
46曲のアルバムである。
かなりの曲がブレヒト、そのほかメーリケ、アイヒェンドルフの詩も入っている。
ロンドンの「頽廃音楽」音楽シリーズの一枚である。
1930年代ナチス・ドイツを逃れて、ロスアンジェルスに亡命してきた多くの芸術家の中に
アイスラー友人ブレヒトも、アイスラーの師のシェーンベルクもいた。
彼らのもとに少し前からニューヨークにいたアイスラーもやってきた。
ブレヒトの困窮を見かねたのかも知れない。
ハリウッドの映画産業は、とっくにブルジョア的な芸術劇場様式に別れを告げていた
アイスラーにとって、無縁のものであった。
「亡命中のの孤立の当然の結果として(中略)芸術的なリートという
勝手を知っている形式に回帰することになったのである」(ライナーノート)
コミュニストであるブレヒトにとっても、アメリカのハリウッドなど、どーでも良い
世界だったに違いないのだが、やっぱり食っていけないことはつらいに違いない。
ハリウッドソングは屈折した亡命生活者の貧窮問答歌ともいえる。
230曲に及ぶハリウッド・ソングの中からこのアルバムは46曲を選択している。
シェーンベルクと決別しているアイスラーのリートは、どちらかと言えば静謐で
暗く、優しく、重い情感に溢れているが、なにしろ「異化効果」の御大の詩は
錯綜していて、ひねくれてもいる
またそれをアイスラーが驚くほどの精妙さで、詩の隠喩をすくい取ってゆくのである。
いくつか、選んでみよう。
「自殺について」 ブレヒト『セチュアンの善人」より
この国には
陰気な夜があってはならない
河にかかった高い橋も
夜中から暁方の時間さえ
それに冬も全然あってはならない。それは危険だから。
全く「冬の旅」のような切なく暗く美しい歌である。
「人間はほんのはずみで
耐えきれない人生を投げ出してしまうから!」
最後は怒鳴るように終わる。
五つのエレジー ブレヒト
「緑の胡椒の木下で」
緑の胡椒の木の下で
音楽家達がそれぞれの書記を連れて
ふたりずつ淫売のように執筆している。
「この町の名は」
この町の名は天使(エンジェル)に因んだものだ。
どこへ行っても天使にあう。
彼らは石油の臭いがし、黄金のペッサリーをつけている。
「毎朝パンを稼ぎに」
毎朝パンを稼ぎに
僕は市場に出かける。嘘が売られる市場に。
「この都市は僕に教えてくれた」
この都市は僕に教えてくれた
天国と地獄が同じひとつの都市であることを。
「丘陵に金鉱が発見された」
丘陵に金鉱が発見された
海岸に油田が見つかった
幸福の夢を産んだ
ここでは夢はセルロイドのフィルムに描かれている。
全体に諧謔と言うより、諦観、あきらめみたいな雰囲気に満ちた歌である。
詩だけだと、アメリカ文明を批判しているように思えるが
漂泊者の疲れがにじむ歌である。
アナクレオン風断片 エドアルド・メーリケ
「君にも憧れが・・・」
君にも故郷への憧れはもう息の根を
とめられたんだな。
「昧爽」(まいそう)
薄焼きのパンの塊から朝食にまず一切れちぎっきて
それを肴にワインを一杯飲んだ。そして今私は歌うために妙なるリュートを手に取る
私の貧しい故郷の国よ、いつまたお前に会えるのだろうか。
私の貧しい故郷の国よ。
「帰郷」 ブレヒト
故郷の町よ、どんな姿に今はなっているのだろう
中略
故郷の町よ、君は僕をどう迎えてくれる?
爆撃機は僕のいたところから飛んできた、死滅をもたらした編隊が
僕が帰郷すると告げたのだ。
郷愁といっても何か空虚な感じの郷愁である。
「冬の旅」との違いはハリウッド・ソングの主人公達が中年を通り越していることだろう。
青春の希望とか憧れがなにもない「冬の旅」は
灰色の世界に閉じこめられているようである。
アイスラーは230曲のハリウッド・ソングを死ぬまで公開の演奏として聴くことはなかった。
1948年にはマッカーシーの赤狩りにあい、アメリカすら追われてしまったのである。
アイスラーの長いため息のような曲集である。
じっと聴いていると疲れがとれると言うような音楽でもない
少しばかりやりきれなくもなる。
ゲルネの歌は文句なく美しく、ふくよかですばらしい。