毎年三月になると東響定期は思い切った大作がかかる。
うちの会社もそうだが、とにかくものが売れない状況で各オーケストラも
大変だと思うが、その中でこうした現代音楽に力を入れている東響の姿勢は
立派である。CDでなかなかきくことのできない曲を生で聴くことは貴重だし
特にこうした現代音楽は生で聴いてその良さを認識することが多いのである。
もっとも最初は「ハイドン」である。これもミリタリー関係だがまだまだこの当時は
「総力戦」ではないから、やっぱり音楽もどこか余裕がある。
実に若杉さんらしいよく目の行き届いた、しなやかな弾力のあるハイドンで
とても良い。古楽器のような身軽さや、響きの直截さはもちろん乏しいわけだが
十分にシンフォニックで無駄な贅肉のない、しっかりとした輪郭を持っている
現代オケによるハイドンのお手本のような演奏である。
次はマーラー。この辺になると戦争に陰惨さがめだってくるようになる。
小鉄さんのバスは残念だが幾分紋切り型で硬直気味である。語り口の凄みと皮肉がないと
「角笛」は生きない。
寺谷さんはさすがに懐の深い歌である、落ち着いているし、情感に富む。
ただ声量が今ひとつで「やさしいおかあさん」みたいな風情はあるのだが
もう一つ迫力、というかおどろおどろしさもほしい気もする。
後半の福島さんの「死んだ鼓手」は見事な張りのある声で、凄惨で諧謔的な
この歌をよく歌いきっていた。白土さん(土の字は不正確ですすいません)は寺谷さんと
同じく丁寧で、ふくよかな歌である。
休憩の後、本命と言うべき「軍人たち」。
なかなか日本では聴く機会のないツィンマーマン(B.A 何人もいるので間違いやすい)
である。CDも結構手に入れにくい存在である。長木誠司さんの著作で名前は知っていたが
聴くのは今日が初めてか・・・な・・・・??
とにかくもの凄い編成である。大オーケストラにオルガン、6つの打楽器のバンダ。
迫力満点だが、前奏曲が始まったとたんに、予想を遙かに上回る
破壊的、戦慄的な音響である。(ヴォリュームの大きさとは異なる)やっぱり戦争は破壊的暴力と
言うことなのだろうが膨大な打楽器群の発生させる衝撃は聴くものを鎮圧してしまう。
しかし、単なる大音量なら1812年のキャノン砲でもぶっ放せば良いのだろうが
そうではない。激しい緊張感と、聞き手を戦慄させるような美観があるのである。
そこがこの人の天才と言うことなのかもしれない。
暴力でありながらスペクタクルとしての音楽の広がりと、錯綜した無機質の音響の美観が
見事に結合している。
何しろ筋と言っても、マリーの凋落の物語を軸に、様々な登場人物が重畳的に関係してくるし
(もちろんその上に「戦争」がのしかかっているわけだが)、ツィマーマン独特の
「球形の時間」(注1)と言う概念、(佐野先生のレクチァーがあった)によって、その関係性が表現される、
と言う仕組みなので(おまけに歌詞は全く解らない)
今回が抜粋と言うことを考慮しても、全体像は一回聴いただけではつかめるものではない。
それでも、この作品に引きつけられるのはツィンマーマンの音楽の持つ
激しい情動と天才的な感性のきらめきというほかはない。
なるほどこんな神経の人では、生き続けるのは苦しくなるのかもしれないが
息の詰まるような衝撃と戦慄的美観が過飽和状態になっている傑作である。
CD等を手に入れたいものだ。
歌手では、マギーの森川さんは難しい歌を懸命にこなした。表情も豊かで良いと思うが
もうちょっとあか抜けた雰囲気、ひんやりとした感触があっても良いのではないか。
デボルト男爵の福井さんはさすがに、手堅くまとめた。何と言っても張りのある良い声だし
役柄の表出もうまい。
同じことは福島さんにも言えよう。寺谷、白土さんもほぼマーラーの時とほぼ
同じ印象である。
若杉さんの指揮は見事という他はない、この複雑錯綜とした曲を全く散漫さを感じさせず
充実した表現としてコントロールして行く力量は、元々現代曲を得意とした人だとしても
大したものである。若杉、岩城、秋山、小沢と言った我が国のトップクラスの指揮者の
力を最近改めて実感することが多い。
全曲が舞台で聴きたい、見たい!
でも無理だろうなぁ・・・
リゲティの「レクイエム」に続いて、久しぶりに熱くなった演奏会である。
家にそのまま帰る気がせず、行きつけの店で飲んでしまった・・・・・
遅く帰って、掲示板を覗いた後衛星放送を見る。
小沢さんの指揮するサイトウキネンの松本での公演。プーランクの歌劇「カルメル会修道女の対話」
に釘付けになる。
何という偶然だろう、一方は戦争、こちらはフランス革命だが、
どうにもならない力に翻弄される人間のドラマである。
洒落者のプーランクはもうここにはいない、戦争と人間と信仰に対するプーランクの
渾身の叫びのような音楽である。
夜中の三時まで、テレビの前から動けなくなった。涙目は酔って眠いばかりではない・・・・
ツィンマーマンの「軍人たち」に続けてプーランクの「カルメル会修道女との対話」
・・・・重すぎる・・・・・
(「カルメル会修道女との対話」は今度のプーランク全集に対訳付で入っている。近いうちに
今日の一枚で紹介するつもりです)
注1 「球形の時間」とは佐野さんの話では、過去、現在、未来が時系列的に並ぶのではなく
いわば螺旋状に重なり合うものとして把握された時間概念と言うことになるのかな。(自信なし)
舞台では、現在と未来がパラレルに進行する。ただ今回の演奏会形式では立体的に時間が
表現されていないので、その効果や意図は今ひとつはっきりしなかった。