納豆文化圏の謎

◆納豆文化圏の謎(1999/1/25)
     あちらこちらで盛り上がっている納豆ネタ。この機会に、わたしもちょっと気になっていることを書いてみようと思います。
     子供の頃から不思議に思っていたのですが、東北で生まれた納豆が、どうして関西を飛び越えて、先に九州で普及したのでしょうか?(最近では、関西でも納豆食が定着しつつあるようですが、私が子供の頃に見た資料では、関西〜中国地方だけ一人あたりの消費量が際だって少なかったのです)。九州には納豆食を受け入れやすい土壌が存在したのでしょうか?
     それとも東北の大名が九州に移ってきたときに、領民に納豆食を奨励したとか。

    #君は知っているか。納豆に「のりたま」をかけると美味いことを。

◆ROM男さんからの情報(1999/5/19)
    空白によるわかち書きと、納豆文化圏について
    投稿者:ROM男  投稿日:04月26日(月)00時13分13秒
    (略)
    納豆文化圏については、NHK の番組で
    納豆を嫌う地域:朝鮮半島からの渡来者・文化だったか弥生文化が通ったあたり?
            (北九州〜中国〜近畿。名古屋付近がどうだったかは忘れました)
    納豆を好きな地域:上記によって分断された地域
            (中・南九州と近畿だったか名古屋だったか以東)
    という感じで紹介されていたと思います。

    くるくるくりりん掲示板(1998/4/26)より

     なるほどです。ありがとうございました。
     「関西発 納豆白書98」によると、「糸ひき納豆」の誕生は鎌倉時代とのこと。納豆文化圏分断の原因が、朝鮮半島からの渡来者なり文化の影響、または弥生文化にあるのならば、納豆が誕生する以前から、関西圏には納豆が嫌われる素地があったということになりますね。

    ※参考:「関西発 納豆白書98」の「みんな食べてる?」に、都道府県別の年間納豆消費額が紹介されています。

◆学校納豆と給食(1999/5/19)
     「まぼろし小学校」(串間努・小学館)に、納豆が全国で食べられるようになったのは、学校給食の献立に納豆が採用されたことがきっかけだと書かれてました(118頁)。
     本テーマとは直接の関係はありませんが。参考として……。

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