読売日本交響楽団第365回定期演奏会
オール・スクリャービン・プログラム
交響曲第一番
休憩
ピアノ協奏曲
交響曲第5番《プロメテウスー火の詩》

指揮 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
ピアノ ヴィクトリア・ボストニコーワ
メゾ・ソプラノ 寺谷 千枝子
テノール 佐野 成宏
武蔵野音大合唱団


ロジェヴェンのスクリャービンの季節がまたやってきた。
昨年は何となく足下が怪しい感じで、今年も健康不安の噂もあったようだが
至って元気そうに見える。何となく安心する。

さて、今日はオール・スクリャービンプロでなかなか豪華な、スクリャービンのてんこ盛り
である。
交響曲第一番。全6楽章、五十分近くの大作である。
不思議に素朴で、幻想的な第一楽章の出だしはなかなか魅力的である
ただ、その後が何となくとりとめがなく、さして霊感豊かな旋律とも思えないものが
繰り返し現れては、消えるような展開になるのである。
また二十代の頃の作品で、全体の構成に難点があるような気もする。
自分のイメージを作曲者自身が追いかけてゆく過程が面白いと思えれば
良いのであろうが、それよりも睡魔の誘惑が強くなるのである。
蠣崎さんのオーボエはまあ良い音だったように思うし、クラリネットも健闘していたが
どちらももっと艶のある音が出せる様な気もする
何となくこちらが音楽に乗り切れないせいなのだろうが、生彩を欠いて聞こえるのである。
それでも、第3楽章のレントのワーグナー風の情感のある弦の響きと
うねるような旋律は聞き物であった。
最終楽章では歌手が参加する。芸術への賛歌風の幾分大げさな内容のものだが
テノールの佐野さんは抜群に輝かしい声で圧倒的迫力。
メゾは少し弱いか?、合唱は力強く、美しい響きだったと思う。
最後は強引気味の大団円で終わる。

ロジェヴェンの指揮は手堅く、よくコントロールされていたと思うし、読響から
豪快なサウンドも引き出していたが、作品の相性がーわたしとーあわないせいか
感動的とはいかなかった。

つぎは、奥さんのボストニコーワさんの登場。橙色のムームーみたいな衣裳。
以前、旦那の指揮でやったプロコのコンチェルトの名演が忘れられない。
スクリャービンはどうかと、耳をそばだてる。
うーん、相変わらずの逞しい低音で迫力は満点だが
中高音域のスクリャービン特有の煌めくような素早いパッセージは
流麗感、テクニックの冴えがいまいちである。
曲もピアノとオーケストラの受け答えがぎくしゃく、協奏曲としてのまとまりがないのである。
どうもパンフのように「オーケストラとピアノはしっかり手を取り合い」
とはとても聞こえないのである。
最終楽章では、ピアノがオケに付いていっているのかどうかも解らず、混沌状態。
ロジェヴェンさんはかなり頻繁にピアニストに指示を送っていた。
演奏後のボストニコーワさんはかなり不機嫌そうで、指揮者はもう舞台に出てこなかった・・・・

さて、やっと最後の交響曲第5番である。
本当は例の「色光ピアノ」も参加する曲なのだが、もちろん舞台にあるのは
ただのピアノである。
これは、さすがに一番に比べ、音楽も充実し、緻密な作りで
神との合一目指して、エクスタシーな響きを展開するのである。
わたしは最近はスクリャービンのピアノ曲の美に目覚めて、よく聴いているが
どうも、「スクリャービンは本質的にはミニアチュールの芸術家である」
という意見に賛成したい。音楽の規模が大きくなると、イメージが大仰になり
私の感性ではついていけなくなるのである。
ロジェヴェンは最後は猛烈なクレッシェンドで、凄まじい大音響を築いた。ただ全体として
オーケストラの響き自体は何となくまとまりと艶やかさに欠けたように思う。
終わったとたん、スコアを勢いよく閉じたジェスチャーは芝居げたっぷりで
ほほえましかった。