エリック・サティ
交響的劇作品 「ソクラテス」
《ソクラテスの肖像》
《イリソス河の岸辺》
《ソクラテスの死》

指揮 ピエール・デルヴォー
パリ管弦楽団
メゾ・ソプラノ ダニエル・ミレー(アルキピアデス)
ソプラノ アンドレア・ギオー(ソクラテス)
ソプラノ アンドレエ・エスポジート(パイドロス)
ソプラノ マディ・メスプレ(パイドン)


酒場のピアニスト、奇人、アカデミズム嫌い、梨の形をした三つの小品、ジムノペティ。
私がサティに抱くイメージはそんなものだが、この「ソクラテス」はそうしたサティのイメージと
全く異なる大作である。
サティ晩年の渾身の作品とも言うべき「ソクラテス」の後、サティは「家具の音楽」「本日休診」
等のきわめて実験的なダタイズムに感化されたような作品に傾斜してゆくのである。
その意味でも本作は大変特異な性格を持っているように思う。
愛らしい、ユーモアや機知に富んだサティの音楽はここではきわめてストイックな
崇高な緊張感とでも言うべきものに置き換えられている。
テクストはフランス語訳のプラトンの《対話編》によっている。
第一部は「饗宴」第二部は「パイドロス」第3部は「パイドン」の一部である。
哲学のテキストにそのまま作曲したのである。
ギリシャの思想、美の明晰さ、無駄のない均整、は「スポーツと気晴らし」の作曲者にしてみれば
最高の理想であり、最後に到達すべきものだったのかもしれない。
初演はさんざんな悪評だったが、その当時のサティの作品の初演はいつも大揉め
だったから、それほど変わったことでもない。
ただ、残念なことに今でも人気がないのである。
ジムノベティの様な美しい旋律も、奇妙な題名のピアノ作品に見られるブラックユーモアや
いわゆるエスプリもない、色彩もモノトーンとは言わないが、テキストの内容に
余計な「色」をつけないように厳格にコントロールされる
あくまでもテキスト自体のもつ叙事性に全てをゆだねているのである。
しかし全編にみなぎる、崇高で厳粛な輝きはやはり素晴らしく感動的である。
何しろテキストが歌詞というものではないので、最初はなかなか、歌の意味がつかみにくい
しかし、聴くたびに意味も解ってくるし、感動も大きくなる。
歌手ではギオーとエスポジーとは文句なく美しく、充実している。
《ソクラテスの死》を歌うメスプレは、驚異的に重い内容の歌なので普段のコケティッシュな
メスプレの声ではさすがに最初は荷が重そうな感じもしたが、すぐ調子をあげ
(こちらが彼女の歌にれたのかもしれないが・・)
抜群の劇的表現力で、ソクラテスの死の光景を、淡々とそれでいながら
迫真のドラマでも見るように描いてゆく。
すごいものだ。

併録 《メルクリウスの冒険》 三つの場からなる造形的ポーズ

東芝EMI TOCE−9821

※別に書くが他のサティの歌曲でもメスプレは見事な歌唱を繰り広げる
  サロン的な歌ではメスプレの歌の魅力にかなう人はあまりいない。