取りあえず、観て印象に残ったこと、気になったことなどを書き留めて行こうと思います。
第1話:深海を発して |
■スタッフ
・脚本 :面出明美
・絵コンテ:斧谷 稔
・演出 :森 邦宏
・作画監督:重田敦司
■簡単過ぎるあらすじ
その1)
山奥の農家でトマトを育てていたお婆さんは、庭先に飛来したロボットのような物体に興味を示し、
その搭乗者であるウツミヤヒメにトマトを勧めた。どうやらお婆さんは事情通らしい。(つづく)。
その2)
謎の組織オルファン。
その指導者の息子であるイサミユウは、
組織から危険と伝えられていたブレンパワードタイプのアンチボディを
自由に操る少女、ウツミヤヒメと出会い衝撃を受ける。
それから一年後。
ユウは、オルファンの倉庫に捨て置かれていたブレンパワードと共にオルファンから逃亡した。(つづく)
■感想1
第一話、3度ほど観ました。
なかなか興味深い第一話だと思います。
特に、ウツミヤヒメとイサミユウが出会う辺りで描かれた、二人の対比を面白く観ました。
ブレンパワードタイプのアンチボディ(アンチボディ=この世界の人型兵器(?)の総称)が生まれる瞬間を偶然目の当たりにしたウツミヤヒメは、自らの意志でアンチボディの体内(胎内?)に潜り込みます。
彼女はそれまで、アンチボディを直に観たことはありませんでした。彼女が知っているアンチボディに関する知識は、TVで見知ったことだけです。そしてTVではアンチボディを得体の知れない物として報じているようです。その証拠に、軍人らしき人は、ヒメを制止しようとする際に、「何が起こるかわかっちゃいないんだぞ」と言ってます。しかし、そんな言葉を受けてもヒメは躊躇することなくアンチボディに乗り込むんですね。
なぜそうできたか?
目の前で生まれたアンチボディが「やさしい目をしている」と感じたからです。ここんとこ、私にはよくわかりません。わからんというのは、私にはやさしい目に見えなかったってことなんですけどね(笑)。まあとにかく、ヒメはそう感じたようです。そして、彼女はアンチボディに乗り込んだ。どうやらウツミヤヒメという少女は、マスコミや軍といった権威に振り回されることのない人、自分で直に見たこと、そしてその時感じたことを大切にする人みたいです。
対するイサミユウは組織の中に埋没していた人です。ブレンパワードは出来損ないのアンチボディであるという組織の説明を信じています。危険だと思っています。そこに疑いはありません。しかしそれは自分で見て、感じて、そのように理解しているわけじゃないんですね。加えてユウは、オルファン(ユウが属する組織)を批判するヒメに向かって面白いことを言います。
「マスコミの言葉を信じるんじゃない」
だったかな。まあ、そんなことを言うのです。ちょっと滑稽な構図じゃないかと思います。マスコミの言葉を鵜呑みにするような人ならば、アンチボディに乗ったりするわけないにね。権威の発する言葉を鵜呑みにしているということで批判されるとしたら、むしろユウの方がふさわしいでしょう。
自分で見て、さわって、感じて、判断しよう。そのように監督は言っているのでしょうか。
このヒメとの出会いが、一年後にユウがオルファンから逃亡するきっかけになります。自分の体と頭で世界を理解しようとするきっかけになるのですね。良い出会いだと思います。
この辺り、おそらくはオウム真理教の信者に対する批判の意も込めているんでしょうね。再び、カルトに作品を利用されないように予防線を張っているようにも思えます。
■感想2
■その他 気になったこと
第2話:運命の再会 |
■スタッフ
・脚本 :浅川美也・斧谷 稔
・絵コンテ:斧谷 稔
・演出 :原田奈奈
・作画監督:戸部敦夫
■簡単過ぎるあらすじ
その1)
お婆さんはウツミヤヒメと共に戦艦ノヴィスノアに乗り込んでいた。
彼女はイサミユウの祖母らしい。(つづく)
その2)
イサミユウはウツミヤヒメと再会し、いきなりキスをした。
イサミユウは研究者にブレンパワードを奪われそうになった。(つづく)
(↑説明がこれだけだと、かなり情けない主人公である)
■感想
密度が高いなあ。とても高い。
物語の進むスピードが速い上(1.5話分程内容があるような気がする)に、情報量が多い。
しかも状況や人間関係などの膨大な量の設定を、ナレーションなどの直接的な説明手法を用いず、台詞や演技で視聴者に伝えようとしているから30分間気が抜けない。
全ての言葉・全ての動きが手がかりかもしれないという緊張感。もしかしたら、この気の抜けなさが、密度が高いと感じる原因なのでしょうか。
富野アニメの密度の高さについては、映画「逆襲のシャア」を観てからこっち、なんとなく感じてきたことなんですけど、富野監督はその構想した物語の規模がどんなに膨らもうとも、与えられた上映(放映)時間の枠内に、ダイジェストにすることなく物語を納めることができる、そんな技術の持ち主なのかも知れません。いやとにかく、「逆襲のシャア」ってのは、私にとってインパクトが強かった作品なんですよ。「たった2時間じゃあ、きっとシンプルな物語になんだろうな。ガンダムらしさには欠けるかも知れないけど仕方ないよね」と思って映画館に足を運んだら、そのたった2時間の映画の中にTVシリーズを作れる程の量のネタと登場人物と人間関係が放り込まれていて、しかも詰め込み過ぎという印象がなかったのです。裏返して云えば、描写不足という印象がなかったのです。これはたまげました。
どうしてあんな作品が作れるんでしょうね。富野監督は”通常の3倍”の密度で演出しているとでも云うのでしょうか?もしかしたらそうなのかも知れません。演出のことは全くわからないので、想像で書いているだけですけど・・・・・(笑)。この件については、機会があったらじっくりと考えてみたいと思います。
あ、感想を書かなければ。
本人は会話をしているつもりでも、相手にとっては会話になってないことってありますよね。自分のこと、自分の頭の中にあることを聞いて欲しいだけの人。私はそうだった。今はどうだろう。
自分の喋りたいことを互いに一方的に喋り合って、会話したつもりになっている場合もある。会話はよくキャッチボールに例えられるけれど、この場合は手元の篭に入っているボールを相手に次々に投げつけているようなものですね
ユウとカナンの会話を聞きながら、そんなことを考えました。
■その他気になったこと
・作画:どうして一話より二話の方が、絵が綺麗なんだろう(^^;)?一話をみて、作画については「こんなもんか」と諦めていたので、ちょっとうれしい。