コラム

「横濱」吹奏楽はじめてものがたり

  明治2年(1869年)、当時の横浜には欧米各国の公使館があり、護衛兵や軍楽隊が駐屯していました。そのなかのイギリス第10連隊第1大隊軍楽隊の楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン(1828年アイルランド生まれ、1868年から77年まで日本滞在)が、江戸城(皇居)護衛のため神田に駐屯していた薩摩藩士の中から選ばれた20名を横浜の本牧山妙香寺において指導しました。これが、日本人にとって最初の「吹奏楽」の伝習でした。

 同時にフェントンは、イギリスのロンドンにある楽器メーカー「ベッソン社」に直接楽器を注文しました。この時はまだ本格的な楽器はなく、楽譜の勉強と信号ラッパのみの軍楽隊練習でした。

 明治3年(1970年)7月31日に、ベッソン社の楽器が横浜に到着すると、フェントンは週に4回も妙香寺に通い、32名に増員された音楽隊員たちを熱心に指導しました。この「薩摩軍楽隊」は、連日連夜の練習の結果、同年9月7日には、フェントン指揮で横浜山手公園において初の演奏会に出演し、イギリス第10連隊軍楽隊と共演しました。

 この楽団の演奏の様子は、横浜山手公園での初演奏と同年、東京の越中島での閲兵式に出演したときの姿を、明治の絵師「安藤廣重三世」が東京三十六景「深川越中じま」の版画に描いています。

 イギリスのベッソン社は、今でも楽器製造をしており、ベッソンの楽器は日本でも多くの演奏家が使用しています。また、妙香寺は現在でもJR根岸線の山手駅から徒歩10分のところにあり、その境内には「日本吹奏楽発祥の地」の記念碑が建っています。その記念碑には、前出の「深川越中じま」の版画に描かれた薩摩軍楽隊の姿がレリーフにデザインされています。

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