風に吹かれてウラジオストック紀行
市場経済前 URAZIO
1990.9/1997.10

富山新港からル−シ−号で24時間かけてウラジオへ! 写真撮影1990.9 菊 民夫

市場経済導入前のシベリア鉄道の終着点ウラジオストック駅 1990.9.8撮影




1.シベリア鉄道支線に乗りたくて(乗車) 1997.10 2.シベリア鉄道支線(ウラジオ〜ハバロスク) 1990.9 3.ウラジソストック駅前にトラムが! 1990.9 4.ウラジソストック駅前待合い(アイスクリ−ム美味) 1990.9 5.軍港ウラジオストック 1990.9撮影OK

1989年にソ連市民に、1992年に外国人に開放されたウラジオストック。 撮影1990.9



ロシア海軍の歓迎レセプション 1990.9  ロシア連邦沿海州のウラジオストク市はロシア極東最大の都市である。
ウラジオストク市は中国人が古くより到来していたが、1860年の中露間の北京条約により、現在の沿海地方 がロシア領となった。1920年代初頭の最盛期には6000人近くの日本人が居住していたと言われている。 ソ連は、1952年、ウラジオストクを軍事的理由により閉鎖してきた。60年代から80年代に共産党の一党支配 を基盤とする社会主義国家が成立したものの経済や社会は停滞してしまった。その後ゴルバチョフ書記長の 指導下で「ペレストロイカ(建て直し)」政策が進められたが、逆に国内の混乱を招き解体。 ロシア連邦を率いるエリツィン大統領は民主化と市場経済化の導入をはかる。 1989年にソ連市民に、1992年に外国人に開放された。 現在、金角湾の深く入り込んだ天然の良港を活用した軍港を、商港・漁港としてロシア極東最大の都市として発展していくであろう。丘陵地帯にアパート群が並び立つ坂の多い町である。

●15年前、1990年9月にロシアの客船ル−シ−号(1万2千トン)で富山新港から一路ウラジオスト ックへ。入国手続きの為半日余りナホトカ港に停泊。日本海ベタ渚により船酔いもせず24時間かけてよう やくウラジオストックに入港した。同じ日にアメリカ艦隊がこの金角湾(軍港)に寄港した。 翌日、ロシア海軍による歓迎レセプションがあった。アム−ル川沿いのホテルで沿海州知事主催のパ−テ− や船上での富山県主催のパ−テイ−が催された。シベリア鉄道の終着地点ウラジオストック駅からレ−ニン スカヤ通りを歩き買い物へ。物を買っても共産圏からの移行のせいか有り難うと言うサ−ビスがまったく聞 かれなかった。品物も少なく、包装紙もない。一番強く感じたことは撮影禁止場所が無かったことである。 共産圏の閉ざされた軍港ウラジオストックにも市場経済の波がすぐ近くまできていると感じた。
    2005.1.19 回想録Tamio


1.潜水艦博物館 spacer 2.短い夏のアムール川 spacer 3.坂の多いレ−ニンスカヤ通りで買い物 spacer 4.ウラジオストックのトラム
レ−ニンスカヤ通り
市場経済導入前の港 1990.9


軍港金角湾(ウラジオ) ナホトカ港


旧ソビエト連邦 ロシア連邦

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