぬ帝国を築いてきた。 音楽や絵画、そして有名店の数々のケ−キ、美しい街並みもハブスブルク家の大いなる遺産である。 そんな華やかな歴史の舞台に今、自分が立っている。
 シェ−ンブルン宮殿(夏の離宮)の内部と庭とを一巡。バロック建築として1713年に完成し18世紀 後半にマリア・テレジによりロココ調に改修され、特にフランスのベルサイユウ宮殿を意識して建てられた。 当時、毎日華やかな舞踏会が催されたであろう”鏡の間”や女帝マリア・テレジの部屋等、当時の貴族たち の華やかな生活文化にふれる。ヨ−ロッパ各国の王室と婚姻を結び領土を拡大。ハプスブルグ家が最も栄え た時の女帝マリア・テレジは20年間に16人の子供をもうけた。有名なマリ−・アントワネットは末娘であ る。他民族国家に最も貢献したのは音楽であろう。言語・風俗・習慣の違う人々が心を一つにできるコミニ ケ−ション手段として歴代皇帝は音楽をこよなく愛し庇護した。

シエ−ブルン宮殿正面
王宮


1.環境にやさしいトラム spacer 2.バロック様式のカ−ル教会(ペストの鎮静を願って) 1713年 spacer 3.Gloriette Panorama Terrace(シエ−ブルン宮殿) マリ−・アントワネットが15歳で嫁ぐまで夏の離宮で過ごした。 spacer 4.国立オペラ座(パリ・ミラノ・ウイ−ン) ルネッサンス様式 1869年(1955復興)  指揮者小澤征爾 spacer 5.トラムが旧市街地を縦横無尽に走る
トラムが走るウイ−ンの街並み



 【 U ベルヴェデ−レ宮殿探訪 】 Belvedere

バロック様式のヴエルヴエデ−レ宮殿 1716年  Belvedere 宮殿はトルコとの戦いに功績のあったオイゲン公が夏の離宮として、1716年に 住居用、1723年に来客用としバロック様式で建てられた。この宮殿はオイゲン公なきあとマリア・テレ ジアが購入している。オイゲン公はルイ・14世の愛人の子として生まれたが、容貌の醜さからルイ・14 世に嫌らわれ。14世にとっては仇敵にも等しいハプスブルグ家に仕えた。
 今は上宮はオ−ストリア・ギャラリ−となっている。

●上宮の美術館(絵画の傑作収集)には時間が無く入館できなかった。
ウィ−ン分離派のクリムト「接吻」、 エゴン・シ−レ、オスカ−・ココシュカ、ピ−タ−マイヤ−などの作品があると聞く。 ウィ−ン分離派のクリムト 19世紀末、分離派発表の場として「黄金のキャベツ」と呼ばれる斬新な建物ができた。「古い伝統主義か ら分離して、新しい時代を、若い世代の手で切り開く」ことを旗印とし、「生活そのものが芸術でなければ ならない」との理想を掲げた。当時のウィ−ンでは、分離派が打破しなければならなかったものは、「バロ ック」で象徴される芸術を財力のある一部の貴族が独占していたものを、一般市民に取り返そうと言う活動 であった。その中で分離派の多くが、最もタブ−とされていた「性」に挑戦した。
 フロイトは心理学で「性」を大胆に論じ、分離派も絵画の上で大胆に「性」を表現した。男根状の輪郭の 中に、若い二人が二人だけの官能の世界に漂っていると評されている、クリムトの「接吻」の絵は余りにも 有名である。
映画「第三の男」で有名になった観覧車(ライトアップが綺麗)
●又、映画「第三の男」で有名になった大観覧車はドナウ川隣接のプラタ−公園内にある。1873年に 、この地で万国博覧会が開催された。明治政府も出品(岩倉使節団)し、ウィ−ンで日本ブ−ムを巻き起こ ったことは良く知られている。当時出品された、日本の浮世絵が分離派クリムトにも影響をあたえたと言わ れている。時、同じにして産業革命後フランスでもア−ル・ヌ−ヴオ−様式活動が盛んに行われ、多くの芸術家に影響 を与えた。

●ウイ−ンの公共建築群に見る多種多様な建築様式に興味深いものがあった。
 その時代の建築様式のポリシ−が伝わってくる。市庁舎は都市の自治権が認められた時代の「ゴシック様 式」。国会議事堂は民主主義発想の地「ギリシャ古典様式」を採用。オペラ座はオペラ発祥の地のイタリア フレンツエの「ルネッサンス様式」。ブルク劇場は演劇が市民階級の娯楽になり始めた「バロック様式」。 陸軍省はトルコ軍を撃退した栄光の時代の「バロック様式」。ウイ−ン大学・美術史博物館は文芸復興の時 代のイタリア「ルネッサンス様式」と様々である。そして1900年代のフランス万博後の古典主義に対し てア−ル・ヌ−ボ様式は建築やデザインを新しく自分達の目でとらえた時代であった。ウイ−ンは今も総合 芸術の新時代到来を常に意識し、古典主義も全て包む街である。 2004.12.23 tamio

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ア−ル・ヌ−ヴオ−様式のヴエルヴエデ−レ宮殿(門) 2004.12.16

ヴエルヴエデ−レ宮殿テラス
Belvedere(4P) VIENNA


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